愉快的生活~上海~

2009年4月から始まった上海生活の中での新たな出会いや発見、中国語の勉強法など。

抗酸化対策

2013-06-24 10:29:51 | 生活 ~日本~
中国の環境汚染問題が相変わらず熱い中、自分で自分の健康は守らないと!と思いたちまして、いろいろ試してます。


左は3ヶ月前くらいから摂っている、niwana106という抗酸化食品。胚芽・大豆・糠・はと麦・小麦・ごま油・ゆず果汁・抹茶・杜仲茶・ゴマ・麹などの食品由来の成分のみでできているので安心だし違和感なく摂れるとこが、たいへん気に入っております(^ω^)
これを飲んでから夫くんの目の下のクマがましになり、肌つやがよくなった気がする♪( ´▽`)

さらに投入したのが、タイに住む大好きな友人からオススメされた水素水。
これも、身体の酸化を防止する効果があるもの。友人によれば、世間に水素水は数多あるけれど、ここのが1番水素が保たれた状態なんだとか!

エイジングは誰にも止められないけれど、健康に年齢を重ねていかないとねー。

やり直し。

2013-06-21 23:17:45 | 生活 ~日本~
こないだ、10日ほど前に上海でカットに行ったのだけれど、なーんだかどうもしっくりこなくて、日本に帰ってきたときに行く美容室でやり直し♪( ´▽`)

そうそう、これこれー!っていう仕上がりになって大満足なり♪

美容師さんとも、相性って大事だわ。

美容師さんのコウタロウくん、もう、浮気はしないよ~。





結婚記念日の夜

2013-06-18 20:19:39 | 生活 ~上海~
今月の16日は、上海で迎える5回目の結婚記念日だった

結婚生活の半分以上を海外で過ごした私たち。
夫婦二人で、その街での生活に馴染むために、2人で街のあちこちを歩いて色んな人と出会い、色んな風景を眺めてきた。

日本にいると、夫と妻、という役割だけかもしれなかったけれど、海外で暮らしていると、私にとって彼は夫だったり、友達だったり、兄だったり、親だったり、弟だったりする。
彼にとっての私もきっとそうだ。

これから、まだまだ一緒に色んなことを乗り越えて行かないといけないので、
ますますチームワークも良くしなくっちゃね

記念すべき、結婚記念日の2日前にぎっくり腰を患ってしまった彼は、外出もままならず、その日はお家でお好み焼

モチロン、彼をおだてて、焼いてもらいましたよ

おだてが効いてるのか、ますます腕を上げた様子で、ホント美味しかった

これからも、仲良しチームで頑張って行こうね



状況判断型

2013-06-18 19:02:21 | 生活 ~上海~
今日は、日本への移動日です
今回の上海滞在期間も、スケジュールみっちりであっという間に過ぎちゃったわ。

空港へ向かうタクシーの運転手さんとの会話で、へええと思ったこと。

中国では、都合の悪いような事は、何でも「中国人は人口が多いから、仕方ない」と言い訳のように言うよね、って話から、そもそも、世界中に散らばってる「華人」といわれる中国人を含めたら、一体何億人の中国人がいるんだろうね~、という話に。

そういえば、中国大陸を飛び出して、海外で財を成した中国人の数って相当なもの。
同じように日本から世界で活躍する事業家の数は比較にならないだろうなあ。

またまた運転手氏に聞いてみた。

「世界中に中国人の起業家っているけど、色んな準備を万端にして海外に出かけていくのかなあ

運転手氏いわく、「まあ、普通の中国人は5割くらいは準備するかも。でも、温州人は別や。あいつらは、2割イケると思ったら、もう即GOや」

ええーっと「石橋を叩いて渡る」的な言葉って中国語の辞書にあったかな

良くも悪くも決断早く、準備はともかく取るもの取りあえず、行っちゃえって感じか。

それに比べたら、日本人って旅でも何でも、本当に周到な準備をするもんねー。
フットワークは、どう考えたって中国人の方が軽いよな。

取りあえず、GOしてその都度問題にぶち当たったら、そのとき考えようっていう、超「状況判断型」な人たち。
私もどっちかというと、そっちのグループなので、だから中国に居てるのが楽なのかもよ、ということに思い至った、という話

今日から月末まで日本でーす








The Mandarin Oriental Bangkok

2013-06-13 12:37:53 | 旅行
今年の中国の端午節連休は、タイ・バンコクへのショートトリップ。
目的は、夫の元同僚の結婚のお祝いディナーです

滞在は念願のThe Oriental Bangkok
バンコク在住当時は、お客さんのアテンドには、ほぼ必ずAuthor's loungeでのアフタヌーンティが必須コースだったし、旧館5階にあるアジア一番とも言われる、ノルマンディーにも日本から来た母や、友人たちと何度か行ったものです
なんというか、ここのホテルは、『特別』なんですね

