愉快的生活~上海~

2009年4月から始まった上海生活の中での新たな出会いや発見、中国語の勉強法など。

モモさんのこと。

2013-06-05 22:51:36 | タイでお仕事

ざんばら頭を無造作に束ね、ひょろりと細い長身の身体を丸め、なんだか申し訳なさそうにぽつんと立っている丸眼鏡の猫背の男性。

いわゆる、普通の社会人といった日本人男性のイメージからは程遠いルックス。
しかし、その彼が数年前まで凄腕の脳外科医だったというから驚いた。

彼とは、とある国際NGO団体の支援事業でタイで2ヶ月あまり一緒に仕事をした。

彼は東京での脳外科医としてのキャリアをあっさりと捨て、国際NGOのメンバーとして、発展途上の国々に数多く存在するまっとうな医療を受けられない人たちの命を助ける仕事を選んだ。
劣悪な衛生環境の中、簡単に命が消えていく発展途上国で、公衆衛生の知識を広め、少しでも病気になる子供を減らしたい、という信念を持った彼は、医療行為をする医師から、公衆衛生の知識を広める医師へと大きくそのキャリアの道を軌道修正したという。
「病気になってしまった人を助ける医療より、環境を改善することで、病気になる人を減らしたかったから」と、これまでの道のりをいともシンプルに話してくれたっけ。

初めてNGOのスタッフとして、タイ洪水被害の被災地支援に派遣された私にとっては、何もかもが新鮮なことばかり。
元々、一般企業の経験しかない私にとっては、こういった「災害支援活動」とは、被災地の人たちにもっぱら、こちら側が「してあげる」ことだと思っていた。
モモさんの仕事の進め方を間近で見るまでは。

彼は、相当ギリギリの健康状態でこのプロジェクトを請けたらしく、夜もよく眠れないようで、いつもフラフラの様子で現場にやってきた。

そんな風だったけれど、プロジェクト内のメイン項目、公衆衛生のワークショップのプランニングとその資料はいつも完璧だった。彼の伝手で、現地国立大学の教授の参加も叶い、現地の人向けワークショップや、衛生セミナーも大成功。
けれど、彼は、ほんの2ヶ月ほどの公衆衛生のワークショップをやったからといって、何の意味があるのか?偽善じゃないのか?といつも移動中の車の中でぼやいていたっけ。

「継続してしつこくやり続け、しまいには、そこの人たちが自らそれを自然に実践して、我々のやることがなくなってしまうことがゴール」と常々言っていた。
資金を使って、箱モノを建てたり、物資を寄付するのも、支援活動の一つの形だ。
彼が行った、教育要素のあるソフト面での支援活動というのは、形こそ残らないけれど、自分たちの行った支援活動が現地の子供の心に少しでも何か感じるものを与え、彼らが大人になって行く過程で、そのノウハウやなんかを活かしてもらえたらそれでいいんだと。
そうそう、children as a messenger ってモモさんがよく言ってたなあ。
子供たちがワークショップで聞いたことやなんかを、家に帰ってお母さんや隣のおじちゃんに教えてあげたり。そうやって、新しい知識は伝染していくんだよって。

そんなこんなで、2ヶ月に亘る支援活動も無事に終了し、私たちもそれぞれ日本に帰国して3週間ほどたったとき、現地でお世話になった大学の先生が日本にやってくるというので、久々に日本人メンバー3人が集まり、先生をアテンドしようということになった。
無事、先生を見送ったあと、3人で久々に近況を語り、これからの仕事の方向なんかを結構長く話したっけ。
その帰り途、私は新幹線に乗るモモさんと、改札口で握手してお別れをした。
また会いましょうね、って。そのとき、なんだか心から願うように言った気がした。
その日はまだ5月なのに、汗ばむような暑い日だった。
でも、やたらモモさんの手が冷たくてびっくりしたことを、昨日のことのように鮮明に覚えている。

それから、間もない6月の初めに、彼の訃報が届いた。

あまりに急な展開で、頭が混乱して、彼がもうこの世にはいないということが、とっさに理解ができなかった。

上海に帰っていた私は、翌月になってようやく日本に戻り、モモさんの実家を訪ねた。

ご両親によれば、タイでのプロジェクト終了後、彼は日本の実家に久々に戻り、やたらと身辺の整理をしていたそうだ。大阪で3人で会ったときに、モモさんが衝動的に気に入って買った革のジャケットは、一度も袖を通すことなく、甥っ子に「これ、やるから着ろよ」と譲ったらしい。
自室に保管していたスーツはきちんとクリーニングに出され、革靴はクリームでしっかりと磨きをかけられていたという。

