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平凡な父のHitori言

平凡なサラリーマンのありふれた道程の記録

科学技術の進歩の方向

2006年02月21日 22時44分06秒 | 独り言
 250年前の日本酒を再現したという記事を見た。日本最古の酒・鶴亀諸白(もろはく)という名で、新潟の酒造会社が、江戸時代中期の日本酒をよみがえらせたという。昔の日本酒とはどんな味がするのだろう。人間は、科学の進歩とともに便利で快適な生活を手に入れた。日本酒の世界でも、酒造の研究を重ね生産性をあげてきたのだろうが、昔の酒と比べ本当に進歩しているのだろうか。250年前の日本酒を再現することで、現代の日本酒のことも、もう一度見直せるのかもしれない。
 温故知新、古いものを見直すことで、最新のものの価値を考える時を迎えているのかもしれぬ。最近は新しいものばかりを求め、古いもののよさを忘れている。科学技術の進歩が人間の豊かな暮らしに貢献しているのか、基本的なことだが、過去からの科学の歴史を振り返り、その方向を確認することが必要なときに至っている気がする。ビジネスのためだけの科学技術になっていないかじっくり考えることだ。

女子カーリングにオリンピックの原点を見た

2006年02月20日 22時17分47秒 | 独り言
 カーリング女子が面白い。何とはなしに見始めたカーリングだが、ルールがわかってくるとなかなか面白いことに気がついた。ちょっと見た感じでは、奇妙なスポーツでホウキみたいなブラシで床をこすってどんな意味があるのだろうと、不思議な感じがしたものだった。ところがちゃんと意味があり、単なるスポーツどころか、精神的で頭脳的なスポーツであることがわかってきた。日本代表メンバーのプレーしている姿も、まさにアマチュアという感じが伝わってきて、日本のマスコミからの注目も少なく、騒がれることもないので、試合に集中しており実にさわやかだ。勝っても負けても全力をだしきることに専念し、オリンピックを楽しんでいる素のままの顔がいい。いまさらながら、オリンピックの原点を見るようだ。
 マスコミに踊らされることなく、メダルを取ろうが取るまいが、アマチュアスポーツの精神に基づき一生懸命プレーしている姿に声援を送りたい。いつも歩いている砂利道で、なにげなく咲いている名もない可憐な花に出会ったようで、とても得をした気持ちだ。今日は、殺伐とした事件や不祥事を忘れさせてくれそうだ。


眼を閉じ、心の声に耳を傾ける

2006年02月19日 22時28分48秒 | 独り言
 眼を閉じ、じっと心の声に耳を傾ける、そんなことがほとんどなくなった都会では、外部から絶え間なく入ってくる情報がすべてであり、真実と思いがちだ。情報の氾濫、音、映像、匂い、味などのあらゆる刺激が溢れかえっている中で、純粋なものがすっかりなくなってしまっている。
 都市部の五十代が、定年後は田舎暮らしを考えているという。きっと、余計な意味のない情報からはなれ、純粋な音、におい、光、地方の暮らしに人間の原点の生活を見出しているのだろう。眼を閉じ、自然の音に耳を傾けると、そこには本当の自分の姿があり、生まれたままの無垢な心があるのだ。虚飾に満ちた都会、刺激だらけの都会、快楽に満ちた都会、遊ぶにはいいが暮らすには息苦しくなってきた。都会の傍らには、地方以上に古いものが残っているが、それを大事にしていかないと、ただのお金を稼ぐためのビジネスの場になってしまう。地方の復活は、都会が正常な姿に戻るためにも必要なことかもしれぬ。地方に住むことは、自分の心の声に耳を傾けることと同じことなのだ。

大人のずるさと若者のずるさ

2006年02月18日 18時34分31秒 | 独り言
 大人のずるさとは、知らないことを知ったふりをすることであり、若者のずるさとは、知っていることを知らないふりをすることだ。
 拘置所の中の誰かさんも、不正を知らなかったといって知らないふりをし、たいして知らないことを知ったかぶりし、検察をやりこめていると思っているらしい。大人のずるさと若者のずるさを両方使い分けして、何とかなると思っていると、後できっと大いに悔いることになるだろうに。しでかしてしまったことを反省し、次へどう活かすかを考えないと、再出発もできない。もう、どうにもならない状態にまで追い込まれているということかもしれないが、検察も、どこか逃げ場を作ってやらないといけないだろう。
 ずるさだけを身につけると、その分、大事なものが見えなくなってしまうものだ。もう一度よく眼を凝らし、経済的な豊かさを失っても、心の豊かさを失わないようにしないと生きていることは辛いことだけになってしまうものだ。