はっきり言って、私の期待をはるかに上回るオリエンタルでの滞在だったわ


プールで寛いでいても、プールのスタッフがあれこれとお世話を焼いてくれます ご存じタイ人はとっても人懐っこいので、すぐに何かと話しかけてくるのよね プールスタッフも、オリエンタルのスタッフであることをとっても誇りに思ってるようで、仕事ぶりもとっても楽しそうで、気配りが素晴らしい
 
(SUSHI~と笑いながらサーブしてくれた、サーモンに見立てたパパイヤとマンゴのスイーツ)


ホテルのお部屋もとっても素敵で・・・
旧館だったので、もちろん設備は古いんだけど、とっても素敵




ホテルステイの一番のお楽しみは朝ご飯



チャオプラヤ川を眺めながらの朝ご飯、気持ちいい~




Author's Loungeは、たくさんのお花を使って、デコレーション中。
本当にうっとりする空間です

今回は、改めてタイ人のホスピタリティに感激でした。
やはり、タイの歴史が大きく関係しているのかな。
それに、日本人にめちゃ優しいし、タイに居てるとついつい緊張感がなくなっちゃいます。

今、私が住んでいる中国は改革開放されてから、まだ歴史が浅いので、色んな場面でそのサービスの質の低さにがっかりすることもしばしば。まあ、これは仕方ないね

エラワンの仏様に、またバンコクに戻って来れますようにとお祈りしてきたし、また近いうちにバンコクに帰れるかな


バンコクで、会った友人の皆さん、本当に楽しい時間をありがとう



上海土産

2013-06-08 18:17:06 | 上海でお買い物
上海からのお土産ものって、当初は頭を悩ませていました。
中国茶を始め、中国の食品関係のお土産は悲しいかな、ハナから懐疑的な視線を感じるし
在上海も4年を超え、しかも毎月日本に帰ってる私は、そんなわけで、もはや「お土産」を放棄してしまっています。
時々、会社の方が下さる高級紹興酒だけは、大事に日本に持って帰って、義理の父上にあげるくらいでしょうか。

気の利いたカワイイ中国雑貨なんて、無縁だった私ですが、今日そのカワイイ中国雑貨のお店に行って、お土産モノを買ってきました

上海の駐在奥さんなら、誰でも知ってる(らしい)、『キッチュチャイナ』のお店の中は
ここのブランドのアイコンのパンダで埋め尽くされてます

来週の端午節の連休を使って、たったの4日間ですがバンコクに「里帰り」します。
夫のバンコク駐在時代の部下の女性が結婚する、というのでそのお祝いに行くんです
お祝いは日本から買ってきたけれど、他の女子社員さんたちにも上海のお土産も買わなきゃ!ということで、こんな可愛いものを買いました



なかなか街中では、気の利いた上海土産を見つけられないので、このお店はおススメ 

■KITSCH CHINA (キッチュチャイナ)
住所:淮海中路2006弄6号102室
電話:13701747073

福建省CHA見聞録 ~June 2013~

2013-06-07 17:54:03 | 中国茶レッスン
今月の中国茶レッスンのテーマは「福建省ー北と南の烏龍茶」

ご存じ、福建省は烏龍茶の生まれ故郷。
お茶が作られているのは、北は武夷山、南は安渓山が代表的な産地です。

ちなみに烏龍茶とは、茶葉を発酵させた発酵茶です。茶葉の細胞を壊し空気と触れ合わせて発酵を進められます。発酵したあと、しっかりと焙煎をかけたものから、まったく焙煎を書けないものまで、烏龍茶といってもまったく異なる味わいです。

まずは、毛蟹茶から。
 毛蟹 
私は、てっきり蟹風味なのかと思ってしまいましたが、
茶葉の渕がギザギザで、茶葉の裏側にびっしりとある産毛から、こんな名前になったんだってー



北の武夷山産の「武夷毛蟹」と、南の安渓産の「安渓毛蟹」です。

武夷毛蟹は、わりとしっかり焙煎がかけられており、力強い味わい。

安渓毛蟹は、焙煎はなく、烏龍茶の中の「緑茶」的存在。中国では、「緑茶=高級」的なイメージがあるので、「売れる」烏龍茶を作るために、このように焙煎をかけない製法をとって作られたとか。 ふわっと甘くやわらかい香りとすっきりした爽やかな後味。洗茶をせずとも、一煎目から茶葉が開いて美味しく頂けます。