モモさんのご両親は、まるであちらに行く支度をするために日本に帰ってきたようだ、と言っておられた。

自分の息子の仕事の内容や、海外でのNGO活動の状況など、息子から詳しく聞かされることもなかったであろうご両親は、私たちが持参したタイやアフリカ、パキスタンで働くモモさんの写真や、現地での色んなエピソードに耳を傾け、その写真を食い入るようにご覧になっておられた。

たった2ヶ月だったけれど、毎日一緒に働いた彼からは、色んなことを教えてもらった。
物事に対するアプローチの仕方や、どんな些細なことでも一つの大切なファクターとして、記録する姿。それをまとめ上げ、最終的なゴールに持って行く道筋の付け方。
ついつい、目先のことに囚われがちな私は、いつも彼のスタイルを見るたびに気づかされてたっけ。

仕事が始まった当初は、なんか変なドクターやな~、くらいにしか思っておらず、しかも、彼は彼で、彼の妙な風貌&行動に関西弁でつっこみ続ける私がかなり苦手だったらしい。
当初は、なかなか双方向のコミュニケーションがうまく成立しなかったのだけれど、1ヶ月ほど経ったころから、徐々に心を許してくれたらしく、色んなことを話してくれた。本当にいろんなことを。
ベトナムでWHOのワクチンプロジェクトを孤軍奮闘して運営していたころ、そのプロジェクトのスポンサーであるビル&メリンダ財団から、ビルゲイツ氏本人が現地視察に来たときの話を聞かせてくれた。モモさんは、ビルゲイツ氏の寄付出したら終わりではなく、どんな風にその寄付が活かされているかを自分の目で見るというそのスタイルにえらく感心していたっけ。もっとも、ビルゲイツ氏のセキュリィティ対応が仕事より大変だったらしいけれど。

タイで一緒に仕事をした時間に、彼と交わした何気ない会話が、ふとよみがえってくることがある。

彼が倒れたその日、彼が運び込まれたのは、かつて彼が勤務医として働いていた大学病院で、最後を看取ったのは彼の恩師と同僚の医師だったそうだ。

周りにどう言われようと、自分の信念を貫き続けて各国の国際貢献の現場で働いたのち、まるで、自分の人生の幕をきっちりと降ろすために、故郷に帰ったきたようなモモさん。

46歳は余りにも早い旅立ちだけれど、彼は彼の人生をきちんと生ききったんだ、と私には思える。

もうモモさんが逝ってしまって、1年が経った。
モモさんはこの世にはもういないし、彼の不在を悲しむご家族や友人がどれだけいようとも、世界は毎日変わることなく動いている。

毎年、この日は、モモさんと出会えたこと、一緒に仕事ができたこと、モモさんに感謝する日にしよう。

あ、でもこんな風にブログに書いたら、怒られそうだな。

企業の社会貢献活動

2012-04-26 11:23:36 | タイでお仕事
今回、私が関わったタイでの洪水後支援事業は、日本の某企業2社からの寄付を活動資金としていました。

どちらも、タイに大きく進出している日本の大手企業です。

活動期間中、このスポンサー企業様には、現地での活動状況を報告しつつ、支援対象地域への視察のお誘いをしていたものの、まあ、日本側の年度末年度始めと重なり、なかなか視察も実現しなかった。
最終的には、このうち1社の方は、小学校への図書寄贈の寄贈式に参加して下さった。
しかも、会社のCSR部の社員のみならず、現地法人の日本人社長も朝から夕方まで私たちの活動事業地視察に参加してくださった。

その日本人社長いわく、こうして実際に寄付した団体の活動視察をすることは稀で、とても良い経験をさせてもらった、とお礼を言って下さった
しかも、後日、我々の慰労会も開催して下さり本当に有難かったです

ちなみに、CSRとは、企業の社会的責任」を意味する言葉。
いわく、企業は法律を守り、提供する商品やサービスに責任をもち、従業員が働きやすい環境をつくり、消費者の声に耳を傾け、地域社会に貢献し、地球環境に配慮した活動をしなければならない。CSRはこうした企業のありかたや取り組み全般のことを指す、とあります。

