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道をみつける

趣味のことばかりです。
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新茶(煎茶)

2025年05月12日 13時55分31秒 | 時事・季節

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは
茶摘じゃないか
茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠
日和つづきの今日此の頃を、
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ 摘め摘め
摘まねばならぬ
摘まにや日本の茶にならぬ

という歌にもある通り新茶の時期は立春から88日目ぐらいという事らしい。覚えやすく言うと5月1日。GWの真っ最中。

今が一番うまし。

今の時期のマイ・イベント。
お茶の道具は、お茶屋でそろえた本格もの(高額じゃないけどな)。
昨日のうちに道具を持ちだして、洗っておいた。今日の晩にでもお茶を飲もうかと思ってる。

この容器真空パックだから、開封したとたん早めに飲み切ったほうが良い。開封しなければ夏までおいしく飲める。

ガンダム!!  ヒューーーーーーー!!

2024年09月06日 10時18分13秒 | 時事・季節
すごいプロジェクトを見つけた。

漏水あったんで、市の水道局に電話すべく、市のホームページにアクセスしたところ、おもろいプロジェクトを発見した。


いろんな地方のマンホールが、マンホール紹介から見れる。

淵野辺駅北口 商店街内の人工衛星と78ガンダムは恰好がイイ。
宍道湖 岸公園内 アッガイがイカス!

これ前クリアしたら、オリジナルグッズとかもらえるんかな?ごまかしするようなやつ出るから、そんなんせんで良いな。直で見れることに意味があるし。


マンホールカードを集めるほどのマニアではないが、サイクリングの最中に、オリジナル蓋見つけたら、ブログにもアップしてる。マンホールの蓋マニアとしては、ぜひ探しに行かないと。

そういえばダムも好き。ダムカード集めるほどのマニアではないが、クルマでの旅行中、ダムとか湖見たら停まることにしてる。

カードを集めない理由はすごく簡単。自分は凝り性なので、集め始めるとキリがなくなってしまう。生活の断捨離はしないが、趣味における断捨離はしてる。やらないと人間として終わってしまう。

母校の応援 間に合わなかったけども。 20240630

2024年07月01日 10時12分13秒 | 時事・季節

朝の用事を済ませてから、岡崎レッドダイヤモンドスタジアム(岡崎中央総合公園)に大急ぎで向かったけども、試合には全く間に合わなかったよ。

TOYOTAのウエアを着た、野球部OBらしき子に、試合の結果を聞いた。

「豊高どうだった?」
「5-0でした。」
「勝ったのか?」
「負けでした。」
すごく悔しそうに言っていた。

間に合わなかったけども、目的は達したので帰ることにした。

豊田高校     000 000 001
大同大学大同高校 000 000 50X

翌日の新聞で経過を大体予測できた
あれ?5-1だ。
5点入れられたところは油断かな?
でも1点返すなんてガッツがある。
見たかった!


大樹寺から岡崎城へのスカイラインビスタラインを見に行った。

本当にビルがないのな。

大樹寺と岡崎城を結ぶ約3kmの直線をビスタラインと呼びます。 これは徳川三代将軍家光が寛永18年、家康の十七回忌を機に徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行う際、 「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門を通してその真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置した事に由来しています。 そして歴代の岡崎城主は、天守閣からここに向かい毎日拝礼したとも伝えられています。 再建された岡崎城も、大樹寺から望む眺望は約370年前の当時のままで、門越しに望む岡崎城の姿はまるで額の中の絵のようです。

条例とかで規制されてるわけではないが、高層ビルを建てないというのが、岡崎市民の心意気。


大樹寺は松平家と徳川家の菩提寺。
菩提寺はたくさんある。
「遺体は駿河久能山に葬る事、葬礼は江戸増上寺で行うこと、位牌は三河大樹寺に立てること、一周忌が過ぎたら下野日光山に小堂を建てて勧請せよこれにて関八州の鎮守とせよ」
という家康公の遺言によって位牌が納められ、歴代将軍の位牌も収められている。
面白いのが位牌の高さ。身長に合わせているらしい。

この寺を建てたのが、安城松平家。なので松平家の位牌もある。ちっちゃいの見ると子供の頃亡くなったというのが知れる。

昔、見に行った。

こういう宝物っぽいのは滝山寺の宝物殿も見ごたえがある。確か有料にて見れるはず。
うちのところは挙母藩・大給藩っていうところなんだが、田舎の領地なので、これといった宝物などはない。岡崎うらやまし。


多宝塔(国重要文化財)

創建当時の建物。放水銃とかも備えられていて、訓練さえしてたらあと200年は姿を保てる。

この模型作ろうかな?とか考えたので、資料集めのために10年ぶりぐらいに訪れた。

松應寺の太子堂に似てる。
子供の頃、4・50年ほど前になるが、岡崎中の大工さんが集まって、この通りが埋まったのを見たことがある。大工の神様だとか聞いた覚えがある。

