さてさて、大磯宿にはまだまだ見どころがたくさんあります。
しかしながら、我々HIZAKURI隊には、この日中に国府津まで辿り着かねばならぬという、宇宙戦艦ヤ○トばりの使命があるため、泣く泣くチョコ見で終わらせた場所も。機会があれば、もっとじっくり見て歩きたいものです。
【神明神社】

大磯宿・神明町の氏神様。明治天皇が小島本陣に宿泊された際の記念碑があるようですが、確認できませんでした。
【秋葉神社】

1761年に起きた大火は大磯宿に甚大な被害をもたらしたそうです。そこで、遠江秋葉山より火難除けの秋葉大権現を勧請して祀ったのが起源。今の場所に神社が移ったのは大正になってから。ちなみに東京・秋葉原の地名も秋葉大権現に由来するとか。
【新杵】

明治24年創業の和菓子屋さん。吉田茂も島崎藤村もここのお饅頭がお気に入りだったとか。虎御前の名に因んだ(ほんと、人気者だねぇ)名物「虎子饅頭」はすでに売り切れだったため、M隊長、もうひとつの名物「西行饅頭」(もちろん西行法師ですな)を買ってくれました。

【湘南発祥之地の碑】

おお!大胆にも湘南発祥の地を名乗ってしまいますか!
江戸時代に建てられた鴫立沢の標石に、「著盡湘南清絶地」(清らかですがすがしく、このうえもない所、湘南とは何と素晴らしい所…大磯町ホームページより)と刻まれたのが発祥の地の所以とか。そういうこと。
【鴫立庵】

西行法師ゆかりの地。もっとじっくり見たかったけど、先を急ぐ雰囲気の中、言い出せなかった気弱な私です。
そもそも鴫立庵って何?
此処に来るまでまったくその存在を知らなかったので調べてみますと。
①西行法師の歌(平安時代末期)
平安時代、かの西行法師がこの辺りの何処かで
「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」
と歌を詠みましたとさ。新古今和歌集に収録されている「三夕の歌」の一首ですね。
②崇雪が住みました(1664年)
江戸時代、西行の歌に感動した崇雪が、鴫立沢は何処かな~、あ、この辺かな~ということで、庵を結んで住みました。
③鴫立庵の成立(1695年)
その後、俳人の大淀三千風が庵を再興、初代庵主となり、此処を「鴫立庵」と名付けました。そしてお堂を建て西行の像を安置し、俳人たちから広く歌を募集したので一躍名所になったのでした。
弥次さん・喜多さんも此処で一句。
「われわれも天窓(あたま)を破(わ)りて歌よまん 刀づくりなる御影(みえい)おがみて」
④俳諧道場(~現在)
その後、代々の庵主たちによって庵は俳諧の地として歴史を重ね(今の庵主は22代目)、現在では日本三大俳諧道場のひとつとして知られています。また、庵内にはゆかりのお堂や仏像、石碑があるそうです。
なるほどね。
【島崎藤村邸】

何気に波乱万丈の一生を送った藤村も、晩年、お気に入りのこの地でようやく安息を得たのでしょう。
まだあげ初めし前髪の…
「初恋」は不朽の名作。
遠く甘酸っぱいあの頃へと、HIZAKURI隊一同の想いは帰っていきます。
ちなみに、此処を訪ねてから「藤村詩集」「桜の実の熟する時」「春」と3冊も買ってしまった私です。未だ読み終えていないけど…。
-H-