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HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

はるばる来たぜ、国府津駅

2014年01月08日 | 平塚宿-大磯宿-小田原宿

間の宿・梅沢の立場を出発して、いよいよ本日の目的地・JR国府津駅へラストスパート。

↑押切橋を渡るHIZAKURI隊。

↑押切橋を渡ると、お、いよいよ小田原市へ。

↑…と思ったら、二宮町に逆戻り。

↑そして、また小田原市。

この辺り、二宮町と小田原市の境界が何やら入り組んでいる模様。左手、西湘バイパスの隙間から海をチラチラと見ながらの最後の踏ん張りです。
足もパンパン。普段、運動不足だからね。
隊員一同、刻一刻と近づいている美味なる酒と新鮮な魚に、早くありつけることだけが希望の光…。

↑車坂の碑

さて、車坂。
道は小田原方面に向かってゆっくりと下り坂になっていたようですが、そんなこと気にする余裕はすでになく…。
昔から、海を望む景色のよい場所だったようで、源実朝や太田道灌が此処で詩を詠んでいるとのこと。江戸時代に作成された「東海道東海道分間延絵図」にも記されています。そのあたりを紹介する案内板と(木)碑なのでしょうが…。草むらに埋もれてますよ、小田原市さん。字が褪せて読めませんぜ、観光協会の方々!

↑色鮮やか!

車坂の碑からそう遠くない地点に、大山道の道標があります。大磯方面から歩いてくると建屋のかげになり、見落としやすいので要注意です。実際、M隊長とW隊員は気づかず通り過ぎていきました。合掌。

↑道祖神。

思わぬ場所にひっそり佇む道祖神。とくに大磯宿を出てから目に付くようになった気がします。市街地にあった道祖神は、神社の境内などに移されてしまったからでしょうかね。

↑夕闇迫る国府津付近。

さて、この辺りの地名はすでに国府津。
Wikiで調べてみると、国府津とは
「日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国府への水運のために設けられた港。国府が内陸等にある場合はその外港」
とあります。陸奥の国や加賀の国にも、国府津から転じた地名(香津、木津)があるそうです。ということは、かつては海のある国ならどこにでもあった地名ということでしょうか。此処、神奈川県の国府津はそれが現在も使われていると。由緒ある地名なんですね。

↑ゴール!

そして、ようやくJR国府津駅。辿り着きました!
平塚宿から大磯宿を経て国府津駅まで、地図の上では約12キロ。でも、寄り道したり戻ったりしているので、実際は16キロくらい歩いたでしょうか。
それでも無事に歩き切れて何より。到着時刻、16時30分でありました。

それでは、皆の衆、お待ちかね。旅の疲れを癒しながら上等な酒と美味しい魚で、反省会とでもいきましょうか?



…って、国府津駅近辺、飲み屋さんがない?

探してみたけど…

やっぱりない!

そんなわけで、酒と魚は今しばらくお預けとなり、疲れた体をひきずって平塚まで戻るHIZAKURI隊なのでした(もちろん電車で)。

-H-



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