いま(10/14)、散歩から帰ったばかりです。忘れないうちに書いておこうと思ってすぐブログの画面に向かいました。
散歩は、自宅の近くの「西町緑地」です。ここは小さな公園という感じのところで、遊具などは特にないのですが、一角に保育園があって子どもたちがたくさん通ってきています。
今も散歩しながら近くを通りかかると、園庭というか運動場で子どもたちが自由に走りまわって遊んでいました。遊んでいると言っても、先生(たち)も加わって、というか子どもたちに怪我とか危険がないように様子を見ていました。遊びの時間、100%自由時間というよりも、これもまた授業の一環だったのかも知れません。
とにかく子どもたちが実に楽しそうで嬉しそうでした。自由に走り回って大声で叫んでいたし、そのことで誰かに迷惑がかかるといったこともありません。
わたしがわざわざこれを書こうと思ったのは、子どもたちの走りながら叫んでいるその大きな声の何と楽しそうだったか、ということです。「わぁぁぁ~っ!」「キャァァァーーッ!」「キィィィィーッ!」(金属的な声)と、すごい大きな声なのです。音量を測る何とかメーターで測ったらすごい数値が出たことでしょう。そういう声を聞いていると、こちらの気持までもが高揚してくる感じです。うるさいとか、耳を抑えたくなるとか、まったくそんなことはありません。
それで思い出したのは、先日あるカフェでの出来事でした。私は隅の方の席に座っていましたが、ベビーカーを押したお母さんが入ってきました。そして中の赤ちゃんが何かを訴えていたようでした。まだ言葉をしゃべれないので声の調子で今の自分の気持をお母さんに伝えていたようです。
声のボリュームはそんなに大きくないのですが、「アアア~、ァァァー」「キャァァァッ」というその声がどうも耳障りだったのです。しばらくは我慢していましたが、ついにわたしは席を立ってお店を出てしまいました。その際ベビーカーのそばを通りましたが、可愛い赤ちゃんでした。
声のボリュームとしては大して大きくなかったのですが、とにかく耳に障って困りました。
どちらも小さな子の、言葉にならない声ですが、いくら大きくても全然気にならずこちらも微笑んでしまう声と、必死で何かを訴え続けている(ように聞こえる)声とでは、伝わってくるものがまるで違います。言葉を使わなくても身体を使って伝えたいことを伝える術(すべ)を、小さなうちから身につけているんですね。
スクワット
10/6(水)~ 10/12(火) ○○○○⦿⦿⦿
⦿の日は右ヒザに軽い痛みあり。継続を目的とするので、
一日分10回を間隔を開けたり、休憩を入れたりしてやっています。