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なら斬り開く?!

アジもホッケも、物事さえをも、斬り開く。

ノックについて。(前編)

2015年08月06日 | 音楽
「未来へ続く扉
 相変わらず僕はノックし続ける
 し続ける」


    未完 / Mr.Children





ミスチル最新アルバム『REFLECTION』{Naked}の
最終23曲目『未完』での、
歌詞のいちばん最後に登場してくる
「ノック」とはなにか?! っていうのを最近考えてて。

考えながら、まずはおもいだしましたのが
『終わりなき旅』なのですが、、、





「いいことばかりでは無いさ
 でも次の扉をノックしたい
 もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅」


     終わりなき旅 / Mr.Children





『終わりなき旅』、すっごい大好きなのだけれど、
でもじつはちょっとだけ苦手で…
それはたぶん「自分探し」のことが唄われてるからかなぁ。
ともすこしおもいながら。。。

【真の「自分探し」とはなにか?】ってのも考えながら。

そして、今、こう改めて考えてみるとさ。
「閉ざされたドア」へ辿り着いたとき、
ドアノブをガチャガチャさせたりして
扉をじぶんの力で強引にこじ開けようとするんではなく、

♪ノックしたい

と、「開く」ことや「越境する」ことよりも、
「ノック」を重要視しているのって、
そういえば結構独特かも知れないと存じまして。

(じぶんで「開ける」でなくて、
 向こうから「開けてもらう」、みたいな???)

たとえば、
12thアルバム『I▽U』(「▽」はハートの記号。)収録の
『Door』や、





「そのドアを開けてくれ そのドアを開けてくれ
 もう何十回もノックしてノックしてるよ
 居留守をつかってんのなんて知っているよ
 開けてくれ」


     Door / Mr.Children 





おなじく『I▽U』の『Monster』では





「Knock Knock
 誰かいますか? 開けてくれますか?
 Knock Knock
 ご存知ですか? 僕はモンスター」


     Monster / Mr.Children





もう執拗なくらいに「ノック」が繰り返され、
「開けてくれ」「開けてくれ」「開けてくれますか?」と
扉の向こう側に居るひとへ
まさしくモンスターのように懇願する。

ともおもえば、、、





「足音を忍ばせ 君の扉の前に立ち
 中から漏れる声に耳を澄ましたら
 驚かさないようにそっとノックをしなくちゃな
 ねぇそこにいるんだろう?
 もう入ってもいいかなぁ?
 君のその内側へと 僕は手を伸ばしているよ」


     少年 / Mr.Children





15thアルバム『SUPERMARKET FANTASY』の
『少年』では、
「そっと『ノック』をしなくちゃな」って、
やさしく、しずかに、扉は叩かれる。

開くかどうかはべつにして‥‥

その「手を伸ばしているよ」からはさ、





「果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう
 誰かの為に生きてみても oh oh Tomorrow never knows
 心のまま僕はゆくのさ 誰も知る事のない明日へ」


     Tomorrow never knows / Mr.Children





『Tomorrow never knows』のコトもおもいだしたり。

闇のなかでの先に、ふと相手のそんざいをかんじるも、
その相手との間には「ドア」があった!
という状態?!!

(次回につづきます。)

2015年8月6日 @ FIGHT CLUB

{Naked}の仰天性。

2015年07月21日 | 音楽
「やっと一息つけるねって思ったのも束の間
 また僕は走り出す
 決してのんびり暮らすのが嫌いなわけじゃない
 でももう一度走り出す」


      幻聴/Mr.Children





ミスチルの『REFLECTION』{Naked}の全23曲をね、
はじめからおわりまで通して聴いておって。
じぶんは、なににいちばん仰天するかと申しあげますと、、
23曲どれもがすてき! とゆうのはさ、
それはもうもちろんのコトなんじゃけれど。。。
あのー、

18曲めの『幻聴』が終わっても、まだ、続きがあるっ!!

でございます。
『REM』→『WALTZ』→『進化論』とひきつづき、
この流れのまま『幻聴』が流れてくるとさ、もう、
ぼくは毎回サイコーの気分になってしまうんですが。
{Naked}版ですと、さらにそこから次の
インスト曲『Reflection』が流れ始めて来て。まだまだ、
このアルバムには続きがあるんだぁ!! と毎回驚くの。

({Drip}版ではその次の『足音』でラストだからさ。)

{Naked}での、めっちゃ
たくさんの曲をそのそれまでに聴いてきて、そして、
『幻聴』で盛りあがりマジ最高潮になったところで、、、、
でも、まだよい時間はつづく。。って、すごいよ~。

あっ! あの、『幻聴』のコトで申しあげますと…





「夢から夢へと橋を架けて渡る
 そんなイメージが駆け巡り」






ここ↑のね、 「1番」のサビ前のかしょと…





「一歩 また一歩 確実に進む
 そんなイメージも忘れずに」






この↑「2番」サビ前の歌詞との対比が、すばらしいっ。
とくには「♪わすれぇずにー」のところの、
桜井さんの歌い方がだいすきっ!!!





