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平凡な父のHitori言

平凡なサラリーマンのありふれた道程の記録

格差のないチームの強さ

2006年04月17日 21時24分11秒 | 独り言
 今年の巨人の強さの理由とはなんだろうとふと考えた。それは去年のロッテの強さと同じことだという考えにいたった。チームの個々の選手の能力レベルや意識がほぼそろっていることだ。傑出した選手が一人や二人はいても、残りの選手はほぼ同じレベルで揃っている。こうしたチームは自然とチームとしての結束力が高くなるのだと思う。それぞれの力がそろっているが、自分達はまだ力が足らないと思うことによってチームワークで戦う気持ちが湧いてくるのだ。どのような状況にも対応してチームのためにプレーすることが最優先となる、それが大きな要素なのだと思う。ロッテの調子がいまいちだが、去年の優勝により、個々の選手が自分達は一流で、勝ってあたりまえと言う気持ちが生まれているのかもしれない。しかし、負けが込んで去年の挑戦者の気持ちを思い出したとき、また強さが戻ってくるだろう。
 人間社会も同じだと思う。少しの上流階級とほとんどの中流階級からなる社会が全体としてはうまく回るのだ。1950年代はそんな社会だったと思う。ほとんどは中流からちょっと下の階層の人たちで成り立っており、皆、助け合って暮らしていた。今の世の中は格差社会となり、凶悪犯罪や不正、ホームレスやニートで溢れている。これは一部の金持ちである上流階級とその下の過半数に満たない中流階級と多くの中流、下流階級の社会になってしまったからだ。下層の暮らしを強いられる人が増えると自然と犯罪も増える。アメリカ社会がその典型だ。アメリカはアメリカンドリームという言葉で何とかごまかしているが、夢を持てなくなってしまうととんでもないことになってしまう危険性を秘めている。日本も少しでも早く格差を縮め、皆が皆、中流意識をもてる社会を取り戻すべきなのだと思う。


金融だけでは世の中は成り立たない

2006年04月16日 21時50分21秒 | 独り言
 みずほファイナンシャルグループが大学生に金融活動を講義するという。CSR(企業の社会的責任)活動の一つとして金融のことを知ってもらおうということらしいが、大学生に金融活動を知ってもらう前に、もっと教えるべきことがある。金融とはお金の流れを扱うことだと国語辞典にはあるが、簡単に言うとお金のやり取りのお手伝いをして報酬を得るということだ。大学生にとっては、金融以前にどうやって働くことでお金を稼ぐかが先であり、お金でお金を増やすことは経験を重ねてからでも遅くない。金融はあくまでも裏舞台の仕事であり、実業により実際に世の中に必要とされるモノをつくり稼いだお金をいかに有効に融通させるかである。実業なくして金融業なし。金融業だけで世の中は成り立たない。物を生産する仕事よりも金融業のほうが儲けが大きいことはおかしな話である。銀行や投資会社が大いに儲かっているのは自由競争が行われていないということで、もっと自由化すべきであろう。
 まずは、ビジネスをはじめるには資本としてのお金が必要だが、それ以上に技術、知恵、アイデアがなくてはならないことを知るべきで、ものづくりの価値を考えるべきであろう。

満開の桜が巡ってくる未来

2006年04月15日 23時20分02秒 | 独り言
 日本人の大好きなものに桜がある。小泉首相も桜を見る会で、細川ガラシャの辞世の和歌「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」を引用し、人も引き際は大事だと述べたという。ぱっと咲いて、あっという間に散る桜は、四季の変化が豊かな日本だからこそ、多くの人に愛されてきたのだろう。諸行無常、すべては移り変わり、死は新しい生の始まりでもある。自然は、あらゆる生命の源であり,死を受け入れるところでもある。生と死の果てしない循環それが自然の循環だ。そうした思想を育んできた自然と文化が今や失われつつあるようだ。散り際が大切だからこそ、精一杯生きることがそれ以上に大切なのに、終焉は単に次のスタートへのリセットになりつつある。なにごとも簡単に始め、うまくいかないとすぐにあきらめる。だめなものは簡単に切り捨てられ、瞬きする間もなく生まれては滅びる。そうしたことが常となった社会、それは真の持続可能な社会、循環型の社会と言えるだろうか。桜は散り際が美しいが、それまでの一年一年の眼に見えぬ生命の営みのおかげで毎年美しく咲くことができるのだ。花を咲かせるまでの木の中に蓄積されたエネルギーがあってこそだ。
 人間一人一人の努力が報われる社会、豊かな自然がなくては、桜が咲く季節も巡ってこなくなるだろう。満開の桜の下、未来の人たちもこの桜を楽しむことができる社会を守っていくことが、今の我々に問われている。


