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なら斬り開く?!

アジもホッケも、物事さえをも、斬り開く。

先に、とゆう矛盾??

2015年05月29日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
・第4回 そう思った3つの理由。(後編) 2015-05-21_THU
・第5回 必死のお願いと「持ち駒」のこと。 2015-05-22_FRI
・第6回 わたしが「持ち駒」となる時には‥‥ 2015-05-23_SAT
・第7回 プレゼントを抱きながら。 2015-05-24_SUN
・第8回 「贈る」か、「戦場」か。 2015-05-25_MON
・第9回 トイレ&食事で、成る?! 2015-05-26_TUE
・第10回 ひとは「成る」か。 2015-05-27_WED
・第11回 こじつけの理屈だけれど… 2015-05-28_THU




そのさ、
「『将棋』とは『戦争』のゲームではなく
 『宝物』を相手へ届けにゆくゲーム。つまりは、
 『宝物』を先に相手へと届けた側のほうが、勝ち!」
とゆう解釈のどこが矛盾してるか?! を申しますと、、、

それは「先に」の箇所なんだわね。

「宝物」を「先に」相手へと届けた側のほうが、勝ち!
ってなりますと、どうなるか。
このゲームでは「貰う」と「負け」ですから、
どちらもなるべく「貰わない」ようにするために
自陣を強く防御させながらなおかつ「贈る」ことを考える。

そんな鉄壁の防御をかいくぐってでも相手にこの
「宝物」を贈りたい!
「プレゼント」を受け取ってもらいたいーっ!!!

そーしてこーして「王手」がかかり、また、
どちらかの兵が「王将」or「玉将」のもとへ訪れて、
「宝物」が手渡された時には‥‥

「あの贈り方は、ほんとうに、しびれましたぁ。」

と、解説者・オーディエンス・各メディアより、
厚い賞賛が贈られる。
また逆に、贈られた側のほうだってさ、

「あなたの贈り方は、すばらしい。」

って、相手への賛辞を常にかかさずに。。

なんてゆうよーな展開って、ある~?!
その贈り物だってさ、ただ送りつけるのではなくって、
相手にとってほんとうに欲しい「宝物」を贈るんだしさ。
どちら側も「貰う」のは嬉しいんだけれど、
それよりももっと「贈る」ことを優先的に考える。

そんなような状況が本当にあるのかどうか、
ぼくにはよくわからないところなんだけれど…

まぁ、あのぶっちゃけ正直に申しあげますなら、
「将棋」とは、じつはやっぱり
「戦争」のゲームなのかもわからないですっ!!

(これにてお開き。どうもありがとうございました~。)

2015年5月29日 @ 歌うたいのバラッド

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こじつけの理屈だけれど…

2015年05月28日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
・第4回 そう思った3つの理由。(後編) 2015-05-21_THU
・第5回 必死のお願いと「持ち駒」のこと。 2015-05-22_FRI
・第6回 わたしが「持ち駒」となる時には‥‥ 2015-05-23_SAT
・第7回 プレゼントを抱きながら。 2015-05-24_SUN
・第8回 「贈る」か、「戦場」か。 2015-05-25_MON
・第9回 トイレ&食事で、成る?! 2015-05-26_TUE
・第10回 ひとは「成る」か。 2015-05-27_WED




そんなこんなのぉ、「将棋」においてでの、
「駒が成る。」のシステムのことをじぶんが
じぶんの日常生活にでも、応用?! ってゆうか、えーと、
取り入れてみたい。的に申すのであればじぶんの中で、
「『将棋』が『戦争』のゲームであっては、まずい。」
って感じたんだよね。

「歩兵」である私が「と金」と「成る」かのように‥‥

と、そう申しあげましても、
「でも、将棋って戦争でしょ?」と問われれば、
その問いの果てにはじぶん自身の「成る」だけのために
「戦争をしたい人」と思われても致し方なくって…

