病気の「おかげ」で今がある

回復に時間のかかる精神障害 絶望したくなる時も… でも今仲間と悩み・喜びを共有できる こんな生活も悪くないか…

連休には何かが起きる

2012-04-30 | 個人的つぶやき

 

と言っても大したことではありません。
自転車に何か(トラブル)が起きるのです。 

きょう、岩槻駅前まで自転車で出かけ、駅近くなったところで立ちこぎをしたところ、ガラガラという音と共にチェーンが外れました。ママチャリで、チェーンはフルケースの中です。中の様子を見ることもできません。 

ちょっと回り道をすれば自転車屋さんがあるのですが、最近は全然行ったこともないし、チェーンくらい自分で何とかなるはずと、用事を済ませたあとは押して帰りました。きょうはまだ運動(散歩)をしてなかったのでその代わりと思えば・・・

チェーンはケースの中で切れていました。いや正確に言うとジョイント金具が外れていたのです。だから引っ張るとずるずると一本の形で出てきました。
よく見ると、クリップ(写真の右端の部品)が外れていました。 (これさえあればチェーンはつながる!) 

以前作業所で電動自転車を買った「サイクルベースあさひ」という大きなチェーン店へ行きました。部品は見当たらなかったので店のお兄さんに聞くと、自分たちが使用する部品ケースの中から取り出して売ってくれました(上記写真)。
 

   さて、このあと苦労の本番を事細かに書いても、興味のない人には退屈なので具体的なことは全部カットします。


自転車を壁に立てかけた状態で、わたしは仰向けに寝そべる形で悪戦苦闘。  
暖かい(暑い?)日だったので汗も相当出ました。(ア、血圧高いんだった)


修理にとりかかって1時間はたったでしょうか。指先の微妙な作業も終わり、ペダルを回すと車輪が快く回り始めました。


去年かおととしのお盆休みにも、別の自転車の後輪がパンクし、タイヤごと(つまり車輪全体を)入れ替える羽目になりました。(すぐ自転車屋さんに持っていけばいいだけなのに)

連休は自転車に何かが起きるのです。





偏差値社会のツケ

2012-04-22 | 個人的つぶやき

勝間和代の『まじめの罠』という新書本が開いてあった。TKK問題という小見出しがある。「東大(T)、京大(K)、慶応(K)出身の医者には気をつけろ」というところだった。「彼らは医者になりたかったわけではなく、偏差値が高いからたまたま医学部に行ってしまったような人が多いから」。

「医者というのは、特殊のスキルセットが必要です。『人に尽くすのが大好き』とか、『人の病気を治すのが大好き』とか、『患者さんのためなら寝食を惜しんで努力する』といったような、まさにナイチンゲールのような献身的な姿勢が必要です」と書かれている。

思うに、これは何も東大、京大、慶応だけにとどまらない。偏差値社会になってしまっているから、弁護士だって公認会計士だって、単に偏差値が高いというだけで挑戦してしまう輩が多い。割を食うのはわれわれ一般のクライアントだ。

あなたの主治医あるいはかかりつけのお医者さんは、今の仕事が「好きでやっている」と感じられるでしょうか?

(早く寝なくっちゃ・・・お休みなさい)

 


久しぶりの風邪

2012-04-22 | 個人的つぶやき

風邪で医者に行った。

何年ぶりだろうか。 

わたしは風邪をひいても熱が出るということがほとんどない。
そのかわり胃腸の調子が悪くなる。しかし仕事を休むとか、支障が出ることはここ十数年なかったように思う。いや、もっと前から風邪のために支障が出るということはなかったように思う。

風邪かな?と思っても薬も飲まず、医者にも行かず、無理・無茶をせずに、おとなしく様子を見ていると、たいてい治っている。(実はこれがふつうの風邪に対する正しい対処法だったと、最近わかった)

だが今回は少し様子が違う。二週間ほど前から歩くのがカッタルく感じていた。やむを得ずクルマで出勤する日があったりもした(いつもは駅まで15分歩いて一区間電車に乗り、5分ほど歩いて作業所に着く)。

のどが痛くなり頭がぼうっとして、仕事に支障が出そうな感じになった。それで医者に行き、風邪ですね、という診断をもらったのだ。

 

今ではもう、通常の業務以外の(余計な)大仕事はほとんど終わったので、休暇をとることもできる。(これまでは倒れることもできなかった!)

土日の二日間、ゆっくり休んだはずだったが、症状はまだ残る。
さて、あした4/23(月)の朝、起きたらどうなっているだろう。 


横浜日帰りバス旅行・・・お花見と中華街

2012-04-07 | 「ひな」の日々

 
(三ツ池公園のしだれ桜)

 久しぶりの日帰りバス旅行。

これまで移行、移行でスタッフが縛られ、引っ越してきた作業所のすぐそばには屋内体育館を備えた施設があっても、登録・予約という余裕すらなく、メンバーさんたちは来る日も来る日も作業、作業という日が続いてしまいました。

今回やっと日程を組むことができ、昨年10月の谷川岳(天神平&りんご狩り)以来、何と半年ぶりのバス旅行が実現しました。何日も前から文字どおり指折り数えて待っていた人、当日が近づくにつれ体調が悪くなってしまった人など、いつもどおりのことでした。中には当日の朝調子を崩してしまい参加できなかった人もあり、残念でした。

「ひな」のバス旅行は茨城・千葉・栃木方面が多いのですが、南(東京)方面も今回で3回目です。最初は浅草の観音様、次が一昨年の隅田川下りと江戸東京博物館。そして今回、目的地は横浜ですが、首都高の混雑状況もあり、中央環状線経由でなく6号向島線経由になったため、前回水上バスに乗ったコースをバスの窓から眺めながらというオマケがつきました。 

「あ、この辺から水上バスに乗ったんだよね」などと思い出しながらのひとときでした。
当然、スカイツリーもよく見えました。

横浜について最初の目的地はキリン横浜ビアビレッジ。もちろんビールの試飲・・・いや工場見学、「見学」が目的ですよ。試飲は単なるオマケ。(でもオマケの方が目的という意識の人も少なくなかった?)

