病気の「おかげ」で今がある

回復に時間のかかる精神障害 絶望したくなる時も… でも今仲間と悩み・喜びを共有できる こんな生活も悪くないか…

トホホの日

2020-07-25 | 個人的つぶやき

新聞の広告で面白そうな本を見つけた。手に取って見たいと思い、一番確実性の高いTSUTAYAで検索したら「1冊あり」と出た。実物があれば「取り置き」してもらい買いに行こうと本店に電話したら「当店にはございません」。どうもこの「1冊あり」は客からの注文があってそれが入荷したという場合なども含まれるらしく、必ずしも販売用として今現在棚に並んでいるとは限らないようだ。

じゃ、図書館はどうかと検索したら、さいたま市内9か所の図書館で各1冊ずつ「在庫あり」。よし、と一番近い岩槻図書館へ直行だ。だが雨が降り止まない。しかも駐車場は何百メートルも離れているところにあり、入口がわかりにくい。

でも読んでみたい思いに引きずられて決行! その駐車場だけど、ずっと以前に入ったことがあるので、カンで「この辺だったかな?」と狭い路地に入ってみる、違う。

「ここだったか?」と別の路地を曲がっても、違う。ぐるぐる回っているうちに、ワナにはまってしまった感じになった。そういえばこのあたりは何百年か前は城下町で、武家屋敷が並んでいたらしい。だから、外敵の侵入に備えてわざと町中の通りをわかりにくくしてあると聞いたことがある。十字路が少なくT字路が多い、など。

だから初めての人(今のわたしも含めて)のために案内表示を設置するという発想自体がないのかもしれない。そういう意識って何百年も変わらないところがあると思う。
疲れを感じはじめたころ、かすかな記憶を頼りに「ここかな?」と曲がったところに「図書館駐車場」の表示があった。ふ~っ。

さてここからが一苦労。土砂降り・・・とまではいかなくても、かなりの量が降り続く。小さ目のビニール傘なので肩から腕、ひざから下のズボンなどしっかりと濡れてしまう。それにしても距離があるなぁ。6~7分? 7~8分?くらい歩いてやっと図書館到着。

ところが、本自体はその図書館としては所蔵はしているものの、今は貸し出し中とのこと。        

ただ、担当の職員が他の図書館の在庫を予約の形で岩槻の方へ送ってもらう手続きをしてくれた。(ホッとできたのはこれが唯一)
そしてまた雨の中を駐車場へ。結局駐車場~図書館の往復は15分ほど。皮肉にも毎日の午前中の散歩と同じ歩数だった(1,600歩)。

そして次の用事、コピー用紙購入のためホームセンターに行く。そして店内に入ったトタン、びっしょり濡れたシャツとズボンに強い冷房の風! ヒエーッ!

週末を飾る(?)出来事だった。
これから今日は一日おとなしくしていようか。


ふっと気になったこと(考現学)

2020-07-21 | 個人的つぶやき

買ってきたばかりの「サンデー毎日」(8月2日号)を読んでいたら、3人の執筆者が同じようなところを指摘していた。

「サンデー時評」より

 ここ数年、豪雨災害は全国で毎年のように繰り返され、その都度私たちは同じような悲惨な光景を目の当たりにするのだが、昔から山間部の川沿いの急傾斜地に道路を通して人が住んできたこの国の土地利用の仕方や、万全とは言い難い治水対策などの人間の側の問題以上に、いまや自然のほうの姿が変わったのだと考えるほうが事実に即しているだろう。 (作家・髙村薫)


「科学のとりせつ」より

 ここ10年ほど、私たちの身の回りに起きている現象の原因を特定することは容易ではない。けれども、「50年に一度」の大雨が毎年のように降る現状を、もはや偶然と受け流せる人はいない。
 こうなれば、環境の変化に私たちが適応していくしかほかはない。 (毎日新聞論説委員・元村有希子)


「マムシの小言」より

 ニュースを見ていると、毎年のように想定外の雨量だの、100年ぶりの大雨だの、そんなことばかり言っているけど、ここ数年、毎年のように起こっている災害じゃないか。 (毒蝮三太夫・俳優、タレント、ラジオパーソナリティ、短期大学客員教授)

 


 わたし(小林)自身も最近の気象現象については同じような気持を持っていたので、お三方の指摘部分にパッと目が行ってしまった。わたしは若いときよく山に登っていたので、気象については今でも人並み以上に関心を持っている。

 本や新聞などを読んだり、人と話をしたり、テレビを観たりしていて、ふっと目にとまったり、引っかかったりするところがある。そんなとき、なぜ自分はそこに目がとまったり引っかかったりしたのだろうと、自分の気持(無意識?)のなかを言葉にしていくと、思いがけないことに気づくことがある。「情報が生まれる」と言ってもいい。
 このことは「考現学」と言って、今からたしか30年ほど前に、学習塾の指導者研修で書いたり話したりしたことがある。

 有名な執筆者がサンデー毎日に同じようなところを指摘していて、そのことに自分が引きつけられたのは、「想定外の」とか「未曾有の」というところに問題意識のようなものを持っているからだろう。

「想定外」と言えば、新型コロナウィルスだって想定外だったと言える。世界中の人にマスクを付けさせるインフルエンザなんて過去に例がない。

そもそもこのコロナウィルスだって、人間が彼らの安住する環境を破壊したことで、彼らは生きるために動物や人間に付着したという考えもあるらしい。

さらに、隣の中国では、揚子江に設置された巨大な三峡ダムが、降り続く大雨のために水位が上がりつつある。限界を越えるととてつもない洪水が起きて下流の上海などの大都市が大被害を被るという。

