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なら斬り開く?!

アジもホッケも、物事さえをも、斬り開く。

言ってしまえば、当然のこと。(包丁ver.)

2015年01月14日 | 日常
料理をしているときにあることをふと想いついて、
ちょっと、(あ!)ってなったんだけどね。

…とは申しましても、このことってば、
書いてしまえば全然当たりまえのことなのですが。。。
あのぉ、申しあげます!

えーっと。

「包丁」で何かを「切る」ときにはさ、
今切り終わった食材を「包丁の刃」に載せ、そして、
切った食材が下に落ちないように
「包丁」を持った反対の手を少しだけ添えながら、
お鍋・フライパン・お皿まで持って行くじゃん。

これってば、つまりはさっ
「包丁」とは「切る」だけの道具では無かったのよねぇ。
「切る」プラス「運ぶ」の道具だったんだわ。

いえ、じぶんとしてはお料理のときには、
もちろん「包丁」で「運ぶ」だってもしてたのだけれど、
それを意識したことはもうまるで無くって。
まさに、「切る」のことだけしか見えていなくって。
初めて意識をさせ、ことばに成った・ことばに出来たことが
なんかちょっとうれしくてさ。

の、よーなことをこのたび想いました~っ!

それではなー。
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
まぁ、言ってしまえば、完全に当然のことだったわねぇ。

2015年1月14日 @ 言葉にしたいんだ

幸せの噂。

2015年01月10日 | 日常
ある事柄によってぼくから去って行ったひとの
「今、幸せに暮らしている。」と云う噂をふと耳にすると、
その瞬間は「あっ!」って心が圧迫されるのだけれど、
だんだんと想いは(よかったなぁ。)に変わってくる。

それはたぶん、当時そのひとが選んだ
(←選ばざるを得なかった、の方が言い方として近いかも)
「去る」の判断はやはり正しかったんだ!
と、ぼくが「分かる」からなのかも知れないな。 

これからも、そのひとはさらにもっともっと
元気と健康と幸せを手にしてゆくのでしょう。

そしてそのひとが、ときにぼくのことを思い出し、
どーにもイヤな気持ちが蘇ってしまうくらいなら、
どうか、思い出さないように。どうか、忘れるように。。。

そのひとが、現在の時間を、
いつも気持ちよく過ごせられるように‥‥

と、遠い場所よりぼくは祈り申しあげる。

ほいではねんっ!!
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
凍りついた時間がストーブによって暖められ、動きだす。

2015年1月10日 @ パーフェクトスター・パーフェクトスタイル

お金を超えた五円玉?!

2014年12月20日 | 日常
「五円玉」ってさ、もちろんお金ではあるのだけれども、
お金と呼ぶ以上に、もはや
お金を超えてしまった存在なのではないかーっ?!
ってことをかねがね思っていたのですが。

それはやっぱりお賽銭を挙げるときには、
(ご縁がありますように。。。)と、
お財布のなかから「五円玉」を見つけてしまうし。

なにか縁起物が「五円玉」で結ばれてると、
どこかしら縁結びの雰囲気を感じ、
感激することだってございますし。

現在の日本のお金単位はすべて「円」なのだから、
すべての硬貨・お札で「縁」を感じてもよいはずなのに、
「御」のつく「御縁」の「五円玉」に
いちばんパワーがある! ってなんか思ってしまうのよね。

それは、どうしてなんだろう??

‥‥って考えてみますと、、、
やはり、コインのデザインなのかなぁ。。。

まずはさ、「五円玉」の色って「金色」じゃん!!
他の硬貨ではこんなにもきらびやかな色ってのは無いし。
あとは、以前テレビ番組『探検バクモン』での
潜入!造幣局 知られざる内部」の回で知ったのですが。

「五円玉」とは、日本の産業


──────────────────────────────────


・稲穂=農業
・下部のいくつかの横線=水面=漁業
・穴の周りのでこぼこ=歯車=工業


──────────────────────────────────


を表しているそうで。
放映ではそれのみが紹介されていたので
他のコインのことについてはよくは知りませんが。

「五円玉」って、なんかとっても
意味や想いや願いが込められた意匠なのではないかっ?!

