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なら斬り開く?!

アジもホッケも、物事さえをも、斬り開く。

秋から冬への予行練習。

2015年03月25日 | 日常
先週ではさ、ここ豊橋でも
最高気温20℃ちょっとまであがり、
もう春だなぁ! っておもっていたんだけどもぉ、
おとといくらいからまた冷える~。寒い!!

けっこう、なかなか、からだもたいへんだわぁ。
ともかんじながら体調のこと考えつつ‥‥、
それでねー、なんかひとつおもったこととはさっ、
本年1月のあるエントリでね、
ぼくは

「秋から冬への季節うつりかわりの時期となると
 ちょっとすこし、からだ、しんどくなってきて‥‥」

と申しまして、さらには

「真冬であるいまの時期の段階から、もう
 次に訪れる(だろう??)『秋から冬へ』の季節のため、
 ちょっとずつからだづくりを始めてみよう!!」

そうゆーように申しておりまして。
つまりはね、「秋から冬へ」とは簡単に云えば
気温が「低くなる」季節のことじゃん!!
暖かかった季節より、寒い季節へと、変化する季節。

それってば、要素とかは違いすぎるんだけど、
今じゃん!! 今と、雰囲気はすこし似てるじゃん!!
暖かかった数日より再びちょっと寒くなり……
…なのだっておもいましてん、そのね今後春から夏を越え
数ヶ月後に訪れる(だろう?!)「秋から冬へ」の
「予行練習」だとおもって、
じぶんのからだを観察したり体調整える実験をしてみたり、
出来るのではないかやぁ。って少しおもいました~。

どーぞ、どーか、おからだにお気をつけてねっ!

2015年3月25日 @ Can't Stop Fallin' in Love

ある終業式の思い出。

2015年03月24日 | 日常
そろそろ終業式の季節なのかね?? とおもって、
ちょっとおもいだしてしまった
子どもの頃のある思い出がございまして、、
こんかいブログはそのことについて申しあげます。

それはじぶんが小学5年生だったときの3月、
終業式の日のことなのですが。
その日でね、ぼくはもう引越しをしてしまうので、
そちらの小学校ではそれが最後の登校日。
クラスのみんなが色紙やプレゼントやおてがみや
たくさんのお見送りをしてくれて、
担任の天野先生からはなむけのおことばをいただき、
ありがたく、とってもうれしかった! のでありますが。。

ひとつだけ、、あのこれは、べつに誰も悪くない、
でもじぶんにとったら
ちょっとけっこう苦かった話でございまして‥‥

終業式の日から遡ること数週間まえ、だったかな??

クラスメイトの男のこ(Tくん)から、少々唐突に
「ひでし、クラスの女のこでだれがすき?」
と訊ねてくるので

(…それはたしか掃除の時間、
 校庭にある超でかいタイヤ的遊具の場所で…)

ぼくはそのときそういう女のこはおらなかったから
「いないよ。」と答えたのですが、
Tくん引き下がらず、なのでぼくは何度も「いない」って、
その日はそれでおわったのだけれど。
また後日Tくんから同様に訊かれまたぼくも同じく答え、
するとTくんはある女のこの名前をだして

「ひでし、Aさんのことがすきでしょ?」

と…、でもぼくはAさんとはあまり話したこと無いし、
「すき」と云うのとは違うって思ったからちがうと答えて、
だけれども、Tくんはその雰囲気が
もしかしたらぼくのシャイさのように感じたのかねぇ、
「Aさん???」とまた何度も訊くからぼくは少し辛くなり
そうだよ。って、真顔で答えてしまったのね。。

そして終業式の当日。

お別れ会をしてもらって、のいちばん最終の最終、
クラスみんなとひとりずつ順番で
挨拶&握手するコーナーがはじまりまして。
たのしいひとときだったのですがそのラストでサプライズ、

【ひでし、すきだったひととの、握手会!】

みたいな流れになり、クラスは盛り上がり、
ぼくは今さら「ちがう。」とも云えず
つくり笑顔で、Aさんと握手をする……

…と、その瞬間に感じた微妙な申し訳なさ、および、
どこか困惑をなされているかのようなAさんの表情を
なぜだかさいきん思いだしたんだよね。。。
今となって何がどう、ってことはとくにないのですが、
どうしてだか書こうとおもったのでブログに書きました。

Tくん、Aさん、みんな、げんきだとよいのだけれども。

では、ほいではでは~!!