ですので。ならば、まずはじぶんの中だけでも
「『将棋』とは『戦争』のゲームでは無い!!」
とゆーことをさ、たとえ理屈でも、こじつけでも、
思えていたほうがよいのかも。って考えて。。

そこから、このシリーズの最初で申しました
「『将棋』は、戦争のゲームなのか?」
という自問より、
「将棋とは『宝物』を相手へ届けにゆくゲーム。」つまりは
「先に、『宝物』を相手に届けたほうが、勝ち!」
ってな具合でこじつけて自答した。

でもなんかそんな理屈ではさ、
ほかのひとが、つまり、あなたが
「納得なんか出来ない」と仰るかもわかりませんけれど。
言うからには、信じて、言ってみよう。って
思いながら申しました次第でございますです。

(次回、たぶんシリーズ最終回。)

2015年5月28日 @ きみがその気なら

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ひとは「成る」か。

2015年05月27日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
・第4回 そう思った3つの理由。(後編) 2015-05-21_THU
・第5回 必死のお願いと「持ち駒」のこと。 2015-05-22_FRI
・第6回 わたしが「持ち駒」となる時には‥‥ 2015-05-23_SAT
・第7回 プレゼントを抱きながら。 2015-05-24_SUN
・第8回 「贈る」か、「戦場」か。 2015-05-25_MON
・第9回 トイレ&食事で、成る?! 2015-05-26_TUE




っと、のよーにもうしあげました、
おもむいた相手先での「トイレ」&「食事」によって
ひとが「成る」のかどうか?! ってぇのは、
ほんとうはよくわからないだけれど。

でもさ、その、
「成る」とゆうシステム(?!)のコトを、
いまはなんとなく希望のように感じておるのよね。

たとえばじぶんが「歩兵」だとして、
相手のもとへ出かけ一歩ずつ近づいてゆくことにより
駒がうらがえり「と金」と成る!
そう成ればよ、これまでは前進のみだったのが、
めっちゃ動ける(縦・横・前方斜め)ように成るじゃん。

パワーが、アップするじゃん!!

んでそれはさ、前方へと移動し
相手陣地への「境界線」を「超える」ことによって、
じぶんのからだが変化してゆく。。。

そのコトがどーいう仕組みであるのか、
の詳細はよくわからないのだけども。でも、
「将棋」ではそういうシステムに成っておって。

その「将棋」での「成るシステム」をねぇ、
もしかすればじぶんの日常生活にでも使えるかもぉ?
ってゆうのを、なんか、ちょっと信じたい。
的な気分に最近すこし成っておるかのよーな……

(もうすこしだけ、つづきます。)

2015年5月27日 @ 地平線を越えて

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トイレ&食事で、成る?!

2015年05月26日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
・第4回 そう思った3つの理由。(後編) 2015-05-21_THU
・第5回 必死のお願いと「持ち駒」のこと。 2015-05-22_FRI
・第6回 わたしが「持ち駒」となる時には‥‥ 2015-05-23_SAT
・第7回 プレゼントを抱きながら。 2015-05-24_SUN
・第8回 「贈る」か、「戦場」か。 2015-05-25_MON




「将棋」において、
相手のおられる場所のすぐ近くまで参りまして。
これより相手陣地の境界線(向こう側3列目)を飛び越え、
いざ王将!

という時のその、
相手のかたとお逢いする直前にさ、
ぼくなんかではやっておきたいことがございまして。

それはねぇ、トイレと食事なのよ~!