というのを思ったのね、そのときにっ。

あとは、硬貨に「穴があいている。」こと。
まぁそれは「五十円玉」でもそうなんだけど、
糸や紐を通して結べるから~。使い方は、千差万別!!
(そして「五十円玉」にだって重々に「御縁」があるよ。)

そのコインが、お金の金額としては
な、な、なんと「五円」でゲットできるのだから、
とってもリーズナブル?! と言うのはちょっと変かね…

お金として使用することも出来ますし、
ある願いを込めながら使うことだっても出来るし、
そして、それがさらには
ただの「もの」ではなくって「お金」だということ。

そこに、「五円玉」のおもしろさ? みたいなのが、
あるのかも知れないなぁ!
なんて言うよーな勝手なことを考えてみましたっ。

ほいではな~。
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
ご縁がありますように。。。いつか芽が出ますように。。。

2014年12月20日 @ Mustang A Go Go!!!

繊毛を動かしたい!

2014年12月18日 | 日常
いつかの以前に放映された
ためしてガッテン』のことを思い出したのだけどもねぇ。
それは、、、

鼻や喉など、人間のからだの内側には、
「繊毛(せんもう)」
と云う細い毛のようなものがびっしり生えていて。
その「繊毛」が、人間の体内に
悪いウィルスが入って来るのを防いでくれてるらしいの。

でもね。
いつもはすんごく活発に働いている「繊毛」が、
ときに、元気がなくなってしまうらしいの~。

なぜか?!

その放映では、からだが「乾燥」してしまっていると、
通常ウィルスなどを掻き出すかのように
高速にぐるんぐるんと回り動いていた「繊毛」も、
とたんにそのスピードが落ちちゃって。。。

(←体内の水分がなめらかに「繊毛」を動かす
  役割を担っていた。という説明だったかな…)

それで、もうほとんど
「繊毛」の動きは止まってしまうんだって。

そーなるとぉ、
よくないウィルスを防ぐことが出来なくなり、
それらの体内への侵入も許すこととなる。

ならば、どーしたらよいものか??

っていうのはさ、「乾燥」が原因なのだから、
たくさんの「水」を飲むこと。
この時期乾燥しているし、しかも寒いから
水を飲むのもためらって肉体ごと乾燥しちゃうけれども。

たくさんの水分を取って、
まずは「繊毛」から元気になって、過ごしたいっ!!

それではねぇ。
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
これ↑検索してみたら2014年1月8日の放送だったのー!

2014年12月18日 @ 朝顔

幼き小さな見栄。

2014年12月16日 | 日常
小学3年生のときだったかな、
学校でさ、夏休みの水泳講習みたいなのがあっても
おれ全然泳げんかったもんだからそれがとにかく嫌々で。

ズル休みをしちゃったらば、
当時担任だった桑木先生から電話がかかって来て、
「ひでし、来いよー!!」の声に
なんかもう泣きながら「行きたくないっ。」って叫んで‥‥
あのあと、結局プールに行ったかどうかは
ちょっと覚えていないのだけれども。

「これじゃあ、いかん。」とおもってぇ、
(親より言われたからかどうかも記憶に無いなー。)
それからスイミング・スクールに通ったんだわね~。

学校でのプールだってもそんなに嫌々なのだから、
スイミングなんて言ったら
もうそりゃあイヤでイヤでたまらなくって。。。

で、今でもはっきりと覚えているのですが、
通い始めたいちばん最初の日のこと。

いっちばん始めのときはさ、
生徒は「どれくらいの水泳レベル?」と先生に訊かれ、
そのレベルに合わせたレーン(って呼ぶのかね?)に
生徒が行って集まって。そして、そこが
ひとつの教室となり先生が教えてくれる。みたいな感じで。

