*これからの記述はあくまでフィクションです。
日本将棋連盟という組織、設立経緯・目的は様々あれど、「棋士が路頭に迷わないための互助会」としての機能は相当大きい。そのため、日本将棋連盟は自分の都合が強く出でしまい、理念・目的があまりない。しかも限られた人たちの集まり、「ムラ社会」である。出る杭は打たれやすい。基本的には守りの姿勢でいくことを善しとする風潮が強い組織と言える。
しかし、それでは将棋界が先細りしていくという懸念を持つ棋士は少なからずいた。特に2000年以降、インターネットの爆発的な普及により、最大のスポンサーである新聞社が勢いを失うにつれ、新たな発信方法を模索する必要があることは棋士の共通認識であった。
長年続いた安定政権からの変化を求める意見が強くなるのは当然のことである。
変化を求める棋士の急先鋒であるY九段は、戦後の将棋界でも五指に入る名棋士である。将棋界以外にも幅広い交流があり、将棋を社会に広めているとの自負もある。自らがトップに立つことが将棋界に資すると考えるのは自然であったし、それは他者も認めるところであった。
ムラ社会に見られるゴタゴタはあり、時間はかかったものの、Y九段が会長に就任することとなった。
Y会長が考えたことはただ1つ。「将棋棋士が今後数十年食べていけるようにするための改革を行う」ことであった。このまま手をこまねいていると、棋士は20年後にはやっていけなくなる、との強い危機感を持ち、ムラ社会では嫌悪されるようなことを次々実行していった。その姿は、「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれた宰相、田中角栄を想起させた。
なんといっても最大の功績は日本将棋連盟を公益財団法人化したことである。将棋が社会に役立つようにする、そのためにトーナメントプロだけでなく普及に力を入れる棋士も明確にし、それを評価する。このことを世間に明言したことは(一般的な社会では当然なことかもしれぬが)将棋界にとって革命的なことであった。
ただ1つ、Y会長には大きな欠点があった。恐怖政治である。大きな理念、目的のためにある程度強い態度に出る、というだけでない。個人的な好き嫌いで優遇したり貶めたりするのである。
実際にこんなことがあった。ある日、対局のインターネット中継を行っていたM氏に対し、当時の理事N九段が突然「君は今から将棋会館に出入り禁止だ」と告げた。M氏は、将棋インターネット中継を軌道に乗せた大功労者である。特に大きな瑕疵が認められないにもかかわらず、おそらく「気に食わない」との理由だけで将棋界から抹殺しようと企てたのだ。N九段がそれを告げたことで理事の総意と見せかけようと考えたのだろうが、Y会長の独断で決定されたであろうことは想像に難くなかった。
Y会長は独裁者であったため、その下につく理事職の棋士もかなり苦労した。N九段はY会長と同門で年上だが、入門時期の関係でY会長が兄弟子にあたる。N九段はY会長に加担したと一般的に思われているが、実のところそれに逆らうことはできなかったのである。そのため、N九段は棋士の間では疎まれる存在となっていった。
それから数年、会長はじめ理事会のメンバーも変わったある日、N九段の弟子であるM九段がビッグタイトルR戦の挑戦者に躍り出た。M九段はどちらかというとこの1年は不調であったが、R戦に比較的星が偏り、久しぶりのタイトル挑戦となった。
M九段が不調な理由は、実は体調面にあった。将棋界の中でも勉強家として知られ、棋士仲間の結婚式でも詰将棋を解くくらい将棋漬けの生活を送ってきたが、近年あまりに根を詰めると頭痛とともに目の前が暗くなる症状に悩まされるようになった。それもしばらくすると改善する。我慢して症状に付き合うしかないな、そう考えるM九段である。
対局中に症状が現れた際は、20分ほど横になることを心掛けた。本来であれば相手に対し失礼であるが、背に腹は代えられない。