いきなりに相手のかたの元へと行く前に、
コンビニとかスタバとかイオン的なモールなどで、
ちょっと一息ついてじぶんを落ち着かせたいのよねぇ。

そこでたとえばトイレに入り、また、お店で
コーヒーやらお茶やら「なんとかフラペチーノ」と一緒に、
ケーキ or サンドウィッチを注文して食べたり。
(バーガー・パスタ・ラーメン・カツ丼でも何でもOKよ!)
そして少しゆっくりできたら車に戻って、
地図とスマホでもう一度お相手の場所を確認、
よくわからなければ周りの誰かに訊ねてもよし。

ってゆうそんなよーなコトなんだけどさ、
じぶんの中ではその感じがけっこう大事だと感じていて。
たとえば「飲食」だとすれば、
じぶんの家より持ってきたお菓子&ドリンクではなくって、
現地で調達したものを食べる飲む。

すると、からだの組織が、
なんかちょっと「組み替わる」かのごとく
(宮崎駿さんのジブリ映画の食事シーンみたいな…)、
変化する!

また「トイレ」におきましては、
まぁ、なんかその、「マーキング」と申しあげますか、
じぶんのからだをその場所へすこし入れ込ませる、
場所に慣れてゆく、的な。。。

って、それらのよなことがさ、ぼくは
なんとなく、
「将棋」での「成る。」なのかもとおもったんだよね。

(つづくです。)

2015年5月26日 @ 新世紀のラブソング

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「贈る」か、「戦場」か。

2015年05月25日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
・第4回 そう思った3つの理由。(後編) 2015-05-21_THU
・第5回 必死のお願いと「持ち駒」のこと。 2015-05-22_FRI
・第6回 わたしが「持ち駒」となる時には‥‥ 2015-05-23_SAT
・第7回 プレゼントを抱きながら。 2015-05-24_SUN




そうなりますってぇーと、えーとたぶん、まずは
「慎重になる。」ですかねぇ??
これまでは「国道1号線」とゆう
おおきな道路をただ一直線で走って来たけれど、
(いえ、豊橋市の交差点「西八町」で右折したですが…)
目的地へ近づいたとなるとそうもいかない。

つまり、
到着のためにはどこかの交差点を曲がらないといけないから
(←もくてきちが「国1」沿いで無い限り)、
わたしの曲がる交差点はどこだろう?
ってよく探すかのごとく、慎重になる。。。

っとは申しましても「慎重になる。」のコトはさ、
仮にそこが「戦場」だとしても
敵陣へ侵入すれば兵士も「慎重になる。」とも感じられて。
「戦場」であっても、
「相手のもとへ『贈り物』を届けに行く。」であっても、
その場所が近づいてくればひとは
「慎重」になるし、「緊張」もしてくる。とおもったの。

でもそれは、どちらもまだ
「パワーアップ」とは云えない、かも。って。

では、では、そのふたつの状況での、
目的地が近づいて来た時の「こころ持ち」とは、
どう違うだろうか?

それはねぇ。やはり、以前のエントリでも申しましたが、
そこにおられる「人々」のことを
「敵」と見るか、「仲間(のような)」と見るか、
の違いだと感じたのね。

その「こころ持ち」によって「ふるまい」は変わってくる。

惨殺的な「ふるまい」なのか、
道を訊ねたり少し一息ついてお茶を飲んだり出来るのか、
と、そのような、相手陣地での行動のちがい。。。

それによりまたさらにどんなプロセスを経て、
「駒」が「成る。」のか?!
については、また次回のブログにて申し上げやすっ!!

よい1しゅうかんを過ごしてね~。

2015年5月25日 @ 勝手にシンドバッド

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プレゼントを抱きながら。

2015年05月24日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
・第4回 そう思った3つの理由。(後編) 2015-05-21_THU
・第5回 必死のお願いと「持ち駒」のこと。 2015-05-22_FRI
・第6回 わたしが「持ち駒」となる時には‥‥ 2015-05-23_SAT




「持ち駒」のコトより続きまして、
つぎは「成る。」について。でありやす。

「駒」が相手の陣地(向こう側3列)へ入るとサ、
その「駒」を裏返して、成る。
とゆうのはなんか現実的に考えて、
どーいう事なのだろう?! っておもいまして。。

たとえば仮に「将棋」が「戦争」のゲームだとして、
戦地にて、
兵士が敵陣へ侵入すればそれで兵士は
レベルアップ・パワーアップするのだろうか。
とは、ぼくは素人なのでよくわからないけれど……

それをさっ、
ぼくがこのたびブログで申し上げております
「『将棋』とは、どちらが先に『宝物』を
 相手へと贈りとどけることが出来るのか。対決!」
だと致しますと、、

プレゼントを大事に大事に抱きながら、
相手がおられる地域へと移動して
そして、その場所が近づいてくるとどうなるか??