「また今日も 夢の橋を渡り追いかけるよ」





そして『幻聴』はおわり、『Reflection』がはじまって。。

歌詞ブックレットでは左がわが『幻聴』、
右がわは『Reflection』なのですが。
その『Reflection』のほうのページでの、
何重となった「虹」の(ような??)写真がとてもすてき。

『幻聴』での「夢の橋」が、次へ向かって、
まさに架けられてゆくかのような……

なんかさ、ぼくを「呼ぶ声」も、聞こえてくるやも?!

2015年7月21日 @ 遠くへと

そこに在ったんだ

2015年07月06日 | 音楽
「月曜日の朝から 風変わりな少女が歌う
 その小さな願いから
 ささやかな兆しが芽吹いたんだ」


 Standard / スタンダード / ASIAN KUNG-FU GENERATION





アジカンのあたらしいアルバム発売以来、ぼくは、
『Standard / スタンダード』が大すきなのですが。
聴いているとぉ、なんか、不思議なきもちになってくる。

なんだろうねぇ、これは、さ、、、

これまでのどの音楽でもあまり感じたことないみたいな、
ひろがり、、、どんどんと、広がってゆくかのような光景が
イメージとしてあたまのなかに浮かびあがるんだ!

そこにはこの歌の音楽の内部には、
どんなマジックが込められているか?? なんてのは、
ぼくでは到底全貌を計り知ることはできないだけれど。

『Standard / スタンダード』を聴きながら、
すこしだけ考えていたんだ…





「半年後の広場は賛同者で膨れあがった
 中央ではスーツの聖職者が声をあげた
 小さな願いは今日 スタンダードだ」






アジカン・後藤さんが雑誌インタビューの中で、この歌には
「全然、1回も俺が出てこない。」とおっしゃっていて。
『ロッキング・オン・ジャパン』6月号、63頁より。)
それとはつまり、主語が関係しているかも知れないなぁ。
とおもったのね。歌詞での

「風変わりな少女 / A quirky young girl」

がいちばんの主人公なのだとおもうけれど、
でもそこから主語はどんどんと移り変わってゆく!

「風変わりな少女 / A quirky young girl」の、
「最初の理解者 / Her first empathizer」である
「赤いコートの老婆 / an old woman in a red coat」。
その少し後から足を止める
「二十歳前後の少年たち / Boys around their early twenties」。

であるかのようにさ。。。

半年後、この広場の中央では、
「スーツの聖職者 / A clergyman in a suit」が
声をあげるほどまでにもなっている。
と。そして、主語は「ひと」だけに限らない。
「広場 / the square」であったり、
「小さな願い / Her small dreams」であったり。

でも、そこでは、その光景を見ながら描写しているはずの
「俺 / I」はどこにもいない。ただたんたんと、
「広場 / the square」にて、
人々の想いの膨れあがってゆく様子だけが描かれている……

…もう、なんか、この歌の真の主役・主語とは、
「風変わりな少女 / A quirky young girl」が歌っているその
「広場 / the square」なのではないかっ??! 





「少女は風変わりなまま歌ったんだ
 風変わりなまま そこに在ったんだ」






‥‥と、話は変わりまして。
先日、映画『海街diary』を観てまいりまして。

こちらもね、これまでには感じたことがないような
あたらしい感覚の感動を想いまして。
(いや、そーいえばまたその先日に拝見をいたしました、
愛を積むひと』でもどこか感じたのだった…)
この感覚ってば、どういうことなのか?? は、
まだうまく説明できないですが。
もしかしたらこれっても主語のコトかも知れないわぁー。

シーンごとに、主語は、どんどん入れ替わる!!

それは、もちろん
「四姉妹」のかたがたであったり、またときには、
ほかの登場人物のかたでございましたり。
「食べ物」であったり、「お酒」であったり。
「梅」や「梅酒」や「梅の木」が主役の場面もあれば、
「四姉妹」の住む「家」や「鎌倉」の街、季節、海、の
あらゆるが主語になっている。かのように感じて。。。

その感覚がっ、どこかむしょうに心地よかったぁ~!!

それで映画を観たあとになり、そのふんいきが、
アジカンの『Standard / スタンダード』と
どこかリンクしているよーに思ったんだよね。

まさに、なにかが「そこに在ったんだ」的な……

2015年7月6日 @ 極楽寺ハートブレイク

『REFLECTION』と山手線

2015年06月19日 | 音楽
Mr.Childrenの新アルバム『REFLECTION』はつばいから
2週間ちょっと経つのだけども、
その全貌はまだぜんぜんつかめない。

23曲、とゆうアルバムの規模があまりにおおきくって、
すんごく聴いている曲もあれば、
まだそこのところまで辿り着けていない曲もあって。
んでもその感じがまた新鮮で、たのしい!

