こんにちは!
前回エントリでは、これまでなぜか封印していた
ミスチルの『深海』をひさしぶりに聴き、
(素敵だなぁ!)と想いながら考えておりました
ミスター・チルドレンの「海」の事について申しあげます。
それとはね、ミスチルの歌、
いろいろなモチーフが登場するとは思うのですが
(←パッとおもうのは「風」とか「靴」とか、かねぇ。)
の、なかでもさ、
「海」のそんざいがとっても大事なのではないかっ?!
と感じました。
たとえば、、、
「夕暮れの海に ほほを染めた君が
誰よりも 何よりも 一番好きだった
二人していつも あの海を見てたね
日に焼けた お互いの肩にもたれたまま 一日中 笑ってた」
君がいた夏 / Mr.Children
1992年・デビューシングル
『君がいた夏』でのうたい始めの歌詞より、
さいしょの「海」が唄われていて。
それで、ベストアルバム『肉』の解説を拝見いたしますと
「ちなみに詞の背景となったのは、
桜井が子供のころに親しんだ、山形の海。」
とのことで。また、
「防波堤に打ち寄せる波の飛沫(しぶき) 浴びれば
出会った日の二人がReplayしてる
はぐれた時間(とき)の隙間など きっとすぐ埋まるよ
ためらいのない想いが蘇る」
Replay / Mr.Children
1993年・3rdシングル
『Replay』でもぜんたいに渡って「海」が唄われていて、
なんかその感じがすてきなんよね。
と、云うのから、一転‥‥
「罪深き恋の中で
愛しさに身悶えて
儚い闇を泳ぐ」
ジェラシー / Mr.Children
1994年・4thアルバム『Atomic Heart』の7曲目
『ジェラシー』では、
「魔性」と「母性」の海に「溺れてゆく」であるような…
これまで「海」を砂浜より眺めてたのが、
ここから「海」の中へと入ってゆく感覚であるのかーっ??
えーと、よくわかりませんが。
「シーラカンス
君はまだ深い海の底で静かに生きてるの?
シーラカンス
君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの?」
シーラカンス / Mr.Children
前回エントリより申しあげております、
1996年・5thアルバム『深海』での
オープニングインスト『Dive』よりひきつづき2曲目
『シーラカンス』から、、、
「僕の心の奥深く
深海で君の影揺れる
あどけなかった日の僕は
夢中で君を追いかけて 追いかけてたっけ」
深海 / Mr.Children
最終14曲目『深海』までのあいだ、
深い深い「海」の底まで潜ってゆき
だれのことを仰っているかはわかりませんが、
「僕」と云うひとは「君」のことを考える。
ぼくは、ひそかに『深海』の

↑このジャケットが好きなんよねぇー!!
と、そして、
「飛び込み台の上 僕等は否応無く
背中を押され落ちてくんだ
溺れそうな魂 水しぶきをあげて
息絶え絶え水面をかく
けれど」
Image / Mr.Children
1999年・7thアルバム『DISCOVERY』最終11曲目
『Image』 では、
なにか『深海』の影、と申しますか、でも
「飛び込み台」ということばとは、
『深海』が別のイメージへ変化してゆくかのような…
また、
「孤独とゆう暗い海に ひとつの灯台を築こう
君はただそれを見ていればいい
一番安らげる場所で」
安らげる場所 / Mr.Children
2000年・9thアルバム『Q』最終13曲目
『安らげる場所』では、
「暗い海」に「灯台」が築かれる。
『Q』のアルバム・ジャケット、

↑この、砂浜で、頭部だけ潜水服を着ている感じが
なにやら意味深なのよね…
「ゆけ 荒れ狂う海原の上
未来へと 手を突き出して
もしかしたらずっと何も起こんないかも
でも 永遠のパドリング」
PADDLE / Mr.Children
2004年・11thアルバム『シフクノオト』2曲目
『PADDLE』では、
荒れ狂う「海」でももう溺れずに「ゆけ」と鼓舞させながら
「パドリング」を続ける姿が、かっこよい!!
っと、そしてっ、
「そうだ 明日プールに行こう
澄んだ水の中 潜水で泳いで
苦しくたって 出来るだけ 出来るだけ
遠くまで あぁ あぁ あぁ あぁ 生きてるって感じ」
潜水 / Mr.Children
2005年・12thアルバム『I▼U』(▼部分は「ハート」)の
最終13曲目
『潜水』が、ぼくはもう大すきなのですがっ。
ぼくはさ、5thアルバム『深海』の『深海』と
この『潜水』と云う曲はセットなのではないか?!
っておもっているのよねー。
(どちらもアルバム最終曲で、漢字2文字だし、
語呂が「○ん○い」だから。)
んでも、その2曲の違うところは、
『深海』では「死」が唄われていて、
『潜水』では「生」が唄われている。
深い深い「海」だと思われていた場所とは、
じつは「プール」なのであった‥‥
‥‥と、そのように考えてみますと、
なんかミスチルが、時間をかけ
どんどん巨大となってゆく姿が思い出されて、
すごいっ!! ておもった。
あっ。あの、
こんかいのブログ、チョー長くなっているけれど、
まだまだつづくわよ。。。
「この目の前にある恐ろしくて
それでいて優しい海原を
僕は泳いでく 君と泳いでく」
Wake me up! / Mr.Children
2007年・13thアルバム『HOME』の
オープニング曲『叫び 祈り』からつづいて2曲目
『Wake me up!』では、
「恐ろしくて それでいて『優しい』海原を」
とおっしゃる詞が、とても感慨ぶかい……
からの、さらに
「キャッチボールをしたり 海で泳いだり
アルバムにだって貼り付けてあるんだもの
ちゃんと覚えてるんだ ちゃんと覚えてるんだ
ちゃんと覚えてるんだ こんなに」
あんまり覚えてないや / Mr.Children
同じく『HOME』の、最終14曲目
『あんまり覚えてないや』では、
過去の「海」での思い出も思い出しながら。。
と、前アルバムの最終曲『潜水』で、
「そうだ 明日プールに行こう」てゆうコトなので、
『HOME』のアルバム・ジャケットは