えーと、たとえば。

その場所が「名古屋」だとしまして、
ここ「豊橋」より車で「国道1号線」を通って
出かけるのだとします。

豊川 → 岡崎 → 安城 → 知立 → 刈谷 → 豊明

ってひた走り、そしてまもなく
「名古屋市」と記された案内表示板が見えて来た!

(つづくわよ。)

2015年5月24日 @ 白い街

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わたしが「持ち駒」となる時には‥‥

2015年05月23日 | 考えごと


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・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
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・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
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・第5回 必死のお願いと「持ち駒」のこと。 2015-05-22_FRI




と。ここのところでさ、けっこう大事なところなのが、
わたしが「駒」だとしてそのわたしが
相手から「取られた」時のコトだとおもっただけどね。

相手(の駒)を「取った」時には、
相手はめっちゃよいひとだったから~
わたしの必死のお願いも通じて相手は、
わたしチームの「持ち駒」になってくれたけれども。

もしも、
わたしが相手から取られた時も同様に、
わたしも相手方の「持ち駒」となる…。それはたとえば、、

「どうか、王様の居所を教えていただきたく存じます。
 そして、後方に居ります私共の仲間めにも
 その場所を伝えてやってもらえんではござろうか?」

というお願いにわたしは「わかりました!」と応え、
すると相手は、、

「左様ですか。なんと有難きしあわせ。
 ですが、あなた様にも何かご用事があるのでは‥‥」

とのように問われてもさ、

「いやぁー うちのボスにさぁーいっつも
 ユー、困ったひとを、助けてあげちゃいなさいよ!
 的にぃ よく言われてるからだいじょーぶですよん。」

等と申しあげ、二つ返事で引き受けられるか?!

たぶんね、
(将棋とはそういうルールだから…)ってゆう動機では、
本気の力での「持ち駒」にはなれないんじゃないか。
とおもったのよね。
それよか(なんとか助けてあげたい。)て心の底から、
本気で想えるくらいならば、本気の「持ち駒」となれる!!

将棋の「駒」を「取る」ときってのはさ、じつは
そんなよーな「交渉」のドラマが繰り広げられてる。
ってぇゆうのをおもったっす~。

(まだまだ、つづきます!)

2015年5月23日 @ アイ・ラヴ・ユー, OK

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必死のお願いと「持ち駒」のこと。

2015年05月22日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED
・第4回 そう思った3つの理由。(後編) 2015-05-21_THU




「将棋」がさ、
「戦争」のゲームではなくって、
「宝物」を相手へ届けにゆくゲーム。だとすれば、
どーなるのか?! と申しますとね、、

まずは、ルール的のコトを申しあげますと……

先に、「宝物」を相手に届けたほうが、勝ち!
なのでございますので、
相手の「宝物」がじぶんへと届くよりももっと早く
この「宝物」を相手の元へ届けたいーっ。

ってゆう必死さとさ、

じぶんの首が斬られるよりもっともっともっともっと早く
相手がたの「王様」の首を斬らねば。。

という状況での、そんなような、
必死さのちがいについてなのですが。

パッと見では両方似たようなものかとも存じますが、
やっぱりそのひとの中の「こころ持ち」は
全然違うとおもったんだよね。

後者の「相手の『王様』の首を斬りにゆくとき」では、
道中で出合ったひと全員が「敵」のように見えてしまい
相手の「王様」が降参するまで惨殺を繰り返す‥‥

の、逆にね、
前者での「宝物」を届けたい。ならば、
出合う全員「仲間」みたいなもんでさ、

「王様の元へとおうかがいしたいのですが、
 どちらにおられるか教えてください。」

とお願いされれば、誰だって親身に答えたくなる。
(そのお願いだって、もうとっても、必死だし!!)
相手だってめっちゃよいひとだからさ、
じぶんの任務(相手へと「宝物」を届ける。)のコトよりも
聞かれたお願いのほうを優先しちゃって。さらには、

