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なら斬り開く?!

アジもホッケも、物事さえをも、斬り開く。

「死」を想う。(前編)

2016年01月14日 | 日常
デヴィッド・ボウイのおんがくを聴きながら、
きょうのブログ書いているのだけどね。
そーいえば、ぼくはこどものころから比べると、
亡くなったひとのことを思ったり、想ったり、考えたり、
お話しの話題にすることが多くなったような気がする。。。

あ。でもぼくはボウイをよく知らなくて。
B'zの稲葉さんがフェイバリットに挙げられていたり。
奈良美智さんがテレビ番組のなかで、
『Starman』を紹介されていたり。の、
そのことを耳にしてからぼくも聞くようになったぐらいで。
それでもさ、たとえば年上のお知り合いのかたから、
ボウイのお話しを少し伺いながら、「死」に想いを馳せる…

前回エントリで申しました、
岡村靖幸さん著『岡村靖幸 結婚への道』は、
岡村さんが「結婚」について
様々なひとへインタビューをしてゆく本なのですが。
「結婚」だけでなく、
「死」のことも多く書かれている気がしたの。

岡村さんが著書の冒頭でおっしゃる、
“ジョン・レノンにおけるオノ・ヨーコのような、
 尊敬できる女性と出会って結婚を、と思う。”
(書籍2頁より引用です。)
という、ジョンのことは、やはり「死」について想うし。
その後の岡村さん×ピーター・バラカンさんのお話しでは、
ジョンのことがたくさん語られていて。
当時のことを、より、知ることができてよかったと思った。

と。もうちょっと文章が長くなりそうですので、
次回へつづきます。

2016年1月14日 @ All The Young Dudes

「ふく」5連発

2016年01月04日 | 日常
おととい2016年1月2日初売りの日。
豊橋駅ビル・カルミア無印良品でね、
福缶」買えてうれしかった~。
なかに入っておりました縁起物は、、、



福岡県福津市・筑前津屋崎人形巧房さんの、
筑前津屋崎人形 モマ笛」です。
かわいいっ!!



↑ななめからみた図。

説明リーフレットによりますと、
津屋崎の地方ではふくろうのことを「モマ」と呼ぶ、
とのことで。
先をみ通す能力を持つとされるふくろうの、
「ホウホウ」という優しい音色を奏でる土笛は、
吹くと気道が広がることから、かつては
お年寄りが食べ物を喉につまらせないおまじないとして、
食卓で吹かれていた。ようですー。

なので今回はじぶんの部屋でなく、



食卓ちかくのサイドボードに飾りました。

最初の写真では「モマ笛」の座布団として敷きました、
同梱のハンカチには、
福岡県みやま市「きじ車」の形が刺繍されておりまして。
「きじ車」はまたリーフレットによりますと、
「開運や縁結び、家庭円満のお守り、玩具として親しまれ」
とのことでこちらもうれしい。

「福缶」「福岡県」「福津市」「ふくろう」の笛で「吹く」
というような、
「ふく」の5連発がなんだか有難いです。。。

2016年1月4日

しゃっくりのこと。

2016年01月03日 | 日常
ぼくの「しゃっくり」が出るときには、
たいてい2パターンございまして。
ひとつはね、お酒(とくに炭酸系)をけっこう呑んで、
じぶんのアルコール許容量がもうギリギリまで
近づいて来てしまったとき。

あとひとつは単純に「疲れた」とき。

こどものころにさ、
「しゃっくり」とは「横隔膜の痙攣」ていうのを知って。
それからは横隔膜と言えば呼吸かなぁ?! って、
息を止めたり吐いて吸ってを繰り返して止めようと思い、
こどものころはそれでかなり止まったんだけれど。
近頃ではそーもいかないのよ。。。
お酒のときではたとえばウーロン茶を頼んだりして、
そこからすこしでもアルコールが抜けてくれば
「しゃっくり」止まるのじぶんで大体わかっているの。
んでもよ、疲れた場合での「しゃっくり」が出ちゃって、
しかも休めないときにはどーするか??
の問題はじぶんにとってむつかしい~。

