ひまわりなお葬式・家族葬

お葬式・葬儀に関しての情報や考えていることをツラツラと書きます

仏教の真髄と今の仏教ってなんか違う様な気がします

2005-06-24 10:48:32 | Weblog
仏教というと葬儀と結びつく様に葬式仏教なる言葉があります
しかし仏教の真髄は生きる事によって生じる苦を滅して涅槃の状態に入る事であると思う
のです、どの様に生きるかが仏教の教えであるのですが最近では亡くなった後に仏教儀式
により成仏してもらう様なイメージがありますがどうでしょうか?

無記なる言葉をご存知でしょうか?
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無記(岩波仏教辞典より)
回答されないこと,あるいは説明されないこと.ゴータマ‐ブッダ(釈迦(しゃか))に
よって捨て置かれ回答されることがなかった,ある種の形而上学的な主張ないし問い
をさす.<捨置記(しゃちき)>ともいう.
すなわち,
1)世界は常住(じょうじゅう)(永遠)であるか,無常であるか
2)世界は有限であるか無限であるか
3)霊魂(jva)と身体とは同一であるか,別異であるか
4)如来(にょらい)は死後に存在するのか,存在しないのか,存在しかつ非存在であるのか
存在もせず非存在でもないのかという4種類,10項目の主張ないし問いである.
ただし,北伝の対応経典やインドの後代の論書では4)に見られるような4つの選択肢(四句)
が1)と2)にも適用されて,総計で14項目(十四無記(じゅうしむき))になる例が多い.

ブッダは不回答の理由を,これらは「無益で,法に適合せず,…涅槃に導かないから」
であると説明する

涅槃(岩波仏教辞典より)
仏教における修行上の究極目標.インド思想では解脱(げだつ)を究極の目的とするのが
通例であるが,仏教は最初期から,解脱とともにこの涅槃の語を用いて修行実践の目的
を指し示した
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仏教がどの様に生きるべきかという教えから死後の儀式になってしまっていませんか?
執着を断ち切って涅槃の境地を目指すのは生きている今ではないのかと思うのです
生前に仏教に携わらずに亡くなった後に仏教ってやはり違う様な気がします
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2 コメント

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仰ること良く分かります。 (tenjin95)
2005-06-24 20:44:46
> 管理人様



突然のコメント失礼いたします。

拙僧、仏教・宗教に関するブログ【つらつら日暮らし】を書いているtenjin95と申します。



今回管理人様がご指摘になったような問題を、拙僧も以前から考えておりました。是非、ご一緒に考えさせていただければ幸いと思い、コメントとTBさせていただきました。



なお、管理人様と少し異なった意見を持っておりますので、気に入らない場合には削除していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
返信する
ありがとう御座います (ブログを書いている一人)
2005-06-25 10:11:25
私共のブログを見ていただきまして有難うございます、複数の人間で書いていますので話題がバラバラなんです

大乗非仏説論でしたか? 色々な違いがあるのは結構です大乗も小乗も人間の幸せを願っている事は根底にあるはずです

しかし、今の葬式仏教は遺族を癒すどころか負担になっている現実もあるので仏教って本来何を人々に説いているのかを考えてもいいのではないかと思い書いてみました

tenjin95様のブログを拝見させて頂きましてもっとお勉強しなければならないと思うこの頃です

では
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