しかし、その行動が悲劇を呼ぶ。勝負所で20分も不在にして戻ってくるという行動に不信感を持つ棋士が出て来た。将棋ソフトが棋士と同等(終盤であれば明らかに将棋ソフトの方が強い)の実力となった昨今、ひょっとして将棋ソフトに局面を検証させているのではないか、との疑念が生まれたのだ。
N九段が理事であった頃であれば、その弟子の不祥事疑いの訴えなど、まず怖くてできない。仮に訴えたとしても理事会で一笑に付されるであろう。
しかし、今は理事会のメンバーも変わった。まして、N九段は理事会方針と称して自分を恫喝していた存在である。弟子が不祥事をしていたなどと言えば、N九段も困るだろう、それはいい気味だ。
悪意に満ちたある棋士の訴えを、現理事会は黙殺できなかった。将棋界のイメージを考えると黙殺したいが、身内から訴えが出ている以上、調査しなければならない。というわけで最近M九段と対局した棋士に一応の聞き取りを実施することとなった。
ところが、理事の思いのほか、出てくる証言はみな一致した。曰く「終盤の勝負所で10~20分ほど席を外した。」と。
やむなく、将棋ソフトとの指し手の一致率も調べたが、ほぼ100%の確率でソフトの指し手と一致する。まさかの展開に理事たちは唖然とした。
いったいどうするべきか?まずはスマホ持ち込みと外出の禁止を打ち出した。これは、M九段と対局した棋士たち数名の総意であったため、特に異論なく理事会にて承認された。
問題はM九段の処遇である。いかに内部とはいえ、こういったうわさが広まるのはあっという間である。まして、タイトル戦が控えている。
理事は以上の顛末を最初に疑義を訴え出た棋士に報告した。
「これだけ状況証拠がそろっているとすれば、私も黙っていない。そうすれば主催紙だって、連盟はなぜ報告しなかったのかと問い詰めるだろう。黒に近いグレーな棋士がそのままタイトル戦に出るなどということを世間が認めるだろうか?本人に真を問い、あいまいな返事をするならば、出場は辞退してもらうしかないのではないか?」
理事は反論するだけの材料を持ち合わせていなかった…。
日本将棋連盟という組織、設立経緯・目的は様々あれど、「棋士が路頭に迷わないための互助会」としての機能は相当大きい。そのため、日本将棋連盟は自分の都合が強く出でしまい、理念・目的があまりない。しかも限られた人たちの集まり、「ムラ社会」である。出る杭は打たれやすい。基本的には守りの姿勢でいくことを善しとする風潮が強い組織と言える。
しかし、それでは将棋界が先細りしていくという懸念を持つ棋士は少なからずいた。特に2000年以降、インターネットの爆発的な普及により、最大のスポンサーである新聞社が勢いを失うにつれ、新たな発信方法を模索する必要があることは棋士の共通認識であった。
長年続いた安定政権からの変化を求める意見が強くなるのは当然のことである。
変化を求める棋士の急先鋒であるY九段は、戦後の将棋界でも五指に入る名棋士である。将棋界以外にも幅広い交流があり、将棋を社会に広めているとの自負もある。自らがトップに立つことが将棋界に資すると考えるのは自然であったし、それは他者も認めるところであった。
ムラ社会に見られるゴタゴタはあり、時間はかかったものの、Y九段が会長に就任することとなった。
Y会長が考えたことはただ1つ。「将棋棋士が今後数十年食べていけるようにするための改革を行う」ことであった。このまま手をこまねいていると、棋士は20年後にはやっていけなくなる、との強い危機感を持ち、ムラ社会では嫌悪されるようなことを次々実行していった。その姿は、「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれた宰相、田中角栄を想起させた。
なんといっても最大の功績は日本将棋連盟を公益財団法人化したことである。将棋が社会に役立つようにする、そのためにトーナメントプロだけでなく普及に力を入れる棋士も明確にし、それを評価する。このことを世間に明言したことは(一般的な社会では当然なことかもしれぬが)将棋界にとって革命的なことであった。
