病気の「おかげ」で今がある

回復に時間のかかる精神障害 絶望したくなる時も… でも今仲間と悩み・喜びを共有できる こんな生活も悪くないか…

『うちの父が運転をやめません』で考えたこと(2)

2020-05-18 | マイ ライブラリー

自分の親に運転をやめてもらう方法としてよく例に上げられるのは、①免許返納を迫る(説得する) ②キーを隠す ③クルマを処分する などがありますが、いずれも問題が残ります。家族関係が非常に悪くなることも明らかです。

それは、運転する本人(当事者)が納得しないからです。説得に応じたとしてもイヤイヤながらでしょう。なぜ納得しないかと言うと、たぶん本人の気持(思い)に十分耳を傾けて共感するということがないか、理屈だけで言い含める結果になってしまうからではないでしょうか。そこには「オレの問題を、なんでお前たちが決めるんだ」という思いが横たわっているのだと思います。

それに、クルマを運転して出かけるということは、単なる移動手段、交通手段にとどまらず、いつでも好きなときに(必要なときに)、好きなところへ(行きたいところへ)行くことができるという、いわば人間にとって根源的な欲求(硬い言葉で言えば「基本的な権利」)というか、そういうものであるということだと思うのです。

今回の「コロナ」では不要不急の外出の自粛が求められています。Stay Home など。これが結構苦しいものです。人間にとって「不要不急の外出」はそう長く我慢できるものではないとわたしは実感しているところです。

加えて、「クルマの運転は楽しい」ということがあります。

ですから、運転をやめる気持になるには、そういう深い欲求を放棄するに見合う楽しさというか、生きがいというか、そういうもの・ことが必要だということではないか、と思ったのです。


本書の主人公雅志の父は、よくいる頑固者です。いくら説得力のある説明をしても、とてもウンと言うはずありません。その父の気持に初めて変化が生じたのは、雅志のヒマワリ号の助手席に乗った時でした。父が自分のクルマの前輪を側溝に脱輪し動けなくなっているところへ雅志のヒマワリ号が通りかかり、とりあえず助手席に乗ってもらった。

そしたら見える景色一つひとつに感動し、自宅から数キロしか離れていないのに、見える人々や風景などに感動していました。「帰ったら母さんに報告しなければ・・・」ともいうほどに。生まれて初めて見る風景も多かったといいます。(それくらい日常の行動半径が狭かった?)

ヒマワリ号の在庫チェックの日には両親そろって手伝ってくれて、まる一日かかるかと思った仕事が1時間ほどで終わってしまったということもありました。父母もそういう仕事(息子の手伝いでもある)にやりがいを感じたのでしょう。そのあとスーパーへ品物の補充に行くときに「一緒に来る?」と言うと嬉しそうに即答! スーパーの従業員とも嬉しそうに挨拶するなど。

父も母も助手席に乗りたがったと言います。集落を回っていろいろな人と会話をするのがとても楽しいらしい。

都会の息子が実家に帰ってきて、楽しそうにヒマワリ号という移動販売の仕事に精を出す姿を見続けたり、孫の息吹(高一)までもが都会の大学進学をやめて、地元の農業高校へ転校してしまった。そういうプロセスを見ることで、さすがの頑固な父親の気持にも大きな変化が出てきたのでしょう。「運転をやめても楽しい、面白い、生きがいのある生活があるじゃないか」と。

理詰めの言葉よりもそのような実感によって、「もし自分の運転が危ないと思うことがあったら、力ずくでも止(と)めてくれよ」と、自分の気持を吐露するに至ったのだと思いました。

 

 


『うちの父が運転をやめません』で考えたこと (1)

2020-05-06 | 個人的つぶやき

「私たち抜きに 私たちのことを 決めないでください」

 

人生も終盤にさしかかった人が起こした事故によって、まだまだ若く(あるいは幼なく)人生これからという人や、そういう人を育てている最中の、言わば社会を背負って立っている人たちが、命を落としたり大きな障害を持つ身になってしまったら、こんな悲劇はないだろうと思います。

