病気の「おかげ」で今がある

回復に時間のかかる精神障害 絶望したくなる時も… でも今仲間と悩み・喜びを共有できる こんな生活も悪くないか…

秀才とは

2011-08-30 | 個人的つぶやき

秀才とは・・・・(塾のお便りより転載)  

3・11の大地震によって福島第一原発が大事故を起こしました。その原因の一つは地震で、その結果起きた津波も原因の一つです。しかし、今後20年間は自宅に帰れないなどという悲惨な結果に逢った人たちが出たのは、地震と津波だけが原因ではなかったようです。  

その後の政府・東京電力などの対応がもっと適切であったなら、多量の放射性物質の流出は避けられたかもしれない、という話に接しました。「海水投入による廃炉」を初期段階から検討していたら、被害はここまで拡大しなかっただろう、と。

 

あの大地震と原発事故に対して、どういう対応をしたらいいかの判断を迫られたのは、東京電力・政府(関係省庁の指導者)・原子力安全保安院、原子力委員会などの関係者です。その人たちはそれぞれの部署の指導的存在ですからエリートと言っていいのでしょう。

そのエリート・秀才たちが集まっても、初動に遅れが出た。いや、秀才たちだったからこそ、そうなったらしいのです。特に日本型秀才の場合・・・。

 

(以下、内田樹のブログより引用します)

秀才は判断が遅い。ことの帰趨が定まったあとに「勝ち馬に乗る」ことで彼らは成功してきた。その成功体験が骨身にしみついているので、彼らは上位者の裁定が下る前にフライングすることを病的に恐れる。ひとたび「正解」や「勝者」が示されると、素晴らしいスピードでその責務を果たすけれども、「どうふるまっていいかわからないとき」にどうふるまうべきかは知らない。つねに正解してきたせいで、危機的局面においてさえ、秀才たちはつい「正解」が開示されるのをじっと待ってしまう。その「遅れ」がしばしば致命的なビハインドをもたらすということを彼らは知らない。  
秀才たちは官僚であれ、ビジネスマンであれ、政治家であれ、査定者(それは上司であり、メディアであり、株主であり、有権者である)のまなざしをつねに意識している。だから、何を決定するときも「説得力のあるエビデンス」(根拠)を求める。エビデンス抜きの直感的な決断を彼らは自分に許すことができない。「あとになって言い訳が立たないこと」ができない。エビデンスとエクスキュース(言い訳、理由付け)が整うまでは「フリーズ」して待つ。それが秀才のピットフォール(落とし穴)であり、その「遅れ」はときにシステムに大きな被害をもたらすのである。  (引用終わり)

 

これを読んで思いました。秀才ってそういうものか・・・と。ただ一つの正解を求めることのみにこだわっていると(学校のテストはこれですが)、正解が二つも三つもある場合や、正解がない場合には立ち往生してしまうでしょう。実際の人生ではそういう場合が多いです。

秀才恐るるに足らず。あなたやわたしには、秀才にできないことができるのかもしれません。(なんか、こじつけている感じ?)

9月分月謝のお振り込み、よろしくお願いいたします。


The Longest Days (8/27更新)

2011-08-28 | 所長のひとりごと 

アメリカ映画に The Longest Day (1962) というのがあった。夏至のことではありません。英語にはThe longest day must have an end. (どんなに長い日でも終わりがあるはずだ)というようなことわざ?がある。

邦訳は『史上最大の作戦』。 (この訳語は少年の心をかきたてるにはいいかもしれないが、原題のほうがずっと深みがあるように思う)

第二次世界大戦中、ドイツに占領されていたヨーロッパを奪還・解放するために、フランスのノルマンディという海岸に膨大な規模の上陸作戦(5000雙からなる大船団)を展開したアメリカ軍。それをテーマにした映画だ。

映画のThe Longest Day は(アメリカにとって)強敵ドイツ相手の過酷な戦いが続いた上陸当日の一日を描いたものだから、『もっとも過酷な一日』という意味だろう。だから The Toughest Dayと言い替えてもいいかもしれない。

 

