骨壷の蓋をあけ、私と奥様で骨箸を使い、分骨容器に
入れてる時のお話です。
だんな様はまだ働き盛りで、会社では中間管理職として
責任あるお立場、昨年の健康診断の時は、仕事の都合で
健康診断を受けることができなく、まるまる1年開いての
健康診断で発見されたのをきっかけに、精密検査を受けた所
末期がんと診断されたそうです。
まだお子様は学生で、これからは奥様が家庭を支えて
いかなくてはなりません。
診断されてから2ヶ月後の永眠だったそうです。これを
突然というか、急死と言うかそのご家族にとってみれば
色々と思いますが、本人にとって見れば突然だったでしょう。
私も一児の父親、職業上、家族に対しては責任ある行き方を
考えねばらないと考える機会が人一倍多いと自負してます。
永眠したら、自分の意思を伝えるものを残さない限り
遺族は、「もし主人だったら、こう望んでるだろう」と
「予想」でこれからの事を進めてしまうほかないと思います。
ですが、そういった準備はまだまだ認知されていないようで
隠そうとしたり、表に出すのがいけないような風習が
あるようです。
現代では学校で「生きる方法」だけを教え、「死」を
なくそうとはしますが、触れずによせつけないようにと
教えているようなきがします。
ですので、奥様もご本人も「死」に対して準備してなくて
不思議なことではなかったのかもしれません。
その後、葬儀が終わり、大黒柱がなくなった家庭はきっと
一変し、時がたてば何事もなかったのごとくの生活になるかも
しれませんが、今現在、心の準備もないままだったので
ただ涙ばかりがでて今後を不安に思う毎日だそうです。
「死」については、宗教者の教えだけでなく、日常的に学校や
地域のコミュニティー等で話し合い、学ぶ機会をつくり、悲しみや
苦しみを乗り越えられるコミュニティーも必要だと思います。
最近では、北の国からでも取り上げられた「遺言」がありましたが、
残された人に対して自分の遺志や、引継ぎをなんらかの
形でのこさねばならないと深く考えさせられました。
このドラマを機会に沢山の人が、自分の終焉について考えて
いただけるのではないか?と期待しましたが・・・・・
今の日本、生きることに忙しくなかなかそこまで余裕のある人が
いないのか、まだまだ自分には関係のない事と思っている方が
大半なのかはわかりませんが、社会全体が少し無責任に思えて
しまいました。
これは私の小さな夢なのですが、私共葬祭ディレクターと
【患者】【医師】【ホスピス等の携わっている方々】と
だれもが必ず迎える永眠による【悲しみ】【苦しみ】【永眠後】
について話し合える場所ができたなら、私たちは
よりよくお手伝いができると思います・・・
しかしながら難しい課題です・・・・・
・・・・「死」と「永眠」を使い分けたのは、世の中が「死」を
まだまだ不自然な形、不浄のものと考えているのを少し
遠まわしに非難させていただきました。
入れてる時のお話です。
だんな様はまだ働き盛りで、会社では中間管理職として
責任あるお立場、昨年の健康診断の時は、仕事の都合で
健康診断を受けることができなく、まるまる1年開いての
健康診断で発見されたのをきっかけに、精密検査を受けた所
末期がんと診断されたそうです。
まだお子様は学生で、これからは奥様が家庭を支えて
いかなくてはなりません。
診断されてから2ヶ月後の永眠だったそうです。これを
突然というか、急死と言うかそのご家族にとってみれば
色々と思いますが、本人にとって見れば突然だったでしょう。
私も一児の父親、職業上、家族に対しては責任ある行き方を
考えねばらないと考える機会が人一倍多いと自負してます。
永眠したら、自分の意思を伝えるものを残さない限り
遺族は、「もし主人だったら、こう望んでるだろう」と
「予想」でこれからの事を進めてしまうほかないと思います。
ですが、そういった準備はまだまだ認知されていないようで
隠そうとしたり、表に出すのがいけないような風習が
あるようです。
現代では学校で「生きる方法」だけを教え、「死」を
なくそうとはしますが、触れずによせつけないようにと
教えているようなきがします。
ですので、奥様もご本人も「死」に対して準備してなくて
不思議なことではなかったのかもしれません。
その後、葬儀が終わり、大黒柱がなくなった家庭はきっと
一変し、時がたてば何事もなかったのごとくの生活になるかも
しれませんが、今現在、心の準備もないままだったので
ただ涙ばかりがでて今後を不安に思う毎日だそうです。
「死」については、宗教者の教えだけでなく、日常的に学校や
地域のコミュニティー等で話し合い、学ぶ機会をつくり、悲しみや
苦しみを乗り越えられるコミュニティーも必要だと思います。
最近では、北の国からでも取り上げられた「遺言」がありましたが、
残された人に対して自分の遺志や、引継ぎをなんらかの
形でのこさねばならないと深く考えさせられました。
このドラマを機会に沢山の人が、自分の終焉について考えて
いただけるのではないか?と期待しましたが・・・・・
今の日本、生きることに忙しくなかなかそこまで余裕のある人が
いないのか、まだまだ自分には関係のない事と思っている方が
大半なのかはわかりませんが、社会全体が少し無責任に思えて
しまいました。
これは私の小さな夢なのですが、私共葬祭ディレクターと
【患者】【医師】【ホスピス等の携わっている方々】と
だれもが必ず迎える永眠による【悲しみ】【苦しみ】【永眠後】
について話し合える場所ができたなら、私たちは
よりよくお手伝いができると思います・・・
しかしながら難しい課題です・・・・・
・・・・「死」と「永眠」を使い分けたのは、世の中が「死」を
まだまだ不自然な形、不浄のものと考えているのを少し
遠まわしに非難させていただきました。