「私の後ろには、これからそちらの王様へお届け致します
 『宝物』を抱えた
 私の仲間たちがおりますので、その仲間にも、
 王様の場所を教えてやってもらえませんでしょうか?」

と言われたなら、相手は「わかりました。」と言って、
(「忙しいから出来ない。」とは言ってはならぬぞと
 いつも王様から強く言われてたりするからね。)
教えにゆくためその相手がたの仲間たちが居るほうへと
急いで出かけてゆく。じぶんの任務は、置いといて……

それがいわゆる「将棋」における、
「持ち駒」だとおもったんだけどねー。

(さらに、次回につづきます。)

2015年5月22日 @ やさしい気持ち

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そう思った3つの理由。(後編)

2015年05月21日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE
・第3回 そう思った3つの理由。(前編) 2015-05-20_WED




なんかさ、この今書いております
「将棋は『戦争』のゲームでは無いのかも??」のコトが、
こんなスロー更新になるとはおもわんかったわ。

なのであのこれまでをすこしまとめますと、、
「将棋」が「戦争」のゲームで無いのなら
じゃあなにのゲームなのか?! を言うために、まずは
そうおもった「3つの理由」を書こうとおもったのね。

そしてほんじつその3つめを申します。と。

それは、ですね。えーと「将棋」での、
「駒」の名称についてなのですが。前回のあと検索をして
お見かけしましたあるページより引用を申しますと…





将棋の香、桂、銀、金という名前は
全て価値の高い「宝物」からきています。
金と銀は言うまでもなく貴金属で、香は香木、
桂は肉桂(にっけい)、つまりシナモンのことです。
玉は美しい石、特に翡翠を指すのでこの流れに沿っています。






…それらのように、
「金」「銀」「香木」「肉桂」「玉」と云う、「宝物」。
そしてまたそこから考えてみるとさ、
「歩」「角行」「飛車」とは、「交通手段」。
であるのかねぇ??

ってなるとだよなんか「将棋」って、もしや、
「宝物」を相手へ届けにゆくゲーム。かも知れない。。。
とおもっただよー。あの、そうおもってみますとね、
じぶんのなかでは、ちょっと
なんとなく辻褄が合うかのようにおもわれて‥‥

(次回につづきます!)

2015年5月21日 @ 君は僕の宝物 Renewed

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そう思った3つの理由。(前編)

2015年05月20日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON
・第2回 「将棋」は、戦争のゲームなのか? 2015-05-19_TUE




って、あのさ、
じぶんで「3つの理由」と申しますわりには、あのじつは
まだふたつしか無いのですが。。
よく「理由は3つ出しなさい!」ってゆうのを聞くからさ、
こう書いてしまったんだけれど‥‥

えと、なのでまずは、その、ふたつを申し上げます。

1つめは、「将棋」では、
駒が相手陣地(相手側3列分)へ入ると駒を引っくり返し、
「成る」ことが出来る。というルールでの、、
んでもさぁー、どーして
相手陣地へと入ると「成る」ことができるのか?!

「成る」とは、つまり、
「パワーアップする」的な出来事なのだけれども。
たとえば、ぼくは、
兵士として戦地へ赴いたことはございませんので、
実際の感覚としてよくわからないのですが。

たとえば戦争中兵士が相手の陣地へ侵入すると、
兵士はパワーアップするかのごとく、
「成る」のかな?! 

