【これまでのエントリ。】
・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
・第4回 そう思った3つの理由。(後編) 2015-05-21_THU
・第5回 必死のお願いと「持ち駒」のこと。 2015-05-22_FRI
・第6回 わたしが「持ち駒」となる時には‥‥ 2015-05-23_SAT
・第7回 プレゼントを抱きながら。 2015-05-24_SUN
・第8回 「贈る」か、「戦場」か。 2015-05-25_MON
・第9回 トイレ&食事で、成る?! 2015-05-26_TUE
・第10回 ひとは「成る」か。 2015-05-27_WED
・第11回 こじつけの理屈だけれど… 2015-05-28_THU
そのさ、
「『将棋』とは『戦争』のゲームではなく
『宝物』を相手へ届けにゆくゲーム。つまりは、
『宝物』を先に相手へと届けた側のほうが、勝ち!」
とゆう解釈のどこが矛盾してるか?! を申しますと、、、
それは「先に」の箇所なんだわね。
「宝物」を「先に」相手へと届けた側のほうが、勝ち!
ってなりますと、どうなるか。
このゲームでは「貰う」と「負け」ですから、
どちらもなるべく「貰わない」ようにするために
自陣を強く防御させながらなおかつ「贈る」ことを考える。
そんな鉄壁の防御をかいくぐってでも相手にこの
「宝物」を贈りたい!
「プレゼント」を受け取ってもらいたいーっ!!!
そーしてこーして「王手」がかかり、また、
どちらかの兵が「王将」or「玉将」のもとへ訪れて、
「宝物」が手渡された時には‥‥
「あの贈り方は、ほんとうに、しびれましたぁ。」
と、解説者・オーディエンス・各メディアより、
厚い賞賛が贈られる。
また逆に、贈られた側のほうだってさ、
「あなたの贈り方は、すばらしい。」
って、相手への賛辞を常にかかさずに。。
なんてゆうよーな展開って、ある~?!
その贈り物だってさ、ただ送りつけるのではなくって、
相手にとってほんとうに欲しい「宝物」を贈るんだしさ。
どちら側も「貰う」のは嬉しいんだけれど、
それよりももっと「贈る」ことを優先的に考える。
そんなような状況が本当にあるのかどうか、
ぼくにはよくわからないところなんだけれど…
まぁ、あのぶっちゃけ正直に申しあげますなら、
「将棋」とは、じつはやっぱり
「戦争」のゲームなのかもわからないですっ!!
(これにてお開き。どうもありがとうございました~。)
2015年5月29日 @ 歌うたいのバラッド
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