おれは、もちろん何も泳げない状態であるのだから、
そのように言えばよいものを
なにかの見栄を張ったのか、それとも
あたまが呆然としてしまって何も答えられなかったか‥‥

先生「きみはどれくらい泳げるの??」 おれ「‥‥」
先生「クロールは出来るのかな??」 おれ「‥‥」
先生「じゃあ、バタ足は??」 おれ「‥‥うん。」
って、そこでコクリと頭を下げて。

すると、まぁ当然なんだけど、
その「バタ足が出来るレベル」レーンに連れて行かれて、
んでもさ、水に入ってもとうぜん何も出来ないからっ!
その後すぐ「一番の初心者クラス」に連れられたわよねぇ。

そこからなんとかやっとこさスタートをして、
そしてそれからもいろいろとあったけど
転校でその町を離れるまでの2年間くらいは通いまして。
クロール・背泳ぎ・平泳ぎと
それらちょっとは泳げるようになったでありますが。

んでもねぇ。ここ↑で申しあげました
「見栄」なのか?「嘘」なのか? のよーな返答ってさ、
なんか、じぶんの性格として
変に根強く残ってしまっているところがございまして。。。

じぶんの状態をちゃんと正直に答えられる。

っていう当たり前のことすらなかなか出来なくって、
の、そのなんとなくの原点として、
スイミング・スクールでのこの出来事を思い出しましたっ。

ほいでは~!
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
もう何年も泳いでいないから、体が動かんかもしれんわ…

2014年12月16日 @ スイマーよ2001!!

『 THE FUTURE TIMES 』第7号

2014年12月14日 | 日常

アジカン・後藤正文さんが編集長をされている
THE FUTURE TIMES 』第7号、もらってきました~。

少しずつ読んでいこうと思って、まずは、
建築家・藤村龍至さん×後藤さんの対談
『民主主義を練習する』と、
憲法学者・木村草太さん×後藤さんの対談
『憲法と民主主義』を読みました。

(これ↑を書いてて気がついたですが、
 そのどちらのタイトルとも「民主主義」のことばが
 入っているんだのぅー。)

なんか今は、
ありきたりな感想だけしか言えないのだけれども、
投票日のまえに読めてよかった。と感じました。

ちゃんときちんと考えられるようになりたいっ。

んではーっ!
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
特には「消費者マインドに抵抗できるのは」の箇所のこと…

2014年12月14日 @ Baby, Don't Cry

祖父のあることば。

2014年12月13日 | 日常
なんかサ、選挙の「投票」のことを
こうどーしてもあたまが考えてしまうもんで、
本日はそのことをブログ書くしか出来ないやわー。

っとゆーわけでぇ。

ぼくがなぜ、選挙の「投票」に行くのか?!
と言えば、これは
だいぶ以前にうちの母親より聞いた話なのだけれど、
母がまだ若いころ、母の父(ぼくの祖父)から言われた

「選挙には行ったほうが、よい。」

というその「ことば」の以外には、
理由なんて、他にはなんにも無い気がしたの。

むつかしい理屈とかそーいうのは、もう何もない。

母方の祖父は、ぼくが幼稚園のときに亡くなって、
しかも当時は離れた場所に住んでいたので、
あまり会ったり接したりおはなししたりする機会もなく。

どういうひとだったか? と云うのだってもさ、
母の昔話より推測するしか方法は無くって。

そして、この

「選挙には行ったほうが、よい。」

のことなのですが。なんか、その「ことば」には、
「なぜ、選挙に行ったほうがよいのか?」というような
「わけ」とは、もしかしたら何も無いんじゃないのか??
って、ぼくは少し思ったのね。

