goo blog サービス終了のお知らせ 

平凡な父のHitori言

平凡なサラリーマンのありふれた道程の記録

未来ある若者よ、真実をみつめてほしいね

2006年08月03日 20時55分12秒 | 独り言
 昨日の夜から、世の中が騒々しいね。どうやら、大人の都合で金儲けの種にされた才能ある若者が非難を受けているらしい。周囲にもてはやされ、ちやほやされ、自分を見失なったものはこれまでもたくさんいたね。本当の自分を見つめ、素直にならないと、何が本物か、どこに真実があるのか、人の真心すらも見えなくなってしまうよ。余計なお世話かもしれないが、金儲けだけに眼がくらんでいる醜い大人はほとほといやだね。自分自身もやりきれないきもちでいっぱいだろうに。
 平凡な父には、未来ある若者がまっすぐ自分の信じる道を見つめ進む姿が一番素晴らしく思えるよ。甲子園のグランドに流す汗と涙、それと同じものを失っちゃいけないよね。

夏の風物

2006年08月01日 20時24分49秒 | 独り言
 今日から、八月。長い梅雨があけ、太陽の季節、夏がやってきた。
風鈴、すだれ、蚊取り線香、金魚売り、ランニングシャツ、麦わら帽子、線香花火、日本の夏の風物がなくなりつつある。
 田舎暮らしには残っているのかな。
夏を涼しく、暑さを楽しむ日本の古くからの工夫。便利な電化生活もいいけれど、人の知恵で季節折々を上手に過ごす工夫をなんとか残していきたいものだね。

原風景

2006年07月28日 23時13分40秒 | 独り言
 誰でも原風景を持っている。さっき、となりのトトロを見て、このアニメの魅力の一つがわかった気がした。それは多くの人が持っている原風景が描かれているということだ。
 幼い頃の原体験の中にある光、音、香り、色、肌に感じる風の感触、そして人の温かさ、それが素敵なアニメの絵の中に溢れている。日本人の原点ともいえるものだが、、大人になっていつの間にか忘れてしまったもの。大人になろうが、本当は誰もが心の中に大事にしまっているものだ。
 なんだかとても幸せな気持ちになったよ。戦争がなくなって、世界中のすべての子供達がこんな原風景が持てることを願っているよ。
トットロ、トトロ・・・・・・・・・・・・
ネコ

梅雨よ立ち去ってくれ

2006年07月25日 22時04分54秒 | 独り言
 ようやく梅雨明けが近づいてきた。インターネットで調べたら、梅雨の語源は中国からきた言葉で、その語源はカビの生えやすい時期の雨という意味の「黴雨」が変化し「梅雨」になったという説から、「梅の熟す時期の雨」から来たという説までいろいろあるらしい。日本語でつゆと呼ぶのは「露」からきているらしいが、確かにつゆのイメージはしとしとと降る雨だ。しかし、今年の梅雨は長いうえに、土砂降りで日本中水浸しだ。いい加減梅雨前線も消え去ってほしいものだ。これも地球温暖化の表れかもしれない。温暖化の原因である二酸化炭素を出すのは先進国を始め、お金持ちが圧倒的に多いのに、異常気象による被害は弱者に対してより残酷だ。自然の恵みは計り知れないが、荒れ狂ったときはその影響も甚大だ。日本は雨に恵まれ、水の豊富な国で、自然を尊ぶとともに、その力に畏敬の念を示す民族でもあると思う。一方、アメリカ人にとっては、自然とは征服するものだったのではないだろうか。フロンティア精神、科学によって征服し、利用できるもの、それが自然への考え方のような気がする。京都議定書から離脱したのも、経済的は意味だけではなく、自然への考え方によるのではないだろうか。
 地球温暖化であれ、異常気象であれ、いい加減、どんよりとしたグレーの空は見飽きた。嗚呼、青く透き通った晴天が見たいよー。梅雨空よさっさと立ち去ってくれー。