次は、肉桂茶
肉桂=シナモンということですが、こちら中国のシナモンは外側の樹皮が付いているので、樹の香りが強いんですよね。

北の武夷山産の「武夷肉桂」と、南の安渓産の「安渓肉桂」です。

武夷肉桂は、武夷山の原生品種で100年の歴史があるそうですよ。
軽めの焙煎で、樹や葉の香りがするようなお茶です。

安渓肉桂は、珍しいんだそうです。
原生品種の武夷肉桂を安渓で栽培し始めたんだとか。
こちらも、焙煎はなくきれいな緑色のお茶です。旨みがしっかりとあり、こちらの香りはお花のようなこっくりした味です。

ちなみに、安渓で作られる超有名な品種、鉄観音はお値段が飛びぬけてお高いです。
こちらもやはり、焙煎をかけずしっかりと揉みこんで作られたお茶ですね。
本当の鉄観音は、一煎目は薄く、なかなか茶葉が開いてこないのですが、
7煎目、8煎目くらいまで渋みも出ず美味しく頂けますよ


モモさんのこと。

2013-06-05 22:51:36 | タイでお仕事

ざんばら頭を無造作に束ね、ひょろりと細い長身の身体を丸め、なんだか申し訳なさそうにぽつんと立っている丸眼鏡の猫背の男性。

いわゆる、普通の社会人といった日本人男性のイメージからは程遠いルックス。
しかし、その彼が数年前まで凄腕の脳外科医だったというから驚いた。

彼とは、とある国際NGO団体の支援事業でタイで2ヶ月あまり一緒に仕事をした。

彼は東京での脳外科医としてのキャリアをあっさりと捨て、国際NGOのメンバーとして、発展途上の国々に数多く存在するまっとうな医療を受けられない人たちの命を助ける仕事を選んだ。
劣悪な衛生環境の中、簡単に命が消えていく発展途上国で、公衆衛生の知識を広め、少しでも病気になる子供を減らしたい、という信念を持った彼は、医療行為をする医師から、公衆衛生の知識を広める医師へと大きくそのキャリアの道を軌道修正したという。
「病気になってしまった人を助ける医療より、環境を改善することで、病気になる人を減らしたかったから」と、これまでの道のりをいともシンプルに話してくれたっけ。

初めてNGOのスタッフとして、タイ洪水被害の被災地支援に派遣された私にとっては、何もかもが新鮮なことばかり。
元々、一般企業の経験しかない私にとっては、こういった「災害支援活動」とは、被災地の人たちにもっぱら、こちら側が「してあげる」ことだと思っていた。
モモさんの仕事の進め方を間近で見るまでは。

彼は、相当ギリギリの健康状態でこのプロジェクトを請けたらしく、夜もよく眠れないようで、いつもフラフラの様子で現場にやってきた。

そんな風だったけれど、プロジェクト内のメイン項目、公衆衛生のワークショップのプランニングとその資料はいつも完璧だった。彼の伝手で、現地国立大学の教授の参加も叶い、現地の人向けワークショップや、衛生セミナーも大成功。
けれど、彼は、ほんの2ヶ月ほどの公衆衛生のワークショップをやったからといって、何の意味があるのか?偽善じゃないのか?といつも移動中の車の中でぼやいていたっけ。

「継続してしつこくやり続け、しまいには、そこの人たちが自らそれを自然に実践して、我々のやることがなくなってしまうことがゴール」と常々言っていた。
資金を使って、箱モノを建てたり、物資を寄付するのも、支援活動の一つの形だ。
彼が行った、教育要素のあるソフト面での支援活動というのは、形こそ残らないけれど、自分たちの行った支援活動が現地の子供の心に少しでも何か感じるものを与え、彼らが大人になって行く過程で、そのノウハウやなんかを活かしてもらえたらそれでいいんだと。
そうそう、children as a messenger ってモモさんがよく言ってたなあ。
子供たちがワークショップで聞いたことやなんかを、家に帰ってお母さんや隣のおじちゃんに教えてあげたり。そうやって、新しい知識は伝染していくんだよって。

そんなこんなで、2ヶ月に亘る支援活動も無事に終了し、私たちもそれぞれ日本に帰国して3週間ほどたったとき、現地でお世話になった大学の先生が日本にやってくるというので、久々に日本人メンバー3人が集まり、先生をアテンドしようということになった。
無事、先生を見送ったあと、3人で久々に近況を語り、これからの仕事の方向なんかを結構長く話したっけ。
その帰り途、私は新幹線に乗るモモさんと、改札口で握手してお別れをした。
また会いましょうね、って。そのとき、なんだか心から願うように言った気がした。
その日はまだ5月なのに、汗ばむような暑い日だった。
でも、やたらモモさんの手が冷たくてびっくりしたことを、昨日のことのように鮮明に覚えている。