↑次の日プールをおとずれ、
ミスチルは現地でとある家族と出あった。的な?!
「さぁ 旅立ちのときは今
風をよんでデカい帆をはれ!」
fanfare / Mr.Children
2009年・配信限定シングル
『fanfare』では、
これまで生身のからだで泳いでいたのが
「船」を手に入れ、いざ出航!
そんで、
「アスファルトを飛び跳ねる
トビウオに擬態して
血を流し それでも遠く伸びて」
擬態 / Mr.Children
2010年・16thアルバム『SENSE』2曲目
『擬態』では、もう
アスファルトの地面すら「海」と成ってしまってて。
そして、そのジャケットは

↑海面よりジャンプする、クジラ!!
と、このようにぼくがおもったのはさ、
ミスチルとは作品を重ねるごとに
「海」のイメージをどんどん深化させて行ったのではないか。
ってかんじたの~。
そして、また別にもうひとつだけ
『深海』を聴いて想ったことがございまして。
それは次回ブログにて申しあげます、ってゆーか、
文章がもう完全に長くなってしまっていて
よんでくださった方がもしおられましたら、感謝!!
ありがとうね。
2015年3月9日 @ hypnosis
前回エントリでは、これまでなぜか封印していた
ミスチルの『深海』をひさしぶりに聴き、
(素敵だなぁ!)と想いながら考えておりました
ミスター・チルドレンの「海」の事について申しあげます。
それとはね、ミスチルの歌、
いろいろなモチーフが登場するとは思うのですが
(←パッとおもうのは「風」とか「靴」とか、かねぇ。)
の、なかでもさ、
「海」のそんざいがとっても大事なのではないかっ?!
と感じました。
たとえば、、、
「夕暮れの海に ほほを染めた君が
誰よりも 何よりも 一番好きだった
二人していつも あの海を見てたね
日に焼けた お互いの肩にもたれたまま 一日中 笑ってた」
君がいた夏 / Mr.Children
1992年・デビューシングル
『君がいた夏』でのうたい始めの歌詞より、
さいしょの「海」が唄われていて。
それで、ベストアルバム『肉』の解説を拝見いたしますと
「ちなみに詞の背景となったのは、
桜井が子供のころに親しんだ、山形の海。」
とのことで。また、
「防波堤に打ち寄せる波の飛沫(しぶき) 浴びれば
出会った日の二人がReplayしてる
はぐれた時間(とき)の隙間など きっとすぐ埋まるよ
ためらいのない想いが蘇る」
Replay / Mr.Children
1993年・3rdシングル
『Replay』でもぜんたいに渡って「海」が唄われていて、
なんかその感じがすてきなんよね。
と、云うのから、一転‥‥
「罪深き恋の中で
愛しさに身悶えて
儚い闇を泳ぐ」
ジェラシー / Mr.Children
1994年・4thアルバム『Atomic Heart』の7曲目
『ジェラシー』では、
「魔性」と「母性」の海に「溺れてゆく」であるような…
これまで「海」を砂浜より眺めてたのが、
ここから「海」の中へと入ってゆく感覚であるのかーっ??
えーと、よくわかりませんが。
「シーラカンス
君はまだ深い海の底で静かに生きてるの?
シーラカンス
君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの?」
シーラカンス / Mr.Children
前回エントリより申しあげております、
1996年・5thアルバム『深海』での
オープニングインスト『Dive』よりひきつづき2曲目
『シーラカンス』から、、、
「僕の心の奥深く
深海で君の影揺れる
あどけなかった日の僕は
夢中で君を追いかけて 追いかけてたっけ」
深海 / Mr.Children
最終14曲目『深海』までのあいだ、
深い深い「海」の底まで潜ってゆき
だれのことを仰っているかはわかりませんが、
「僕」と云うひとは「君」のことを考える。
ぼくは、ひそかに『深海』の

