B型ヒダオの気まぐれ日記

B型ゆえに気まぐれに更新。
尚、他人の批判はしても自分への批判は
受け付けません。

惜夢ジャパン

2006年07月03日 | Weblog
日本代表の監督がオシムに決まりそうだ。
まだ正式ではないらしいが、余程の事がない限りはオシムだろう。
別にオシムには何の不満もないし、期待出来ると思う。
サッカー協会の古川電工派閥と早稲田派閥にも普通に物申してくれそうだし。

オシム決定までの妙な出来レースっぽい雰囲気もまぁええわ。
(川渕発言は多分、わざとだ。奴はたまにあんなことする)
オシムの機嫌を損ねないギリギリの芝居だっただろうし
ジェフ側も一応、抗議だけはしておくかって感じだったのだろう。
別にその辺の報道とか交渉過程における小芝居は俺にはどうでもいい。
そんなもん、どうやって報道されようが俺の受け取り方次第だし。

それよりも不思議に思うのは「なぜオシムなのか?」という議論が
未だに殆ど出てきていないってことだ。なぜ?なぜ?
むしろ最も大事なのはそこじゃないの?日本代表の在り方じゃないの?
ジェフで既に実績あるし、日本人の特性を理解しているからというのはわかる。
でも理由はそれだけ?だったらトルシエ再任でもいいんじゃないの?
(別にトルシエ復帰を希望している訳ではない)

岡田→トルシエの時は「世界を知っている監督」ということで
ヴェンゲルの紹介ってだけで「白い呪術師」ことトルシエ起用。
トルシエが規律重視でベスト16まで行ったら今度は「白いペレ」ことジーコ起用。
規律から自由への変更。共通点は「白い○○」ってことだけ。
結局、日本サッカーをどうしたいのさ?ってことが全く見えない。
何だか堂々巡りじゃないのか?って思う。

日本代表の方向性を決めた上で、監督決めるなら問題ないけど
今は監督決めてから代表の方向性が決まっている気がしてならない。
「日本はこんなサッカーがしたい」ってことをまず協会として
バーーン!と指針を示す必要があると思うのだが。 

追伸:オシムでアジアカップ敗退とか予選敗退ってなったら
   絶対、どこかのスポーツ新聞がこんな見出し使うはず。
   「あぁ、惜夢…(オシム)」