
高麗山をバックにした広重の浮世絵。
平塚宿の京方見付を出て、すぐのあたりがそのスケッチ・ポイントと言われています。
道端に描かれている木の標識は「傍示杭(ぼうじぐい)」。
この傍示杭が立っている場所が、本当の意味で宿場の内と外の境界だったということらしいです。見付が境界ではなかったのですね。へぇ~。
この傍示杭、宿場の境界だけに立てられたわけではなく、国境や村境にもあったそうです。東海道でいうと、保土ヶ谷宿から権太坂を登り切った境木の立場に、武蔵と相模の国境を示す傍示杭がありました。境木という地名もこの傍示杭に由来するとか。

それでは、傍示杭の立っていた場所を越えて(もちろん今はありません)、平塚宿からお隣の大磯宿へ。
「あの高麗山を越えるのは今からでは無理でございます…」
という留め女の声を振り払い、いざ進め、HIZAKURI隊!
-H-