これこれこういうわけだから、選挙に行きなさい。
なのではなくて、ただひとこと、
「選挙には行ったほうが、よい。」
という「ことば」があって、その、ただそれだけ。

ぼくはその「ことば」を「遺言」のように受け取って、
「投票」へゆく。

なんとゆーか、ぼくなんかには、
選挙に行ったほうが「よい」のか「わるい」のか、
選挙に行かないほうが「よい」のか「わるい」のか、
そういう判断って、理由として説明がつかないんだよねー。

祖父のその「ことば」だけ。の、たったそれだけで、
ぼくは「投票」へゆく‥‥

ほいではにゃー!
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
祖父の「ことば」とはどういうことか、を考え続けながら…

2014年12月13日 @ そうそふのにっき

「しあわせになりたい。」とは、もう思わない。

2014年12月12日 | 日常
昔のじぶんがずばりそうだったのだけれども。
やみくもに「しあわせになりたい。」と望むのはさ、
つまり、
今の現状が「しあわせではない。」って云うことで。

それは詳しくは、どーいうことかと言えば。。。

目には見えにくい・気が付きにくい、かのような、
でも、恩恵を受けている・もらっている・いただいている、
これまでの「しあわせ」全部を排除してしまおう。
みたいな試みなのではないかっ?!

なのでぇ、
「しあわせになりたい。」って望めば望むほど、
今までの「しあわせ」は無いものとしてしまって、
あたらしい「しあわせ」だけを求める。


・「しあわせ」がじぶんの元へと訪れるように‥‥

・「しあわせ」がじぶんの身にへと入って来るように‥‥


と。んでもさ、「しあわせ」ってのはたぶん、
じぶんの身に
「入って来る。」よーなものではないとおもったのね。

どちらかと言えば、それとは
はじめからそこに「ある。」のようなもので、
それをだいじにたいせつに育ててゆく。

みたいなことでよ。

けれど、どこかのときですさんできて、
こころが暴力的に攻撃的になってきたりしてしまうと、
過去からのそれを、その力で分断させてしまうんだろうな…

そんな状況は、どこからがスタートだったのか?! は
もうあんまり思い出せないけれど、
「しあわせになりたい。」とは、
もうおれは思わないようにしよう。とおもった。

それではねー!
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
「分断」させてしまった状態を「繋ぎ合わせる」的な??

2014年12月12日 @ やさしくなりたい

冬のちいさな決意

2014年12月10日 | 日常
夜寝るまえには、かならず
「あしたこそはっ!」って決意しながら寝るんやけども、
次の日の朝、目覚めても
まぁ、ぜったいにそれは守れておらんのよねぇー。

と申しますのも、
「起きたら、布団からサッと出る。」
っていう、ちいさい決意なのですが。。。

たったそれだけのことが、なかなかよう出来んくって。

起きても、布団のなかギリギリまで
ぬくぬくしてしまうのよねー。

なんとゆーか、掛け布団を
ガバッと開け放ってしまえばよいものをぉ、
んでも、外の世界の寒さのことを思ってしまうとー!!
さてこれ、どーしたもんか?? って‥‥

それってゆーのはサ、
「清水の舞台から飛び降りる。」ごとしの、
決死の覚悟で向こう側へジャンプする的な要素もありつつ。

なのだけど、
「あしたこそはっ!」の決断をするときにはよ、
すんごい気軽に簡単に「それくらい出来るだろ。」って
思いながらスケジュールを決めてしまうから、大変さー。

寝るときのおれは、
「布団からサッと出る。」側のおれ、つまり「当事者」の
気持ちに全く成れておらんから、
なかなか事態は変化して行かないんじゃーねぇのっ?!

と、ベッドから起き上がることが出来ない側の
「朝のおれ」が、朝の布団のなかで、
お手軽に決意した「夜のおれ」に抗議している図だわさ。

それでわっす!
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
夏のときも起きれんかったから、実は「寒さ」は関係ない?

