先日このブログでね、ある記事の一環として
6年前の「いったんブログ休止」エントリーに、
リンクを張ってみたのですがー。
その6年前のエントリーをねぇ、
こうなかなか、なんていうのか
直視して読むことができない‥‥。
恥ずかしい。というよりも、痛々しいっ?!
と、それでもね。まぁ、読んでみましたら、
とっても気になって、ちょっとじぶんが
どうしようもなく思ってしまった文章がありましたので。
きょうは、そのことについて記したいと思います。
その文章とは、
「俺の書いたブログで苦しめてしまったあのヒト、みんなには、
ここで深くお詫び申しあげます。ごめんな。」
のところです。(↑コピペするだけでも、キツイ‥‥)
その文章のなにが問題か?! と言えば、
それは、「謝罪」についてのこと。
そんなこんなの。ここで突然ですが、
ほぼ日の「おとなの小論文教室。」にて連載されている
山田ズーニーさんの著書『人とつながる表現教室。』より、
ある箇所を引用いたします。
著書のその箇所では、
「おわび」について考察なされたズーニーさんの記事に、
ほぼ日読者の方々がメールを送り、
そのメールより、またズーニーさんが「おわび」について
思索を深められていく場面‥‥ (←ほぼ日ではこちらより。ですっ)
──────────────────────────────────
読者とのこんなやりとりを見ていた、
「ほぼ日刊イトイ新聞」の、私の編集担当の木村さんが、
ふと、こう言った。
おわびをされる側は、返事はひとつ「ゆるす」しか言えなくて、
そこに違和感というか、
まるでボランティアを強制されてしまうような
居心地の悪さを感じるのかなぁ。
(木村俊介さんからのメール)
返事は一つ「許す」しかない。
これは、とても囲い込まれたコミュニケーションだ。
強制、ゆき過ぎれば、暴力になる。(38頁)
──────────────────────────────────
相手の返事は「許す」しかない。
それは「強制」であり、
ゆき過ぎれば、「暴力」にもなる。
「おわび」という行為は、
方法を誤れば、
ただ「許せ!」という「命令」なのかもしれない‥‥
先程、ぼくがじぶんの記事より引用しました文章ってのは、
そのようなことは、まるで考えられていなくって。
その空気感をいまぼくが読んでも、ちょっとしんどい。
と言いますか…… うーんと。。。
この、ぼくがつくってしまったその状態を、いまでこそ、
なんとかしたい!! という動機より、
きょうのブログを書いています。
うーん、どうしよう?? よしっ!!
あの文章でね、
「あのヒト」と名づけてしまった「その人」と、
そして「みんな」が
いまも、これからも、健やかに暮らすことが出来ますように。
と、ぼくはここで祈ります。
まずは、そのように申し上げたいっ!
と感じました。
それではぁー!!
よい一週間を過ごしましょーっ。
「謝罪」についてのこと、これからも考えていく!
2014年3月17日 @ スヌーピーとオムライス
6年前の「いったんブログ休止」エントリーに、
リンクを張ってみたのですがー。
その6年前のエントリーをねぇ、
こうなかなか、なんていうのか
直視して読むことができない‥‥。
恥ずかしい。というよりも、痛々しいっ?!
と、それでもね。まぁ、読んでみましたら、
とっても気になって、ちょっとじぶんが
どうしようもなく思ってしまった文章がありましたので。
きょうは、そのことについて記したいと思います。
その文章とは、
「俺の書いたブログで苦しめてしまったあのヒト、みんなには、
ここで深くお詫び申しあげます。ごめんな。」
のところです。(↑コピペするだけでも、キツイ‥‥)
その文章のなにが問題か?! と言えば、
それは、「謝罪」についてのこと。
そんなこんなの。ここで突然ですが、
ほぼ日の「おとなの小論文教室。」にて連載されている
山田ズーニーさんの著書『人とつながる表現教室。』より、
ある箇所を引用いたします。
著書のその箇所では、
「おわび」について考察なされたズーニーさんの記事に、
ほぼ日読者の方々がメールを送り、
そのメールより、またズーニーさんが「おわび」について
思索を深められていく場面‥‥ (←ほぼ日ではこちらより。ですっ)
──────────────────────────────────
読者とのこんなやりとりを見ていた、
「ほぼ日刊イトイ新聞」の、私の編集担当の木村さんが、
ふと、こう言った。
おわびをされる側は、返事はひとつ「ゆるす」しか言えなくて、
そこに違和感というか、
まるでボランティアを強制されてしまうような
居心地の悪さを感じるのかなぁ。
(木村俊介さんからのメール)
返事は一つ「許す」しかない。
これは、とても囲い込まれたコミュニケーションだ。
強制、ゆき過ぎれば、暴力になる。(38頁)
──────────────────────────────────
相手の返事は「許す」しかない。
それは「強制」であり、
ゆき過ぎれば、「暴力」にもなる。
「おわび」という行為は、
方法を誤れば、
ただ「許せ!」という「命令」なのかもしれない‥‥
先程、ぼくがじぶんの記事より引用しました文章ってのは、
そのようなことは、まるで考えられていなくって。
その空気感をいまぼくが読んでも、ちょっとしんどい。
と言いますか…… うーんと。。。
この、ぼくがつくってしまったその状態を、いまでこそ、
なんとかしたい!! という動機より、
きょうのブログを書いています。
うーん、どうしよう?? よしっ!!
あの文章でね、
「あのヒト」と名づけてしまった「その人」と、
そして「みんな」が
いまも、これからも、健やかに暮らすことが出来ますように。
と、ぼくはここで祈ります。
まずは、そのように申し上げたいっ!
と感じました。
それではぁー!!
よい一週間を過ごしましょーっ。
「謝罪」についてのこと、これからも考えていく!
2014年3月17日 @ スヌーピーとオムライス