それから、間もない6月の初めに、彼の訃報が届いた。

あまりに急な展開で、頭が混乱して、彼がもうこの世にはいないということが、とっさに理解ができなかった。

上海に帰っていた私は、翌月になってようやく日本に戻り、モモさんの実家を訪ねた。

ご両親によれば、タイでのプロジェクト終了後、彼は日本の実家に久々に戻り、やたらと身辺の整理をしていたそうだ。大阪で3人で会ったときに、モモさんが衝動的に気に入って買った革のジャケットは、一度も袖を通すことなく、甥っ子に「これ、やるから着ろよ」と譲ったらしい。
自室に保管していたスーツはきちんとクリーニングに出され、革靴はクリームでしっかりと磨きをかけられていたという。

モモさんのご両親は、まるであちらに行く支度をするために日本に帰ってきたようだ、と言っておられた。

自分の息子の仕事の内容や、海外でのNGO活動の状況など、息子から詳しく聞かされることもなかったであろうご両親は、私たちが持参したタイやアフリカ、パキスタンで働くモモさんの写真や、現地での色んなエピソードに耳を傾け、その写真を食い入るようにご覧になっておられた。

たった2ヶ月だったけれど、毎日一緒に働いた彼からは、色んなことを教えてもらった。
物事に対するアプローチの仕方や、どんな些細なことでも一つの大切なファクターとして、記録する姿。それをまとめ上げ、最終的なゴールに持って行く道筋の付け方。
ついつい、目先のことに囚われがちな私は、いつも彼のスタイルを見るたびに気づかされてたっけ。

仕事が始まった当初は、なんか変なドクターやな~、くらいにしか思っておらず、しかも、彼は彼で、彼の妙な風貌&行動に関西弁でつっこみ続ける私がかなり苦手だったらしい。
当初は、なかなか双方向のコミュニケーションがうまく成立しなかったのだけれど、1ヶ月ほど経ったころから、徐々に心を許してくれたらしく、色んなことを話してくれた。本当にいろんなことを。
ベトナムでWHOのワクチンプロジェクトを孤軍奮闘して運営していたころ、そのプロジェクトのスポンサーであるビル&メリンダ財団から、ビルゲイツ氏本人が現地視察に来たときの話を聞かせてくれた。モモさんは、ビルゲイツ氏の寄付出したら終わりではなく、どんな風にその寄付が活かされているかを自分の目で見るというそのスタイルにえらく感心していたっけ。もっとも、ビルゲイツ氏のセキュリィティ対応が仕事より大変だったらしいけれど。

タイで一緒に仕事をした時間に、彼と交わした何気ない会話が、ふとよみがえってくることがある。

彼が倒れたその日、彼が運び込まれたのは、かつて彼が勤務医として働いていた大学病院で、最後を看取ったのは彼の恩師と同僚の医師だったそうだ。

周りにどう言われようと、自分の信念を貫き続けて各国の国際貢献の現場で働いたのち、まるで、自分の人生の幕をきっちりと降ろすために、故郷に帰ったきたようなモモさん。

46歳は余りにも早い旅立ちだけれど、彼は彼の人生をきちんと生ききったんだ、と私には思える。

もうモモさんが逝ってしまって、1年が経った。
モモさんはこの世にはもういないし、彼の不在を悲しむご家族や友人がどれだけいようとも、世界は毎日変わることなく動いている。

毎年、この日は、モモさんと出会えたこと、一緒に仕事ができたこと、モモさんに感謝する日にしよう。

あ、でもこんな風にブログに書いたら、怒られそうだな。

日本で外国人にみられるということ。

2013-06-01 06:26:57 | 生活 ~日本~
今回の日本滞在は長く3週間。
仕事で、ずっと懸案事項だった件も、今回なかば勢いで完了させ、気分良く上海に帰ります(^ω^)

日本にいると、平日は会社⇔家の生活に加え、週末は友人たちとの楽しい集まりにもれなく参加するので、3週間もあっと言う間に過ぎてしまったわ。

今日は朝9時45分のANA便に乗るので、8時前には関空に到着。
関空内のユナイテッドアロ-ズで、洋服を物色してたら、可愛い店員さんに「ニーハオ」と声をかけられました
期待を裏切るのも悪いと思って、そこは、笑顔で応じましたわ。

かれこれ海外生活も10年近く。
やっぱり知らず知らずのうちに、なんかそんな異国っぽさみたいなもんが、取りついているのかしらん日本の国外では、もれなく「東南アジアのどこかの国の人」に見られる傾向が相当あるけれど、まさか、日本でそうくるとは

見かけは「グローバル」に通用するようだし、中身もグローバルにならないといかんですね。

今日から20日ほど上海で過ごします