この感じなにかに似ているかもぉー? とおもって、
考えていてふと思いついたのはねぇ、
東京の「山手線」なんだわ。って。。。

「山手線」はネットで調べると全部で29駅あって、
それら29駅が東京をぐるーって環状している。
「東京駅」や「新宿駅」のように超大きな駅もあれば、
ぼくにとっては「品川駅」とゆう玄関駅。
「原宿駅」→「渋谷駅」→「恵比寿駅」の黄金コース?!
巨大な駅でもまだ降りたことのない「池袋駅」もあれば、
「浜松町駅」や「高田馬場駅」は
いつの日だったか用事があって降りたり。。
「巣鴨駅」や「秋葉原駅」と聞けば、
とくにきわだつオリジナリティを感じます……

Mr.Childrenの『REFLECTION』{Naked}の23曲とは、
「山手線」ひとつひとつの「駅」のようでさ、
とある範囲をぐるーって環状しているの。

よく行く「曲」もあれば、
まだあんまり馴染みない「曲」もあって。

そして、線路は「山手線」だけではなくってよ、
例えば「新宿駅」から「東京駅」までは
「中央線快速」でつながってるし。
「JR」だけじゃなく「東京メトロ」もあるとゆうことで、
総ての駅から総ての駅までがもう網目状に繋がり繋がる。

それはさながら「曲」と「曲」とのつながりのよう。。。

ってなるとだよ、
厳選14曲収録の{Drip}はどうか?! とおもえば、
わからないけれどたとえば旅行会社の観光プランで
選ばれた「駅」を観光バスで順番に訪れる。的な???

線路じゃなく、道路。みたいな~。

なんかそーいうふうに考えてみるとね、
まだまだ聴けてない曲ばっかりだし。
繋がりからの繋がりなんて、全く感じられちゃいねぇわっ!

♪さぁ行こうか 常識という壁を超え

2015年6月19日 @ 未完

ぼくは「音楽」をすきではない?!

2015年06月06日 | 音楽
よくよく考えてみるとね、ぼくは
「音楽」のことを「すきではない。」かもしれない?!
ってふとおもいまして。

でも、かと言って「音楽」を「すきではない。」ならば、
「嫌い」か??
とゆうのはもちろんそんなことなくって。

じゃあ、なんなのかーっ!!

それはさ、
じぶんの「すきなミュージシャン」つまり「すきなひと」の
歌・曲が「すき。」なだけ。とおもったんだよね。
あ、あの、んでもこの言い方↑は、
やっぱしちょっと厳密過ぎる感もするんだけれども。
なんか今はこのように言うことが、
じぶんにとって大事かもってちょいと感じたの。

たとえば、じぶんは、
よく存じ上げない音楽イベントやライブハウスやCDを
聴いたり探したり訪れたりってゆうのはホントごく稀で。
昔からもうほとんどやっていなくって。
(ジャケ買いも、大学生の頃に少しのくらいで…)

それとはつまり、ぼくと致しましては別に「音楽」のことが
「嫌い」とゆうわけでは無いけれども、
「音楽」が「すき。」って言うほどでも、無く。。

また、なんとなくじぶんのなかでは、
「すきなひとの音楽」を聴くだけで精一杯。
みたいな感じはあるわねー。

幅をひろげたいとはおもっても、なかなか、
じぶん自身の足で開拓するてのは出来難い性分だし。なので
「すきなミュージシャン」のかたに限らず、
ぼくの「すきなひと」が紹介してくれる「音楽」を、
有り難いと思いながら少しずつ聞いてゆく。みたいな。。。

そんな、出会いのつながりを。

2015年6月6日 @ Wonder Future / ワンダーフューチャー

{Naked}の宝物感。

2015年06月05日 | 音楽

Mr.Childrenの新アルバム『REFLECTION』の
{Naked}
とゆう豪華版をねぇ、あの、
購入いたしてしまったのだけれどもぉー。

なんかもう、お店で手にしたその瞬間から
「宝物感。」がはんぱなくって。。
まずは、とてもありがたい。もう、とっても有り難い…

すこしずつでも、ほんのすこしずつからでも、
大事に聴いて。そして、
アルバムの「中」のすべてを感じたい。
っておもいましたです。まずは、感謝!!

