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四国八十八箇所へんろ道等が、世界遺産として登録されるように、多くの団体等と連携して実現を図る。

四国霊場 13番 大日寺(だいにちじ) に関するページ

2010年09月29日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
四国霊場 13番 大日寺(だいにちじ) に関するページ



栄ちゃんの四国霊場巡り・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ)












出典:四国ネット・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ) 

焼山寺をあとに、鮎喰川沿いに下る。
 変化に富んだ美しい渓谷がつづき疲れをいゃしてくれる。徳島の街の近くまでくると人家も多くなり、右手にうっそうとした森があり、道を隔てて阿波一ノ宮神社がある。

 弘仁六年(八一五)弘法大師がこの地に巡錫され「大師の森」という所で護摩修法されているとき、現在、寺のある附近から大日如来が示現し「この地は霊地なれば一宇を建立すべし」と告げられた。

そこで大師は大日如来を刻み、堂宇を建立し、この尊像を本尊として安置し、大日寺とした。その後、兵火で焼失するがまもなく再建され、諸国に国の総鎮守である一ノ宮が建てられたとき、その別当寺として門前の一ノ宮を管理した。

一ノ宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観世音だが、明治の神地分離にあたり、十一面観世音を大日寺へ移遷し、本尊として安置した。このため、現在は大日如来が脇仏となっている。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ)

2010年09月29日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ) 



(四国13番霊場 大日寺(だいにちじ)  09/05/08)



(四国13番霊場 大日寺(だいにちじ)  09/05/08)



(四国13番霊場 大日寺(だいにちじ)  09/05/08)



(四国13番霊場 大日寺(だいにちじ)  09/05/08)



出典:四国ネット・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ) 

焼山寺をあとに、鮎喰川沿いに下る。
 変化に富んだ美しい渓谷がつづき疲れをいゃしてくれる。徳島の街の近くまでくると人家も多くなり、右手にうっそうとした森があり、道を隔てて阿波一ノ宮神社がある。

 弘仁六年(八一五)弘法大師がこの地に巡錫され「大師の森」という所で護摩修法されているとき、現在、寺のある附近から大日如来が示現し「この地は霊地なれば一宇を建立すべし」と告げられた。

そこで大師は大日如来を刻み、堂宇を建立し、この尊像を本尊として安置し、大日寺とした。その後、兵火で焼失するがまもなく再建され、諸国に国の総鎮守である一ノ宮が建てられたとき、その別当寺として門前の一ノ宮を管理した。

一ノ宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観世音だが、明治の神地分離にあたり、十一面観世音を大日寺へ移遷し、本尊として安置した。このため、現在は大日如来が脇仏となっている。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)

2010年09月12日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)



(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)



(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)



(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)



(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)



(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)



出典:四国ネット・・・ 12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)

昔から「遍路ころがし」といわれるほどけわしい山の寺が、四国には六カ所あり、焼山寺もこの難所に数えられていたが、現在自動車通が山上まで開通し、苦行せずして参拝できるようになった。

歩く遍路にとつて、とくに垢取川にかかる一つ瀬橋を渡ってから急な坂道になる。山門までおよそ二・五㌔(海抜八百㍍)杉本立の中をあえぎながら登る。

寺伝によると、この山中の魔の毒蛇が火を吐いて危害を加え、大師が登山しようとしたときも全山火の海であった。大師が垢取川で身を浄め、真言を誦して登ると火は消え、九合目の岩窟から毒蛇が飛びかかった。

この時虚空蔵菩薩があらわれ、毒蛇を岩窟に封じこめた。大師は虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし、寺号を火の山にちなみ「焼ケ山ノ寺」山号を火の恐れがあるので「摩盧(水輪の意)山」とした。

参道途中に四国遍路の元祖といわれる衛門三郎最期の遺跡上、杖杉庵がある。遍路二十一回目に逆打ちして大師と出会った所である。 


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四国霊場11番 藤井寺(ふじいでら) に関する記事

2010年09月12日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
四国霊場11番 藤井寺(ふじいでら) に関する記事



栄ちゃんの四国霊場巡り・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら)















出典:四国ネット・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら) 

四国第一の川・吉野川を渡る。四国三郎とよばれ、二百三十六㌔の長さを持つ。この川を壊れば鴨島の町。そして、山麓の藤井寺までは三㌔あまり。

門前に遍路宿があり、境内にも古い遍路宿がある。右手の一段高い所にある本堂には、弘法大師が刻まれたと伝えるご本尊の薬師如来が奉安されている。


 大師は三方を山に囲まれた幽すいな霊地に心ひかれ、堂宇を建立し、自刻の尊像を奉安し、十七日間護摩修法され、堂塔の前に五色の藤を植えられ、藤井寺と名づけられた。

その後、天正の兵火で焼失し、寛永年間に再建されるが、天保二年に再び焼失し、現在の本堂はその後の建立という。この間、真言宗から臨済宗に改宗している。


 歩く遍路は近くの宿で泊り、翌朝出発して焼山寺へ向う。長戸庵、柳ノ水奥ノ院、柳水庵、一本杉庵など大師の遺跡があり、男八時間、女九時間の難行。十六㌔の貴重な遍路みち。車なら石井、寄井を経る迂回路をゆく。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら)

2010年09月12日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら) 



(四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)



