病気の「おかげ」で今がある

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知っているようで知らない「意識」(写真追加1/19)

2020-01-16 | 個人的つぶやき

NHKテレビ画面より

月曜日NHKの「どうぶつ不動産」という番組の中で、「カヤネズミ」の巣のことをやっていた。カヤネズミといえば昨秋、わたしのこのブログでもその小さくて可愛らしい姿をご紹介したが、巣のことはよくわからなかったので、今回のテレビ放映を興味深く観た。

また、わたしは週一回整形外科で、左肩関節周辺のリハビリを受けているのだが、その際、担当の理学療法士さんとカヤネズミの話になった。

カヤネズミは一番小さな種類で、親でも人間の手のひらに簡単に収まってしまうほど小さく可愛い。その巣は、長く伸びた萱(かや)などの草の中間、地上数十センチから1メートルくらいのところに作られる。

また、ヘビなどにねらわれる恐れがあるので、近くにいくつか予備の家を作っておくという。実際、ねらわれたため子どもを口にくわえて別の家に移動させる画面もあった。

人間はもちろんのこと、動物も自分の子どもは可愛いのだろう、せっせと世話をする。しかし一方、子どもを食べてしまうこともあるという。これは食糧難などの状況もあるのだろうけれど、もし自分の子どもを可愛いという気持(愛情、意識)のようなものがあったとすれば、食べられるだろうか。動物には人間と同じような意識はないだろう。育てるのは「本能」ではないか。

 

そんな話になったとき私が思い出したのは、人間の「意識」というものは、歴史的に言うと比較的最近生まれたのだということ。

その根拠は、『神々の沈黙』という本(ジュリアン・ジェインズ著/柴田裕之訳 紀伊国屋書店)にあり、だいぶ前になるが、感想を書いた。(2012/10/1)

少し長いですが、引用してみます。

人間の「意識」って、人類発祥の時からあったのではなくて、ついこのあいだ、3000年くらい前に発生したらしい。それはギリシャの古典文学『イーリアス』と『オデッセイ』でも証明できるという。

私たちは困難にぶつかると、どうしようか、と悩む。それがあたりまえだと思っている。しかし3000年前の人たちは悩まない。悩まずに、どうすれば良いか神のお告げを待っていた。その神のお告げは人間の右脳を通じて、言葉でもたらされる。それをじっと待っていたという。

当時の人間は、右脳と左脳が結ばれていなかったそうだ。右脳と左脳は別々の働きをしたらしい(二分心=bicameral mind)。

一国の指導者は、他国と戦争をすべきか否かの決断を自分みずから行うのではなく、「神の声」に従って行った。「神がこうせよと言われた」ということで戦争を始めたらしい。

そのように右脳を通じてもたらされた「神の声」は、今では統合失調症という精神病者の症状としての「幻聴」として残っている、という。

幻聴という症状のあらわれる統合失調症という病気と、右脳と左脳が分離していたこととが結びつく不思議。

わたしは、統合失調症がはたして病気なのだろうかと思うことがしばしばあるのだが、この本を読むとそれが一層強くなる。

特に、人間の「意識」が今から3000年ほど前あたりから発生した、というところが興味深い。

ただ、著者の言う「意識」とは、「頭を殴打されて意識を失う」というときの意識とはちがう。「頭を・・・」のときは、「意識と反応性の両方を失う」、というのが正しいらしい。

ここでの「意識」とは、言語の発生(発達?)と強く結びついている。

「意識」の発生とともに、悩み・苦しみ・主観などが発生したという。、『イーリアス』ではそのような悩み・苦しみ・主観などの記述はないが、『オデッセイ』になると現代と同様の悩み・苦しみ・主観などが表れているという。

したがって、『イーリアス』と『オデッセイ』の間に「意識」が発生したと見ることができる。ただこれらの二つの物語の間には数百年という年月がある。

わたしが特に興味を引かれるのは、この間に古代文明が発生したらしい。ギリシャ、メソポタミア、中国、インドなど。

どのような偶然か知らないが、これら古代文明の発生と意識の発生とが重なっていると思えるところがとてもとても興味深い。(引用おわり)

リハビリの数十分間は、世間話からまとまった会話までいろいろ話ができるので、わたしのような後期高齢者にとっては前頭葉の活性化にもつながります。肩関節だけでなくメンタル面でのリハビリも受けているような、貴重な時間なのでした。