2015年6月5日 @ fantasy

深く掘るには‥‥

2015年05月12日 | 音楽
「深く掘るには、広く掘らなければいけない。」
ということばを知ってからは、
その「掘る」のことをちょっと考えていて。

(このことばは、
 コピーライター・岡本欣也さんの著書
 『「売り言葉」と「買い言葉」』171頁より引用です。)

それはね、アイデアを考えるときの「方法」として
岡本さんはおっしゃっているのですが。
「深く掘るには、広く掘らなければいけない。」
のコトって、もっとさまざまなところで応用できるかも…
とも感じておりまして。。。

たとえば、音楽鑑賞!!

ほんじつ2015年5月12日が生誕50歳でございます
奥田民生さんの音楽がぼくはすきなのですが。そのたとえば
奥田民生さんの音楽をより深く聴こうとするなら、
奥田民生さんの音楽「だけ」を聴いていても、
奥田民生さんの音楽はわからない、のかも、とおもって。

「深く掘るには、広く掘らなければいけない。」

なのであれば、それこそ、
「広く」聴こうとするコトが大事かも。ってさ。

なんだろう、たとえば、
奥田民生さんのアルバム『E』の1曲目には、
『俺は知ってるぜ』とゆう曲がございますのですが。
ぼくはさ、これはあとから知ったことなのだけれども
『俺は知ってるぜ』とは、
石原裕次郎さんの『俺は待ってるぜ』のオマージュ?!

そのことを知ってからは図書館でベストCDを借りてきて、
クルマのなかで聴いたりして。。
(とくには、『倖せはここに』がすてきな曲です~!)

んと、なんかそういう
音楽のつながりを意識させながら裾野を広げてくように、
そしてさいしゅうてきにはっ、
中心箇所を深く深く掘り下げてゆけるようにぃー、
音楽を鑑賞したいっておもっているの。

あとはほかにはなんだろうね、たとえば、
クレイジーキャッツや、ザ・フォーク・クルセダーズや、
Chuck BerryJimi HendrixLed ZeppelinThe Beatles
って、なんか有名どころしかパッと出てこらんけど、
そこからのさらなるつながりを聴いてみたい~っ!!

と。なんて申しますか、よく言われているよーな
「狭く、深く。」でも無く「広く、浅く。」でも無い、
「深く掘るには、広く掘らなければいけない。」
のことばをおもいながら。。。

2015年5月12日 @ もみじまんごじゅう

ついていくぞ!!

2015年05月11日 | 音楽
ハロルド作石さんの漫画『BECK』でね。
とある事情でバンドから長く離れていたギターの竜介が
ひさかたぶりに急遽1曲だけ復活をして、
The Rolling Stonesの『Street Fighting Man』を
バンドで演奏するシーン(←単行本「20巻」より。)
のコトなのだけれども。

演奏の途中までは順調だったのだけど突如、竜介が
感情ムキ出しと成って、
ギターの音が完全に暴走をし始めるとき。
バンドメンバーのギターボーカル・コユキは心の中で、
(ついていくぞ!!)とおもい、そして
それこそ、バンド全員が竜介のギターに応えるかのように
もう原曲の跡形も無いアドリブで演奏が続けられてゆく‥‥

‥‥ってゆうその場面がさ、
とくに強くこころに残っておるのですが。そんな、
(ついていくぞ!!)という気持ちって、
いろいろなシーンで例えば会話とか相手とのやりとりとかで
大事なのではないか?! っておもったの。

もしも、
(ついていくぞ!!)の気持ちが無かったのなら、
現在の関係性が崩れ去ってしまうとき。てゆうのがあって。
そのときに(ついていくぞ!!)とおもい、
「ついていく」から新しい信頼関係が芽生え始める。。

…的なコトからね、またちょっとだけ話は飛ぶのですが。

たとえば、某ショッピングサイトのレビューで、
音楽CDの発売日直後にもういきなり
「今回の曲は、がっかりでした。」等と記されてたりして。
ただの一聴で若しくはほんの数日で、
その曲がじぶんに合うのか合わないのかを評価するってば、
それから、本人の鑑賞能力が
薄くなって行ってしまうような気がするんだよね。

いや、べつに、それはどっちでもよいんだけれど。。。

じぶんとしては、なんか、そういうときにでも
たとえ当初はなんか合わないとゆう気がしたとしても、
ついていけるかぜんぜんわからないとしてみても、
(ついていくぞ!!)の気持ちをどこかで抱きながら
ついていこうと試みたいっ!!

