昨日のランチは、もう何年振りだろうか、西早稲田駅からすぐの「夢民」に行った。
学生時代に一度、本キャンからわざわざ行って、「あ、もうないな」とため息漏らした店だった。
だいたい、人間関係の初対面のギャップと違って、飲食店の評価なんて、オーナーが代わる(代がかわるは含まない)でもしないと、変わらないと思っている。
私の場合は、500円の定食から5万円のディナーまで軽く味見しつつあるけれど、恥ずかしながら味に対して決して明るいことはないのだと思う。
凄く美味しいものか、不味いもの、素材の良し悪しはわかるけれど、小手先で準えられた食事では、「美味しい」か「不味い」かよくわからない。
その代わり「すき」「きらい」「食べられない」「食べない人」ははっきりしていて、「すき」なものなら毎日でも食べられるし、「一緒に食べない人」の奢りでも絶対に食べない、とこだわりがある。
不味いな、と感じるポイントは、味が濃すぎること、素材が悪すぎること、供する温度が適切でないこと、これくらいである。
そういうわけで、「二度と行かない」店は、私の場合は「味」が左右するケースは稀で、「雰囲気」や「サービス」に大別される。
常連と一見相手とで、接客がいちいち違うとか、一見に乱暴な態度をとるといった「雰囲気」や、十二分サービス料をとるにも関わらず、 食事中の気遣い(アメニティやユニフォームなんかは二次的でよい)を微塵も感じないなど、気持ちよく食事できるかそうでないか。
食べ物はこのへんで。。。
学生時代に一度、本キャンからわざわざ行って、「あ、もうないな」とため息漏らした店だった。
だいたい、人間関係の初対面のギャップと違って、飲食店の評価なんて、オーナーが代わる(代がかわるは含まない)でもしないと、変わらないと思っている。
私の場合は、500円の定食から5万円のディナーまで軽く味見しつつあるけれど、恥ずかしながら味に対して決して明るいことはないのだと思う。
凄く美味しいものか、不味いもの、素材の良し悪しはわかるけれど、小手先で準えられた食事では、「美味しい」か「不味い」かよくわからない。
その代わり「すき」「きらい」「食べられない」「食べない人」ははっきりしていて、「すき」なものなら毎日でも食べられるし、「一緒に食べない人」の奢りでも絶対に食べない、とこだわりがある。
不味いな、と感じるポイントは、味が濃すぎること、素材が悪すぎること、供する温度が適切でないこと、これくらいである。
そういうわけで、「二度と行かない」店は、私の場合は「味」が左右するケースは稀で、「雰囲気」や「サービス」に大別される。
常連と一見相手とで、接客がいちいち違うとか、一見に乱暴な態度をとるといった「雰囲気」や、十二分サービス料をとるにも関わらず、 食事中の気遣い(アメニティやユニフォームなんかは二次的でよい)を微塵も感じないなど、気持ちよく食事できるかそうでないか。
食べ物はこのへんで。。。