悔し涙という若さを思い出させてくれるオリンピック

2006年02月15日 21時30分16秒 | 独り言
 トリノオリンピックでなかなかメダルに手が届かない。メダルを取るに越したことはないが、ほんの少しの差だ。世界で4位、5位、6位だってすごいことだし、出場すること自体が素晴らしいことだ。日本人としてはメダルを取ってもらいたいが、期待通りの活躍ができず、悔し涙を流したり、残念な表情を見せたりするのを見ると、いい意味での若さを感じる。年齢を重ね、大人になると、悔し涙を見せるなんてことはなくなり、自分で自分の気持ちをごまかし、様々の感情に折り合いをつけることを覚えるものだ。大きな目標があり、それを達成できなかったときに見せる悔し涙や無念な気持ちを素直に表し、次のステップへのばねにすること、それが貴重な経験となる。何もかも順調に行き、おごり高ぶって人生でつまづくことより、若いときに一度や二度の失敗を体験し、それを活かすことのほうが、どんなにか有意義なことか。
 若いときの悔し涙や残念、無念な気持ちを、もういちど呼び起こさせてくれる選手達よ。あなた達のことを思う親、兄弟をはじめとした家族の皆さんは、きっと、心の中でありがとう、ご苦労様と思っていることでしょう。平凡な一国民として、結果がどうであれ、最後まで、応援しています。がんばれ、ニッポン。

本当に困難なこと

2006年02月12日 17時49分53秒 | 独り言
 大勢の人間が簡単だが、全員同じことを願うこと、そして実行することほど、簡単だが難しいことはない。例え、簡単で小さなことでも、大勢の人が実行すれば大きな効果があるとわかっていても、それが実に困難だ。困難なことでも、それがひとりか数人の人がやれば済むことはなんとかなる。どんなにすばらしい個人の記録も長い時間の中では、必ず破られてきたものだ。しかし、実に簡単なことでも、日本中の人間、世界中の人間が心をひとつにして達成することは不可能といってもいい。戦争がなくならないのも、戦争はなんらよいことが一つもないということがわかっていても、世界の人間が同じルールに従えないからだ。どのような争いも、武力による戦いでなく、話し合いで解決できるはずなのにそれが出来ない。地球温暖化防止も、世界のすべての国がそれぞれの国の事情にあった取り組めをすれば、何とか前進するだろうにそれができない。日本の温暖化対策にしても、国民一人一人がちょっとした節電やガソリンの節約などを着実に実行すれば、大きな効果が得られるだろうに。
 せめて、オリンピックという世界のスポーツの祭典では、気持ちをあわせ、それぞれの国の選手達を応援したいものだ。自国に有利な判定などのないようにフェアで公平な競争を期待している。今こそ、勝つことよりも参加することに意義があるというオリンピックの基本精神を思い起こすときに来ている。勝つもよし、負けるもよし、世界の人が心を一つにしてスポーツを楽しみ、お互いの国の健闘を語り合うことが大切だ。しかし、これもまた、金メダルという魔物に取り付かれ、難しいことでもある。
 世界のアスリートたちよ、全力をだしきり、悔いのないこと、それだけを願っている。

豊かさについて考えるべきとき

2006年02月09日 22時49分08秒 | 独り言
 すべての人間は豊かさを求め、額に汗して働き、努力を重ね、少しでもいい暮らしをしたいと思ってきた。しかし、経済的には十分豊かとなった先進国では、経済的な豊かさだけを求めていては何かおかしいということに気づき始めている。発展の限界が見えてきつつある今、豊かさとはどういうことか考えるべきときを迎えている。豊かさが幸せと一致しなければならないのに、これまでの豊かの延長上には、人間としての幸せがないのかもしれない。じっくりほんとうの豊かさはなにかを考え、新たな方向へゆっくり舵を切らなければ、大きな災難が待っている。環境の世紀と呼ばれる二十一世紀だが、新たな豊かを探さなければならない世紀でもある。