というのが、なんかちょっとわからないのでして。。

2つめは、「将棋」では、
相手の駒を取ると「持ち駒」となってその駒を
じぶんの戦力として使用することが出来るんだけれど。
捕虜、みたいな? 寝返り、であるような、、??

仮にね、もしもそんな状況があったとしても、
元じぶんの隊に対しまして捕虜となったすぐ直後にでも
全力で戦うことが出来るだろうか??!

のそのふたつがさ、素人と致しましては疑問をおもい……

あ。そうだ、理由は3つあるって書いたのだった。
どうしよう。どうしよう。えーと、
それはあの次回にて申し上げまする。さて、みっつめは、、

2015年5月20日 @ Three O'clock Blues

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「将棋」は、戦争のゲームなのか?

2015年05月19日 | 考えごと


【これまでのエントリ。】

・第1回 とある予告的な。 2015-05-18_MON




あの、んでも、
「将棋」とは申しあげましても、
じぶんは「将棋」ってほとんどなにも知らなくて。

こどものころに駒の並べ方と動かし方を覚え、
それから、でもなんかプレイしてみるも全然わからずに
ですので、もう、すぐあきらめた…

と。あとはさ、
羽海野チカさんのマンガ『3月のライオン』と、
羽生善治さんの著書を幾冊か読むだけの、
完全な素人でございますので。これから申しますのは、
とっても間違えているコトなのかも知れません。。

っていうそのじぶんがふと思いましたのは、
「将棋」とは、もしかすると
「戦争のゲーム」では無い。かも知れない。

というものでありまして。

じゃあ、なにのゲームなのか?!

の、まえにまずはぼくがそのように思いました
3つの理由のコトがございますので、
それらの理由について次回ブログでは申し上げまする~。

2015年5月19日 @ (Just Like) Starting Over

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「絶対」と言える3つの状況。

2015年05月16日 | 考えごと
「絶対」ということばを、
ひとは、果たして、どーいうときに言えるのかーっ?!
のコトを考えていたんだけどね。
ぼくは、それは、
「3つの状況」のときであるのだとおもいました。
ほんじつブログはその3つについて申し上げます~。

まず1つめはさ、
100%確実に「起こる・言える」ときっす。

「太陽は東から昇る」だとか、
「燃えるためには、酸素が必要」だとか。
あとは、さくじつも引用を申しましたドラッカーが仰った

「すでに起こった未来は、体系的に見つけることができる。」

のことがらも、なんか「絶対」とも言えそうで。
たとえば20年後、成人を迎えるひとの人口は、
ことし産まれた赤ちゃんの数。とゆうよーな??
(赤ちゃん達の、すくすくご成長される願いを込めながら、、)

と。2つめは、「警告」が行われるときでありやす。

たとえばねぇ、
「このさき、とても危険。絶対にちかづくな!」
であるような案内板?!
崖だったり、高圧電力だったり、ほかにはなんだろう……

「このおふだに描かれました絵は、
 絶対に、写真で、撮影してはなりません。」
と云う、張り紙でございましたり。

「機を織っているあいだは、
 絶対に、部屋のなかを覗かないで下さい。」
と云う、あの物語の台詞であったり。。

「絶対に笑ってはいけない〇〇24時」
と云う、大晦日恒例の番組のなまえ。。。

「絶対」のことばによってさ、「警告」はさらに強まる。

最後3つめは、「約束」をするときでございます。
「絶対に、もう遅刻はしません」とか、
「絶対に、お金はお返しいたします」とか、
「絶対に、このご恩はわすれません」のような。。

そして、ぼくは口にしたことは無いけれども、
「絶対に、きみのことをしあわせにする…」
と云うことば??