もしかしたらそこから、
未知の世界とつながることが出来るのかも知れないわ。

2015年5月11日 @ 風は西から

『一輪の車』

2015年05月10日 | 音楽
「なんにも知らない子供とちがって
 知識が体をちぢめてしまって
 練習 練習 しましょう」


    一輪の車/奥田民生





クルマのなかでひさしぶりに
奥田民生さんのアルバム『O.T. Come Home』を聴いてたら
『一輪の車』がやっぱり名曲すぎ~! とおもって。

『一輪の車』はね、
ある大人のひとが「一輪車」に乗りたいってゆうんで、
練習をする。ってゆう歌なんだけれど。
大人だからさ、子供とちがってなかなかうまくいかないし、
仕事もあるから毎日は練習できなくて、、、





「練習 練習 しましょう
 毎週 練習 しましょう しましょう」






この↑ように「毎週」しか練習できないの。
さらには、ひとりで練習するにはちょっとばかり
寂しいのか、





「壁のかげから ながめてよ
 チラ見でいいから ながめてよ
 もしも乗れたら この柱から あの柱まで」






ご家族のかたに
「チラ見でいいから ながめてよ」と願いつつ、
もしも乗れた日のことを想いながらさらに練習をする。。





「練習 練習 しましょう
 毎週 練習 しましょう しましょう」






そして、その「毎週」の練習の果てには、、、





「やっと 柱から離れたよ
 ぼんやりコツがつかめてるよ
 もしも乗れたら この柱から あの柱までが 楽しい」






どーにか、やっと「柱」から離れることができた、
ぼんやりと「コツ」がつかめてるよーな???
って、そうおもったら、
もしも乗れた日のことを想像するのにも思わず力が入る!

‥‥と、この↑ね、曲の最後シーンでの
「楽しいぃぃぃーーーーーーーーーーっっっ!!!」
と唄われるところがすばらしいっっっ!!!

んでもさこのコトってさ、
「一輪車」だけでなくって、あらゆることがらでの
「この柱」から「あの柱」まで行けるのが「楽しい」、
っておもえるよーなサイコーの練習ソング。

なんか、そーゆうふうに思いながら生活を過ごしたいもん!

そしてこの次にぼくはなぜだか、
民生さんの「車」の曲ばかりが集められたアルバム
『CAR SONGS OF THE YEARS』を聴いていて。すると、
『一輪の車』も一種の「CAR SONGS」だわー。
とかんじたり……

そんなこんなの、クルマのなかで思ったことなのでした~。

2015年5月10日 @ 風はどこから

「伝えたい事は言葉にしたくはないんだ」

2015年05月04日 | 音楽
「伝えたい事が そりゃ僕にだってあるんだ
 ただ笑ってるけれど
 伝えたい事は 言葉にしたくはないんだ
 そしたらどうしたらいいのさ」


    CUSTOM / 奥田民生





前回ブログでの、
小田和正さん『伝えたいことがあるんだ』に続きまして。
こんど頭の中にじゃじゃじゃーんって流れて来た音楽は、
奥田民生さんの『CUSTOM』ですっ!!

「伝えたいことがあるんだ」とまずは伝えてから、
【伝えたいこと】を伝え始める小田さん。

とはたいしょうてきに、民生さんは、
【伝えたい事】はそりゃあるけれど【伝えたい事】は
「言葉にしたくはないんだ」なので、
「どうしたらいいのさ」と民生さんは悩み考え始める…





「頭の中が 見せられるなら見せるんだ
 ただ笑ってるだけで 済むのさ」






【伝えたい事】はあえて言葉にせずに
「頭の中が 見せられるなら見せるんだ」とそれならば、
「ただ笑ってるだけで 済むのさ」。。

だから、
そこで、目を閉じて、黙って、閃いて、気持ち込めて、
適当なタイトルでギターを弾いて、また
あやふやなハミングで歌を歌われる民生さん。

叫び始める、民生さん‥‥





「誰か 誰か 見てて くれないか
 誰か 誰か 聞いて くれないか
 声が 音が 空に 浮かんで
 届け 届け 響け そう響け」






‥‥その、声と、音は 空に浮かんで
空気中で 響く 響く
それらは





「アメリカ ジャマイカ インドネシア エチオピア
 山と 海と 飛び越え 鳴らせ
 彼方へ 飛ばせ」






アメリカを超え ジャマイカを超え インドネシアを超え
エチオピアを超え 山と海とを飛び越え
彼方へと飛んでゆく

そしてその最後に、民生さんは、





「届いてる?」





と、その
民生さんがおられる場所はどこだかわからないのですが、
ひとり「届いてる?」と訊ね、願いを込められる。

これは、たぶんなのですが、、、
コミュニケーションというのはさ、
たとえ相手と目のまえで逢って対面をしておったとしても
相手との距離は、とてつもなく、果てしなく、遠い。

その遠い距離をどうしたら超えることが出来るのか?!