自然界に、未知の大変化が起き始めているのだろうか。とても想定などできない。

そう言えば太陽の黒点はどうなっているのだろう。太陽のちょっとばかりの変化が、地球に存在する我々生物(当然新型コロナウィルスもその内の一つだ)に大影響を与えるのだから。

 


花はどこへ行った

2020-07-09 | 個人的つぶやき

散歩はできるだけ欠かさずやっている。午前中15分、午後20分(あくまでも目安です)。 コロナが原因で仕事に出なくなって自宅待機というか出勤自粛になってから事実上リタイアと同じになっていたので、それをいいことに外に出ることをしなくなると、それこそあっという間に認知機能が減退を始めるだろうから、よほどの悪天候でない限り外に出ている。そのせいか体調は悪くない。

5月から6月にかけては、散歩道のあちこちに様々な花が咲いていて目を楽しませてくれた。野草から庭先の(手入れされた)花まで、それぞれがキレイだった。

などと過去形で言っているが、ホントに今はそれが見えなくなり、見えるのはアジサイだけといったところだ。花はどこに行ったのだろう。今咲く花の種類がごく少ないのだろうか。

などと、リハビリの際にPTさんと話していたら、『花はどこへ行った』という歌を思い出した。

Where have all the flowers gone?
Long time passing.
Where have all the flowers gone?
Long time ago.
Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone.
Oh,when will they ever learn?
Oh,when will they ever learn?

(なつかしいなぁ) 若いころ唄ったもんだ。
今はかすれ声だけれど、唄ってみる。歌詞はほとんど覚えている。
PTさんは知らないという。そうだね、何十年もムカシの歌だから。

 

下線部分だけが入れ替わり、歌詞は5番まである。

Where have all the young girls gone?
Long time passing.
Where have all the young girls gone?
Long time ago.
Where have all the young girls gone?
Gone for husbands everyone.
Oh,when will they ever learn?
Oh,when will they ever learn?

Where have all the husbands gone?
Long time passing.
Where have all  the husbands gone?
Long time ago.
Where have all the husbands gone?
Gone for soldiers everyone.
Oh,when will they ever learn?
Oh,when will they ever learn?

Where have all the soldiers gone?
Long time passing.
Where have all the soldiers gone?
Long time ago.
Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards everyone.
Oh,when will they ever learn?
Oh,when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone?
Long time passing.
Where have all the graveyards gone?
Long time ago.
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers everyone.
Oh,when will they ever learn?
Oh,when will they ever learn?

あとで調べてみたらどうも1960年代中頃にPPM(Peter,Paul and Mary)というアメリカのグループが歌っていた反戦歌だ。

 

 


大転換期

2020-07-06 | 個人的つぶやき

今テレビは、福岡・佐賀・長崎の三県に大雨特別警報が出されたと声高に伝えている。昨日・おとといから(最初は熊本県だった)このように大雨のニュースが新型コロナ感染症に加えて大騒ぎの二乗(!)になっている。

2月下旬ごろからだったと思うが、新型コロナウィルスによって「春」が様変わりしてしまった。3月初め、友人とカフェでじっくり話をしたとき、そのあたりからソーシャルディスタンスなどというものが意識され始めたように思う。

否、春だけでなくゴールデンウィークから梅雨に至る「初夏」も、生き物の命輝く季節ではなくなってしまった。どうすればコロナに罹患せずに生き延びられるか、特にわたしのような高齢者にとって、このウィルスに取りつかれたら半分は命を奪われたも同然ということになった。

「3密」という言葉が幅を利かせ、本来ならば接近しなければ生きていかれない人間が、思うように接近できない状態が訪れた。人間の生き方が根本的にくつがえされた。

 

コロナは世界中をひっくり返し、さらに大雨は日本をガタガタと激しく動かしている。

落ち着かないというか、基準が覆されるというか、どうやって日々の生活を送っていくかが決まらない感じだ。

これがまだ仕事というものが続いているならば、自分という基準が保てるから多少安心できるところがあるだろうに・・・。私には仕事がない。

いや、仕事がないという言い方は不自然だ。「ない」のではなく「やめた」のだ。障害を持った人たちの支援という仕事をしていたのだが、基礎体力に不安を感じる年齢になったためだ。

だから時間が、自分の時間がたっぷりある。いや、そんな言い方ではすまない感じだ。めちゃくちゃたっぷりの時間に襲われる感じさえする。日々是休日というか Everyday is Sunday.というか。

さぁ、どうする? 何をする? 何をしてもいいんだぞ! と。

でも、ちょっと落ち着いてみれば、時間はそんなにたっぷりはない。それどころか大事に使わなければあっという間に寿命が来る。私の余命はあと数年だ。厚労省の表によれば 8.92 (そんなにあるのか!)と出ている。

でもそれは、生物としての「いのち」が存在しているということだろう。心臓が動いていて、呼吸も止まっていない状態。

そうじゃなくて、人とかかわりをもち、こころを通じさせるということがなくては「生きている」とは言い難い。

仕事をするということは、他者と目的を共有してそれを成し遂げる(そして見返りとして金銭を得ることも含めていいか)ことだろう。

その、いままでやってきた「仕事」がなくなったらどうするか。「悠々自適」という人もいるだろう。でもわたしはそれがわからない。実感として。

                (まとまりませんが今日はここまで)