(四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)



(四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)



(四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)



            (四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)



出典:四国ネット・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら) 

四国第一の川・吉野川を渡る。四国三郎とよばれ、二百三十六㌔の長さを持つ。この川を壊れば鴨島の町。そして、山麓の藤井寺までは三㌔あまり。

門前に遍路宿があり、境内にも古い遍路宿がある。右手の一段高い所にある本堂には、弘法大師が刻まれたと伝えるご本尊の薬師如来が奉安されている。


 大師は三方を山に囲まれた幽すいな霊地に心ひかれ、堂宇を建立し、自刻の尊像を奉安し、十七日間護摩修法され、堂塔の前に五色の藤を植えられ、藤井寺と名づけられた。

その後、天正の兵火で焼失し、寛永年間に再建されるが、天保二年に再び焼失し、現在の本堂はその後の建立という。この間、真言宗から臨済宗に改宗している。


 歩く遍路は近くの宿で泊り、翌朝出発して焼山寺へ向う。長戸庵、柳ノ水奥ノ院、柳水庵、一本杉庵など大師の遺跡があり、男八時間、女九時間の難行。十六㌔の貴重な遍路みち。車なら石井、寄井を経る迂回路をゆく。





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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

2010年08月30日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



出典:四国ネット・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

最初におとずれた急な参道。山麓から中腹の本堂まで約八百㍍。麓には遍路用具店があってささやかながらも門前町になっている。

仁王門からは三百三十三段の石段になり、登りつめたところが本堂。ご本尊は女人済度で名高く、女性の信者が多い。


 弘仁のころ、山麓の貧しい小にハタを織る若い女がいた。たまたま弘法大師が立寄って喜捨を乞うたところ、女はこころよく接待した。

七日後も女はいま織っていた白布を惜しげもなく切り裂いてさしだした。大師は感激してその理由をたずね、女の願いを聞いて哀れに思い、その家に留まり、千手観世音を刻み、女を得度させて潅頂を授けた。

すると女はたちまち即身成仏して観世音菩薩に化身した。そこで大師はこの地に堂宇を建立し得度山切幡寺とした。潅頂院の院号も、またご本尊が二体あるのもこの縁起に由来する。




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10番霊場 切幡寺(きりはたじ) に関するページ

2010年08月29日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

















出典:四国ネット・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

最初におとずれた急な参道。山麓から中腹の本堂まで約八百㍍。麓には遍路用具店があってささやかながらも門前町になっている。

仁王門からは三百三十三段の石段になり、登りつめたところが本堂。ご本尊は女人済度で名高く、女性の信者が多い。


 弘仁のころ、山麓の貧しい小にハタを織る若い女がいた。たまたま弘法大師が立寄って喜捨を乞うたところ、女はこころよく接待した。

七日後も女はいま織っていた白布を惜しげもなく切り裂いてさしだした。大師は感激してその理由をたずね、女の願いを聞いて哀れに思い、その家に留まり、千手観世音を刻み、女を得度させて潅頂を授けた。

すると女はたちまち即身成仏して観世音菩薩に化身した。そこで大師はこの地に堂宇を建立し得度山切幡寺とした。潅頂院の院号も、またご本尊が二体あるのもこの縁起に由来する。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)

2010年08月16日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)



(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)



(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)



(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)



(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)



出典:四国ネット・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)

田園の中にぽつんと建つ法輪寺。どこからも入れそうなお札所。

歴史をたどってみると永禄十二年(一五六九)長曽我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上る意志をもち、まず攻めたのが阿波であった。

天正三年(一五七五)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。

法輪寺もこの時党宇を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ溪にあって、白蛇山法林寺と称し、広壮な寺域を有していたが、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。

その後、安政六年に火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれる。ご本尊は弘法大師が刻まれた釈迦如来涅槃像。

頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額がある。


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2010年08月13日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)










出典:四国ネット・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)

田園の中にぽつんと建つ法輪寺。どこからも入れそうなお札所。

歴史をたどってみると永禄十二年(一五六九)長曽我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上る意志をもち、まず攻めたのが阿波であった。

天正三年(一五七五)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。

法輪寺もこの時党宇を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ溪にあって、白蛇山法林寺と称し、広壮な寺域を有していたが、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。

その後、安政六年に火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれる。ご本尊は弘法大師が刻まれた釈迦如来涅槃像。

頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額がある。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ) 

2010年08月02日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)

出典:四国ネット・・・熊谷寺(くまだにじ)

のどかな遍路道をゆくと、ゆるやかな山の斜面に二層の山門がみえてくる。古い農家が点在し、いかにも四国の山村の風景が展開する。

やや上り坂の参道には昔の遍路宿の面影をとどめた農家もある。山門を入ると右に弁天池、左に庫裡、羅漢堂、多宝塔があり、中門から石段を登ると昭和45年再建の本堂になる。左手の大師堂へは更に石段を登る。


 寺伝によれば、弘法大師がこの地のやや奥に当る閼伽ケ谷という所で修行されているとき、紀州の熊野権現があらわれ、観世音菩薩の尊像を感得した。

そこで大師は結伽趺坐(足の表裏を結んで坐する円満安座)されて日夜精進し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音を刻まれ、仏舎利百二十粒とともに金像の本尊を胸に納め、堂宇を建立して安置された。


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