その意味で、わたしの今週は、The Longest Week というかThe Longest days と言えそうである。精根尽き果てた感じだ。

もともと今年はわたしにとってかなり tough な年だ(もうトシだから tough に感じるというのが正確かもしれないが・・・)。前半6ヵ月は作業所の移転先探しで候補が次々と「失格」し、22年度基盤整備補助金(県が、一千万円近い費用を出してくれる)申請の機会を逸し、その後も決め手となる物件に出会えず、23年度分の締め切り(6/30・・・最後の機会)間際で「これならばいいか」という物件が見つかった。大急ぎで申請書類(協議書という・・・これがとても面倒)を作成しギリギリで滑り込みセーフ。

場所と改修費用の件はクリアされたのだが、これで大きな山は越えたと思ったのが間違いだった。

 

これが公共事業(税金を使っての事業)でなければ、自分の頼みたい業者に改修工事を頼めばいい。簡単な話である。しかし補助金を使っての工事であるから、業者は公平に選ばねばならない。さいたま市の場合、指名競争入札ということになっている。

公共工事に実績のある業者リストがあり、その中からリストアップして、入札をする。これがそう簡単ではない。入札であるから、一定の価格以上ではダメ。もっとも安い価格を入札した業者が落札ということになる。

しかし、あまりに安い価格で落札されては、果たして希望どおりの工事をしてもらえるのか、危惧が残る。そこで最低の価格を決めておくこともできる。これを決めておくと、それ以下の安い価格は失格となって、安すぎるところは排除できる。

ただ、予定の価格と最低の価格の幅が狭いと、うまくその範囲に複数の業者が入ってくれるかどうかわからないという不安がある。一者もないと入札不調となってしまう。

入札が不調で、再度やり直しとなると、日数的に移行期日に間に合わないこともある。そうなると大変。(大)問題となるらしい。だから何が何でも10月末日か11月アタマには完了しなくてはならない。

最低の価格を設定すべきかどうかで大いに頭を悩ませた。誰か詳しい人に相談できればいいのだが誰もいない。すべて自分(たち)で決定し、責任を取ることになるから、そのプレッシャーは相当なものだ。

今週は、入札関係で本庁(さいたま市役所)に出かけたり、設計事務所の人たちと入札説明会の打合せがあったりと、ふだん使わない頭をフル回転させた。

やっと週末。 マジ疲れた~! The Toughest Days だった。

 

 


皆さんに支えられて・・・・・「国債」ならぬ「ひな債」の発行

2011-08-28 | 移行

作業所が新体系の事業に移行する際、予算面で大きく変わります。今は補助金で運営していますが、移行後は給付金となって、後払いになります。

ということは、移行直後は補助金は切れ、給付金はほぼ2ヵ月後でないと入ってこない、つまり無収入の期間が2ヵ月あまり続くということです。

それだけでなく、すでに始まっていることですが、新施設の家賃の支払い(現在の4倍!)が始まっています。しかもそれに先だち、敷金・礼金・仲介料などを支払いましたからそれだけで数十万円という額になりました。

シミュレーションした結果、緊急つなぎ資金が350万円ほど必要になることが判明しました。「NPO法人ひな」にはとてもそんな余裕資金はありません。それで考えたのが、支援してくださる方々からの借り入れです。ただ、借り入れというより、(イメージの問題ですが)国債とか社債などという債券の形の方がいいので、それにしました。

メンバーのご家族、法人の役員・会員・賛助会員の方々、そのほか「ひな」を日頃支援してくださっている方々に債券を買っていただくということです。

まず、家族の方々からはすぐに支援の声をいただきました。一口5万円ですが、中には10口でも20口でもという方もおられ、感激しました。

もちろんご家族にはさまざまな事情がありますから、支援したいという気持ちはあっても実際に金額を出せないという場合もあります。その場合は決して無理をされないように、と伝えました。

ご家族以外では、思いがけない方からもお申し出でをいただき、中には10口という方も・・・!