巨人強し、ライブドア廃止

2006年04月13日 22時13分57秒 | 独り言
 巨人強し、今年の巨人は本当に強い。今日は桑田投手が600日ぶりに勝利。去年の巨人だと桑田投手でまたもや連勝ストップというところだろうが、今年は違う。去年は連勝さえほとんどなかったが、今日で5連勝だ。このままこの調子でいくとは思えないが、ベンチの選手の雰囲気は去年と大違いだ。控えの選手も、交代で下がった選手もベンチで真剣な眼差しで試合を見守っている。若手が活躍することで、ベテランにも危機感を与えるという相乗効果で選手の目の色が違うように感じる。原監督の采配も打つ手打つ手が当たっているが、勝つことで益々采配が冴えてきている。
 世の中の一般の企業も同じだ。業績が上がれば社員のモチベーションが上がるし、社員ががんばれば業績も上がる。しかし、本当の企業の強さは苦しいときに真価が発揮されるものだ。苦境にあって、経営者がどれだけ社員を大事にするか、また、社員もどれだけ我慢強く粘れるか。苦しいときに安易にリストラに走り、社員を解雇するのは実に簡単な方法だ。社員は消耗品と考えるか財産と考えるかで打つ手は大きく異なってくる。普段から、社員を人財として磨いている企業は、苦しいからといって解雇はしない。今日で、あのライブドアの上場が廃止された。USENが支援し再建するという噂だが、社員を安易に解雇することなく、立て直せるかどうかで、旧経営陣の社員の扱い方がどうだったかも見えてくる気がする。

パソコン修理完了

2006年04月12日 22時50分28秒 | 独り言
 今日待ちに待ったパソコンが修理され我が家に復帰した。二週間以上家にパソコンがない生活を強いられたが、いまさらながらパソコン、インターネットが生活にしみこんでいることが実感された。新聞の記事を見て世の中の動きはわかるが、インターネットの情報とはやはり大きく違う。マスコミに一切関係のない人たちの生の声のほうがはるかに血が通っているし、いかに注目され興味を引くかということを気にすることなく発信される情報は人間味を感じる。それぞれの興味や趣味、意見や考えに基づいて書かれたブログはマスコミの発信するものとはまったく別物であり、これからも益々盛んになっていくことだろう。この私平凡な父も、平々凡々な意見や感想、喜びや悲しみ、憤りの気持ちをブログにつづることの楽しみを今回のパソコンの故障でつくづく感じることが出来た。これからまた、その時々の気持ちをつづっていこう。
 まずは、復帰第一弾のブログですが、これまで見てくださっている人たち、そして息子達に復帰のお知らせとしよう。明日からじっくり落ち着いていろいろ書こうと思う。

パソコン壊れる

2006年04月01日 11時49分19秒 | 独り言
 先週の日曜日にパソコンが壊れた。一ヶ月前から、電源の調子が悪く、たびたび、不意に電源が落ちていたけれど、とうとう起動しなくなってしまったのだ。
すぐに修理に出したが、2週間くらいかかるという。いざパソコン使えないとなると、書きたいと思うこともいろいろ浮かんでくる。もう少しの辛抱。人間はいつでもできるということはなかなかやらないし、妙なもので困難があると何とかしたくなるものだ。外のパソコンで書き込んでいるが、やはり家でじっくり書くに限る。
 昨日セリーグも開幕したけれど、日本のプロ野球、セリーグも今年は盛り上がる予感がする。今年はオリンピック、WBC、ワールドカップとスポーツのイベントが続く。日本の国、そして郷土を愛する素直な気持ちを思い出すにもいい機会だ。生まれたところを愛する気持ちがなければ、本当の人類愛、地球愛はありえない。


万物を大切にする心

2006年03月12日 23時25分48秒 | 独り言
 日本人は、昔から万物をいとおしみ、大切にする心を持っていた。先祖を祭り、長く使った道具を愛し、それらの終焉にはすべてに供養の意を表してきた。変化にとんだ四季折々を楽しみ、そのときそのときの時間をいつくしんできた。日本全国にはたくさんの地方独特の祭りも残っている。しかし、近頃、どんどん古きよき日本の心が失われてつつある気がしてならない。マスコミの報道にも国際問題や政治、経済の問題は取り上げられるが、多くの生物の絶滅の危機とともに小さな古き伝統や文化が途絶えようとしても、取り立てて騒がれることもない。知らない間に日本人の心の源をなすものが少しずつ失われている。
 五十代、六十代の人たちがもう少し古きよき伝統をいかに後世に残すか考えていく必要があるのだろう。年金をもらって安泰に楽しく余生を暮らすだけでなく、どうすべきか自分の残りの時間を使うことも考えないとならない気がする。

