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HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

HIZAKURI隊、再始動!

2014年07月13日 | 小田原宿-箱根宿

全国5000万人のHIZAKURIファンの皆様。

とってもお久しぶりでございます。

昨年の12月に小田原宿に到着して以来、寒さに負け…もとい、忙しさのため、なりを潜めていたHIZAKURI隊ですが、2014年7月12日、満を持して活動再開いたしました!
この半年間、隊員一同、公私ともに激動の日々を送っていたわけですが、いよいよ再始動です。
個別の名所旧跡のご案内はまたあらためてするとして、今回はざっと概略を。



↑再始動に向け密談中

まずは6月14日。ぼちぼち箱根を目指して歩かないとまずいんじゃない?的な雰囲気が満ち満ちてくる中、活動再開に向けての会合が持たれました。
そしてX-DAYは7月12日に決定。
その日から隊員一同、準備と半年で鈍ってしまったであろう体力の強化に励む毎日が始まりました。



そして迎えた7月12日。

↑いざ、出立!

旅立ちを祝福するかのような日本晴れ!…というか朝から暑すぎるぞ、おい!!

さて、この日の目的地は、リハビリを兼ねて箱根湯本。約7キロの道のり。
まぁ、たいしたことないか…的なまったり感を醸しながら歩き出した隊員一同を襲ったのは、HIZAKURI史上最大のピンチでした。

↑小田原宿の板橋見付付近。

↑小田原~箱根湯本間。まさかこの後、大ピンチが来るとは誰も予測できずにいたのでした。

板橋見付から小田原宿を出て、途中、醤油製造を生業としていた旧家(内野家住宅)の内部を見学して、板橋地蔵尊に立ち寄り、まずまずのスタートを切ったHIZAKURI隊でしたが…。


そしていよいよ運命の分かれ道。


せっかくだから石垣山の一夜城に寄っていきましょうぜ、旦那ァ。ちょっとそこだから、大丈夫ですぜ…

との悪魔の囁きに惑わされたHIZAKURI隊は、風祭駅付近から東海道を逸れ(国道1号線に沿って進みました)、入生田駅手前で早川を渡り石垣山を目指したのが運の尽き。

過酷な暑さの中、八甲田山の雪中行軍の夏バージョンの体験をすることになったHIZAKURI隊。

誰も無口で、
周りの景色を写真に撮る気力さえなく、
自販機も休憩所もない坂道で渇きと疲労に苦しみながら、
誰か、もう引き返そうって言ってくれ!と願いつつ、
すれ違う人や車もほとんどなく、

M隊長は
何かに操られるように超高速で遠ざかり、その背中は我々の視界から完全に消え、

W隊員は
前夜の新宿での紀伊国屋文左衛門並みの豪遊と深酒がたたって、フラフラ状態に拍車がかかり、

U嬢は
遠ざかる意識の中で、陽炎の彼方にワインとビールの幻を追いかけ(?)、

私、隊員Hは
死ぬ~行き倒れる~と心の中で泣き喚き、

それでもみんな、ひたすら炎天下のアスファルトの坂道を登り続け、石垣山にたどり着いた時には、精根尽き果てていたのでした。

まさに抜け殻。

もちろん、まだ夕刻には時間があるものの、ここで本日の道中を終了することに異議を唱える者は誰ひとりあろうはずもなく。リハビリと呼ぶにはあまりにも過酷な道中となったのでした。


↑一夜城の前にて。車でここまで来れるのさ…。

下りはJR早川駅方面へと続く道を辿ったのですが、石垣山へ向かう人は、こちらから登って来るようですね。といっても、ほとんどみんな車ですが。
江戸時代、難所と言われ、行き倒れる者まで出たという権太坂や大坂の難儀ぶりを身を以て体験したいのであれば、我々が登った道をどうぞ。ただし、途中に自販機も売店もないので、とくに夏場は水分だけは十分に買い込んでから挑んでくださいな、と。



↑そして結局こうなります。

早川駅から電車に乗った我々は藤沢へ取って返し、そこでかなり遅めの昼食(蕎麦でした)と、ちょっと早めの飲み会-あ、違った、反省会-に突入したのでした。
そしてかなりのダメージを受けたHIZAKURI隊、やっぱり夏場は避けようという結論に至ったのでした。



嗚呼、汝、軟弱者と言う勿れ。

-H-



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