おかげさまであまり苦労せずに必要な金額が準備できました。それでもなお、「足りなかったらもう少し用意できるよ」、という声もいただき、とても嬉しい思いをしております。ホントに多くの皆さんに支えられているんだなぁという実感です。

 

だれか1人(あるいは2人)で全額を借りられるとしても、あえてそれを選ばず、また、金融機関からの借り入れもせず、小口にして広く大勢の方から支援をいただくほうがいい、という意見がありました。これは「ひな」の監事さんでもある税理士さんのアドバイスで、NPO法人としての方向性をあらためて確認できた結果になりました。

 

 


「ラジオ歌謡」って知ってますか

2011-08-24 | 個人的つぶやき

8/21は岩槻祭りの日でした。(前日は花火でした。見えたのかな) あいにくの雨模様で、盛り上がりはどうだったのでしょうか。

当日午後2時からワッツ5Fミニホールで「平和祈念コンサート」(岩槻平和文化センター主催)があり、行ってきました。岩槻在住のバリトン歌手福井克明さん(ピアノ伴奏松山ゆりさん)の歌声にしびれてきました。

曲目は

『砂山』
『花の街』
『白い花の咲く頃』
そのほか・・・・

アンコールに『長崎の鐘』も歌われました。

 

作詞・作曲には

『北原白秋』
『中山晋平』(なかやましんぺい)
『江間章子』(えましょうこ)
『中田喜直』(なかだよしなお)
『団伊玖磨』(だんいくま)
『石川啄木』
などの名前がずらりと並んでいました。

60年ほど前、NHKしかなかった時代、(テレビなんか影も形もない時代) 歌といえばラジオから聞こえてくる歌が中心でした。その中心が「ラジオ歌謡」。

懐かしさとともに、自分の年齢をあらためて意識させられました。

 

今年の「平和祈念コンサート」は、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマと、あらためて「核」について考える一日にしたいとうたわれていました。

コンサートに先立ち、8月6日の広島平和記念式典に派遣された小学生の報告がありました。今回は慈恩寺小学校5年生の2人でした。

66年前のヒロシマ・ナガサキに投下された原爆による大惨事と、ついこの間起きたフクシマの原発事故・・・。人殺しの兵器としての原子爆弾は完成された。一方、平和利用としての原子力発電は、原子力というエネルギーは、まだ人類によるコントロールができていないと思います。

人類は「火」(fire)はコントロールできています。しかし原子力はそうではない。それのコントロールにはこれから何十年、何百年、あるいは何千・何万年かかるかもしれない。そんなことを思いました。


いやぁ、きょうはホントに疲れた(8/24更新)

2011-08-22 | 個人的つぶやき

ホントに疲れ切ったときには、何も書けない。
自分が壊れそうになったときには、何も書けない。

(と、書いているから、トコトン疲れ切ったわけではないんだと思う)

きょうは、帰宅して、少しアルコールを飲んだら、ほとんどあっという間に眠りこんでしまって、ふと目が覚めたら朝だか夜だか昼間だかまったくわからない・・・・(30分くらい眠っていたのだろうか)・・・・時計を見ると7時近い。

自分の服装、椅子に座ったままの姿勢などから、夜の7時だと判断するまでに時間がかかった。
夕食の時間だということを思い出して、食べる。(きょうは家族は仕事だったり外出だったりで、夕食はわたしひとり)

ふつうは食事をすると目が覚める。きょうは覚めない。1時間ほどして熱めの風呂に入る。まだ覚めない。

10時をまわった。また少しアルコールを飲みつつ、好きな音楽を聴く。疲れたときにはこれが効くのだ。1時間、2時間・・・

う~ん。少しは自分を取り戻せたかな、という感じがつかめる。助かった!
日付が変わる。 明日(きょう)も仕事。(・・・当然)

おやすみなさい。


映画『硫黄島からの手紙』・・・終戦の日に寄せて

2011-08-14 | 個人的つぶやき

  (カッコよかった渡辺謙)

わたしは西部劇の大ファンだった。特にテレビの『ローハイド』『幌馬車隊』『ララミー牧場』などは欠かさず観たし、映画の『駅馬車』『荒野の決闘』『大いなる西部』『真昼の決闘』『アラモ』等はわたしの青春とモロに重なっていた。

