病気の「おかげ」で今がある

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バス事故に思ったこと

2022-08-28 | 個人的つぶやき

先日お盆前、わたしの生活圏内(さいたま市岩槻区西町)で、路線バスの事故が発生しました。午後2時頃のこと、東武野田線の岩槻駅西口へ向かっていたバスが、左側の電柱に激しくぶつかったのです。バスは運転席の左側がグチャッと凹み、前面の窓ガラスは粉々に割れていました。

たまたま反対車線をクルマで通りかかったわたしは、様子を写真に撮ろうかとポケットからスマホを取り出したのですが、運転中であり、信号は青だったので止まるわけにも、スピードを落とすわけにもいかず、目視しつつ脇を通り過ぎるしかありませんでした。

走行中に左側の電柱をへし折るほどの激しさでぶつかるのは、何かを避けようとしたのでしょうか。
無事だった人たちがぞろぞろと駅の方向へ歩いて行くのが見えました。

翌日に、現場と反対側にあるウェルシアの店に買い物に行ったときには、すっかり修復されていて、どの電柱だったかなと思うほどでした。

 

これを書こうと思ったのは、その後名古屋の高速とか、東名のパーキングエリアなどでバスの事故が続き、テレビのニュースにもなっていました。そしてネットでも下記のニュースが目に飛び込んできたからです。

見出しは
 繰り返される「バス事故」 81%の事業所で「違法状態」という恐ろしい実態

筆者は
 今野晴貴氏(NPO法人POSSE代表)

筆者の言うように、原因・責任等は調査中ゆえ安易な発信は避けるべきだと私も思いますが、長年にわたって問題(課題)となっているようなことは考えてみてもいいと思います。それは自動車運転従事者という職種の人は、他の職種の人に比べて、脳・心臓疾患の人が受けた「過労死等の労災補償状況」においては他の職員・従事者に比べて突出して労災件数が多いということです。(筆者提供資料による)

それだけバスやトラックの運転手は、脳や心臓に負担のかかる割合の多い職種だと言えるのでしょう。ですから心労によって突然予告もなく症状が発生する可能性も高い職業である、と。

ですから休養・栄養など健康を維持するためには他の職種以上に気をつけるべきだということです。ところが実際はどうもそうではないらしい。

バスなど自動車運送業界には運転者のために作られたルールもあるけれど、その甘いルールさえも守られていない実態があるとのことです。

そういう記事を読むと、岩槻の路線バス事故も、運転手の身に過重労働による原因があったのかもしれないと考えたくなったのでした。

 

 

 

 


山の日に寄せて(2)

2022-08-13 | 個人的つぶやき

三平峠を越えて下って行くと尾瀬が原という平坦な草原(というか湿地帯)に出る。近くに山小屋があったのだがはじめからテントを張って泊まると決めていたので、平坦なところを見つけて慣れぬ手つきで張った。

近くに小屋があり、テント場らしきところだったと思うから、小屋にあいさつに行くべきだったのだが、そこは世間知らずの若造たち。

歩いて、登って、テントを張れば今日の仕事は終わり。まだ陽は高い(というか午前中だったと思う)。その晩はたぶん飯盒でメシを炊いたのだろうと思うが、何を食べたか、味はどうだったかまったく記憶がない。とにかくこんなに足(脚)と肺をコキ使ったことは生まれて初めてだった。(夜行列車ではほとんど眠れていない)まさに「綿のように」眠った。

翌日は尾瀬ガ原を縦断して鳩待峠を越えて帰るはずだったが、なぜか手前の富士見峠を越えて帰った。

とにかくやること為すこと初めての事だらけ。高1になったばかりだから、当たり前とと言えば当たり前だ。

岩槻という狭い生活の場から、東京の高校へ電車で通学するという日常生活の拡張が始まって3~4ヶ月しか経っていないところへこの強烈な体験が、私のそれからの人生観を大きく変えるキッカケになったのだった。

学生時代、行動することは多くが決められていることだったが、自分たち自身で見知らぬ土地を選び、自分たち自身で体力の限り・気力の限りを使い果たすという、管理された教育の枠から初めて外に出た経験だった。

     (終わり)

 


山の日に寄せて(1)

2022-08-13 | 個人的つぶやき

一昨日、8月11日は「山の日」だった。新聞は「高尾山 登山のすすめ」という特集ページを設けていた。

山登りか ・・・・・・。今となっては回顧する(だけの)ものになってしまったなァ。第一、長距離を歩くことなんか今ではできないだろう(たぶん)。散歩の記録だって今では一日3,000歩になっていればいい方だし。

初めて登った山のことを思い出してみよう。

そもそも山に登る(山を歩く)ということ自体、若い頃の10年余りの期間で、今から見ればそんなに長いものではなかった。高1の夏から卒業・入社・会社員時代といった10年あまりだろうか。登った回数にして100回は超えているが150回に達しているかは確証がない。年齢で言えば16歳あたりから26~27歳あたりまで。登らなくなったのは、自分で始めた新しい仕事(塾)が忙しくなったためだと思う。

キッカケは、高校に入ったばかりの夏、中学からの友人(Hくん)から「オゼ行かねぇか?」と誘われて「オゼ? 何それ?」という話をしたこと。「オゼ行く=尾瀬へハイキングに行く」だった。

記録はあるが、今は記憶だけを頼りに書いてみよう。

仲間はもう一人(K くん)が加わって3人。尾瀬は日帰りは無理だということで、重いテント(天幕と言った)をかついで大宮から夜行列車に乗った。

上越線の沼田に着いたのは深夜2時ごろだったろうか。駅前には尾瀬行のバスが待っていた。ところが道がとんでもないデコボコ道で、バスは飛ばすものだから、座席から放り出されないようにしがみついているのが関の山。

大清水という終点まで1時間半か2時間。そこから歩き出すのだが、まだ真っ暗。とにかく経験者のHくんの指示で歩き始める。

まず三平峠という峠を越えるのだが、その途中で陽が昇る。キツイ道だったが若さのイキオイでクリア。

この山行で、自然イッパイの中で吸う空気がウマイ、自然に浸る、自然が体内に入り込む・・・という体験を初めてする。それまで、大自然の懐で全身全霊を使ったということがなかったから、この原生林の香りとともに大自然の洗礼を受けたと言っていい。とにかく(いい意味での)ショックだった。

 (つづきます)