って、もしかしたらねぇ、
そんな奥田民生さんの『CUSTOM』のくらいに
想いを持って気持ちを込めて、それでよーやくっ、
【伝えたい事】が「届く」のかも知れないな。。。

みたいなことをおもっておりました~。

2015年5月4日 @ The STANDARD ~消灯~

「伝えたいことがあるんだ」

2015年05月03日 | 音楽
「伝えたいことがあるんだ
 君のことが好きだから
 果てしなく続く 長い 道を 君と歩いてゆきたい」


   伝えたいことがあるんだ / 小田和正





さくじつは、忌野清志郎さんのコンサートMCでの、
「愛しあってるかい?」の前にキヨシローさんがおっしゃる
「みんなに、聞きたいことがあるんだ!」という、
問いかけの【前置き】と申しますかのような事柄について、
ブログ申しあげました。

の、そこからね、次に頭のなかに流れて参りましたのは、
小田和正さんの
『伝えたいことがあるんだ』でございまして。

小田さんのその
「伝えたいことがあるんだ」と云うことばもさ、
【伝えたいこと】をいきなりに「伝える」のではなくて。
「伝えたいことがあるんだ」とまず【前置き】を伝えてから
【伝えたいこと】が伝えられる。

「伝えたいことがあるんだ」を経て、
「君のことが好きだから」と云うその【理由】、そして、
「果てしなく続く 長い 道を 君と歩いてゆきたい」
そう続けられたことばが【伝えたいこと】でありましょうか…





「今の僕が君に あげられるものがあるとすれば
 ありふれた愛のことば
 それと 明日の約束だけ」






…そのさらに先では、
今の僕が君にあげられる「ふたつ」の物事が
伝えられる。。。

と、話はすこし変わりまして。

ウィキペディアでね、
小田さんのアルバム『伝えたいことがあるんだ』の項目
調べてみますと‥‥





・自分の中に最初からあった
 “伝えたいことがあるんだ” という言葉から
 広げて作っていった曲。
(ウィキペディアより引用。)





‥‥と記されておりまして。それとはさ、つまり
【伝えたいこと】があるかどうかまだわからない状態の時に
「伝えたいことがあるんだ」とまず口に出してしまう。

「伝えたいことがあるんだ」って言ってしまえば、
そのあとで「いや、やっぱり、ない。」だとは、
もう相手に言えないわけだから(信頼に関わってくるし…)
「じぶん自身が相手へと【伝えたいこと】は何だろう??」
って、そこで初めて考えることとなる。

それは、、、
じぶんへの無茶振りと申しますか、
表現のハードルを上げる、であるかのよーな。。。

っとなりますと、この
「伝えたいことがあるんだ」とはまずの当初の段階で
【伝えたいこと】があってそのそれを伝える為の
【前置き】では、決して無い。
「伝えたいことがあるんだ」って伝えられる前には、
【伝えたいこと】は、まだ無かった……

小田和正さんの楽曲『伝えたいことがあるんだ』とは、
そのような、表現における
【覚悟】の唄なのかも知れないなぁ!
とおもいましたです。

2015年5月3日 @ ラブ・ストーリーは突然に

「聞きたいことがあるんだ」

2015年05月02日 | 音楽
ぼくは、忌野清志郎さんのコンサートを
実際には観たことがありませんくって。
それは、なにかのどこかで観た映像と、
RCサクセションの『RHAPSODY NAKED』および
『完全復活祭』と云う2つのライブCDを聴くだけで、
キヨシローさんのコンサートの事ほとんど何も知らなくて…

でもね、そのライブ音源での
キヨシローさんの歌声を聴いていると、
もうなんとも云えないきもちになってくる~!!

キヨシローさんのコンサート、って申しますならば
やっぱり、、

「愛しあってるかい?」

というキヨシローさんのお決まりのMCなのかねぇー。。
1980年のコンサート収録『RHAPSODY NAKED』、
2008年の『完全復活祭』、どちらも、キヨシローさんが
「愛しあってるかい?」とさけぶ声がかっこよい!!
キヨシローさんそれまでにどれだけの数の
「愛しあってるかい?」の問いかけがあったかと想うと、
感慨深くなってくる……

…と、そしてさらにおもいますのは、
「愛しあってるかい?」の問いかけの前に
キヨシローさんが訊ねられる

「みんなに、聞きたいことがあるんだ!」

そのことばも重要なのかなぁとおもいました。
それは、問いかけの「前置き」と申しますか、、、
たとえば、ぼくがあなたへ何かの問いかけを致しますとき、
いきなり唐突に「問いかけ」をするよりかは

「あなたに、聞きたいことがある。」

的なさ、これより申しあげます「問い」の前に、
「前置き」のようなことばをまず伝え、
それから「訊く」ことが出来たほうがよりスマートだし、
やさしいのではないか?! っておもったの。

そのようなコミュニケーションにおける「前置き」ってば、
簡単そうに見えるけれども実はとってもむつかしくて。
ぼく自身で云えば、けっこう、というより
もしかすればほとんど出来ていない。

キヨシローさんのおっしゃるその
「愛しあってるかい?」の前の、
「聞きたいことがあるんだ!」ということばから
ぼくは問いかけの「前置き」を学べるのかも知れない‥‥