あの、その「3つ」以外の状況下では、
「絶対」とは言えないのではないんかなぁ?! って、
(まぁ、考えたてなのでよくはわからんけれども。)
おもったんだよね。えーと、それこそさ、
「予測」や「願望」等を話すときには、
「絶対」と云うことばは(「絶対」に)つかえない。

てゆうのをね、じぶんでも気をつけたいとおもいました~。

あ。昔、とんねるずの『生でダラダラいかせて!!』で、
「絶対、絶対、絶対に、イエス!イエスイエスイエスっ!!」
のギャグをおもいだしたり。。

2015年5月16日 @ 絶対(的)

「コピー&ペースト」のこと。

2015年05月14日 | 考えごと
昨日のほぼ日で、糸井重里さんが
「昔と今で、まったく変わってしまったこと」は、
「コピー&ペースト」というもの。だと話しておられて。
なるほどなぁとおもったでございますが。

考えてみるとさ、今、ぼくはこのように
ブログをMacのキーボードで書いているんだけれどね。
そのブログでの、それこそ、このうえ↑で引用申しました
「昔と今で、まったく変わってしまったこと」及び、
「コピー&ペースト」と云うことばじたい、
そのどちらともが糸井さんの文章よりぼくが
「コピー&ペースト」で持ってきたものだしっ!!

そして、このブログ完成直前の最終段階では、
とくていのことばに(今のところですと、
「ほぼ日」と「糸井重里」(さん)の箇所に、)
WEBページへ飛ぶリンクを貼る作業をするんだけども。
そのURLの文字列だって「コピー&ペースト」しないと、
たいへんだわよー。もう、時間も、労力も。。。

つまりは、「コピー&ペースト」が無かったのなら、
ブログが書けないもん!
(推敲だってもさ、切って貼って切って貼ってを
「コピー&ペースト」でやってるし~。)

と、ここで話はすこし変わりまして。

昨年のはじめにね、ぼくはこのブログで、
武道家・内田樹さんのことばをゆっくりじっくり鑑賞したい!
てな感じで、内田さんの文書を少しずつ引用いたしながら、
あいづちを打つみたいにブログ書いてゆく。
という企画シリーズ的なのをやっていたのですが。。

その "引用" のさいでのじぶんで決めたルールとは、原文を
「コピー&ペーストをしない。」だったんだよね。

「コピー&ペースト」をしないってなると、
記された内田さんのことばとひたすらにらめっこ、
引用しましたことばが元の文書と合っているのかいないのか
気が気がじゃないし。あ、いえ、もしかしたら、
それだけ見直しても間違いの箇所があったかも知れない。

んでも、そうやって見直してゆくうちに、
すこしばかりでも「ことば」を読むことが
できるのではないかなぁ?? とおもいまして。ま、でも、
それをやったことによるじつの効果はよく知りませんが…

えーと、なんだろうなー。。。
「コピー&ペースト」ってさ、文字でのことばを、
「はこぶ」ときに必要な「力」をほぼゼロにしていて。
とっても楽チンなんだけれど。そのために、
実際に「はこぶ」ための「筋力」が退化していっちゃう。

そんなことをねぇ、昨日の
糸井重里さん「今日のダーリン」を読んで思いました。

2015年5月14日 @ 中央線

「表現」とは「伝える」ことでは無い。

2015年05月09日 | 考えごと
なんか、まだちょっとうまく言えないんだけれど。

「表現」ってさ、だれか、あいてに、なにかを
「伝える」ってゆうことだけが、
重要では無い、本質では無い、ような気がしたんだよねぇ。

先日のこのブログでは何回かに渡りまして、
【伝えたいこと】についてエントリをしたのですが
たとえばぼくがその
【伝えたいこと】を考えてみますと、
なんか、なんてゆうかその、とくに、なにもないんだわ。

いえほんとうは「なにもない」わけでなく、
ぼくの【伝えたいこと】をね、おおきく分けてしまえば
ふたつのことが(たぶん)ございまして。

ひとつはさ、
大事な大切なひとに対しまして、
「あなたが生きていて欲しい。」的なコトと、、、

もうひとつは、まぁこれは単なる甘えなのですが、
じぶんに対して、だれかより
「『あなたが生きていて欲しい。』って言われたい。」、
つまり、存続を許しておくれと伝えたい、的な???