将来への希望を持てる社会

2006年02月08日 22時58分02秒 | 独り言
 最近、南極に行ってみたいと思うことがある。極限の寒さの中で、人は何を思い、感じるのか体験したいみたいものだ。すべてが凍てつく厳しい環境の下で、人は一体何を思うのだろう。ひたすら寒さに耐え、暖かい日差しを願うのだろうか。何を頼りに我慢するのだろうか。そんな状況下で、頭に浮かぶものがきっと自分にとって大切なものなのだと思う。
 人は、生きていく上で奪い取られてはならないものがある。それは、将来への希望だ。どんなに苦しいときも、明日はきっと今より何かいいことがあるという希望があるからこそ、耐えられる。それは、金持ちになることであったり、芸術、技術、スポーツの世界で成功することであったり、単純においしいものを食べ、ぐっすり眠ることだったりするが、将来に希望を持てるから、我慢できるものなのだと思う。例え、重い病にかかっていても、貧乏な暮らしでも、明日への希望があり、チャンスが与えられる社会ならば、きっと人は努力できるものだろう。今、世間に多くのニートがあふれているのも、単に働く気がないのではなく、明日への希望を描くことが出来ないからだ。がんばる場があり、がんばった結果、人に必要とされ、認められることの喜びを知ることが出来たなら、明日への希望を持ち、がんばれるものだと思う。今何をしていいかわからない若者達も、一度、極寒の中で、自分の大切なものが何なのか考えてみるのもいいものかもしれない。
 そうした将来への希望を持てる社会、チャンスを与えられる社会を造ることが大人の責任でもある。国会でいろいろ議論されているが、将来への希望が持てる社会を造ることを考えて欲しいものだ。


社会貢献は人のためならず

2006年02月06日 22時39分17秒 | 独り言
 情けは人のためならずという言葉があるが、企業の社会貢献も社会のためならずだ。新聞によると、景気がよくなり、企業の社会貢献としての支出も増加しているという。経団連会員調査でも前年比5%増だという。近江商人の「三法よし」の経営理念で「買い手よし、売り手よし、世間よし」という考えがあるが、企業の上げた利益は経営者や株主だけのものではない。儲けを世間に還元することが、いずれはめぐりめぐって自分に返ってくるものであり、昔の日本の商人はそうしたことをよく理解していたということだ。景気がよくなったときだけでなく、常に社会に還元するという精神を持っていなければならない。社会に貢献するという驕りを捨て、社会に還元しなければならないという強い奉仕の精神がなければ、景気が悪くなると、すぐに社会貢献を止めてしまうだろう。日本の企業は、リストラの名の下に、無駄の切捨てと称して、社員への福利厚生、教育、社会貢献などは簡単に切り捨ててきたのだから。苦しいときも我慢して社員を大切にし、社会貢献に努めた企業が、尊敬され、利潤もあげるべきであり、そうした正しい循環が形成されなければ、本当のグローバル企業とはなれないだろう。
 企業の持続可能な発展は、このような活動が重要となっているが、これも企業の経営者の強い決意ひとつにかかっている。

不祥事の責任

2006年02月05日 13時17分13秒 | 独り言
 世の中、最近、またまた不祥事の連続だ。この最大の責任は、一体誰にあるのだろう。企業そのものの問題、社長をはじめとした経営者の問題、一社員の問題、政治の問題、社会の問題、法律の問題、いろいろ原因はあるが、やはり最高経営者である人たちの資質の問題だろう。経済的価値の最大化が一番の使命であり、法律以上に大切な社会的責任の重要性を、一切知りもしない経営者の多いことか。特に新興企業であるベンチャー企業では利益を上げることのみを考え、法律に触れなければよしとする風潮があるのではないか。
 弱肉強食の競争の世界である経済社会では、利益なくして企業は存続できないが、それ以上に、社会的存在価値がなければ、企業というものはうたかたの存在で、金銭的価値を高める合理的な集金マシンでしかない。経営者が経済的価値を最優先にし、いかに世の中に役立つ企業であるべきかを考えない経営をする限り、このようなことはいつまでも繰り返されるだろう。目に見える形で世の中にさらされていないが、不祥事はこの社会の中にたくさん眠っている。企業のトップの命じるまま、社員は働くしかなく、不正とはいかないまでも、社会的常識、良識、道徳観に反することぐらいでは、何も上部階層に言えるものではないのだから。
 経営者の資質としてMBAの資格などより、もっと大切なことがあることを知った人を選ぶべきであるが、今の世の中、世襲、業績、利益のみの経営的手腕に基づき経営者が決まり、高い人格が軽んじられている。たとえ、業績がよくても、社会から必要とされない企業、道徳観のない企業、灰色な企業が存続できない社会を造らなければならないが、そんな理想的社会が法律のみの上に成り立つようでは寂しい限りだ。本来、企業というものは、人と人の信頼、信用の上に成り立ち、人の幸福の上に成り立つべきであるが、そうした未来社会を目指し、少しずつ出来ることからやっていくしかないのだろう。
 だが、会社のためと称し、不正を隠しているトップの経営者達よ、この原則だけは忘れるな。人の不幸の上に成り立っている行為は持続しないということを。今やっていることが、誰かの不幸の上に成り立っているとしたら、それは決して続かない。選ばれしものたちよ、経済的価値は結果であり、目的ではないことを、もう一度肝に命じて欲しいものだ。