のよーなことをおもっておりました。

2015年5月2日 @ スローバラード

cocoon no koe cocoon no oto

2015年04月17日 | 音楽
昨日のよるは、
穂の国とよはし芸術劇場PLATアートスペースにて

「原田郁子×マームとジプシーリーディングライブ
 あらためまして、はじめまして、ツアー
 cocoon no koe cocoon no oto」

を観劇してまいりました。(公演WEBページはこちら。)

とても、すてきだったぁー!!
「リーディングライブ」というのがさ、
どういうものか全然予想つかずのまま訪れたけれども、
こんなにも、すてき、なのだとは‥‥

青柳いづみさんの声とことばと所作、
原田郁子さんのピアノ&ギターによる演奏と唄、
藤田貴大さんの壮大な音響のご作業。
そして、ときにスクリーンにうつしだされる
今日マチ子さんの絵。。。

あらゆるものがいっしょくたに融合されたような舞台に
なんかもう圧倒されてしまって、、
でも途中かなりトートツに始まったトークでは
豊橋で食べたという砂肝と「豊橋カレーうどん」のお話、
そして藤田さんが観たとおっしゃる
2011年FUJI ROCKでのクラムボンのセットリストには、
「波」ということばの入った曲が2曲演奏され、
それは郁子さん仰るには、その時のいろいろな事が
それは地震であったり、
レイ・ハラカミさんのこと、。

そのほかにもたくさんのおはなしを聞くことができて、
うれしかったです。

観劇中、戦争において
拳銃から飛び出された弾丸が 皮膚を破り
からだの壊れるさまが想い出されて 痛かった……

…と同時に、
以前、吉本隆明さんが書いておられました





親父が
「だけど戦争っていうのはね、敵と遭遇して、
 それで相互に弾撃ち合って戦闘するみたいなことって、
 滅多にないんだよ」
って言ったんです。

親父は第一次世界大戦で中国の青島(チンタオ)とかの
攻撃に参加してたんですけど、
「自分の隣のヤツは、
 塹壕の中で降雨を凌(しの)いでいたら、
 上から土砂が落ちてきて死んじゃったし、
 腹痛くなって下痢続きで衰弱して死んじゃったとかね。
 そういうほうが多いんだよ。結局、戦死って言うけど、
 本当にドンパチドンパチやって、それで死んだなんて、
 そんな調子いいの、あんまりないんだよ」
って言うんだよね。
これには、ものすごくびっくりしたんです。


(『悪人正機』(新潮文庫)130頁より引用。)





そのような吉本隆明さんのお父様の戦争でのおはなしが、
どばーっと思い出して来てしまって‥‥

リーディングライブ、こんなにも盛りだくさんの内容で
チケット代金1,500円なのだからねぇ、、
もうなんかあらゆるがすばらしく、感謝でした。

そして、祈ります。。。

2015年4月17日 @ [lust]

中学2ねんの春休みに‥‥

2015年03月31日 | 音楽
昨日ブログでの最後にね、
globeの曲の『 Precious Memories 』を記しまして、
そしたらなんか懐かしくなり押入れより
『 globe 』を出してきて、いま久しぶりに聴いてるよっ!!

ネット調べるとアルバム発売日は1996年3月31日、
つまり今から19年前の、今日。
だったのねぇー。

聴いてたら、なんか、当時の雰囲気や気分がよみがえる…

…当時のじぶんは、
中学2ねんが修了し今度から3ねんになる春休みの期間。
豊橋駅前の精文館書店
(←現在の雑誌フロアが当時CDコーナーだったわ。)
アルバム『 globe 』を購入して。。

そのときは、アルバムを購入するために出かけたのか、
たまたま店頭で見かけただったか、
それとも買おうかどーしようか迷いながら、だったのか
(まだそのころはCDを、特にアルバムを買うなんて
 じぶんのなかで一大事だったもんねー。)、
覚えてないけれど。CDをレジへ持って行った時の空気感は、
なんとなく覚えてる~。

初回限定版(なのかな?)では、
ポスターと硬質プラスチックのカバーがCDをまとう
ちょっと大きめのジャケットで。
その感じがさなんかすごくおしゃれでかっこよくって、
未来的と申しますか、ファッション的と申しますか、
店頭に並べられた風景がすてきだった。。

そして購入をいたしての道中、袋をたずさえ
満開の桜のなかを自転車ですっ飛ばしながら帰った時の
あのなんとも云えない高揚とわくわく!!!

‥‥中学生のときの、そんな思い出の話でございました。

2015年3月31日 @ GIVE YOU

ひさしぶりに『深海』を聴いて…(後編)

2015年03月10日 | 音楽
前回エントリでは、いつごろからか封印してたアルバム
『深海』をひさしぶりに聴いて想いました、
ミスター・チルドレン
「海」と云うモチーフについての事を申しあげました。

そして今回は、あともう1つだけ
想ったことがらを申したいとおもいます~。

と。そのまえに、まずはこの曲!