2014年12月10日 @ DEPARTURES

「ひと」のおもいで。

2014年12月09日 | 日常
昔々のある夜中のこと。
そのあまりの醜悪さに、じぶんがもうどーにも
「ひとでなし」なのだと感じてしまって、家を飛び出して。

強い激しい切ない
いたたまれなさを胸に抱え込みながら、
着の身着のまま、サンダルで、深夜の近所を駆ける。。。

と。

するとね、あるおうちのまえで、
お出かけになられる旦那さん(なのかな?)のクルマを
バックで誘導する奥さんが、駆けるぼくを見て、


  「あ、ひとだよ。ひとが来たから気をつけて。」


というひとことをおっしゃって。ぼくは、


  (あぁ。おれは、まだ「ひと」であるのか?!)


って。そんなじぶんでも、
「ひとでなし」でなく「ひと」だと見てくれたことが、
どこかうれしくて、とってもありがたかった‥‥

‥‥みたいな思い出のことをねぇ、なんか思い出したよ~!

それじゃーのん。
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
まぁ、たまにはね、こんなとき↑だってあったのよー。泣…

2014年12月9日 @ NOW AND THEN ~失われた時を求めて~

「投票率」について。

2014年12月08日 | 日常
前回の参院選のときだったかな、あるテレビ番組のなかで
(←たしか池上彰さんの番組だったとおもうけど。)、
選挙での「投票率」のことについて説明がなされてて。

そのときにねぇ、
ぼくは、その内容に少しのショッキングを感じまして。
番組での説明のことをちょっとだけ思い出しながら、
それより考えたことと合わせまして本日ブログを書きます。

まずはその説明とは、


  「候補者が、同じ数(組織票のような?)だけの
   『投票数』を獲得できるなら、
   選挙での『投票率』が下がれば下がるほど、
   それだけその候補者は当選しやすくなる。」
 

という理由で、
「投票率」の「上がる」ことを忌み嫌う政治家がおられて。
なるべくなら「率」が「下がる」こと、つまり、
有権者が選挙の投票に「来られない」ことを望んでいる…

…とのことであったかな。

それがもしも本当だとしたなら、怖いなぁ。と感じた。

つまりさ、その候補者・政治家は、
いかにすれば「投票率が下がるのか?」を考えている。
それとは、たぶん、これはぼくの考えなのだけれど、
たとえば若いひとたちに対して、

「どうしたら「政治」に興味を持たれなくなるのか??」

を考えておられる。と云うことでさ。
どのようにしたら「政治」が、
「わかりにくい。」「面白くない。」「つまらない。」
ものになるであろうか。。。 そのように想われている。

となりますと‥‥

たとえば、その若いひとたちが、
選挙の「投票」に「行かれない」のだとすれば、それは
その候補者のかたの「望み」が叶った。であってさ。

その若いひとは、たぶん、じぶん本人の考えで
「投票に行かない!」
と決めた。って考えておられるのかも知れないけれど、
でもじつは、それはそうではなくって。
投票に「行かれないひと」は、
「投票率」が「下がる」ことを熱望されている「陰謀」に
「操られた」と云うことになるのではないか?!

「票を入れたい候補者がいない。」と、
有権者が感じてしまうことであっても、それは
そのように感じてくれたほうが

「候補者が『当選』しやすい。。。」

のであったとしたならば‥‥

真実かどうかは全く知らないし、
こういう想像はちょっと恐ろしさがあるのだけれども、
そんなことをねぇ、今おもいました。

ではっ!
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
なんかね、こんな日はどーにも音楽を聴きたい気分なのよ…

2014年12月8日 @ I Want You(She's So Heavy)

奥さんの手のひらのうえで‥‥

2014年12月07日 | 日常
じぶんは結婚をしておらんから、
このこと↓は何ともわからんことではあるのですが。
昔々のご夫婦でのお話なのかなぁ、よくさ、

「旦那さんが、口では奥さんにいろいろと言っていても、
 じつは、奥さんの
 手のひらのうえで旦那さんが転がされている。」

って云うのがあるじゃん。

これってば、なんで「転がるか?」と言えば、
旦那さん(の心?!)が
ころころとした「球体」だからなのかなぁ。とおもった。

カクカクした「立方体」や「直方体」だったらば、
奥さんの手のひらであっても転がらないし。

あとはサ、重心の位置とバランスの問題ぃー?!