昨日は初売りでいろいろ出かけたですが、
やはり疲れたのか超ひさしぶりに「しゃっくり」が出て。
それも2回!(最近ではあんまり出ないんだけど…)
一度目は夕方ぐらいに出て、ひとりベンチで腰かけながら、
呼吸を整えたりいろいろしてみたけどダメで。
それで昨日は母と出かけまして、母の用事が済み、
よし次のところへ行こー! となったところで、
場面が転換したかのように止まった。

二度目は帰りのクルマ運転中、
もうちょっとで家に着くというところで
またもや「しゃっくり」出てきて。ぜんぜん止まらんくて。
もうあきらめつつ運転し家へ到着して、
部屋でからだを横にさせたら一瞬で止まった。。。

「しゃっくり」ってなぜ出るかとかよく知らないけれど、
じぶんの状態を教えてくれる
ひとつの「アラーム」のような気もする~。

2016年1月3日

フジモトマサルさんのカレンダー

2016年01月02日 | 日常


昨年のクリスマスの日、
フジモトマサルさん「卓上カレンダー2016」届きまして。
そして元日の昨日、




壁に飾りました~。

卓上で置くところがないので、
でもかと言って「カレンダー」に穴も開けたくないので、
鋲と壁のあいだに滑り込ませ収納させる方法で、飾る~!

昨年の前半は、
村上春樹さんの期間限定サイト「村上さんのところ」へと、
朝起きて読みにゆくのがもう日課になって。
イラストすてきだなぁ! と日々おもいながら、
フジモトマサルさんをぼくはそこで初めて知ったのですが。
フジモトさんのご逝去を聞きましたときには、
ぼくはほんの少しの時間だけしか知らないけど、寂しくて…
それから、新潮社のサイトで、
「卓上カレンダー2016」購入いたしました。
すてきです! 大事につかいたいっ。

改めましてご冥福をお祈り申しあげます。

2016年1月2日

わかりたい!

2016年01月01日 | 日常
いつぐらいからだったかねぇー、
このブログのテーマみたいなのがさ、
「わからないことを、わかるようになりたい。」
の感じになって。

なんていうか、「わかりたい!」的な。。。

それでね、見たり聞いたり読んだりしたことばを、
たとえば引用いたしましたり。
できるならばじぶんのことばで言おうとしてみたり。
をしてもさー、これまでにぼくがなにかを、
ほんとうに「わかった!」ことってあったのかどーか?!

うーんと。無い、気もするんだよねぇー。

「わかってるけど、できない。」を略したのを、
「わからない。」て言うんだともおもうけれど。
その「わかってる」ではなくってさ、
「できる」というところまでたどりつけるような、
「わかった!」をおもえたら・・・
の、それをね、ぼくは、
インターネットでの「ブログ」という機能を使って、
やってみようって。

「この歳に成って、ようやくわかったんだけど、」
っていうことばをときに聞くことがございますが。
ぼくは、この歳に成ってもまだ
「この歳に成って、ようやくわかった」ことって、
じつは無くって。だから、ちょっと恥ずかしいんだけれど。
それでも、やっぱり「わかりたい!」んだよね。

‥‥っていうよーな、そんな自己満足のブログなのですが、
「自己」をほんとうに「満足」させるのだっても
たぶんかなりむつかしくって。だから、
「自己満足」にまでも達していない気もする。

そーいうことを含めて「わかりたい!」っす~。

2016年1月1日

はじめての寝床

2015年12月28日 | 日常
糸井重里さんがほぼ日で「落語」のことを仰って、
その糸井さんのことばを読んでぼくも
「落語」を聴き始めようと思ったのはいつだっけかなー??
たしか2007年とか2008年とかだったかやぁ。

