谷渓谷

かんちゃそ谷のさらに奥底。「ハードコアで子供達に笑顔を」FOXYUN RECORDSの提供でお送りします。

まんが日本昔ばなし復活所感

2005-10-20 12:56:10 | Weblog
およそ10年ぶりにテレビでやってるのを見た訳ですが、改めて良いテレビアニメーションだなぁと思った。

現在のアニメは製作がほとんどデジタル化され、細かい描写や表現が可能になったおかげで全てを画面で見せきってしまう事ができます。視聴者は何も考えずに頭を使わずにただ見せられている状態、完全に受け手となっている感じか。
しかしまんが日本昔話を改めて見て思ったのは、動きが少ないのにもかかわらずに現在のアニメよりもじっくりと画面を見てしまうのです。もちろん毎回作画や演出が違うのでじっくり見ないと見逃してしまうという点もあるとは思いますが、作り手側の意図や狙いを考えさせられる構成なのだと思います。本で言えば、漫画よりも絵本や小説に近いという感じでしょうか。

ヒトは画面から流れてくる情報量が多ければ多いほど、考える時間が削られているという事が言えるのかもしれません。昔のテレビはアニメに限らずとも見る側にも多少なりとも努力が必要だったという事か。頭を鍛えるという意味では、今時のアニメよりもまんが日本昔ばなしの方が勝っているのかもしれないね。

自分がノスタルジックになってる面を差し引いても、間違った事は言ってないと思う。

これと似たような事がファミコンのBGMにも言えると思う。我々の世代ではファミコンのBGMの事が話題になる事は良くあるが、スーパーファミコン以降ではあまり話題になる事は無い。ファミコンの発音には音数や音色の制限が多く作り手側も頭を使って作っていたが、スーパーファミコン以降はだいぶ自由に作れるようになって作り手側の努力は減っている気がする。情報の器が少なければ少ないほど作り手も努力するし、受け手側も理解しようとする努力が必要になる。BGMだけじゃなくて画面にも言えますねコレは。

今後はテレビ放送もデジタル化されていき情報量が飛躍的増える訳だが、そうなるとますます作り手と受け手相互の創作力と理解力が失われていくような気がする。作り手がこれでもかと情報量を増やせば増やすほど、受け手は何も考えずに反射的に楽しむ事しか出来なくなるのであろうか。

情報量が多く綺麗で精細な作品を作ればいい時代は終わりつつあると思う。そんなものは技術が進歩すれば当然向上する訳で、それに甘えて人間が考え表現を創意工夫する事が衰えてしまっては文化は衰退してしまう。
多少音楽的な事をやってる自分自身への戒めでもあるのだなこれは。

って、なんか最後は難しくなったが、まんが日本昔ばなしは脳にサイコー!って事だ。
今時の子供達はどう思ったのだろうか。その辺がちょっと気になる。

<追記>

まんが日本昔ばなしの製作スタッフをされていた方のページです。

狢工房

以前に見つけて仕事そっちのけで見入ってた記憶が(笑)。
昔は製作スタッフ一人一人の質も高かったというのを感じます。自社でオリジナル作品を企画できるだけの所って今は少ないんでしょうね。

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2 コメント

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漫画でも同じことが起こっているかもしれません (Dee!)
2005-10-21 02:14:47
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_8459.html



手塚も竹熊も嫌いじゃないのでさっそくamazonで購入w



ゲーム、漫画に限らず、90年代を境に娯楽作品は無から創造から、過去作品の焼き直し&消費に転化したと思います。 世間の主力人種が高度経済成長を支えた団塊世代から、彼らの産物を消費するバブル世代へシフトしたと同時に。 見た目のクオリティアップに伴い、リアリティと称して内容の現実感&背景感強化=荒っぽい仮想&妄想感が希薄、がつまらなくなった理由ではないかと。 特に大作主義のRPG全般がかなり終わってますね。 CG映画でも作ってろとw



そんな俺はこういったものの方が性に合うようですw

http://jp.shockwave.com/games/puzzle/actionpuzzle/zookeeper/play.html
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 ()
2005-10-25 00:32:14
ちょっと遊んじゃったじゃないすか(笑)

漫画、特に最近のアキバ系とか何がなにやらわかりません。

伊藤剛さんに昔取材されたなぁ(笑)。お元気そうでなにより。
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