ほとんど人影の見えない工場、超高速でラインを流れるビール瓶や缶ビール。きれいなお姉さんの説明を聞きながらも気はそぞろ?

そして待望(?)の試飲。昼食直前で空きっ腹ゆえ、(3杯までOKではあっても)2杯までとみんなに伝えたのですが、どうやら聞こえなかった(?)人もあったようで・・・。次に控える中華料理の食べ放題に影響があっても知らないよ~。 

中華街の門の近く、大珍楼新館で昼食。オーダー式のバイキング。メニューを見てもふだん食べたことのない料理が多く、どんなものなのか、どんな味なのかわからないままオーダーしたものもあったようです。みんな満足したかな? 自分がどれくらい食べたのか量がイマイチわかりにくく、胃袋の方は大丈夫だったかな?

さて、今回の目的は「お花見」です。場所は三ツ橋公園。東京寄りの方にあります。ソメイヨシノは満開前でしたが、公園の奥にあったしだれ桜が見事でした。

 

そして最後に、完成したばかりの東京ゲートブリッジを通り、再び隅田川沿いの首都高を通り、桜並木をあらためて鑑賞し、岩槻に戻りました。お疲れさま。

 


「困った人」は「困っている人」

2012-04-07 | 所長のひとりごと 

「べてるの家」から、メールマガジン「ホップステップだうん!」というのが創刊された。そのサンプル号を読んだらおもしろそうだったので定期購読(月極め300円)の申し込みをした。

4月1日創刊号で、いちばんひびいてきたのが次のところでした。

     (一部引用します)

野末(精神科医)・・・ ひとつは先ほどちょっと言いました症状があって、その症状を医者がかっこよくやっつけて患者さんに感謝されてというストーリーがたまたま成り立つ人もいるんですけど、成り立たない人もすごく多くて。薬がちょっとは効いているのかもしれない、自殺したいとは最近言わなくなったけど、大体一時避難的というか。そのやり方だけでやっていくと、久高さん(当事者)の症状が手ごわいのに、久高さんが困った患者さんに思えてきたんですね。

向谷地(べてるのソーシャルワーカー)・・・ 症状ではなくて、久高さんそのものが。

野末・・・さすがにそれは違うぞってその時に思いはじめて、その時にたまたま川村先生(べてるの主治医)や向谷地先生の本を読んでいたら、一番困難な症状を持った人が実は一番すごい財産を持っているんだっていう、それに近いフレーズが書いてある本に出会って、あっこれ発想逆かなと思ったのがもう随分前のことですね。そうすると自分にとってなかなか症状が良くならない当事者の方っていろいろなもの持って教えてくれているという、まさに治療者の方が認知を変えるような言葉があって、それがたぶん源流としては大きいですね。

   (中略)

久高(当事者)・・・ はい。

野末・・・ それで浦河ではこういうことをやっているらしいということに気づいて、治してあげるんじゃなくて一緒に病気に向き合っていきましょうっていう横並びの方がよっぽどうまくいくし、患者さんも自分と病気とを分けて考えられる。その方が私も気持が楽になる、そんな経験が私にはあります。

向谷地・・・ 私はかつて一生懸命援助して、いわゆる助けて問題を改善していってその結果その人が生きやすくなるっていう、ある種のパターンを最初思い描いて本当に走り回ったんですけど、それをまるで裏切り続ける患者さんとの出会いというのは私にとっては本当に大きくて、それで3年目か4年目に胃潰瘍になったんですね(笑)。アルコール依存症の患者さんに振り回されて。なかなか自分の努力と成果が結びつかない。川村先生も同じようなことになったことがあったと言っていました。そういう意味では主治医の期待を裏切り続けた久高さんの功績っていうのはとても大きいわけですけど(笑)、この10年間に先生とそういうなかでやりとりするわけですよね。病気ではなく、その人が憎たらしくなってくるというかね。当事者研究では「人と問題を分ける」ことが大事だと言うんですけど、実は一番難しいことで、なかなか人と問題が分けられなくて、そういう葛藤をしながらやっていくわけですね。

   (引用終わり)

症状(というか独特の行動)のため周囲を困らせる、という人は少なくない。たとえば・・・・・

・仲間のメンバーのところへ片っ端から電話をかけ、迷惑をかける(今は収まっているが)
・話題がワンパターンで、「またその話かよ!」と言われる
・声が大きく、「もっと小さな声で話して」と言われてもすぐ大きくなり、鎮静剤を飲む人まで出る
・面接をして具体的なアドバイスをしてもすぐ忘れて自己流(自分流?)の行動を何度もとる
・何を聞いても自分の悪口を言っているなど被害的に受け取り、トラブルになる
・集中力が続かず、作業所中に「あゝ、いやになった!」などと言う
・すぐ、ひとにツッコミを入れるくせがあり、トラブルになる
など。

 一般世間の常識ならば、「まったく困った人だ」ということになるでしょうが、それでは解決しない。「困った人」というレッテルを貼るよりも、そのこと(症状)で「困っている人」と見方を変えることで、対処法を考えることができる余地があらわれると思う。

「困った人」というのは、固有名詞を持った本人そのものを排除、切り捨てにつながるように思われる。だが「困っている人」と考えると、「本人」と「困っていること」を切り分けて考えることができる。

ひと」と「こと」を分ける。

とても大事なことだと思う。