はじめて聴いたお噺は糸井さんが初心者へお薦めされていた
桂文楽の『寝床』なのですが。その
桂文楽の『寝床』が収録されたCDをツタヤで借り、
家で聞いてみたのだけどねぇ。
さいしょはじつはよくわからなかった。。。

そのときのじぶんの精神状態がさ、
とても不安定だったというのもあるかもしれないけれど。
(少しでも状態よくなるようにと、藁にすがる想いだった)
まずはことばが聞き取れないし、
なのでお噺の内容もあたまに入ってこないし。
決して「落語」の楽しさ面白さに触れたわけじゃなかった。
けれど、どこかなんだか、
聞いておりますと心地がよかったんだよねー。
世界が開いてゆく感覚と申しますか、
じぶんの周りにある壁が少し溶けてゆく感覚と申しますか。
内容よりも、声を聴くことで、
なにかが救われるようなおもいがしたの。

それからはいろいろ「落語」のCDを、
レンタルショップや図書館で借りてまいりまして。
夜の寝るときにベッドのなかでイヤホンで聴いたりして。
柳家小三治さん、春風亭昇太さん、立川志の輔さん、、、
とちょっとずつ聞いておりましたら、
だいぶ噺についてもわかるようになってきたりして。
(文楽の『寝床』も聞き取れるようになっただよー。)
そして何度か劇場へも聴きに行きましたり~。
まぁ、ぜんぜん詳しいとかでは無いんだけれどねっ。

最近はほとんど聴かなくなってしまったですが。
このまえ12月初めに歯の親知らずを抜きまして、
その夜はけっこう痛みが出てちょっと落ち着こうと思い。
でも本は読めないし音楽も聴けない感じだったので、
ひさしぶりに「落語」をっ!!! と、
古今亭志ん朝さんの『抜け雀』を聴いていた~。
おかげさまで痛みを忘れることができ、寝られたよん。

「落語」を聴きながら寝るとたいてい途中で寝ちゃって、
サゲ(落ち)が終わりお客さんの拍手がひびくと、
あ! っていう感じで起きるんですが。
そのまますぐに寝られたらよいだけどそうじゃないときは、
(すこし寝酒でも。)とか思いながら‥‥

よそう、また夢に成るといけねぇ。

2015年12月28日 @ 芝浜

「写真」の授業を思い出した。

2015年12月23日 | 日常
先日浜松へゆき、
専門学校で教えていただきました
先生がたを含む方々の「作品グループ展」訪れたときにね。
ひさしぶりにお逢いしました先生へ、
ごあいさつしたり、おはなしをうかがいまして。

そのなかでもさ、2年生のとき、
「写真」を教えてもらいました先生(榑林先生)に、
お逢いできたのがうれしかった~。

おはなししていたら当時の授業のことも思い出して‥‥

先生は非常勤で、それもたしか前期だけだったのかねぇ?
授業期間はたぶん短かったけれど。おとといでは、
顔を合わせれば「ひでしじゃん!」と間髪いれずに仰って、
ありがたかった。
先生による「写真」の授業では「二人一組」となり、
ひとりがカメラマン役、もうひとりがデザイナー役、で。
デザイナーの側が「こういう写真を撮りたいです。」と、
カメラマンの側に伝え撮影してゆく授業でございまして。
たのしかった、ですが。

ぼくは、何がきっかけだったかは忘れましたが、
スタジオ撮影での時間が空いているときにね、
フィルムカメラを貸してもらい学校のご近所を歩きながら
外の風景を撮って来るというのをさせてもらって。
先生の授業ではそれがとっても思い出深い。。。