「お金では幸せになれない」とは

2006年03月06日 22時12分14秒 | 独り言
 「お金では幸せになれない」という記事を見た。十分に裕福になると、それ以上経済成長を続けても国民の幸福感は増さないというものだった。また、幸福は相対的な富から来るという。人と自分の豊かを比べ、少しでも自分が優位だと幸福に感じるという。確かに納得のいく部分がある。人はとにかく他人と自分、誰かと誰かを比べたがる。しかし、これも真実ではない気がする。人は人と人の関わりの中で生きており、決して一人では生きてはいけない。それにもかかわらず、他人は自分との比較の対象であり、自分より下の立場、身分、状況にあることを望んでいるものだとしたら、寂しい気がしてならない。このような感情を抱く時点で幸福感が薄れているということは、すでに、これも幸福感のすべてではないのだろう。幸福とは絶対的なものではなく、すべての人の幸福が必ずしも同じものでもないのだろう。
 これまでの人生の中で、自分のことでうれしいこともたくさんあったが、家族や友人、世の中の出来事で喜びを感じ、幸福感を覚えたことのほうが多かったかもしれない。野球をはじめとしたスポーツを見て、好きな選手を応援している中でも歓喜に包まれたことがいくつもあった。そうしたことは、ひとりで喜ぶよりも大勢の人と喜びを分かち合うことのほうが、数段感動も大きいものだった。幸福感とは他者から与えられるものであり、同時に分かち合うことが出来るものだと思う。きっとこの世を去るときに思い出す事柄は、家族のことであり、人生の中で様々な形であった人たちだろう。どちらかというと人見知りで人との付き合いはうまくないタチだが、貴重な出会いを大切に心にしまっておきたい。このブログを書く目的を失いつつあるが、これまで、たまに覗いてくれた人たちにも感謝しよう。


感動こそ女神からの最高の贈り物

2006年02月25日 19時15分57秒 | 独り言
 荒川選手が見事金メダルを獲得した。8年間の悔し涙と努力の賜物。悔し涙の分だけ嬉し涙を流していいと思うが、晴れ晴れとした姿が印象的だった。ご両親の本当にうれしそうな顔をみると、本人以上にうれしかったことが伝わってくる。金メダルの陰には多くの人の協力や支援があったことだろう。金メダルはそれらすべてに対してのご褒美であり、もし取れなかったとしても、決してこれまでの積み重ねがむだになることはない。4位入賞を果たした村主選手も、安藤選手も精一杯やってくれた。多くの日本人に感動を与えてくれたことに感謝しよう。メダルは結果であり、一つの価値を測る尺度に過ぎない。それ以上に大事なことを多くのオリンピック出場選手が教えてくれた。メダルを取った選手も遠く及ばなかった選手も、周囲の人に多くの感動をもたらしたことだろう。
 順位以上に感動という人間が忘れてはならないものこそ、女神からのすべての人への最高の贈り物だ。

真実を見よ

2006年02月23日 21時41分22秒 | 独り言
 プロスポーツ界を支えるものはファンであり、プロ選手達である。WBCの日本代表がいよいよ集結し、練習を開始したが、いまだにマスコミの世界では、出場を辞退した松井選手にWBCに対しての心境を聞いたり、アメリカでは盛り上がりがないなどと報じたりと、WBCは意味がないとする論調が残っている。松井選手は辞退を決めたのだから、いまさら後悔もないはずであり、シーズンに向かって全力を出し切ることを考えているに違いない。イチロー選手は出場を選び、そのために充分な準備をし、日本チームのためにがんばろうとしている。いまさら、どちらが正しいか、間違いなんて関係ないのだ。WBCに出場する選手達は、最高のプレーを見せ、勝利することを願っているし、ファンはその試合を見て精一杯の声援を送るだけのことである。WBCを盛り上げるのは選手であり、野球を愛するファンである。マスコミに踊らされて、WBCの意味がどうのこうのと考えるより、実際のプレーを見てどう感じるかである。所詮マスコミなんて、興味本位に過ぎない。いかに人の気持ち、感情を刺激し、注目を浴びるかであり、WBCが予想以上に盛り上がれば好意的記事が多くなり、盛り上がらなければけちょんけちょんにけなすだけだ。
 オリンピックもメダルが取れないと、誰に責任があるか、盛り上がりに欠ける理由は何だと人目を引こうとしている。メダルの重さと人間性も比例関係にはない。メダルに遠く及ばない選手でも立派な人はいるし、一生懸命にやったかどうかが大事である。そんな当たり前のことは記事にならないが、きっとわかっている人たちはたくさんいる。
 真実を見よ。現実は厳しいが、その裏にある人間のひたむきさという真実は素晴らしい。