ものの本によれば、これまで会社の経営者は利益の最大化を目的としてきたが、これに対して、社会目的と経済価値を両立し、長期志向の経営を実践する「グレートカンパニー」はそれとはことなる理論で行動している。つまり、社会に貢献することを事業の目的として、社外から称賛される行動に務めている企業のこと。

日本企業も、昨年の地震からこういった活動には積極的で、色んなNGOや援助機関への寄付は以前よりかなり増えたというが、会社からお金は出ているけれど、社員を派遣してその活動に参加させるという企業はまだまだ少ないように思うがどうでしょうか。
社員がそういった活動に参加することで、支援地域の人々の状況を知り、また地域での自社のプレゼンスを意識し、さらに自分たちの会社に所属することに対する誇りを感じるという、自社の価値観を社員へ伝える絶好の機会になるのではないかと思う。
平たくいえば、「情けは人のためならず」ということかな ちょっと平たすぎるか まあ、自分たちにも「益」があるってことですね

今回私は、このNGO団体の契約職員として派遣されたものの、初NGOの仕事でした。
普段、日本では一般企業の人間なので、こうしてNGOの仕事に関わることで、色々と新しいことも見えてきました。
世界津々浦々に日本の色んな国際NGOのスタッフが散らばって、人道支援などに奮闘しているけれども、その活動資金の一端を担っている企業は、意外にその活動現場を知らないのでは?と思う。
たいていそういう地域って、危険地域だったりして現地の情報は一般に流れにくいもの。
しかも、外務省の安全情報ほどアテにならないものはないので、その地域に進出しようかと思ってる企業は、積極的にそういうNGO団体を支援して、自社のマーケティングに利用するのも大いにアリだと、私は思うんだけどなあ。
NGOの人って、現地行政とのパイプを構築していくプロですからねえ。

そういうわけで、企業の皆さんは寄付するだけじゃなく、積極的に関わる機会を作って、自社にも色んな意味でのリターンを取り込む工夫がもっと要るんじゃないかな、と感じたのでした。



タイの人たち、ありがとう!

2012-04-26 10:49:45 | タイでお仕事
無事、タイでの仕事を終えて上海の家に帰ってきたわけだが、
すでに、タイが恋しい私です

今回は「支援活動」でタイに向かったわけだけど、実際、タイの人に本当に協力してもらい、お世話になってようやく成り立った事業でもあります。

タイの人って本当に優しい・・・。
懐が深いのでしょうね。
国立大学の偉い教授も、話が早いし、こちらの活動内容に賛同してくれるや、さっさと協力体制を研究所内で作って下さる。
日本だったらどうなんでしょうね・・・

支援対象地域の方々も、私たちが何度も足を運んで活動をしているので、もうすっかり友達になっていて、私たちのために地元特産のお菓子をくれたりして本当にその心遣いが嬉しい・・・

今回、3人の現地スタッフに参加してもらったのだけど、本当に優秀な彼らなのでした。
気遣いと機転がめちゃ利く しかも仕事が早い
現地の住民との細かい話や、行政との微妙な関係など、彼らの機転がなければ切り抜けられなかった場面も多々あり、彼らなしには、この事業は成立しなかったといってもよいと思う。本当、ありがとう

タイを去る前の週末、送別会を開いてくれました
日本人スタッフ(男2人+女(私)1人)と、タイ人スタッフ(男2人+女1人)で、食事の後は、Hootersのような感じのビアバーで女の子がショーパンにタンクトップでサービスするっちゅーお店。タイ人スタッフの男性がどうしても行きたいというのでそこに行ってきたの。
もう、みんなで飲みに行くことも最後かと思うと、ついついハイテンションになって学生のようなノリで飲んでしまい、久々に記憶が飛んでしまいました
スタッフとも、感動的な涙のお別れを最後にしていたらしいけど、何を言ったのかまったく覚えてないし
飲みすぎはいかんです 

ともあれ、今回も本当にありがたいご縁に恵まれました。
タイの人たち、本当にありがとう

次回は洪水支援活動じゃなく、旅行に行きますネ


ミッション終了!