「おきあがりこぼし」のようなバランスだと、
ユラユラはするけど転がることはない。
っていうよーな??

「球体」の中心に、「重心」がある。

じっさいのところはどうだかわからないんだけどもぉ、
なんか、そーいうようなイメージがね、
あたまのなかに思いついたのよねぇー。

そーならば、転がるよっ!!

ほいではぁ~。
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
おれなんかで言えば、カクカクというよりも、トゲトゲ?!

2014年12月7日 @ うにいくら丼

攻略をするか

2014年10月23日 | 日常
これは、ちょっとはずかしいことではあるけれど。
ふっと思い出してしまったので、なんとなく
今回ブログに記してみたいとおもいます。

と申しますのも、じぶんの
「本を読む。」についてのことなんじゃけどねぇ。
じぶんってのは、今でこそちらっと
本を読んだりする(←ふり?)こともあったりなのですが。
ほんのすこし以前ですと、読書などもうまったく無く…

のときにっ!
この頃のブログエントリで「ゲーム」の事を書いておったら、
あれはだいたい、小学3~4年生のころだったのかなー。

そのときはまだ今の豊橋でなく岡崎市に住んでいて。
んでも、母親になにか用事があったのだろうねぇ、
豊橋へ遊びに来ていて。それで
母は用事のためどこかに行ってしまい、
ぼくは豊橋駅前・精文館書店でひとり待っていたの。

書店に残されたぼくはなにを思ったか、
ファミコン攻略本コーナーを訪れて、そこで攻略本を
(やったことあるゲームのも、やったことないゲームのも)
ひたすらに読み耽っていた。みたいな。

時間はどれくらいだったかは覚えておらんですが、
お昼ごはん食べ終わってから、辺りが少し暗くなるまでの、
けっこうな長時間居た記憶があるのね。

本棚の脇にもたれて、もう座り込みながら。。。

と。すぐさまに攻略本コーナーへと駆けつけて、
攻略本だけを読んでいる。って云うじぶんだったんよなぁ! 
みたいなことを、このたび思い出しました~。

ではではっ。
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
攻略本もさ、開発者さんインタビューとか面白いのよっ。

2014年10月23日 @ 召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか

対戦!

2014年10月22日 | 日常
完全に、暴走的に、なんかなぜだかゲームについて
だぁーっとブログを書いとる週間になってるんだけども。
あともう少しだけ、記憶をほじくり返しつつ記します。

さて、こんかいは「対戦ゲーム」のことです。

じぶんは、小さいころには、
あまり対戦のゲームってしたこと無かったんだけどね。
小6で豊橋に引っ越して来て、そこで同じクラスになった
U君のおうちにお邪魔させてもらって、
小学生のときはもう毎日のようにゲームをしておった。

(U君とは、その後も付き合いがあって、感謝!)

『ぷよぷよ』から、
『ボンバーマン』に、
『桃鉄』と、
『パワプロ』やら、
『いたスト』も。

『マリオカート』や、
『スマブラ』はもちろんだし。
『マリオコレクション』での『マリオブラザーズ』、
「ゼルダの伝説」の『4つの剣』もかな。

『エースコンバット』の対戦、なにげに面白かったし。
『ぱずるだま』もやったっけか?!
『 XI [sai] 』ではサイコロ転がして。

ほかにも色々あったかと思うんだが、もう思い出せんー。

新しいシステムとかに驚いたり楽しんだりしながら。
こうなんか、当時に遊んだゲームの名前を挙げてみると、
テレビゲームから遊ばさせてもらった感がすごいっ!!