今でもやってんのかな?あのお祭り。


松應寺は家康公の父親の松平広忠公御廟所がある寺。
岡崎に歴史観光に来たならぜひ寄ってほしい名所のひとつ。

そういえば岡崎の祭りというと大名パレードなんだが、もう一つ好きな祭りがある。
伊賀八幡の隣にある、能見神明宮のお祭り。神明さんと呼ばれ、観光要素はあんまりないが、完全に地元の人のお祭り。
祖母がこの地域に住んでたので、子供の頃はお祭りの時期になるとよく呼ばれ、よく遊びに行っていた。舞台の上で着飾った子供が舞を踊るとか、山車を引き回すとか、神明さんで夜とか行くと、テキ屋さんも来てたので好きな祭りだった。



豊田市博物館  20240527

2024年05月29日 10時28分53秒 | 時事・季節

展示方式が面白い。
スロープからも見えるが、望遠鏡がほしいところだ。

昔の道具が数多く収められていた。

剥製も多く見ごたえがあった。野鳥や虫まで。豊田で見ることのできるものが集められてる。
実際見たことのあるものは、猪、鹿、カモシカ、ニホンザル、オコジョ、タヌキ、フクロウ、オオタカ、もろもろ。クマはここらではたまに目撃情報が出るぐらいで、マムシに注意のほうがまだ身近。

地域の略ジオラマがあった。よく表現で来てる。手前が愛環の升塚車庫があって、奥に行くほど三河高原になる。最奥に風車発電が3本ほどたってるのだが、あんなん豊田市にあったっけ?謎が深まる。

検索してみた。
今年の正月のスキー場に行く途中にある。面の木の道路からだいぶ離れてるので見たことなかったんだ。おまけに『風力発電所へ行く道は、現在通行止となっております。通行止め解除時期は未定です。予めご了承ください。 』そりゃあ知られることはない。
というかあそこ、北設楽郡じゃないのか?豊田市ちょっと広すぎないか?
あそこ『クルマの街・豊田』『工員の街・トヨタ』という感じがちょっとまるでなさすぎてヤバイ。


2階は図書コーナーと売店とカフェ。
豊田市には昔話のいわれの地が、自分が知るだけでも5つは知ってます。もっとあると思います。『豊田の昔話』という本は無いので、せめて『愛知県の昔話』の本ぐらいは置いていてほしいです。昔話は子供にとって歴史を知る最初の入り口なので。

豊田市からの出土品、出品が多いが、町名で書かれても、橋の名で書かれても、地域が広い豊田市だけに、場所がピンとこない。次は地図も持っていこう。

信長公の肖像画(コピー)が見当たらなかった。またオリジナルの測量手帳も売ってなかった。残念。


実は先週もここに来てる。竣工後のダメ工事(竣工検査後手直し工事)の為に3日間休みだったらしい。がっくりして帰った。


今日は『升塚味噌』さんが屋外で五平餅を出品していた。
地元の味噌屋さん。会社名は『のだみそ』だったかな?確か豊田市のふるさと納税にも選ばれてる。
今は赤味噌だけじゃなく、田舎味噌みたいのも作ってる。豊田市は市外からの流入が多く、笑いながら「赤味噌辛くて食えない」とかほざく人まで出る始末。ジモティがそれ聞くとイラっとする。そのせいか食堂とかだと赤味噌と田舎味噌の味噌汁を選べることができるところがあったりする。そんなことから最近はいろんな味噌を作って、生き残りをかけてるみたい。
赤味噌とかここらでは岡崎市の八帖町で作る、『八丁味噌』が有名。カクキューさんとマルヤさんのところ。
『升塚味噌』さんところは、八丁と同じ製法で、樽の上に石を積む、樽石造りで本格的。八帖にないので八丁味噌は名乗れないが、八丁と同じような味。
豊田市でナンバーワンの味噌。

その味噌ががかかってる五平餅を食べる。
普段食べる、甘み強めを感じる赤味噌ではなく、さらに赤味噌感が強い。
これがまた、でらい、うまい。
「どこかに出店してたらまた食べたい。」と思うほど。

実は五平餅、長野・岐阜を中心として、南は愛知・静岡・神奈川、北は富山あたりまで食される。(神奈川は範囲外と思っていたのだが、一度食べたことがある。山梨は行ったことがない。石川とか新潟でも食というのもされてそうなのだが、今のところ食べたことがない。)
広域のもので、地方ごとに形状も違えば、餅の突き方の荒さも違えば、掛けるものがほぼ地方特色のある味噌なんだが、味噌の味が全く違う。たまに団子のアンみたいのがかかってるということもある。荒く突かれた、つぶれた丸餅に砂糖醤油がかかってたというのもあった。正直、五平餅の定義がよくわからない。
非常に地方特色が出てる食べもので、中部地方を旅行した時、『五平餅』のワードでを見るたびに食べるようにしてる。

今、気が付いたが、五平餅マニアだな。


喜多町にあったらしい建物。高校の頃、街中ぶらぶらしながら帰っていたので、なんとなく移設前のこの蔵をどこかで見た覚えがある。
お寺の横あたりだったかな?引き車の蔵と勘違いしてるかも。


かやぶき屋根の資料として撮影。

かやが2層というのを初めて知った。密度の高いのは稲の茎。荒いほうは薄(すすき)のようだ。

うちの祖母の在所はカニ家(漢字は不明)というのだが、祖母の在所が、昔かやぶき屋根だった。子供の頃に一度連れて行ってもらった時は、まだかやぶきだったのだが、そのうち流行のトタンぶきになっていた。

興味の元をなんとなく思い出して。