「見えない敵にマシンガンをぶっ放せ Sister and Brother
 正義も悪もないこの時代を行進していく兵士です
 殺人鬼も聖者も凡人も共存してくしかないんですね」

    マシンガンをぶっ放せ/ Mr.Children




ぼくはねぇ、当時『マシンガンをぶっ放せ』が超すきで!
んでもそれはさアルバム『深海』からでは無く、
の直後に発売された(リカット・シングルとよぶのん?)
『マシンガンをぶっ放せ -Mr.Children Bootleg-』
からなのー。

もう今では常識なんだけども、
当時はまだまだ珍しい「マキシ・シングル」でさ。
(←もう「マキシ」とさえ云わないわな。)

アルバムの時はまだあんまりよく分かんなかったけれど、
そのシングルでびびっと聞こえまして
それからは、たしか、よく、聴いてたよーな????

ほんとのところどーだったかはちょっと忘れたですが、、、

この曲はベストに入っていないからさっ、
ひさしぶりに聴いて(おぉー!)とまたおもって。

たとえば、うえ↑で引用いたしました歌詞では、
「正義」とか「悪」とかの事を
最近にでもなんとなくすこし考えておったり‥‥





「参考書を持って挑んだんじゃ一生謎は解けぬ
 良識を重んじてる善人がもはや罪だよ」

    マシンガンをぶっ放せ/ Mr.Children




のシーンでの詞↑は今聴いても
なんか、なるほどっておもいますし。。。

そして、





「愛せよ目の前の疫病を
 憎めよ無能なる組織を
 そして僕にコンドームをくれ」

    マシンガンをぶっ放せ/ Mr.Children




つづきまして、この↑
「コンドーム」という単語が中学生だったじぶんには
もうめっちゃショックだったのですが。

今考えてみると、それは(ちょっと唐突なのだけれど、)
『深海』の9年後に発売されましたアルバム
『I▼U』(▼部分は「ハート」)の12曲目
『隔たり』と関係しておるのかも?? とかんじまして、





「たった0.05ミリ 合成ゴムの隔たりを
 その日 君は嫌がった
 僕は それに応じる」

    隔たり / Mr.Children




昨日のブログエントリで、ぼくは

『I▼U』最終13曲目『潜水』と、
『深海』最終14曲目『深海』は
セットなのではないか? と申しあげました。

と、仮にそうであるならば、アルバム同士
『I▼U』と『深海』もセットなのだと仮定させてしまって
(←勝手に、ごめんなさい。)、
『I▼U』の『隔たり』と
『深海』の『マシンガンをぶっ放せ』も、
その関係が深いのではないか?! とかんがえたの。

つまりは、アンサーソングであるかのよーな…





「宗教も科学もUFOも信じれるから悲惨で
 絡まりあって本心偽って
 めくるめくの every day」

    マシンガンをぶっ放せ / Mr.Children





「UFOなんて信じない 神様も僕と関係ない
 だけど目には見えないものを
 僕ら 抱きしめる」

    隔たり / Mr.Children




↑という各箇所や、また『マシンガン…』のサビでの
「♪『見えない』敵にマシンガンを」
と、桜井さんが叫ぶごとくおっしゃる歌詞と、
『隔たり』のこのシーン↑はとくにリンクしていたり。

それとはなにか、過去の呪縛をどうにか
解きほぐそうとしているかのような。。

そう想いながら今度はアルバム『I▼U』を聴いてみますと、、





「そうだ ここが出発点
 そうだ ここが滑走路
 羽を開き 呪縛を解き」

    跳べ / Mr.Children




『隔たり』の1つまえの曲(アルバム11曲目)
『跳べ』では、
まさにその「呪縛」のことが描写されている!

「『跳べ』→『隔たり』」

と云う曲の順番によって、ミスチルご自身の
『深海』&『マシンガンをぶっ放せ』での「呪縛」を解き、
でありますので、だからその次の「生」が唄われた
『潜水』がある。

のではないかなぁ?? とおもったのね。

「♪たった0.05ミリ 合成ゴムの隔たりを…」
と云うことばより始まるちょっとショッキングなバラード
『隔たり』が、何故つくられたのか??
って、じつは、ぼくはよくわからなかったのですが、
このように考えてみるともしかしたら辻褄あうのかも…

…と、『I▼U』発売から10年が経ち、
『深海』からはもう約20年なのですが、
これらのよーなことをじぶんはこのたび想いました~。

ってゆーわけでぇっ、
「ひさしぶりに『深海』を聴いて…」のブログ・シリーズ
これにておひらきといたしますっす。さんきゅ!

2015年3月10日 @ HERO