goo blog サービス終了のお知らせ 

HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

この辺り、広重の浮世絵ポイント

2013年11月30日 | 平塚宿-大磯宿-小田原宿

↑広重による「平塚・縄手道」

高麗山をバックにした広重の浮世絵。
平塚宿の京方見付を出て、すぐのあたりがそのスケッチ・ポイントと言われています。

道端に描かれている木の標識は「傍示杭(ぼうじぐい)」。
この傍示杭が立っている場所が、本当の意味で宿場の内と外の境界だったということらしいです。見付が境界ではなかったのですね。へぇ~。
この傍示杭、宿場の境界だけに立てられたわけではなく、国境や村境にもあったそうです。東海道でいうと、保土ヶ谷宿から権太坂を登り切った境木の立場に、武蔵と相模の国境を示す傍示杭がありました。境木という地名もこの傍示杭に由来するとか。

↑この辺り? 京方見付を出ればすぐ大磯町に入ります。

それでは、傍示杭の立っていた場所を越えて(もちろん今はありません)、平塚宿からお隣の大磯宿へ。

「あの高麗山を越えるのは今からでは無理でございます…」

という留め女の声を振り払い、いざ進め、HIZAKURI隊!

-H-





にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ     







最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「平塚・縄手道」 (iina)
2015-02-24 12:25:52
広重による「平塚・縄手道」の現在の姿です。

返信する

コメントを投稿