↑このジャケットが好きなんよねぇー!!
と、そして、
「飛び込み台の上 僕等は否応無く
背中を押され落ちてくんだ
溺れそうな魂 水しぶきをあげて
息絶え絶え水面をかく
けれど」
Image / Mr.Children
1999年・7thアルバム『DISCOVERY』最終11曲目
『Image』 では、
なにか『深海』の影、と申しますか、でも
「飛び込み台」ということばとは、
『深海』が別のイメージへ変化してゆくかのような…
また、
「孤独とゆう暗い海に ひとつの灯台を築こう
君はただそれを見ていればいい
一番安らげる場所で」
安らげる場所 / Mr.Children
2000年・9thアルバム『Q』最終13曲目
『安らげる場所』では、
「暗い海」に「灯台」が築かれる。
『Q』のアルバム・ジャケット、

↑この、砂浜で、頭部だけ潜水服を着ている感じが
なにやら意味深なのよね…
「ゆけ 荒れ狂う海原の上
未来へと 手を突き出して
もしかしたらずっと何も起こんないかも
でも 永遠のパドリング」
PADDLE / Mr.Children
2004年・11thアルバム『シフクノオト』2曲目
『PADDLE』では、
荒れ狂う「海」でももう溺れずに「ゆけ」と鼓舞させながら
「パドリング」を続ける姿が、かっこよい!!
っと、そしてっ、
「そうだ 明日プールに行こう
澄んだ水の中 潜水で泳いで
苦しくたって 出来るだけ 出来るだけ
遠くまで あぁ あぁ あぁ あぁ 生きてるって感じ」
潜水 / Mr.Children
2005年・12thアルバム『I▼U』(▼部分は「ハート」)の
最終13曲目
『潜水』が、ぼくはもう大すきなのですがっ。
ぼくはさ、5thアルバム『深海』の『深海』と
この『潜水』と云う曲はセットなのではないか?!
っておもっているのよねー。
(どちらもアルバム最終曲で、漢字2文字だし、
語呂が「○ん○い」だから。)
んでも、その2曲の違うところは、
『深海』では「死」が唄われていて、
『潜水』では「生」が唄われている。
深い深い「海」だと思われていた場所とは、
じつは「プール」なのであった‥‥
‥‥と、そのように考えてみますと、
なんかミスチルが、時間をかけ
どんどん巨大となってゆく姿が思い出されて、
すごいっ!! ておもった。
あっ。あの、
こんかいのブログ、チョー長くなっているけれど、
まだまだつづくわよ。。。
「この目の前にある恐ろしくて
それでいて優しい海原を
僕は泳いでく 君と泳いでく」
Wake me up! / Mr.Children
2007年・13thアルバム『HOME』の
オープニング曲『叫び 祈り』からつづいて2曲目
『Wake me up!』では、
「恐ろしくて それでいて『優しい』海原を」
とおっしゃる詞が、とても感慨ぶかい……
からの、さらに
「キャッチボールをしたり 海で泳いだり
アルバムにだって貼り付けてあるんだもの
ちゃんと覚えてるんだ ちゃんと覚えてるんだ
ちゃんと覚えてるんだ こんなに」
あんまり覚えてないや / Mr.Children
同じく『HOME』の、最終14曲目
『あんまり覚えてないや』では、
過去の「海」での思い出も思い出しながら。。
と、前アルバムの最終曲『潜水』で、
「そうだ 明日プールに行こう」てゆうコトなので、
『HOME』のアルバム・ジャケットは

↑次の日プールをおとずれ、
ミスチルは現地でとある家族と出あった。的な?!
「さぁ 旅立ちのときは今
風をよんでデカい帆をはれ!」
fanfare / Mr.Children
2009年・配信限定シングル
『fanfare』では、
これまで生身のからだで泳いでいたのが
「船」を手に入れ、いざ出航!
そんで、
「アスファルトを飛び跳ねる
トビウオに擬態して
血を流し それでも遠く伸びて」
擬態 / Mr.Children
2010年・16thアルバム『SENSE』2曲目
『擬態』では、もう
アスファルトの地面すら「海」と成ってしまってて。
そして、そのジャケットは

↑海面よりジャンプする、クジラ!!
と、このようにぼくがおもったのはさ、
ミスチルとは作品を重ねるごとに
「海」のイメージをどんどん深化させて行ったのではないか。
ってかんじたの~。
そして、また別にもうひとつだけ
『深海』を聴いて想ったことがございまして。
それは次回ブログにて申しあげます、ってゆーか、
文章がもう完全に長くなってしまっていて
よんでくださった方がもしおられましたら、感謝!!
ありがとうね。
2015年3月9日 @ hypnosis