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四国八十八箇所へんろ道等が、世界遺産として登録されるように、多くの団体等と連携して実現を図る。

四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ) に関するページ

2010年08月02日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ) に関するページ



栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ) 
















出典:四国ネット・・・熊谷寺(くまだにじ)

のどかな遍路道をゆくと、ゆるやかな山の斜面に二層の山門がみえてくる。古い農家が点在し、いかにも四国の山村の風景が展開する。

やや上り坂の参道には昔の遍路宿の面影をとどめた農家もある。山門を入ると右に弁天池、左に庫裡、羅漢堂、多宝塔があり、中門から石段を登ると昭和45年再建の本堂になる。左手の大師堂へは更に石段を登る。


 寺伝によれば、弘法大師がこの地のやや奥に当る閼伽ケ谷という所で修行されているとき、紀州の熊野権現があらわれ、観世音菩薩の尊像を感得した。

そこで大師は結伽趺坐(足の表裏を結んで坐する円満安座)されて日夜精進し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音を刻まれ、仏舎利百二十粒とともに金像の本尊を胸に納め、堂宇を建立して安置された。


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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)

2010年07月23日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)


出典:四国ネット・・・十楽寺(じゅうらくじ)

この地に留錫された弘法大師は、阿弥陀如来を感得し、ご本尊とし刻まれ、安置したのが寺のはじまりで、

人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。

そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。

このとき住職の真然は本尊を背負い、大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。

寛永十二年に現在地に再建され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。
 参籠者に出されるたらいうどんはこの寺独特の味で、評判がよい。



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四国霊場 7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ) に関するページ

2010年07月23日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
四国霊場 7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ) に関するページ




栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)















出典:四国ネット・・・十楽寺(じゅうらくじ)
この地に留錫された弘法大師は、阿弥陀如来を感得し、ご本尊とし刻まれ、安置したのが寺のはじまりで、

人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。

そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。

このとき住職の真然は本尊を背負い、大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。

寛永十二年に現在地に再建され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。
 参籠者に出されるたらいうどんはこの寺独特の味で、評判がよい。


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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)

2010年07月16日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



              (四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



出典:四国ネット・・・ 安楽寺(あんらくじ)

田園の中の平坦な道をゆくと、前方に本堂それに幾棟もの建物が見えてくる。四国でも一、二といわれる五百名収容の宿坊をもつ。

 昔この地方で温泉が湧き、諸病に特効があったので、弘法大師が留まって厄難や病苦を救うために薬師如来を刻み、堂宇を建立してそこに安置し、温泉山安楽寺と名づけられた。

 創建当初は、一㌔ほど離れた安楽寺谷にあり、兵火で焼失したため現在地へ再建され、その後蜂須賀氏によって設けられた駅路寺の瑞運寺を併合している。

駅路寺は徳島を中心に五つの街道に設けられ、旅の便利を計るとともに軍事、治安上の取締りなどに役立てたのである。

現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで昭和三十八年の再建。難病であった名古屋の水谷しづさんが四国遍路中霊験を得て全快し、その感謝でご本尊の造顕を発願し、仏師松本明慶師が刻み、ご本堂に奉安されている。

寺の宿坊は温泉山の名にふさわしい天然温泉が湧き出る。寺人は親切で家族的な温かさがある。



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四国霊場 6番 安楽寺(あんらくじ) に関するページ

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四国霊場 6番 安楽寺(あんらくじ) に関するページ

2010年07月16日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
四国霊場 6番 安楽寺(あんらくじ) に関するページ




栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)
















出典:四国ネット・・・ 安楽寺(あんらくじ)

田園の中の平坦な道をゆくと、前方に本堂それに幾棟もの建物が見えてくる。四国でも一、二といわれる五百名収容の宿坊をもつ。

 昔この地方で温泉が湧き、諸病に特効があったので、弘法大師が留まって厄難や病苦を救うために薬師如来を刻み、堂宇を建立してそこに安置し、温泉山安楽寺と名づけられた。

 創建当初は、一㌔ほど離れた安楽寺谷にあり、兵火で焼失したため現在地へ再建され、その後蜂須賀氏によって設けられた駅路寺の瑞運寺を併合している。

駅路寺は徳島を中心に五つの街道に設けられ、旅の便利を計るとともに軍事、治安上の取締りなどに役立てたのである。

現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで昭和三十八年の再建。難病であった名古屋の水谷しづさんが四国遍路中霊験を得て全快し、その感謝でご本尊の造顕を発願し、仏師松本明慶師が刻み、ご本堂に奉安されている。

寺の宿坊は温泉山の名にふさわしい天然温泉が湧き出る。寺人は親切で家族的な温かさがある。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)

2010年07月09日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)  



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



出典:四国ネット・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)