ただ1つ、Y会長には大きな欠点があった。恐怖政治である。大きな理念、目的のためにある程度強い態度に出る、というだけでない。個人的な好き嫌いで優遇したり貶めたりするのである。
実際にこんなことがあった。ある日、対局のインターネット中継を行っていたM氏に対し、当時の理事N九段が突然「君は今から将棋会館に出入り禁止だ」と告げた。M氏は、将棋インターネット中継を軌道に乗せた大功労者である。特に大きな瑕疵が認められないにもかかわらず、おそらく「気に食わない」との理由だけで将棋界から抹殺しようと企てたのだ。N九段がそれを告げたことで理事の総意と見せかけようと考えたのだろうが、Y会長の独断で決定されたであろうことは想像に難くなかった。
Y会長は独裁者であったため、その下につく理事職の棋士もかなり苦労した。N九段はY会長と同門で年上だが、入門時期の関係でY会長が兄弟子にあたる。N九段はY会長に加担したと一般的に思われているが、実のところそれに逆らうことはできなかったのである。そのため、N九段は棋士の間では疎まれる存在となっていった。
それから数年、会長はじめ理事会のメンバーも変わったある日、N九段の弟子であるM九段がビッグタイトルR戦の挑戦者に躍り出た。M九段はどちらかというとこの1年は不調であったが、R戦に比較的星が偏り、久しぶりのタイトル挑戦となった。
M九段が不調な理由は、実は体調面にあった。将棋界の中でも勉強家として知られ、棋士仲間の結婚式でも詰将棋を解くくらい将棋漬けの生活を送ってきたが、近年あまりに根を詰めると頭痛とともに目の前が暗くなる症状に悩まされるようになった。それもしばらくすると改善する。我慢して症状に付き合うしかないな、そう考えるM九段である。
対局中に症状が現れた際は、20分ほど横になることを心掛けた。本来であれば相手に対し失礼であるが、背に腹は代えられない。
しかし、その行動が悲劇を呼ぶ。勝負所で20分も不在にして戻ってくるという行動に不信感を持つ棋士が出て来た。将棋ソフトが棋士と同等(終盤であれば明らかに将棋ソフトの方が強い)の実力となった昨今、ひょっとして将棋ソフトに局面を検証させているのではないか、との疑念が生まれたのだ。
N九段が理事であった頃であれば、その弟子の不祥事疑いの訴えなど、まず怖くてできない。仮に訴えたとしても理事会で一笑に付されるであろう。
しかし、今は理事会のメンバーも変わった。まして、N九段は理事会方針と称して自分を恫喝していた存在である。弟子が不祥事をしていたなどと言えば、N九段も困るだろう、それはいい気味だ。
悪意に満ちたある棋士の訴えを、現理事会は黙殺できなかった。将棋界のイメージを考えると黙殺したいが、身内から訴えが出ている以上、調査しなければならない。というわけで最近M九段と対局した棋士に一応の聞き取りを実施することとなった。
ところが、理事の思いのほか、出てくる証言はみな一致した。曰く「終盤の勝負所で10~20分ほど席を外した。」と。
やむなく、将棋ソフトとの指し手の一致率も調べたが、ほぼ100%の確率でソフトの指し手と一致する。まさかの展開に理事たちは唖然とした。
いったいどうするべきか?まずはスマホ持ち込みと外出の禁止を打ち出した。これは、M九段と対局した棋士たち数名の総意であったため、特に異論なく理事会にて承認された。
問題はM九段の処遇である。いかに内部とはいえ、こういったうわさが広まるのはあっという間である。まして、タイトル戦が控えている。
理事は以上の顛末を最初に疑義を訴え出た棋士に報告した。
「これだけ状況証拠がそろっているとすれば、私も黙っていない。そうすれば主催紙だって、連盟はなぜ報告しなかったのかと問い詰めるだろう。黒に近いグレーな棋士がそのままタイトル戦に出るなどということを世間が認めるだろうか?本人に真を問い、あいまいな返事をするならば、出場は辞退してもらうしかないのではないか?」
理事は反論するだけの材料を持ち合わせていなかった…。