名脇役もいいものだ

2006年07月24日 22時10分36秒 | 独り言
 映画でもテレビドラマでも、主役と同様に大事な役割を担っているのは脇役だ。すべての出演者がすべて美男、美女だったら、それほどつまらないドラマはないだろう。見た目も中身も個性豊かな脇役が主役を際立たせ、自らも存在感を示すからこそ、フィクションの世界は面白い。最近の脚本家の中では三谷幸喜さんの作品が面白いのは、実は主役以上に脇役が活きているからだと思う。ドラマ「古畑任三郎」が面白いのも、古畑警部を際立たせる今泉巡査、西園寺刑事がいるからこそだ。彼らがドラマのスパイスとなっているから面白い。その他の作品でも、実に脇役の動き一つ一つが活きており、人間味豊かだ。
 プロ野球オールスターも今ひとつ物足らないのはスター選手が少なくなったこともあるが、名バイプレーヤである個性豊かな選手がいなくなったせいのような気がする。世の中が皆、美男、美女になってしまったら、きっとつまらないに違いないし、スポーツでもスター選手ばかりではつまらないものだ。主役を目指すのもいいが、名脇役を目指し、個性、人間味を身につけることも大切だと思うが、今の世の中、主役ばかりをもてはやしていないかねー。

時としてルール以上に大切なマナー

2006年07月23日 23時07分19秒 | 独り言
 秋田の高校野球で試合成立のために、わざと三振したプレーに対して高野連が指導したという。敬遠と同じでルール違反ではないが、時と場合によっては試合相手に対して失礼だということだ。スポーツの世界では、ルールだけではなくマナーが大切だというよい例だった。
 ビジネスの世界も同じ。法律や規律を守るだけでは不十分であり、社会のマナーや会社としての品性を守ってこそ働くものが生きがいを感じることができるのだ。高校野球の指導者以上に企業の経営者の責任は大きい。ちょっとしたことも見逃さない厳しい眼を持って経営にあたらないとパロマのような事件に発展してしまう。最初は些細な事故だったものが、これくらい問題ないという意識の積み重ねが、罪を重ねることになる。高校野球一つからも学ぶべきことは多い。指導者の行動はその下で一生懸命がんばっているものに大きな影響を与える。
 欽ちゃんが解散を撤回したが、よいと思ったことは、たとえ朝令暮改であってもすばやく行動することはできそうで、できない。見習うべき大人がもっともっとでてきてほしいものだね。

草葉の陰で泣いている

2006年07月22日 22時49分02秒 | 独り言
 靖国の草葉の陰から、悲しむ声が聞こえてくる。
小泉首相の参拝、天皇陛下のメモなど、靖国の問題が世の中を騒がせている。もし、あの世という世界があるなら、戦争でなくなった方々は、自分たちを参拝してくれることでアジア外交が紛糾し、アジアの平和が崩れるなら、きっと悲しくてたまらないだろう。平和を願い、日本の繁栄を信じて、戦地に赴き命をなげうった意味がなくなってしまうんだからね。平和のため、家族のために、自らの命を捨て、現世の子孫の反映を喜んでいるのに、日本のトップである首相が参拝することで、中国、韓国から抗議を受けるなら、参拝してほしくないだろうに。国の代表よりも、自分達の子供、孫たちに拝んでもらえるなら、その穏やかな元気な顔を見られるだけでこれ以上の幸せはないだろう。日本、中国、韓国などのすべての庶民は平和を願っている。日本のトップの靖国参拝ひとつで、国民一人ひとりの平和の気持ちが揺らぐなんてありえないし、靖国問題は中国の指導者と日本の首相の無意味な意地の突っ張りあいに過ぎない。一番悲しんでいるのは靖国神社に祀られている方々に違いない。
 すべての国の人々が平和を願う気持ちは同じだ。どんな戦争も国益と称して一部の金持ちの利益、権益のため、そして一部の指導者の意地の張り合いのせいで起きているじゃないのかねー。