撮り方さえまったく知らなかったぼくに、
先生はカメラの原理とかやさしく教えてくださって。
光の量を測定する機械(露出計)を持ちながら、
出来ないながらも色々試しつつ撮っていたのを覚えてる。
晴れの日のときもあれば、大雨の日にも外へゆき、
光の量がぜんぜんちがうみたいなことも少し知ったり。
次の週のときに先生が現像して持ってきてくださるですが、
その「雨の日の写真」にはさ、
校舎のおもてにあるベンチをふと接写して撮ったら、
落ちてきた雨粒がたまたま
ミルククラウンのように綺麗に跳ねるのが写っていて。
先生が写真に指さしてそれを教えてくれたり。。。

当時は体調がすぐれなく、
ご心配をおかけしてしまったりしたこともあったけれど。
そーいうこともふくめていろいろ思い出しておりました。
先生やクラスのみんな、げんきだとよいなー!

2015年12月23日

虹を見た。

2015年12月22日 | 日常
前回も申しましたが、
おとといの日曜日に浜松へゆきまして。
その向かうときにね、運転中の車の中から虹を見た。

そーいえば、虹を見るのひさしぶり~!
と思いながら。。。
帰宅して【虹 浜松】ってTwitter検索してみればさ、
多くのかたがそのときの、
それもかなり立派な虹の画像をアップしておられて。
ぼくの見たのはかすかに淡いものだったんだけれど、
でもそれでも、なにか、ポジティブな感じがしてきて。
なんていうのかねぇ、こっちからあっちへ結ばれる。とか、
過去と未来が現在に繋がりそうなきもち。的な?!

祝福を受けている、みたいな。。。

最近あまり虹を見ていなかったので、
そーいう虹が持つパワーのようなのも忘れてたけれど、
よいものだなぁーって改めておもったんだよね。
いやもう、当然の、当たり前のことを言うですが、
虹の色って神秘だわー。
そこに物は無いのに色が見えるなんてぇぇっっっ!!

虹を見たら、なにか、だいじょうぶ、とおもえた。

2015年12月22日 冬至

ふしぎな街並み

2015年12月21日 | 日常
コンサートや美術館などでこれまで初めて訪れるばしょって
そこへちゃんとたどりつけるか?? とか、
どういうところなんだろう?? とかおもって、
未だに少し緊張しながらそれが楽しみでもあるんだけれど。

昨日はねぇ、お知らせのおはがきをいただきまして、
専門学校のときに教えてくださった先生がたを含む方々の、
作品グループ展へ行ってまいりました。

卒業以来お逢いした先生もいらしてごあいさつをしたり。
作品&展覧会じっくり鑑賞したり。
そのなかでもね、ぼくがいちばん思いましたのは、
会場は「浜松市卸本町」という住所なのですが、
そのばしょ、雰囲気がなにやら不思議な感じだったのー。

先生がおっしゃるには、
昔は卸問屋街として栄えていたけど衰退してしまって、
現在では昔の街並みがそのまま残り。。
なんだか街ごとが真空パックされたみたいな‥‥
建物は昔の昭和のようなままだし、
道路もなんとも言えない幅の長さと碁盤目状の直線と、
ことばではうまく言えないですが空気がどこかちがう的~。
国道一号線「卸本町」交差点より入ってすぐなんだけどね、
そんなばしょがあるなんて全然知らなかった!
先生いわく再開発の計画もあるとのことです。

展覧会が無ければその街のことも知らず入らずだったし。
そんなような行ったことない地帯へと入れるような、
ご縁がありがたいし。おもえば、やはりふしぎ。。。
おげんきそうな先生がたにひさしぶりお逢いできまして、
作品のこと等などおはなし伺えてうれしかったですっ。

2015年12月21日

「知らない」と出あう。

2015年12月20日 | 日常
前回エントリでは、
「じぶんの『知っている』ことを書いてゆくことで、
 逆に、じぶんがどれだけ『知らない』かを
 可視化させているような感覚がしたんだよね。」
と申しあげまして。それからそのあとに、
じぶんの「知らない」事柄とあたらしく出あうためには、
「知っている」範囲のいちばん外側を描くことによって
じぶんの場所から一番近くにある「知らない」へと、
初めて触れることができる。的なことを申しました。

