ルキウス・アンナエウス・セネカの名言:多くの愚者は自らの倦厭を感ずることによりて悩む。fesh.jp/user/action/Y2…
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2016年9月26日 - 08:03
「せかせか動いていることが、ある種の人々にとっては、有能と高貴のしるしとなる。彼らの精神は動揺の中に安息を求める。子供が揺籃に安息を求めるようなものである。」(モンテーニュ)
— モンテーニュbot (@MontaigneBot) 2016年9月25日 - 16:08
日々の学問への取り組みや探求そのものが、自ずと無為の喜びを伴いつつさらに追い求めるべき新たな何かを生み出す。そして、対象とする事柄の追究は限りなく続き、日々の経験が学問を固め、程よい努力が傾注され記憶力と熱意が持続する限り、対象の認識は容易なものとなる。(『弁論家について』)
— キケロbot (@cicerobot_jp) 2016年9月25日 - 14:02
共同行動と自己犠牲の能力を養う方法=想像上の自己を与え(虚構)、現在を非難する態度を教え込み、興味をまだ存在しないことに固定させ、彼と現実との間に事実を通さない仕切りを差し挟み(主義)、個人と自己との間に強固な均衡が確立するのを妨害する(狂信)。(エリック・ホッファー)
— 現実主義bot(リアぼ) (@riarisuto_bot) 2016年9月25日 - 18:12
「いかなる交渉においても、力は最後の拠りどころである。しかし、この力の脅威を潜在化しておき、その大きさを明らかにせず、そして最後の手段としてのみ、力に訴えるのが外交の技術である」H.キッシンジャー(米国務長官)
— 外交官の語録BOT (@Diplomacy_bot) 2016年9月26日 - 01:01