特にローハイドではクリント・イーストウッドが主演と言ってもいいほどで、若いカウボーイであるにもかかわらず、クールで、苦み走った風貌は、少年時代のわたしにとってまさにあこがれの対象だった。

たしかこのローハイドがクリント・イーストウッドのデビュー作品ではなかったか、と思う。その後数多くの作品に出演・主演して、映画ファンなら知らない人のないほど有名になった。『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『ダーティハリー』シリーズ・・・・・・・

そして自ら映画製作に関わるようになり、多数の映画を監督し、『ダーティーハリー4』『マディソン郡の橋』『父親たちの星条旗』など30作以上にわたる。

 

この『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』は2部作で、太平洋戦争をアメリカ側からと日本側からのそれぞれの視点で作られたという。両方とも彼の監督作品で、前者には彼も出演しているという。わたしは前者は観ていないし後者も、偶然テレビで放映があり、ちょうど時間が空いていたので観ただけだ。

わたしは‘あまのじゃく’みたいなところがあり、テレビで大々的に宣伝されると見たくなくなってしまう。反対に、マイナーな映画であまり名の知られていない監督(演出)作品、たとえば森達也のオウムもの『A』『A1』とか、伊勢真一の『奈緒ちゃん』や『見えない学校』などのドキュメンタリーは、渋谷のアップリンクファクトリーとかBOX東中野とか、自主上映会などへ出かけてしまう。河瀬直美の『萌の朱雀(もえのすざく)』はどこで観たっけ。『殯(もがり)の森』は?

別に映画ファンではない。一年間一本も観ない年だってある。

  (今のクリント・イーストウッド)

さて、『硫黄島からの手紙』、2時間半の感想は・・・・・・

出演の日本人たちが栄養満点だ(こんなにふっくらした顔の日本人なんて当時はいなかったのでは?)。まず、そんなちょっとした違和感からスタート。

シナリオは誰が書いたのだろう。

渡辺謙扮する栗林陸軍大将は見た目も考え方もカッコイイ。

だけど、最後に彼は自決してしまう。クリント・イーストウッドはもしかするとサムライのイメージがあって、そういうストーリーにしたのかも。だけど、「生きて帰れ」と兵たちに言ったのだから、自ら捕虜となって「無様(ぶざま)な」、ボロボロの姿で復員(帰国)して、戦争裁判にかけられる・・・などの設定もあってよかったのではないか。

でも、それはクリント・イーストウッド自身が許さなかったのだろう。それは望むのが無理というものか。天晴れな敵将として描きたかったのだろう。戦争の悲惨さ、というか理不尽さを描きつつ、男としての栗林陸軍大将を描きたかった? だからこの映画は、戦争批判はしつつも、ノーマルな指揮者を描きたかった? そのノーマルさは栗林がアメリカで得たところが大だったし・・・

戦争の無意味さ、をもう少し突っ込んで描いたら・・・という思いがわたしのどこかにあったのだろう。だから見終わって食い足りない感じが残ったのかもしれない。

戦争って、なぜ起こるのか。いや、起こるのではなく「起こす」のだと思う。特に近代戦争は。国内の閉塞感を打ち破るためには関心をそらす必要があり、それには戦争を起こすのが最適と聞いた。

それに、人に(国民に)赤紙という一片の令状で有無を言わさず命を捧げろというシステムを、だれが、どうして作ったのか。「戦わねば相手の国に占領されてしまう」だとか「今こそ敵を叩きつぶさねば・・・」などという大義名分に何千万、いや億単位の人々がなぜ同意してしまうのか。

二宮和也君も良かったけれど、あの、ちょっとふてくされたような態度って、60数年前にそのままあったのだろうか、と思う。わたしの体験からするとどこか違和感みたいなものが・・・ま、それはそれでいいのだろう。今の人にわかってもらえなければならないのだから。(するとあのふっくらした顔の日本人も、あれでいいのかも)

 


ブログ一周年

2011-08-11 | 「ひな」の日々

お盆休みです。きょう(8/11)から(8/16)まで、土日を挟んで前後二日ずつ休みです。6日連続の休みって、他には正月休みくらいでしょうか。五月の連休でも6日は続かなかったと思います。