2012-04-26 10:35:35 | タイでお仕事

今回のタイ洪水後支援活動での私の業務が終了し、今週月曜日に、無事に上海に戻ってきた
結局、今回は2ヶ月にわたってタイにに滞在たけど、元々住んでいた国でもあるので、まったくストレスなく快適で元気に過ごしました
友人もたくさんいるので、週末はみんなと会って気分転換もできたしね

タイは今が一年で一番暑い時期で、昼間は38度ほど、陽射しも容赦なかったので、完全に現地化して帰ってきましたが

タイでは、洪水後の被災者の支援活動を行っていました。
洪水の水はとっくに干上がってましたので、実際は、次の洪水への備えに関する支援ですね。ソフト面では公衆衛生の知識についてのワークショップだとか、ハード面では、
集落の中の水路掘削事業とか、運河から漂着するゴミを遮断する網の設置だとか。

この水路掘削事業も、小さな集落なので、重機が入れないので、なんと800メートル(長さ)x2メートル(深さ)を人力で3週間で掘るというとんでもないプロジェクトです・・・ でも、できるんですねえ~。4月末までに完了できなかったら、それ以降の資金援助は難しい状況を伝えると、なんと、タイ正月返上、住民総出で工事を進めていたそうです。タイ人にとってタイ正月(ソンクラン)は何をおいてても重要なので、相当驚くに値することです。

実は、タイは雨期の時期は毎年洪水になるんだそうです。
ただ、昨年は水量が例年にも増して大量で、特にアユタヤの日系工場団地が被災したのと、例年ならバンコクまで降りてくることがない洪水が迫ったということで、世界的にも注目されて大ニュースになったわけです。
ですので、今回私たちが支援対象とした地域の住民たちも、わりとあっけらかんと、「いつものことだから」といった様子でした。

とはいえ、実際には水位が1m超になり、被災した住宅や学校、工場などの数は相当なものです。
被災した地方の小学校にも図書や学校備品の寄贈に行ってきました。
1階にあった図書室は洪水で完全に水没し、図書は全滅、書棚なども水没して使用ができなくなったのですね。

実際、タイは発展した国であり、東南アジアでのリーダー的存在ですので、今回のように緊急時を過ぎた支援活動はこの豊かな国にはそぐわないのですが、やはり、地方には行政の援助の手が届かない地域もあるので、今回の支援も生きるんじゃないかと思いたい。


長~い「課外活動」もようやく終了したので、5月の連休明けに一旦日本に戻る予定


草の根交流@クレット島

2012-04-13 22:42:25 | タイでお仕事
今週は、ノンタブリ県にあるクレット島というちっちゃな島に行ってきました
このクレット島にある、これまたちっちゃな小学校に、洋服や靴、文房具を届けに行ってきました。
バンコクパタナスクールというバンコクにあるインターナショナルスクールの保護者の皆さんのご協力で、お子さんたちが成長してしまってもう入らない洋服などを寄付してもらったのです。

当日は日本人の子供5人を引率して、さながら遠足のよう
バンコクから車でノンタブリまで1時間弱。そこからボートに乗ること5分でクレット島に到着です!

クレット島全景はこんな。



船を降りたら、自然いっぱいの中を15分歩いて小学校に向かいます。
暑ーい 基本、道が狭いので車は通ってません・・・。




学校に到着です。




学校では、日本の子供たちが折り紙を持参していたので、現地の小学生と「折り紙外交」で、交流
手裏剣とか、日本らしいものを折ってみせると、タイの子供たちは、おおっとそれに釘付け 日本の子供たちはさっそく丁寧に教えておりました。
それはそれは、丁寧に、最後までちゃんと教えて一緒に完成させていた姿勢に、ニホンの将来は明るいなあなーんて、思ってしましました。


折り紙でひとしきり交流したあとは、ハンカチ落としゲーム
万国共通なのか、タイの子たちもやろうやろう!とノリノリ
なぜか、タイでは歌を歌いながら手拍子でやるんですねーそれはそれは、大盛り上がりでした