2015年3月24日 @ 思い出したら、思い出になった。

「生きていること。」

2015年03月14日 | 日常
んでも しっているんだ

ぼくの このブログとかも べつに おもしろくはないし

なにかの やくにたつわけでもなく

だれかの すくいになるわけでも ない

こんなんじゃあ きびしい というかたもおられれば

そんなんじゃあ あまい とおっしゃるかた

あんなんじゃあ やばい ってことばも わかる

そしてさらには くだらなくさえ ない

もっと もっと もうしあげてしまうなら

だれもきいてない たちどまらない がいとうえんぜつ

しっているんだ しっているんだ

もうだいぶまえから しっているんだ

それでもね ぼく とは こんなかんじのふうぼうなんだな

そんなじぶんから にげちゃわず

いっぽでもよいから すすみたいんだ

あまくなくてきびしくなくてやばくないひとたちは

すばらしい じんせいを すでにおくっているのだろう

でも ぼくは そうじゃない

ふがいなくてもじぶんのからだを みすえ

いっぽでも いちみりでもよいから すすむ

そんなことをかんがえながら 今 ピロウズを聴いていて、

感謝!

2015年3月14日 @ ハッピー・バースデー

あの時の隔たり。

2015年03月11日 | 日常
東日本大震災から2日後の、2011年3月13日日曜日。
ぼくは、群馬県に住む大学時代の友人へ
そちらの状況の心配をおもいましたので連絡をとおもい、
メールおおくりいたしまして。

すると返信では、友人とご家族のご無事
(友人のお姉さんは帰宅困難であったとのこと。)と
おうちのなかでの被害(お皿など)のことをおっしゃって。

あとは、いつもどおりお元気そうな友人のことば、
であったのではございますが…

そのつぎのメールでの
「でも、原発が、心配だから」
という友人のことばに、ぼくはそのとき
「だいじょうぶ。」なのだと云う全く根拠無い
気休めにさえならないものしか伝えることが出来なくて。

そこにぼくはある「隔たり」を感じ、悲しさをおもった。

たぶんそれは、
ぼくが住んでいるここ愛知県豊橋市と、
友人が住む群馬県前橋市での生活における感じかたでは、
すでにおおくの違いが生じている。と申しますか。

いえそれは、東北のご被災された地域、
また福島県の福島第一原子力発電所の地点より、
地図で土地の高さを示す「等高線」であるかのごとく
まるで日本中に無数の「線」が引かれたかのように。。。

その「隔たり」を架橋するためには、
ぼく自身のもつほんのわずかなコミュニケーション能力では
もうまったく立ち行かないんだ、と、
たぶん今になって考えますとぼくはそのように感じ、
悲しさをおもったのだと存じます。

かなしくもこのような「線」の事を考えようとしてみても、
なかなかわかることはしがたいのだけれど、
でもたとえば、
早野龍五さん・糸井重里さんの共著『知ろうとすること。
を読みましたときには、なにかぼくの中にあるその「線」が
薄くなったのような気持ちがしてありがたかった。。。

おいのりを、申しあげます。

2015年3月11日 @ 3.11、検索は応援になる。

正義の放棄

2015年03月07日 | 日常
「正義」と呼ばれるものが
それが果たしてどういうものを指しているのか、
ぼくは、じつはよくわかっていないんだけれども。

なんか、もしかしたら
「正義」が「悪」を創っているのではないか?!
って、ちょっとおもったのね。

「はじめに『悪』があって、
 そのあと『正義』があらわれる。」

という流れなのか、逆に

「はじめに『正義』があって、
 そのあと『悪』があらわれる。」

という流れなのか、の、
それがどーなのかこーなのか、
なんかよくわからなくなってきたのよ。

「正義」って、「悪」が居ないとたぶん成立しないから、
なんの「悪」も無いところに「正義」は
「悪」を創り出し、そして「正義」が行使されてゆく。

そのとき、「正義」はじぶんの「正義」を確信する‥‥

‥‥であるよーなことかどうかもよくわからんですが、
もしそれがそうであるのなら、
ぼくは、ぼく自身の中にある「正義」を放棄する!

としたならば、


  ♪君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる


という、中島みゆきさんの
『空と君のあいだに』の歌詞をおもいだした~。
ぼくはまだまだ「悪」には成り切れないが、でもまずは、
ぼくは、ぼく自身の中にある「正義」を放棄する!

