友人の結婚式の前夜に思ったこと。
あたしと友達が「であった」のは、大学一年生の冬。
クラスや学科など、お昼を一緒に食べる友達も作らず、
勉学に勤しんでいた(※)あたし、
周りのひとびと、そして、ひとの流れがいかにも安っぽく、
それでいて空々しく感じられていた頃、「であった」。
それから、焼肉や肉入りの鍋や、肉まんや、なすと豚肉炒め、
要は肉ばかり一緒に食べ、勉強もするようになった友達。
留年と浪人をしたあたしにとっては、クラスの優等生たちは
ほとんど年下か、逆におっさんのどちらかだったので、
同い年の同級生というのが新鮮だった、友達。
キャンパスを歩いていても、周りの垢抜けなさに
やや、つーんとしていたかもしれない。
そのなかでも、頭を傾げたくなるほど、
ぶっちぎりで田舎っぽかった、友達。
あーあ、もう、「であって」丸6年たったのか。
家庭の環境も似ていたり、兄弟もいる同士だったり、
あたしにとっては兄弟みたいな存在だった。
時にはボーイフレンドであり、時には親父であり。
そんな友達が結婚しました。
前夜祭に他の友人たちの集まりに呼んでもらい、
友達の話はあまり出さなかったけれど、
お祝いのお席に誘われないあたしを、
あたしはとっても惨めに思った。
惨めにおもったのは、正確な物言いではないかもしれないな、
集まりに行かなきゃよかったのかな、と
その場にいる自分自身を恥ずかしくおもったという方が
正しいのかもしれない。
そういえば、本当の兄弟のこと、
高校生の頃は可愛いと思っていたけれど、
友達のことも、多分すきだったんだろうな。
おんなじ輪っかの仲間、MくんやNさんやらを
すきだったときの、カッ!となるような
勢いやら盛やらのあるかたちではなく、
ここちのよい、じんわりあたたまるような想いがありました。
もう多分、あわないんだろうな、
そうおもいつつ、この6年で食べたもの、
話した会話、見たビデオ(とりおろし)を思い出して、
帰りの電車で泣きました。
涙が止まらないことって、案外あるもんだね。
(もう、こういう想いはしたくないな。)
おめでとう、おしあわせに。
(写真は、銀座・ミキモトのツリーです)