整形ブームに思う

2006年07月21日 23時43分15秒 | 独り言
 今や整形がブームになりつつある。世の中が、美男、美女をもてはやし、美形であればそれだけで、ある意味勝ち組ということだ。すべての人がスターのようになりたいと思っている時代だ。お金をかければ、簡単に整形手術ができ、綺麗な顔に変身できる。誰に迷惑をかけるわけではないし、整形手術が悪いことではないが、なんだか釈然としない感じだ。整形とは、言い換えれば綺麗な面をつけるということだ。本人が人間性を磨くなどの努力なしに、お金で短期に見た目をよくすることだ。中身を磨くことはキリがないが、いつまでも本人の努力でできることだが、すぐに効果が出ることではない。そんな効率の悪いことよりも、手っ取り早く整形をすれば、すぐに回りからちやほやされるし、お金になることもあるだろう。しかし、そうした整形した男女が結婚し、そのカップルから生まれた子供は、親とは似ても似つかないことになる。言ってみれば、親からの遺伝子を否定することと同じじゃないのかね。親から受け継いだ遺伝子を否定することはなんだかとても悲しい気がしてならない。誰に迷惑をかけるわけじゃなし、効率的な幸せを得る方法かもしれないが、こつこつと努力を重ね長い年月をかけて得たものが本物の美しさじゃないのかね。世の中のすべての人が整形し、その子供も整形したなら、みんな面をつけて暮らしている社会になってしまう。整形した顔には人間らしい豊かな表情がないと感じるのは平凡な人間の僻みなのか。そんなことよりも美しいものはたくさんあると感じることはもう古い考えなのかね。自然な表情,真の笑顔ほど美しいものはないと思うのは平凡な父親だけなのかね。

なんとかならないものか、欽ちゃん球団

2006年07月19日 22時45分14秒 | 独り言
 欽ちゃん球団が解散の危機に立たされている。メンバーの一人の愚かな行為に対し、欽ちゃんが道義的責任を取るため、球団を解散するつもりだという。たった一人の犯罪行為によって、球団に属するすべてのメンバーが迷惑をこうむることになった。健全なる団体スポーツでは仕方ないことだが、なんとも辛い話だ。どこかの総裁は、なんら法律を犯していないということで、道義的責任なぞつゆとも感じることなく、のうのうと居座っているが、欽ちゃんの潔さには心が痛む。なんら心にやましさを感じない日本のトップのひとりと欽ちゃんを比べると、もう少し居直ってほしい気もするが、これが品格ある大人の責任の取り方なのかもしれない。しかし、謹慎一年とかで済ませられないものだろうか。かっこ悪くてもいいからもう少しジタバタしてほしいよ。
 うーん、なとかならないものだろうか。社会人野球を盛り上げようと立ち上がった野球大好き人間、どこかの総裁よりもはるかに人間的に素晴らしいのに、なんとも納得のいかない話だ。欽ちゃんの見せた涙には、本当の人のやさしさと辛さに耐える強さを感じたよ。

素朴な疑問と素直に見つめる眼

2006年07月17日 18時55分50秒 | 独り言
 最近の悲しい事件を見ると、素朴な疑問が湧いてくる。我が子の命や親の命を奪ったり、ちょっとしたことで他人の家に放火したり、どんな目的や背景があったのか普通の考えでは及びがつかないことばかりだ。テレビや新聞の報道を見ても、なぜ、どうして、そんな単純な疑問が解けないことばかりだ。事実をいくら並べてもなかなか真実は見えてこない。真実が明らかになればすべての事実は説明でき、事件の背景や動機も少しはわかるものだが、このごろの事件は到底理解できない。きっと事実を並べてはいるが、真実にはたどり着いていないのだろう。真実は人の心の中にあり、その深い奥には社会のゆがみや人間の心の歪をもたらした原因があるはずだ。そうしたことは実は大きな問題だが、社会の暗闇の中で少しずつ膨らんできたものだから、複雑に考える人間には気が付かないのだろう。
 素朴で単純な疑問を持ち、素直に物事を見る眼が失われつつある現代、もう一度、心を真っ白にしてじっと見つめる必要があるじゃないだろうか。人の心の中の淀みをなくし、清々と流れ、日々これ新たなりという気持ちで暮らしていけるような世の中になるなら、それだけで充分な気がする。素朴な疑問と素直に見つめる眼を持ち、一つずつ解きほぐしていかなければならないだろうね。それが大人の責任でもある。