とかなんとか云いつつ、
それがほんとうにぼくに出来ることであるのかどうか、
じつは、ぼくにもよくわからないのね。。。

2015年3月7日 @ 家なき子

とある3つの偶然。。。

2015年02月24日 | 日常
前回エントリでは、ある本をよんで感じました
ちょっとした偶然のつながりについて書いたのですが。
そのほかにも、そーいう偶然あったなぁ! とおもって
なので、そのことをいくつか(←3つ!)申しあげますっ。

まず1つめは、ぼくは、本年お正月の初売りで
MUJIの「福缶」を購入いたしましたのですがぁ。




(↑これですね。)


中身には手づくりの縁起物が入っているとの事で、
じぶんのは何かなーっ?! って見てみれば、
「大阪張子 虎張子」だったではございますが‥‥




(↑中身はこのようでございました。)


これを見て「お~っ!」ておもったのはさ、、、

昨年大晦日のじぶんのブログでね、
ユニコーンの『ライジングボール』のことを申しまして。
そのエントリでは、


  ♪目の前は ただ巨大なハリコのトラ


と云う歌詞の引用をして、その大晦日に書いた事がさ、
お正月へとつながってやって来たーっ!!
って思ったんよねぇ。

んで、今の現状は、





こんな感じ↑で、目の前は ハリコのトラ。。。

と。そして2つめはじぶんはPerfumeのね、とくには
のっちさんがすきなんやけど、、、
年末て長時間の音楽番組あるやん! 紅白とかMステとか。
そのよーな長丁場だとやっぱずっとは見てられんくて、
たまにテレビつけたりチャンネル合わせたりで。

そうして、そんなふうにパッと番組を観た瞬間にっ、
とくにPerfumeの出番では無いときでもさ、
なぜか結構のっちさんが画面映っていて「おーっ!」って
おもうのはちょっとキモいわなおれ。

さて。3つめですが、これはほんとうにほんとうの偶然で。
と申しますのも…

大学時、同じ研究室だった友人の女の子がおりまして、
卒業後も年に2回くらい連絡取っていたのだけど。
さくねんの6月だったかな、ニュースで「群馬が猛暑」
(←大学が群馬県前橋市だったの。)なのだと聞いて、
それでねちょっとその子のことが思い出され

「そちらは暑そうだけれど、おからだお気をつけてね。」

的なメールをし、するとっ、

「よいお天気だったね、
 きょうは、軽井沢で結婚式を挙げてきました。」

って返信が来たのだわ。

(えっ?!)とおもって、
「挙げてきました。」ってコトはご本人が花嫁さんだわ!!
なのですので、「おめでと~!」ってメールしたですが。

連絡もなかなかしないのにたまたまメールしたその日が、
結婚式だった。なんて偶然ある?!
その子には学生のときからもうめっちゃ感謝感謝で、まぁ
じつは片想いもしていたのですが、
人生において特別にスペシャルな「結婚式」の当日に、
そーいうよーな連絡の偶然がさ、
ぼくとしてはなんかうれしかったんだよねー。

あらためて、友人へのご祝福をもうします。

本日のブログはちょっと長くなってしまいましたが、
よんでくれてどうもありがとうね。
よい1にちをすごしておくれ~!!

2015年2月24日 @ ラッキープール

うつくしくあざやかのように。

2015年02月21日 | 日常
「美」と云う漢字とは、
「羊の大きい姿」の意をあらわしている(らしい)。
ってのをねぇ、ある日のほぼ日での糸井重里さんの
ダーリンコラム』で初めてうかがいまして。

そして。本年はひつじ年、とゆーことでぇ、
(まぁ、もう2月も後半で今さらではあるけど…)
お正月の時にまたそのお話を思い出し、それでなんか
なんとなく
「ビューティフル」的なきもちをもちながら、
1年を過ごしたい! そう思ってたんやけども。

それからさ、なぜだか
どの漢字の中に「羊」の字が入っているか??
が、けっこう気になるようになって。

たとえば、「鮮」の漢字にも「羊」が入ってて、
白川静さんの『常用字解[第二版]』で調べてみますと‥‥
魚のにおい、羊のにおい、両者を合わせたような字。
とのことで。また、
「鮮麗(あざやかで美しいこと)」の説明も記されていて、
「美」とつながってる~!! とも思ったり。。

あとはねっ、わたしの母の兄つまりぼくの伯父に、
「洋(よう)」さんという方がおられるのですが。
「洋」おじさんはひつじ年のお生まれだそうで、
そこから名前付けられたかどうかはよくわからないですが、
「洋」という漢字にも「羊」が入ってるーっ!!