でも、それを書いてからじぶんでなにか違和感をおもって。

そうかもしれないけれど、
そうではないような気もしてきて。。。
「知らない」ことってば、たぶん、
そんな平面上での遠くにあるものだけじゃない。

なんていうんだろうー。たとえば、
じぶんのすきなものごとの下へ下へどんどん掘っていった
その奥深くに「知らない」がひそんでいて、出あう。
とかさ。あとまた、
空をみあげて、雲をつかまえる、とか。
どこかからの水蒸気の循環でやってきた雨を受けるとか。
風を感じるとか。ただよう電波を網でキャッチするとか。
ロケットに乗って宙より星へ到達するかのよーな???

うえのほうから、したのほうから、
どこにでも「知らない」は在って。
じぶんの位置から遠いところで繋がる縁からだけでなくって、
よく「知っている」縁の隣りにも「知らない」が在るし。
日々流れてくる事柄の中にも「知らない」は在り。
そこへ触れるには、どうしたらよいかっ?!

ぼくはよくわからないですが、でもやはり、
じぶんがいかに「知らない」かという
じぶんの「知らなさ」を「知っている」ことが大事かもとは
ちょっとおもうんよ~。

2015年12月20日

「すき」のこと

2015年12月18日 | 日常
たとえば
だれかがだれかを「すき」とおもう想いを
また別のだれかがそれを「異常」だって呼んでしまうのは
悲しいなぁ と感じるけれど

なぜ その別のだれかは「異常」だと感じたのだろう??

たとえばぼくが
なにかとある音楽バンドのことを「すき」とおもっても
考えてみれば世の中にはそのバンドを
「すき」だとおもうひともいれば
「きらい」や「別に」とおもうひとがいて さらには
バンドの存在を「知らない」ひともいる

仮にそのバンドがとても有名なバンドだとしてさ
ファンの数とっても多いとしても
「すき」と「きらい&知らない」の人数を比べてしまえば
「すき」のひとのほうがたぶん圧倒的に少なくて
有名でないとすればその数はさらに少なくなるとおもうの
バンドだけに限らず だれかが だれかを
「すき」とおもうひとと
「そうはおもわない」ひとの数を比べてしまうと
絶対的に「すき」のひとのほうが 少ない

誤解を恐れずに申しますと
あらゆる「すき」とおもう想いは
つまりマイノリティーなのだとおもったのよね

あらゆるマイノリティーを
多数派マジョリティー側はどうおもうか?

「異常」ということばってさ
「あっち」と「こっち」とを分けてからさらに
あっち側が「異常」で こっち側は「正常」なのだと
判別してしまっているところがあって
んでも「正常」とか「正義」や「正しさ」のようなことって
ほんとうに「正」だってすぱっと言い切れるかどうか
ぼくにはよくわからんけれど

だれかがだれかを「すき」とおもう想いを
人数が多いとか少ないとか 普通とはちがうとか
という目で見てしまうのぼくは悲しいだよねぇ

「ひと」が「ひと」を「すき」におもうのって
たとえそれがどんな「すき」であっても
貴いっておもう けれど
でもそうおもうことを「正しさ」の側に置いてしまえば
ぼくもおんなじように差別や排斥のようなふうに
なってしまうかもしれないので むつかしいー

うーんと ちょっと愚痴っぽくなってごめん・・・

2015年12月18日 @ Love Me Do

MUJIのコップと、おもったこと。

2015年12月15日 | 日常
前々回エントリで申しあげました、
コップのことなんだけどね。
ぼくがいつも使ってるコップはさー、




この無印良品の「グラス 約200ml」でございまして。

初めてCafé&Meal MUJIで食事をしたときにね、
お水がなんだかとってもおいしく感じ。
これは、このコップが要因なのかも?? とおもって、
それからその後地元のMUJIで購入したですが。