・・・と思っていたら、今日から10日連休という作業所がありました。ただ、所長さんは移行の仕事があるので、きょうも役所へ行くのだと言っていました。「ひな」と同様、小規模作業所から就労継続支援B型事業所に移行予定なのです。休めませんねぇ。

今は、移行先の施設を整備するための業者選び(指名競争入札)の準備に入る時期なのです。わが「ひな」も昨日、指名競争入札のリストを役所に提出しました。で、わたしは今日からお盆休みで、家でこれを書いています。

 

たしか今頃だったなぁと思って、ブログの記事一覧を見ると、このブログ開始が昨年の8月16日でした。

  • 大津波警報のこと
  • わたしの熱中症初体験
  • いい汗のこと
  • お盆休みの過ごし方
  • その他

などをこの日に掲載していました。全部をこの日に書いたわけでなく、過去半年間に書いたものもあります。

とくに「大津波警報」は、今年の3・11を考えると感慨深いというか・・・

去年の2・26、わたしたちは茨城県の大洗・那珂湊へバスで日帰り旅行に行きました。新鮮なネタの寿司を食べ、水族館で魚とダイバーのショーを見たりと、楽しい一日を過ごしてきました。するとその翌日、南米のチリで大地震が起きました。日本の東北地方や茨城の沿岸に「大津波警報」が17年ぶりで出され、28日午後に岩手県久慈市で1メートル20センチを観測しました。大洗・那珂湊も被害を受けたようです。

また、11・26にも同じくバスで福島県のいわき・小名浜へ出かけ、「いわき・ら・ら・ミュウ」という施設では小名浜港で水揚げした新鮮な魚介類やお土産を買ったり、おいしい海鮮の昼食を楽しみました。また、ちくわ・かまぼこ作りの体験をしたり、マリンタワーに上って展望を楽しんできました。

二度続けて茨城・福島の海岸へ出かけた思い出が残っているところへ、今年あの3・11が起きたのです。「いわき・ら・ら・ミュウ」も津波にやられ、建物こそ残ってはいるものの、内部はメチャクチャ。シャッターもひん曲がったりしていて、今日現在まだ営業再開の見通しは立っていないとのことです。(ホームページより)

 


あわただしい一日

2011-08-09 | 「ひな」の日々

一週間ほど前のこと、法人用に新規に銀行口座を開設する。必要な書類等を揃える必要があった。

1、ワッツ3階の法務局出張所(?)に行き、法人の登記簿謄本を取る 
2、しばらく作業所に顔を見せないメンバー宅に立ち寄る  
3、東岩槻の銀行で口座開設の申込をする

いずれもクルマでは不便なので、まずわたしの自宅へ行きバイクに乗り替え、1、2、3と順にまわり用件を済ませる。

作業所に戻ってすぐ、メール便の配達(区域外のもの)を2件行う

戻るとすぐ昼食の時間となる

食べ終わって、これでやっと息がつけると思ったトタン、来客が予定より30分も早く来る。12時30分である。こちらは満タンの腹をさすりながら丁重にお相手をする。助成金をいただく財団の人だ。

1時間ほど話をして客が帰るとまもなく電話が入る。しばらく作業所に顔を見せないメンバー(さきほど立ち寄ったが留守)に関する情報だ。これが実は serious な内容だったので、さらなる情報を…と、関係機関に連絡を取るも担当者が不在。夕方まで待つことにする。作業所内のメンバーの中には、「あの人のことですか?」と察知する人も出る。「詳細は後ほど…」と伝える。

ふぅーっ。

いくら忙しくても、あわただしくても、「かなりハードな一日でしたね」「見てましたよ」という思いがどこからか伝わってくると、疲れは消える。

逆に、「給料もらってる仕事なんだから、当然じゃない?」と伝わってくると、ガックリ疲れるものである。

人の気持なんて、かくも脆い、弱い、いい加減なものかもしれない。
しかし、その気持が巨大なエネルギーをもたらすこともあるんですよね。