みたいなぁ、「羊」をもっと見つけたいわ。

2015年2月21日 @ 美しき人間の日々

ふたつの「暦」のこと。

2015年02月19日 | 日常
いつごろからだったかな、じぶんはねっ、
新月・満月の日はいつか?
をチェックするようになっていて。
(たぶん「ほぼ日」と「ほぼ日手帳」がきっかけ!)

つまりはさ、
旧暦のことを少しだけでもあたまに入れておきたい。
であるよーな‥‥

いえ、もう全然そういうのよく知らないし、
詳しいとかはまったくもって無いんですが。

「月」の満ち欠けによる旧暦の「暦」ってぇ、
「自然」だなぁ! って感じるの。
「自然」を感じながら過ごしたい、的な~。。。

まぁ、新暦・太陽歴のことだっても実は何も知らないし、
起源などとか色々あるかとも存じますが。
ぼくのよーな人ですと、これまで過ごしてきた感覚ですと、
新暦ってばどこか早くって
ちょっと慌ただしいかのような印象がございまして。

喩えるならば、リニアモーターカー?!

磁力で浮き上がり超高速で走ってゆく、
みたいな、なんか、そんなリニアのごとく未来的な、
びゅんびゅん流れてゆくせわしさも感じるのだけどねぇ。
それだとっ、ちょっとからだが付いて行かない~♪

そこに、旧暦という暦が
補助輪的な「車輪」となって、
じぶんのからだを支えてくれるイメージ‥‥

と、そういう感じで、
新暦・旧暦ふたつの「暦」のどちらもあたまに込めながら、
ぼくは過ごしたい! って想っておりまする。

本日、旧一月一日。新月…

2015年2月19日 @ 車輪の唄

小学生のときの失敗。(後編)

2015年02月06日 | 日常
今回のエントリは、前々回前回からのつづきです。

小学6年生のとき放送委員になって、
なにをどう思ったのかはよく覚えとらんけれども、
お昼の放送でダジャレ大会をやろうと思って、失敗した話…

前回エントリの最後では、
「放送が始まり数十分後、委員会顧問・M先生クラスのN君
 (←同学年だったので名前は知っている。)
 が放送室へとやって来る。」のところまででした。

このときN君は、
「M先生が呼んでいるから、3人とも、教室まで来て。」
とのことなので、放送を中断し、M先生のクラスを訪れて。

教室内ではみんなしずかに給食を食べながら、
ぼくら3人は、教室前方(黒板側)の
いちばん奥のデスクで座っているM先生のまえへ行く。


  「今日の放送はなんだぁ!?」


‥‥と云われても、じぶんたちも
その放送のヒドさには実はもう気づいてたので黙っている。
と、そうすれば、


  「原稿を読むのは、練習してきたのか。」


そう問われたので「していません。」とぼくは答え、
M先生はつづけて


  「ぼそぼそと喋っているので、とても聞き苦しい。
   このあと放送室に戻って
   聞き苦しい放送をして申し訳ございません。
   とあやまりなさい。」


とおっしゃった。

いま振り返って想うならば、そのときにさ
もう少しでも内容を考えられたらよかった。と申しますか、
いえ、ぼくはさ、放送内容について等を
誰にも相談をすることが出来なかったんだよね。

「誰かに相談をする。」ということ自体を、
思いつくことが出来なかった。と申しますか……

それ以来も、あらゆるところでぼくは「相談」出来ずに、
つっぱしってしまい、ダメになって、変な反省をし
意気消沈して終わる。。。 みたいな、
次には繋げられない方法しか思えなかったかもしれないな。

そしてそんなときには、もしかしたら
誰かが救いの手を差し出してくれていたのに、
それさえ気づけなかった。
みたいなことだってあったかも知れないし‥‥

そーいう流れってば、じぶん的には
この小学6年生のときの出来事が最初だったんかも、
とゆーわけでこのたびブログ書いてみましたっ。

読んでくれた方がもしもおられたら、どうもありがとうね!
よい1にちを~。

2015年2月6日 @ Walk This Way

小学生のときの失敗。(中編)

2015年02月05日 | 日常
こんかいブログは、前回エントリからのつづきです。

ぼくが小学6年生のとき放送委員となって、
そのときに失敗をした「お昼の放送」についてのこと。
小学生のころのできごとなんて、
なにをいまさら感もあるけれども、申しあげます。

「ダジャレ大会」をやろうと各クラスを訪れまして、
その後は、ありがたいことにいくつかの作品も集まって、
委員会顧問のM先生にもお伝えして許可をいただいて。

さて、いざ、お昼の放送!!