このまえのエントリでも申しましたみたいに、、




こんな感じ↑で、
調理中の「さいばし置き」としても使っております。
高さや大きさがちょうどよいのよね。
しかも、MUJIのですとどことなく、
どんな使いかたをしても許してくれそうと申しますか、
怒られなさそうな感じがいたしまして。
調理中ちょっと「さいばし」を置いてしまっても、
大丈夫そう、と言いますか。。。

なんて申しましょう、たぶんだけど、
MUJIの使用が限定されてない雰囲気がすきです。
(考えてみますとタグに記された商品説明も、
 そういう限定しないように書かれているやもしれない。
 こんど「限定」のこと少し意識して読んでみたい~。)

んでもこのグラスではお水飲んだりはおいしくっても、
ビールを飲むときはちょっと頼りなげで。
うえへ向かって口のぶぶんが広がっているので、
泡がすぐ消えてしまい。ですのでビールはさ、、、




だいぶ以前に雑貨屋さんで購入いたしました、
このタンブラー(て言うのかな?)で‥‥




呑んでおるー。うまいっ!!!

ワイングラスとかシャンパングラスとかなのかねぇ、
コップやグラスによって飲み物の味が変わるって、
ぼくは全然詳しくないけど、おもえばおもしろい。

おもえばおもしろいことを、おもえるようになりたい。

2015年12月15日

へっこませダイエット

2015年12月14日 | 日常
じぶんのダイエット法、というほどにはね、
おおげさなものじゃないけど。
どこで見たのか聞いたのか覚えていないんですが、
ちょっとふと思い出したときには意識させて
おなかをへっこませるのをしてるー。

例えばおさんぽ中での歩きながら、とか、
ベッドで横になっているとき、とか、
運転中でも食事中でも今現在のネットしているあいだでも、
たくさん食べてしまったときの後には特に、
思い出したら、へっこませるっ。

いっつも常にへっこませてるわけではないけどもさ、
それで効果はどーなんだろーねぇ。。。
どんどん痩せてゆくみたいには成っておらんですが。
なにか、体重のキープ的な?!
やばい。ちょっと増えてる。のときにでも、
すこしすればまた元に戻っていたりするからねぇー、
ありがたい!!

じぶんのからだのどこかを
意識させてちょっとでもよいから動かす。みたいな。
動かして、そして、整える。的な。
ギターの弦みたくじぶんをチューニングするかのような??
「口角を上げる。」ていうのもそうかもしれない。
そーいうことって昔は考え付きもしませんでしたので、
今と成っても方法とかあまりよく知らないんだけれど。
じぶんに合うやりかたを学びたいなーって思うのよ。

それがさ。さらには、
毎日続けられるぐらいのことであればなおのこと、
よいのだけどねー。「願うだけダイエット」とか、
「祈るだけダイエット」のようなのがあればできそうやも。

2015年12月14日

東京へと2015【MOTHER2編】

2015年12月09日 | 日常
前回エントリよりつづきですー。)

HOBONICHIのTOBICHI」をあとにいたしまして。
どこかで休憩したいなーと思い表参道まで戻るも、
通りはどこも大勢のひと。。
表参道ヒルズへ立ち寄るもカフェとかは空いておらず。
だもんで、もう行こうと、駅へ。
(構内のフードコートでカプチーノ飲んだ。)

表参道駅より銀座線乗車・渋谷駅のりかえ、
京王井の頭線で下北沢駅へ。こんかい東京旅行の
最後に向かうのは「ヴィレッジヴァンガード下北沢店」。
げんざいはもう会期終わってしまいましたが、
MOTHERとほぼ日と糸井重里」というイベントへと。




↑お店の入り口。初めておとずれた~!

