ミスターGT-Rこと水野和敏氏の講演会が長野ヤナセで開催され、参加してきました。
以下、上の一文が分かる方だけお読みください(笑)。
そもそも水野氏がなぜヤナセで?とお思いの方もいらっしゃりましょうが、水野氏が今年度ベストカーで書いているとおり、メルセデスベンツに関して水野氏は畏敬の念を持っている模様。実際、ニュルに滞在する際に使用していたクルマはメルセデスベンツとのこと。
私はベストカーに書いている水野氏の内容にはいつも感心し、敬服させられておりました。クルマの挙動に関してのあれこれを表現してくれる自動車評論家は、日本では皆無といってよい状況の中、ほとんど水野氏のみが非常に良心的な執筆をされております。もし、私がクルマに興味を持ったころに、水野氏のような評論家がいらっしゃれば、クルマに対する評価眼も相当変わっていたでありましょう。
さて、水野氏の講演会は2時間だったのですが、その最初の1時間はマネジメントの話でありました。1989年のNISMO出向のときと2001年~のGT-R開発のときのマネジメントから得たエッセンスを熱く語られました。
・1989年末、それまで大衆車の開発のみをしてきた人間に、「NISMOに行け。結果が出なければ1年でレーシングチームは解散だ!」といわれました。皆さんならどうしますか?
・私はレーシングチームのメンバーを300名から50名にし、その代り全員に権限と責任を与えました。承認に関して、中間部門は捨て、すべて水野氏にダイレクト決裁する形をとりました。
・すると翌年から日産のチームは連戦連勝しました。
・人間は理性では動きません。情念と感覚で動くのです。
・GT-Rの時は日産社員はほぼ誰も協力してくれない状況でした。リバイバルプランの真っ最中で、ただでさえ2倍に仕事が増えたのですから。
・そこで、いすゞを早期退職した人材を引き込んで少数でPJを実行することにしました。
・GT-Rのメンバーには、スポーツカーや大衆車を開発した専門家はほとんどいませんでした。慣れのない、まっさらな人材だったからこそ、これだけ短期間でGT-Rが完成したのです。
・事実…素直に、正直になること。基本…本質に戻ること。この2つだけをGT-Rチームには課しました。
・仕事の時間のうち、60%は無駄な時間です。無駄な時間をなくし100%目の前の課題に取り組む状況を作り出せば、つまり権限と責任を与えれば、どんな難しいプロジェクトも達成できます。
後半の1時間はメルセデスがいかに安全性能に注力しているかについての話でした。
内容はおおむねベストカー等で書かれている技術的なことでありました。欧米のような高速走行時のパニックブレーキであっても、4輪がきちんと接しているか?それを考えているのはメルセデスベンツとGT-Rだけ、とのお話でありました。この辺の技術的なことに興味がある方は、間もなく出版されるであろうベストカー連載の単行本をお読みください。
まあ、何はともあれ熱い人でした。ひげめがねもいろいろな人にお会いしてきましたが、あそこまで自信を持った職人肌の人は見たことがありません。突き抜けています。はっきり言って口は悪い(笑)ですが、自信に裏付けられており、そこがまた魅力とも言えます。そして、そういう人だから、上記のような少数精鋭的なマネジメントが可能だったのだと感じました。
なお、当職場での講演会もお願いできないか、と頼んできました。うまくことが進むようでしたら本ブログでも告知させていただきます。
以下、上の一文が分かる方だけお読みください(笑)。
そもそも水野氏がなぜヤナセで?とお思いの方もいらっしゃりましょうが、水野氏が今年度ベストカーで書いているとおり、メルセデスベンツに関して水野氏は畏敬の念を持っている模様。実際、ニュルに滞在する際に使用していたクルマはメルセデスベンツとのこと。
私はベストカーに書いている水野氏の内容にはいつも感心し、敬服させられておりました。クルマの挙動に関してのあれこれを表現してくれる自動車評論家は、日本では皆無といってよい状況の中、ほとんど水野氏のみが非常に良心的な執筆をされております。もし、私がクルマに興味を持ったころに、水野氏のような評論家がいらっしゃれば、クルマに対する評価眼も相当変わっていたでありましょう。
さて、水野氏の講演会は2時間だったのですが、その最初の1時間はマネジメントの話でありました。1989年のNISMO出向のときと2001年~のGT-R開発のときのマネジメントから得たエッセンスを熱く語られました。
・1989年末、それまで大衆車の開発のみをしてきた人間に、「NISMOに行け。結果が出なければ1年でレーシングチームは解散だ!」といわれました。皆さんならどうしますか?
・私はレーシングチームのメンバーを300名から50名にし、その代り全員に権限と責任を与えました。承認に関して、中間部門は捨て、すべて水野氏にダイレクト決裁する形をとりました。
・すると翌年から日産のチームは連戦連勝しました。
・人間は理性では動きません。情念と感覚で動くのです。
・GT-Rの時は日産社員はほぼ誰も協力してくれない状況でした。リバイバルプランの真っ最中で、ただでさえ2倍に仕事が増えたのですから。
・そこで、いすゞを早期退職した人材を引き込んで少数でPJを実行することにしました。
・GT-Rのメンバーには、スポーツカーや大衆車を開発した専門家はほとんどいませんでした。慣れのない、まっさらな人材だったからこそ、これだけ短期間でGT-Rが完成したのです。
・事実…素直に、正直になること。基本…本質に戻ること。この2つだけをGT-Rチームには課しました。
・仕事の時間のうち、60%は無駄な時間です。無駄な時間をなくし100%目の前の課題に取り組む状況を作り出せば、つまり権限と責任を与えれば、どんな難しいプロジェクトも達成できます。
後半の1時間はメルセデスがいかに安全性能に注力しているかについての話でした。
内容はおおむねベストカー等で書かれている技術的なことでありました。欧米のような高速走行時のパニックブレーキであっても、4輪がきちんと接しているか?それを考えているのはメルセデスベンツとGT-Rだけ、とのお話でありました。この辺の技術的なことに興味がある方は、間もなく出版されるであろうベストカー連載の単行本をお読みください。
まあ、何はともあれ熱い人でした。ひげめがねもいろいろな人にお会いしてきましたが、あそこまで自信を持った職人肌の人は見たことがありません。突き抜けています。はっきり言って口は悪い(笑)ですが、自信に裏付けられており、そこがまた魅力とも言えます。そして、そういう人だから、上記のような少数精鋭的なマネジメントが可能だったのだと感じました。
なお、当職場での講演会もお願いできないか、と頼んできました。うまくことが進むようでしたら本ブログでも告知させていただきます。
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