この地は「羅漢」とよばれているが、昔から「羅漢さん」の名で親しまれている寺。
 境内へ入ると弘法大師お手植えのイチョウの巨木があり、左に本堂、正面が本彷、右に大師堂と淡島堂がある。
 ご本尊は地蔵菩薩。胎内に弘法大師が刻まれた勝軍地蔵が納められている。
 かつては三百の末寺をもつ中本寺で、高野山の管長、大覚寺、仁和寺門跡を出した名刹。
 本堂裏手の石段を上ると、コの字型の羅漢堂がある。正面に釈迦如来、左に弥勒菩薩、右に弘法大師を奉安し、廻廊に等身大の五百羅漢が安置されている。
 実名、実聞の二僧が生涯を通じて諸国を行脚し、それによって得た浄財で羅漢像をおさめて堂宇を建立した。大正四年の火災で堂宇を焼失し、その後再建したのが現在の御堂。
 喜怒哀楽の表情をして、薄暗い堂内で身動き一つせずに立ち並ぶ五百の羅漢さんは、どこか親しみ探く、身近に感じられる。



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四国 5番霊場 地蔵寺(じぞうじ) に関するページ

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



出典:四国ネット・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)

この地は「羅漢」とよばれているが、昔から「羅漢さん」の名で親しまれている寺。
 境内へ入ると弘法大師お手植えのイチョウの巨木があり、左に本堂、正面が本彷、右に大師堂と淡島堂がある。
 ご本尊は地蔵菩薩。胎内に弘法大師が刻まれた勝軍地蔵が納められている。
 かつては三百の末寺をもつ中本寺で、高野山の管長、大覚寺、仁和寺門跡を出した名刹。
 本堂裏手の石段を上ると、コの字型の羅漢堂がある。正面に釈迦如来、左に弥勒菩薩、右に弘法大師を奉安し、廻廊に等身大の五百羅漢が安置されている。
 実名、実聞の二僧が生涯を通じて諸国を行脚し、それによって得た浄財で羅漢像をおさめて堂宇を建立した。大正四年の火災で堂宇を焼失し、その後再建したのが現在の御堂。
 喜怒哀楽の表情をして、薄暗い堂内で身動き一つせずに立ち並ぶ五百の羅漢さんは、どこか親しみ探く、身近に感じられる。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・4番霊場  大日寺(だいにちじ)

2010年07月02日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・4番霊場  大日寺(だいにちじ)



(四国4番霊場 大日寺  08/03/17)



(四国4番霊場 大日寺  08/03/17)

出典:四国ネット・・・4番霊場  大日寺(だいにちじ)

五番の地蔵寺から逆打ちしてもよいが、道路が狭く、マイクロバスまで。
 ところで、真言宗のご本尊は大日如来。私たちが生きてゆくためのあらゆるものを養護され、目には見えないが、その力によって私たちは生かされており、いま遍路となって巡拝している。弘法大師は、この地にしばらく留まり、大日如来を感得し、その尊像を刻んでご本尊とし、寺号を大日寺と名づけられた。三方を山に囲まれ、山間を奥深く入った静寂な地。楼門を入ると正面に本堂があり、右手の大師堂とは、西国の三十三観音像を安置した廻廊でつながっている。古くは本堂左手に通夜堂があり、先々代の住職のころは、癩病の遍路乞食が多く、伝染の危険があったにもかかわらず、通夜堂に泊った遍路乞食に「信仰心さえあればお大師さんがお加護してくださる」といって、いろいろ接待世話をしていたという。恐れられた難病も信仰の力によって克服したのである。



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3番霊場  金泉寺(こんせんじ) に関するページ

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・3番霊場  金泉寺(こんせんじ)

2010年06月25日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
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 (四国3番霊場 金泉寺  08/03/17)



(四国3番霊場 金泉寺  08/03/17)



(四国3番霊場 金泉寺  08/03/17)



(四国3番霊場 金泉寺  08/03/17)

出典:四国ネット・・・3番霊場  金泉寺(こんせんじ)

古くは聖武天皇の勅願で行基菩薩がご本尊を刻み、金光明寺と称していたが、弘法大師が巡錫された時、黄金井の霊水がわき出たので、寺名を金泉寺に改めたという。この由緒ある井戸は、大師堂近くの黄金井地蔵の前にあり、ここをのぞいて顔がうつれば長寿のおかげをうけると伝えられている。
 また、亀山法皇も深く信仰し、堂塔の再興や三十三間堂などを建立して山号を亀光山と号し、勅願道場とした。しかし、天正十年(一五八二)には長曽我部元親の兵火によって大師堂を除く大半の建物を焼失してしまった。 現在の建物はその後再建されたもの。
 源平の戦いの時、源義経がこの寺で休息し弁慶の力量をみせたといわれる「弁慶の力石」や、応永五年、南朝の長慶天皇がこの寺で、五十一歳にして崩御され、その御陵といわれる墓石などがある。また、黄金井地蔵の隣には朱塗で八角の観音堂がある。格天井には美しい花鳥図が描かれている。




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