【川辺本陣】
大見寺を後にすると、すぐ脇にドドーンと武家屋敷張りの建物がありました。
現在は、「社会福祉法人ゆりかご園」の立派な看板が門脇に掲げられていますが、此処こそ、酒匂川が川留になると本陣の役割を果たした川辺家の邸宅でした。一般に川辺本陣と呼ばれているようですが、正式な本陣ではなく、あくまで川留による臨時の「本陣的宿舎」だったようです。

当時、この近辺は酒匂村と呼ばれていたようですが、川留になると、それこそ村中総出で川辺本陣の宿泊支度にとりかかったそうです。
玄関・門の掃除、畳替え、襖の張り替え、食料の調達、水桶の備え、松明の用意、そして不審者の見張りなどなど。旅人にとって川留は難儀だったのはもちろん、近隣の住民たちにとっても、たいへんだったのでしょうね。
参考文献:「神奈川の東海道(上)」 神奈川新聞社

我ら一行が此処を通った際には、運よく晴天、川留とは縁がなさそうなので、川辺本陣もひっそりとしていました。
さあ、歩け歩け、どんどん歩け、HIZAKURI隊!酒匂川までかっとんでいけ!
【法船寺】
酒匂川までもう一息、といったところでまたたまた寄り道。
法船寺は日蓮宗のお寺です。
日蓮上人が酒匂川の増水で困っていた時に、翁の姿をした地蔵尊の化身が、この地にあった地蔵堂に宿泊をお願いしたとのことです。堂守がその後、日蓮宗に改宗してこの寺を開いた、という伝説が残っています。

境内には近年になって建てられた小ぶりな五重塔もあります。そして日蓮上人。
日蓮上人も酒匂川の川留にあったのですね。もしもすんなり川を渡ってしまっていたら、このお寺はなかったということでしょうか。

そうそう、奥の墓地には、小田原城を北条早雲に奪われた武将・大森藤頼の墓が在ります。
北条早雲の戦上手振りとともに、大森藤頼の愚将ぶりを随分と聞かされた覚えがありますが、歴史は勝者によって作られるもの。藤頼はほんとうに愚将だったのかどうか。
貴殿は余よりも賢いと申すか?
って、藤頼の恨み節が聞こえてきそうです。

さあ、法船寺をあとにして、いよいよ酒匂川。
川留などまったく気にしなくてもいい晴天のもと、一気に川を越えるのか!と思いきや、その前に腹ごしらえを…と、言い出したのは誰だったか…?
ということで、お昼です。ちょうど良い場所(ほんと、川のすぐそばです)に食事処もあることだし。
腹が減っては川越えは出来ぬ!鋭気を養って川越えに挑みますぞ!



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