言葉は十分に通じなくても、環境は違えど、子供同士。
とても楽しく過ごした一日だったようです。
「もう帰るの?」と私に聞いてきた日本の子供の表情が印象的でした

またこういう機会を作りたいなあと思います
参加してくれた子供たちの心に、この一日のことが少しでも残ってくれたらいいなあ。



おひとり様的週末の過ごし方@バンコク

2012-04-02 01:01:02 | タイでお仕事
もう今日から4月

タイに入ってからかれこれ1ヶ月と10日くらい。
すっかり「おひとり様」にも慣れました

週末の夜は、バンコクに居る友人たちがあれこれと声をかけてくれて、楽しく賑やかに過ごしてますが、平日はいたって地味です。

たいていは「大戸屋」で焼魚定食に冷や奴の定番メニューか、葵の味噌煮込みうどんか肉うどん

土日は、どうしてるかっていうと、友人たちもそれぞれ家族があるので、そこはちょっと遠慮して一人行動しています。

ちなみに今週の土日はこんな風に過ごしました。

土曜日は、朝9時から2時間のタイ語のレッスンでブラッシュアップ。ランチ(もちろん一人)の後は、スタバで業務レポートを2時間ほどかかって仕上げ、15時半からヨガスタジオにて90分レッスン(@elements Yoga BKK)
夜の部は、19時からエカマイにある日本料理屋・酒茶翁  で友人6人と集合 たいがい喋りまくってお腹も口も満たされて帰宅

日曜日は寝坊して朝のヨガレッスンに間に合わなかったので、ゆっくり部屋で過ごしつつ、洗濯機を回して家事(?)を済ませました。
午後から、友人に紹介してもらった美容院で、カット&カラー
rikyuという美容室なんだけど、東京で有名な美容院だそうです。
私は辻さんという男性のスタイリストさんにカットしてもらいましたが、イラストで完成予想図を書いてイメージを伝えてくれたり、ドライカットから始めるやり方がとても気に入りました もちろん出来あがりも大満足です

帰りはいつものごとくエンポリに寄って「葵」で一人ゴハン。
今日は、アボガドサラダに炙りサーモンのちらし寿司。一応栄養バランスを考えた上のメニュー選択。

週末はこうして充実して過ごし、平日の活動の活力にしています

明日は、またノンタブリへ朝イチ行ってきます~。

おもてなしの心@タイ

2012-03-23 01:05:47 | タイでお仕事
「微笑みの国」とは、タイ王国のキャッチフレーズ

賛否両論はあると思うけど、私は賛成派

今朝、そんな私をさらに大賛成派にさせた出来事が。

今日もノンタブリへ地方巡業に同行するスタッフと待ち合わせのため、朝7時前にホテルを出て歩いて5分ほどの事務所へ向かった。

半分以上行ったところで、カメラを忘れたことに気づいて、小走りでホテルへ戻った私に、
ベルボーイさんが、「どうしたの」と聞いてくるので、
「忘れものしたのよ~」と言って、急いでカメラを取りに帰ってロビーに降りると。。。

さっきのベルボーイのおっちゃんが、何とトゥクトゥクのエンジンをかけてスタンバイ
「乗ってけ」とニッコリ笑顔で座席を指さす

何、この気配り・・・

すごーい

そんなに急いでるわけでもなかったけど、ありがとうと言って有難く乗せていってもらいました

あったかいね、タイ人
これぞおもてなしの心


タイの子供たち。

2012-03-21 22:42:17 | タイでお仕事
今日はタイの小学校で行った、スクールヘルスの講義の様子をちょこっと紹介。

この方、タイ国立大学の若き教授です。





この先生、のっけから、子供の心をわしづかみにしています

「分かりましたか~?分かった人はこうしてね~」といって、左手の手の平に右手の人差指をあてるように言う。
子供たちも、「はあ~い」と、手を高く挙げてそれに応える。



講義の内容は、公衆衛生からスクールヘルスがメイン。
子供たちに、身の回りの清潔を保つことから、タイならではのマラリヤやデングなどの伝染病のことなど、健康でいることの大切さを丁寧に分かり易く説明。

また、「children as a messenger」といって、子供だちがこうして学校で習ったことを、コミュニティに帰って、両親または近所のおっちゃんおばちゃんに話をすることで、彼らが知識の媒体になるんだよ、と言っておられました。うんうん、なるほど~。

講義の中でこんなDVDも紹介されてました。




「手を洗おう 手を洗おう」と
ひたすら手を洗おうと、可愛い女の子たちが歌って踊ってます
面白~い

タイの子供たちって、本当に素直で可愛いんです
ワイをする姿がとってもキュートです

この小学校でのワークショップの間中、私はニコニコしていたようで、
日本人同僚から、「今日はすっごいニコニコしてましたね」と言われました。
・・・え、そんなにいつも笑ってなかったと、ドキッ

