ひからびろ 3.0

密かに輝くラクダとビロード、ロバ。お願いだから、ひからびてほしい。

〈或る状況に於けるドラマトゥルギーに関する考察その4〉

2011-10-06 | 創作

前々から
トイレという場所には
物語を想起させる何かがあるんじゃないかと
ぼくは考えていた。
顕著な例は「トイレの花子さん」だが、
その他にも学校のトイレという場所が
いつの時代も子どもの想像力を刺激してきた
という側面はあるんじゃないかという気がする。

たとえばぼくの小学校には
「レイコさん」というエピソードがあった。
昔レイコさんという算数が得意な女の子がいて、
彼女はテストでいつも100点を取っていた。

ところがあるテストで
1問だけ計算を間違えてしまったのだ。
レイコさんはお母さんに怒られるのがこわくて、
北校舎の三階にある女子トイレで
首を吊って死んでしまった――そういう話だ。

今から思えば
そんなことで命を粗末にするんじゃねぇよ
と笑ってしまうけれど、
当時のぼくにはこれがなかなか怖くて、
北校舎の三階には
なかなか近づくことができなかった。

それは他の生徒も同じだったらしい。
なぜこんな話が信じられていたかというと、
北校舎の三階の女子トイレは、
当時取り壊されて倉庫になっていたのだ。

そこは見た目はただの倉庫で、
ドアのガラス越しに中を覗くと
床に大便器が設置された跡が見えるだけなのだが、
「きっと死人の出た部屋だから取り壊しちゃったんだ!」
と生徒の誰かが考えて、
その気持ちが物語となって
みんなに恐怖として伝染していったんじゃないか。
ぼくはそういう風にこの物語の出現を想像してみたりする。

しかし何より
この「レイコさん」の話のミソは、
ただ単にレイコさんが死んだという事実が語られるだけで、
レイコさんは別に夜な夜な化けて出たりはしないし、
生徒を冥界にさらったりもしないということだ。
純粋に物語と場所が結びついて恐怖だけを発生させる。
この点に
「レイコさん」の凄みがあるんじゃないかとぼくは思う。
絶対に人前には出ない、
ただ語るだけ語らせておく、
こういう態度でレイコさんは
ぼくが小学校にいた六年間、
北校舎の女子トイレに君臨し続けたのだった。


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