となったわけなのだけれどもぉ。
ぼくはさ、今考えると「放送」を甘く見ていたんだわ。
って云うよりも、「放送」と云うよりも、
「番組をつくる。」の発想が抜け落ちていたのよね。

「作品」が集まった時点でぼくはなぜだか
(これで「お昼の放送」が出来る!)
って、なにか変な確信みたいなものを抱いてしまっていて。
でもさ、よく考えてみれば、そんなことは無いっ!!

それだけじゃあ、まだ「番組」とはならない。

(←「ダジャレ大会」というその「企画」自体が、
 サブかった… という可能性も高いけれども。)

具体的に申しますと、放送当日のお昼・給食の時間となって
ぼくらは放送室へとむかうのですが。
本番の瞬間となって、ぼくら3人は
じつはなぁんにも準備していなかった事に気づくのね。
その直前のときに、まず「だれがしゃべるの?」
「えっ?!」みたいな‥‥

まぁ、ぼくが言い出しっぺだもんで、
「じゃあおれが…」とはそこでぼくは言うわけだけれど
そんなん、ほぼノープランで出来るわきゃないのよ。

んでも、もう仕方がないからさ
(って「仕方がない」ってのも変だな。もうそのときには
 ぼく自身がその状況に苛ついてしまっていたんだな。)
たんたんとマイクにむかって、もうこれでもか!
ってほど、ぼくは投稿ダジャレ作品を連発してゆくわけね。

そして放送開始から数十分が経ったころ、
顧問M先生クラスのNくんが放送室へやって来る‥‥

【後編へつづく。】

2015年2月5日 @ だいじょばない

小学生のときの失敗。(前編)

2015年02月04日 | 日常
小学6年の時、こっちに引っ越して来たばっかりで
まだ学校のこといろいろとよくわからんかったのだけれど、
なんか学校では委員会に入らないといけんくって。
それで考えた結果、同じクラスで最初に仲良くなった
Fくんといっしょに放送委員となったのですが。

放送委員ってさ、ちょっとけっこうたのしくって。

朝礼とか集団下校のときには
校内放送のために放送室で待機をしていたり
(朝礼に出なくてもよい、みたいな特別感だわね)、
お昼の放送担当日には放送室内で給食たべたり。
(給食を放送室まで持って来てもらうの友人に頼んだり…)

‥‥って云う感じのなかなか楽しいふうだったのですが、
ひとつだけ、
どーしても忘れられない失敗がございまして。

それは、ある日の給食放送時のこと。

給食のときってば、もうだいたい
放送する内容は皆なんか全体的に決まってしまっていて。
なにかのビデオを流したり、おはなしのテープをかけたり、
すでに決まっている中より選ぶ。
そーいうのって、ちょっと普通すぎて面白くないじゃん!
みたいに感じてたので、
どんだけ考えたかはもう20年前の事なので忘れましたが、
「ダジャレ大会」を放送しよう! って想ったんだよね。

各学年・各クラスを訪れまして、
「こんどお昼の放送で、
 こういうダジャレ企画をやるのでお願いします。」
と紙&ポスト(箱?)を用意し、ダジャレを募集して。。。

(このあたり、記憶ちがいがあるかもですが)

そーしたらなにやらけっこうの数が集まりまして、
うれしいなぁ! と感じながら、じゃぁいつ放送する?!
って、Fくん・ぼく・もうひとりHくんの担当3人で話して、
放送日も決まり、委員会顧問のM先生にも許可を頂き、
さて、いざお昼の放送!!

ってなったのだけれどもぉ。
おれはさ、そりゃあもうそのときの放送は、
完全に爪が甘かったんだよねぇ…

その爪の甘かった失敗のこと、次回にて申しあげます。

2015年2月4日 @ 放たれる

あそびましょ

2015年02月02日 | 日常

MUJIを訪れますと、
じつは毎号ひそやかに楽しみにしている
無料の小冊子『くらし中心』の新号が置いてありまして。
「no.14」ゲットして参りましたっ!

