ひからびろ 3.0

密かに輝くラクダとビロード、ロバ。お願いだから、ひからびてほしい。

〈好き/分かる〉という対立項。

2011-12-11 | 常々

好きな音楽を友達に聴かせると
「ごめん、おれには分からなかった」
と言われたりして
「え、これだったら分かると思ったんだけど!」
とびっくりしたりするんだけど、
いや、こんなのは良くないんじゃないかと思う。

〈分かる/分からない〉という軸で考えたら、
「あなたが好きな音楽のことを、
あなたは〈分かってる〉んですか?」
ということになってしまうから。

けど本当にその音楽のことを分かってる人なんて、
(作曲家以外には)この世に存在しないわけで、
そうすると結局「好きな音楽」はあっても、
「分かる音楽」なんて存在しないのではないか?

たとえば自分には理解できないものを
好きという人がいると、
「変なやつもいるもんだなぁ」
とぼくらはたいてい思う。

けど、それは「分かる/好き」という、
本来は対立し得ないはずの評価軸で
判断してしまってるから。

他人が〈好き〉だと思ってるものを
〈分かる〉ようにと努力するから合意に達せない。
相手が〈好き〉なものに対しては、
〈好き〉で対峙しなければならない。
あるいはもちろん〈嫌い〉でもいいわけだけど。

ただ「分からない」ということだけが、
どうもいただけないのだ。




〈好き〉⇔〈嫌い〉


〈分かる〉⇔〈分からない〉

×
〈好き〉⇔〈分かる〉

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