いっしょに来た母には、
映画『モテキ』で主人公のふたりが最初に待ち合わせする
ばしょなんだけどね。と説明しながら、、、
(母も映画『モテキ』観てたのでさ。)




↑奥のほうに進めばイベント本部のようなばしょ。

それでねぇ、
ゲーム『MOTHER2』登場キャラクターの
スタンプラリーをやりはじめたですが。




(↑帰宅後撮影のラリー台紙。)

なんか、「ネス」「ジェフ」「プー」「どせいさん」
のスタンプはすぐ押せたけれど、
おんなのこの「ポーラ」だけは全然みつからず。
店内をさまよう。。。

初めて来たし。広いし。帰り新幹線の時間もあるし。
母もいっしょに来ているし。で、かなり焦りながら、
(母はそのあいだヴィレヴァン店内を物色してたらしい。)
んでもまったく見つけられなくって。
それでね、ふと考えついたのは、
まだふみこんでいないばしょがあるはずだ。と。
たとえば、じぶんにはそれほど、
ゆかりが無い品物が置いてあるコーナーとか‥‥

って思ったら、もしかしたら、
女のひと関連のグッズばしょとかがそーなのかも??
「ポーラ」はおんなのこのキャラクターだし。。。
そうして探せばよーやくスタンプラリー完成いたしまして。
(「母」が待つなかでゲーム「MOTHER」の、
 「おんなのこ」を探すって結構シュールだと感じつつ…)

この日を含めた3日間は全商品なにか購入すれば、
限定「どせいさん」ショッピング袋の配布だったですが。
レジを待つ列がすごいことになっててあきらめる。




↑お店のガチャガチャで、これを、げっと。

そいで豊橋へ帰ろーとヴィレヴァンを出て下北沢駅へ。
井の頭線・渋谷駅にてこれより品川駅向かおうって、
JRにのりかえ~とおもったときに、、、

(次回東京旅行シリーズ、さいしゅうかい。)

2015年12月9日

東京へと2015【TOBICHI編】

2015年12月08日 | 日常
前回エントリからのつづきですっ。)

HOBONICHIのTOBICHI」へ到着いたしまして。
ぼくがおとずれたときの催し(コンテンツ)は、
シムラの着物ミナの帯」という、
志村ふくみさん・洋子さんの「お着物」と
ミナ ペルホネンの「帯」との、
「であい」を感じることができる展示販売会ー。

「HOBONICHIのTOBICHI」には、
「TOBICHI」と「TOBICHI②」のふた棟がございまして。
まずは「TOBICHI」のほうへと。。




↑「TOBICHI」の入り口より中へ。

ほぼ日手帳」や「ほぼ日」グッズコーナーの奥には、
半畳ほどのたたみの敷かれたスペースが在って。
靴を脱いであがりますと、
棚には志村さんの書籍や手織りストールとポストカード、
壁に「小裂(こぎれ)の額装」がございました。

そして「TOBICHI②」へと。。。




行くときに改めて「TOBICHI」を撮る~!




数軒おとなりの「TOBICHI②」は、
本年2015年2月オープン。
「TOBICHI」も「TOBICHI②」もどちらも憧れでしたので、
おとずれることができて嬉しいっ。




正面には竃と土鍋。の先では墓地をながめて‥‥

「TOBICHI②」の2階では、
「シムラの着物ミナの帯」での「お着物」と「帯」の
展示・販売がなされておりまして。(←大盛況でした!)
赤色と申しますか、朱色と申しますか、の、
格子模様の生地を母と観ているときにね、
志村さんのお弟子さん女性のかたがお声をかけてくださり、
ご説明いただけたのがうれしかったぁ。

すぐこの眼のまえで拝見いたしましたお着物、
ぼくの言葉では何とも言い表せないですが。すてきでした。
お着物の色合いやその雰囲気を、
今もあたまのなかで思い浮かべたりしておりますー。

もう2週間以上前のことで恐縮ではございますが、
「HOBONICHIのTOBICHI」でのこと、
とっても印象深かったですっ。ほいで次のばしょへと~。

(もーすぐ旅も終わりっ。つづきます~)

2015年12月8日