朝の「ごちそうさん」を見て思い出した。

2014-02-26 | その他
私は戦争の強烈な時代に疎開を2度もしたそうです。1回目は、近くに造船所があって真っ先に爆弾が落とされるから逃げよと命令があって四国の徳島へ。2回目は、父の転勤先の福井で。その時は空襲警報がきて防空壕へ逃げたそうです。皆で入ったその防空壕は満員状態で出されたそうです。もう一つの防空壕は水が沢山溜まっていて小さな私は母に負んぶされ二人の姉が布団を底の水に浸けて濡らして防空壕の口を塞いだそうです。大きな爆撃がありそれはそれは怖かったと母は言ってました。大分時間が経って出てみると先に入って出された防空壕の人達殆ど亡くなっていたそうです。私達8人は命乞いができました。でも、3番目の姉の耳は爆撃で障害を受け片方が聞こえにくくなったそうです。現在私達がこうして生きておられるのは初めの防空壕を出されたお蔭と二人の姉の気転と母の気丈な心があったから。その後は,市外から離れた田舎に疎開したそうです。父は仕事で不在。お嬢さん育ちの母の気苦労は計り知れない。感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。今日のTV西門のお母さんと母がだぶって見えました。