だから高齢者が大きな事故を起こしたりすると、「高齢者から免許を取り上げろ!」という声がわき起こる。無理からぬことです。

一方、高齢者だってそういう悲惨な事故は起こしたくない。でもなぜ起きてしまうのか、どうしたらなくせるのか・・・。

一番手っ取り早いのは、免許を取り上げてしまうことです。

ただそういう話が具体的に進まないのは、それがコトの本質の一側面しか表していないからではないでしょうか。

話が進展していかないのは、解決策ををつきつめて考えたり、議論したり、研究したり・・・と発展していかないからではないでしょうか。

強制的に免許を取り上げる以外に実現できそうな方法はないのでしょうか。

本書『うちの父が運転をやめません』は、そのあたりをフィクションの形で描いたものだと、わたしは思います。

そして、これかなと思ったのが、「当事者(高齢者)の思い」でした。最初に書いた障害者の思いと共通するところがあると。

     (少し書き換えました。続きます)

 


『うちの父が運転をやめません』を読んで(3)

2020-05-01 | マイ ライブラリー

 

あらすじ (続き)

「ヒマワリ号が来てくれたらええのになぁ」という母の一言。母の友人・美代ちゃんのいる集落には回って来るのだという。それは移動スーパーとでもいうか、軽トラに野菜、肉、魚などをいっぱい乗せて集落を回って来る。

興味を感じた雅志が担当部署に確認すると、人手が足りず回り切れない集落があるのだという。自分のところも・・・と頼み込んだがダメ。逆に、「それならご自分でなさったら・・・?」と言われる。その担当者は何と雅志の同級生・千映里だった。

一日体験ということで千映里のヒマワリ号の助手席に乗り、積み込みから販売、レジ打ちなど一とおりやってみた。どこの停車場所にも待っているお客さんが何人もいて、買い物だけでなく、話をすることを楽しみにしていた。週二回の井戸端会議。

中には嫁いでいった娘さんの母親という人もいて、近況を知りたがっていたりする。娘さんは、子どもができて初めてお母さんのありがた味がわかったと言っていたという話をしていて、聞いた母親が涙・・・という場面も。 

みんな買い物が本当に楽しそうだった。中には、はしゃいでいると言ってもいいようなおばあさんも。

雅志は田舎に生活基盤を移そうと決意する。都会のように何でもカネ、カネ、カネでなく、必要最低限の金で生活できるョという博之の言葉、妻の父の「仕事は楽しまなくては」という言葉も後押し。

そして、
父親のクルマが側溝に脱輪して動けなくなって、軽トラの助手席に座って移動したときの父親の言葉。「トラックの座席は高くてよう見えるのぅ」まるで外国にでも訪れたかのように、助手席から見える景色に興味津々のようだった。

そして雅志がヒマワリ号の仕事を始めると、荷物の積み下ろしや品物の確認を父と母で手伝ってくれたり、スーパーの人とのあいさつ・会話。さらに販売品のチェックリストも。

父も母もヒマワリ号の助手席に乗りたがった。近くなのに交流のなかった集落の人との交流。そのうち妻の歩美も乗ってみたいと・・・

そしてある日父は、雅志の母や息吹もいるところで言った。
「雅志、お前に頼みがある、もし、わしの運転が本当に危ないとなったときは止めてくれ」「なぐってでも柱に縛り付けてでも運転できんようにしてくれ。それが親孝行っちゅうもんだ」「事故を起こしてわし一人が死ぬのは一向にかまわんが、他人様にケガを負わせたら、どもならんから」

そして、
「わしもそろそろ運転やめてもいいかと考えとる。「今まで60年間無事故無違反で人生の終盤になって加害者になって刑務所に行くのは割に合わん」

息吹も「いつか、おれも父さんに注意するのかな」と。

 

のような結末になっていくのだった。