今の子たちは、どーなんだろう??

それではねっ。
このブログに来てくれてどうもありがとうございます。
幾多の丹精込められたゲームの数々に深謝を申しあげます。

2014年10月22日 @ ぱろぷんてカード

さみだれ式、ゲームのおもいで。

2014年10月21日 | 日常
それではっ、前回ブログにひきつづき、
ほんじつもゲームのことを
今回はさみだれ式に記してまいりたいとおもいます。

ん?! そーいや、さみだれ式ってなんだ??

じぶんは、いつの日か「ゲームボーイ」本体と一緒に
『スーパーマリオランド』と、
『ベースボールキッズ』を親に買ってもらって。それから
『クイックス』とか、
『アレイウェイ』とか、
『ピンボール66匹のワニ大行進』を友だちから借りたり。
『ロックンチェイス』にハマったり。
『キャプテン翼VS』の敵が強かったり。のなかでも、
『Sa・Ga2 秘宝伝説』がいちばん好きだった~。音楽とか!

『スーパーマリオランド』から、
『スーパーマリオランド2 6つの金貨』と、
『スーパーマリオランド3 ワリオランド』への進化に感動!
『ドクターマリオ』と、
『ヨッシーのたまご』と、
『ヨッシーのクッキー』をやりながら。
『ゼルダの伝説 夢をみる島』のアクション的な場面と、
『カービィのピンボール』がたのしかったぁ! 

そしてあるとき、兄から「ファミコン」をいただいて、
そのソフトのなかに入っていた
『ファミリースタジアム』や、
『1942』や、
『燃えろ!!プロ野球』や、
『スカイキッド』や、
『キャッスルエクセレント』などなどで遊びながら。

『忍者ハットリくん』を友だちの家でやったわー!
ステージクリア後のごほうび(←?!)で、
たくさんちくわ降ってくる中に、鉄アレイが混じってた。

そして、時は進み。「プレステ」以降だとねぇー。

『アークザラッド』の画面鮮やかに驚き、
『パラッパラッパー』はボタンを連打しまくって、
『ジャンピングフラッシュ! 2』では飛びまくり、
『テーマパーク』の散策モードで迷路をつくったり、
『バイオハザード』の当時のあの怖さは何だったんだろう?
『みんなのGOLF』のあの緊張感は半端ない、、、
『ダビスタ』は早起きして近所のサークルKに買いに行った!

『ポケットステーション』がさ、懐かしいっ。

『リッジレーサーレボリューション』のデビルカー速くって、
『鉄拳』の10連コンボ練習しまくって、
『ミスタードリラー』では掘り進み、
『ことばのパズル もじぴったん』でまぐれ言葉に嬉しがり、
『みんな大好き塊魂』ではもうずっと触っていたかった!

『ドラクエ』や、
『FF』には、たくさん思い出あるけれども。
『FF10』発売日は徹夜と決め、食料&飲み物を買い込んだ。

大学の友人が「くにおくん」の
『大運動会』好きで、皆でひたすらファミコンやってた。
「ゲームキューブ」持っていないぼくは、なぜだったか
『時のオカリナ』の裏ゼルダを友人宅でやらせて貰ってた。

『マリオカート64』ではぐりぐりとミニターボして…
『風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!』で時間を忘れ…
『街』でのつながりの複雑さに驚嘆し…

2年前、ふとしたきっかけで(初めて)やり始めた
「NINTENDO64」の
『スーパーマリオ64』は、面白むつかしかった。。。

‥‥っと云うよーな感じで本日はここまでっ。
ブログに来てくれてどうもありがとうごじます。
この際なので、たぶん次回もゲームのことを書きます~。

2014年10月21日 @ がんばれ森川君2号