笑顔は忘れたらアカンね~~
そういえば、タイにいると笑顔でいることが多いかも・・・

また明日も地方巡業。
笑顔にしてくれる子供たちに会えるのが楽しみでーす

希望を探して・・・。

2012-03-16 00:58:01 | タイでお仕事
先週から新しいプロジェクトが始動しました

これまで、物資配布に始まり、洪水後に滞留している水たまりに湧く蚊などへの害虫駆除事業、それから洪水で流されてきたゴミの山の清掃活動など、環境整備を重視した活動を行ってきました。それぞれ、害虫駆除はタイ国立マヒドン大学のvector control研究所のチームに事前調査と事後調査を依頼し、作業についてはタイの害虫駆除協会に依頼して専門家に薬剤散布を実施しました。きちんと学術的な調査と評価をすることで、今後の洪水災害後の対策に役に立つ情報として残そうというアプローチです。

で、次の段階は、コミュニティ内の住民へのソフト面での支援です。
清掃活動や害虫駆除を通じて、環境改善に協力できたとしても、私たちが去ったあと、彼らがその活動を自主的に継続できるようなコミュニティ作りがゴールです。

支援対象地区は、5地区ほどあるのですが、その中には行政支援から見放されてしまってるような地区もあります。貧困度もかなりですが、その地区の大人たちが子供たちの教育に関して無関心なところが、とても気になるところなんです。

今回は、日本から公衆衛生が専門の先生(元脳外科医)と一緒にチームを組んで、地域住民、小学生・中学生向けに公衆衛生や学校保健などについてのワークショップをする予定です。
大人に対するアプローチももちろん大事ですが、これから大人になる子供たちには、是非何かのきっかけとなるようなワークショップにしていきたいと思ってます。
特に、先述のマヒドン大学の公衆衛生研究所の教授陣も興味を示してくださり、来週は2つの小学校で70人から100人規模のワークショップを開催することになりました。

タイの子供たちって、本当に可愛いんですよ
この子たちが明るい未来を描けるよう、希望の種をまいてきたいな、と思ってます


3・11

2012-03-12 00:14:33 | タイでお仕事
今日は東日本大震災からちょうど1年の日。

世界のいろんな場所で震災被災者の追悼式が行われました。

バンコクでもチャリティマラソンがあったそうです。
事前に調べて、参加すれば良かったとちょっと後悔。

震災のあと、世界100ヶ国を超える国から義援金を頂き、600を超える国際NGOからの支援の申し出があったと聞きます。
義援金を下さった国のなかには、経済的には苦しい国も多く含まれていました。
自国の経済状態も大変な中で、日本のために・・・、と貴重な資金を義援金として送ってくれたことは、本当にありがたいことです。

日本はもうダメだ、とか、経済の長期にわたる停滞で将来真っ暗とか、なにかと後ろ向きで自信のない自虐的な日本亡国論が蔓延していたけれど、日本のこの大ピンチにこんなに多くの国からの支援に、改めて日本人として誇りを感じました。
これまで、日本政府や民間企業、またはJICAや民間NGOなどの人々が、世界各地で真摯な援助活動や、経済活動を行ってきたことのあらわれですよね。

タイ政府も震災の時、東北電力の停電の際には発電機の貸し出しに始まり、震災からたったの3日後には、外国への支援としては異例とも言える2億バーツ(約5.4億円)の支援予算を組んでくれました。
また、民間のタイの人々も募金やチャリティに励んでくれて、なんとバンコクのスラム街の子供たちまでが募金をしてくれたというのだから、本当にありがたいです。

今回、私たちがこのタイに入って洪水被災者支援活動をしているのも、震災の際に頂いた支援をお返ししたい、日本政府として洪水支援はしているが、民間レベルでもぜひ支援活動に入らないと、という気持ちでこの事業が始まりました。

水位が高く大変な時期に被災地にボートで行った際も、当の被災者のタイ人の人々は、日本からきた私たちに「日本は津波で大変だったでしょう。洪水なんて何も流されてないし大丈夫よ~」なんて言われて、ちょっとガクッとしたことがあります。
「支援活動に来ました!お手伝いします!」と鼻息荒い私たちの前に、タイの人たちは、なんだか悠然と(?)してみえたのが印象的・・・。

とはいえ、まだあと一ヶ月半続くこの支援活動が彼らの生活を改善し、次、洪水が来た時の備えの一つとなることを願ってます!