今回のテーマは、「遊び」。

帰宅してからまずは少しだけ見てみようとページを開けば、
落語家・柳家花緑さんが登場していて、
インタビュー等を読んでたらおもしろい~っ。

とくにはね、花緑さんが
「遊び」のキーワードは「感謝」なのだと仰る場面で‥‥


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  「有り難い」の語源は、「あり得ない」ですってね。
  あり得ないことが起きたのが、
  「ありがたい、ありがとう」ってこと。
  滅多に見られないものを見たときって、ありがたくて、
  そこにまた感謝が生まれる。


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とおはなしされるのは、
最近じぶんが読みました玄田有史さんの著書の中での事と
ちょうど同じようなことが書かれているのを発見し、
偶然の一致!! とおもったり。。。

あとは、もう少しページをめくりますと、
ある「羊羹」のことが紹介されていて。
まだ写真だけでちゃんとは読んでないけれど、楽しそう!

ゆっくり読みたい~。

他にはさ、小冊子『くらし中心』の事柄ではないのですが、
MUJIのデニムシリーズ「スリッパ」が欲しいっ。
デニムは、くらしの中へ。」のディスプレイの感じ、
素敵なのよねぇー!

2014年2月2日 @ FUN FUN FUN OK !

雨は、雪へと…

2015年01月30日 | 日常
テレビの天気予報でさ、
「○○過ぎに、雨は、雪へと変わるでしょう。」
って云うのを聞くと、もうもちろんのごとく山下達郎さんの

  ♪雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう

のフレーズを思い出すのだけれど。
思い出した直後(←とゆーか、ほぼ同時。)には、
かつての『ボキャブラ天国』投稿作品

  ♪兄は夜更け過ぎに ユキエに変わるだろう

も、連鎖的に思い出されてしまうのよねぇー。。。

その作品を観たのは当時たしか小学生だったからっ、
映像を含め、
いろんなことが余りにも衝撃的だった~!!

ほんじつの豊橋は、雪とはならず、雨だよん。

2015年1月30日 @ インパク知

母とテレビを観てるとき。

2015年01月28日 | 日常
母とテレビのバラエティ番組を観てて少しだけ困るのはさ、
たまにあるのですが、観ている番組のネタ等を
母に説明しなきゃならないときでして。

たとえば、なにかの元ネタがあるときとか、
番組の専門用語とか、ルールとか、お約束ごととか
あとは、特有のパターンのときかな。

説明するのはぼくはぜんぜん構わないし、でも、
あまりテレビを観ない母には、
この流れはわからないだろうなぁ。という事態に遭遇すると
なんとかひとくちでわかりやすい説明をしないと!
と思って、んでも、それが結構むつかしいのよねぇ。。。

たとえば、年末年始にぱっとテレビをつけてみれば、
ちょうど『ザ・イロモネア』のスペシャルをやっていて。
(あぁー、イロモネアやってるなぁ!)とおもうにも、
後ろには母がおって母はたぶん『イロモネア』知らないわ。
と感じたので、あの画面を見ながらさ、
口頭でルール説明しようとしたんだけれど。

なにも知らないひとに一瞬で
『イロモネア』のルール伝えようとするのって、
じつはこれ、けっこうむつかしい!!

おれ結局そのときにちゃんと説明できたか?!
って、ぶっちゃけ怪しいもんっ。。。

はたまた別の番組ですと、たとえばっ
さまぁ~ずの三村さんがレッド吉田さんの言いかたを
マネなさるときに(←「ウェスポン!」的な)、
母はそもそも、レッド吉田さんのことを存じていないので
(レッド吉田さん、ごめんなさい。)
もうどこの時点から説明したらよいのか?!
って、ちょっとビミョーにとほうにくれる~。

そんな状態のことをさ、まぁ、よくよく考えてみると
それはそれで、逆に
なんかちょっとおもしろいからよいのですがっ。

番組によってはまったくの説明いらずで
母が楽しんで鑑賞しているのを見たりすると、
この番組はすばらしいなぁ! っておもったり‥‥

ちゃんと説明を伝えるのって、むつかしいんだわー。

2015年1月28日 @ Timing ~タイミング~

いま、欲しいもの。(その1)

2015年01月16日 | 日常
靴が欲しい!
それも、2足欲しい。1足だけだとさ、
同じ靴ばっかり履いちゃってくたくたになっちゃうから~。

2足ならばっ、交互に履けるじゃん!!

っと云うよーな話をね、どこかで聞いて以来、
2足買いに憧れてるんだよねぇ。
んだもんで、購入のタイミングとかを色々と計画中。。。

2015年1月16日 @ MY FOOT