ざっくり分けてしまうと、
このふたつなのではないかなぁとおもっていて。
そのほかは「なにもない」かも知れない、って。。

「伝える」とゆうことをね、
「伝え方」を駆使して相手に「伝えた。」とすれば、
伝えられた相手方のほうは
もう誤解が出来なくなってしまう。とゆうか。
「伝える」側のほうが、
相手から別の解釈をされるのが赦せなくなる。とゆうか。

「表現」が先鋭化してしまって、
「これから伝えようとしたいこと」を
100%の完全体で受け取ってもらわないと困る。みたいな…

そうなるともう、ちょっと、怖い。。

と、それでねぇ。たとえばさ、
相手から「受け取る」ときにおこなわれる
「あいづち」みたいな行動も「表現」だとおもったのよね。

相手からの「表現」を「受け取りました。」って云う
サインのコトなんだけれども。あの、
ぼくなんかで申しあげますと、
「表現」ってのは「それ」だけ、なんじゃないか??!
と。。

「伝える」ことを、表したり現したりすることが
「表現」ではなくって、
どーしたら「受け取る」ことができるか。の行動こそが
「表現」なのではないか??!

って、おもったのだけれども、、、
まぁー、よくはわかりません。

ん、あっ、でもこれはあれだ、
ピーター・ティールさんのおっしゃる
「賛成する人がいない大切な真実とはなにか 」
と云う問いかけからの、ぼくの、まだまだ拙い回答??
んー、わからない、ぜんぜんちがうかも。。

ま、んでも、これは
じぶん自身でもまだよくわかっていないコトですので、
もう少し考えてみますっす! と、そして、今日のエントリ
最後まで読んでくれた方がもしもおられましたら、
どうもありがとうございますです~。

2015年5月9日 @ ペケペケ

画用紙から「封筒」をつくる。カラノォ…

2015年05月08日 | 考えごと
たとえばさ、
じぶんのおきにいりの
画用紙から「封筒」をつくろうとおもって。

まずは「長4(90mm×205mm)」サイズだとすれば…




↑これが「長4」おもてめんの見た目~。
 それに、うらめんも必要だから、
 てことで…




↑こんなふうに、となりにおんなじ大きさの範囲を
 ただ置いただけではNGだもんで、
 まわり全部をテープでとめるわけにもいかんし。。

(色は、便宜上、ブルーで。)




↑なので、「のりしろ」をつける。
 だけんどもこの展開図では、巷でよく見るような
 うらめん中央に「線」が入る的なのにはならないので、、




↑こーして、両翼を少し変え、完成!


そしてこのつぎにはね、
またべつに
「洋2(114mm×162mm)」サイズをつくるだとすれば…




↑これが「洋2」のおもてめん。の、それにね、




↑うらめんを置きーの、




↑「のりしろ」をつける。んでも、
 これじゃあうらの雰囲気が、
 あんまりにも殺風景だからってぇことで、、




↑こーして、完成!!


そんでよぉ、このことをよぉ、
何故こうつらつらと一体なんのことを書いてるか?!
といえばさ‥‥




↑「長4」ならば、これだけの…




↑「洋2」ならば、これだけの…


そのどちらでもさ、
赤の破線に囲まれた範囲分の「画用紙」のおおきさが
少なくともひつようになってくるんだよね。

「洋2」だと、実は、けっこうな大きさよー!!

なんかねぇ、「封筒」だけにかぎらず、
「企画」とか「計画」とかだってもこんなふうに、
見た目で計れるサイズよりもさらに数倍大きめサイズの
「台紙(なるもの)」で準備しておかないと、
あとの作業中の時になってさぁ、
企画当初ではわからなかった結構重要な「のりしろ」や、
「装飾」の箇所などなどを、とちゅうで気がついて…

うわぁー、なおさなきゃ!

的な大ピンチのときにも対処ができる!!!
のよーなコトをおもったのね~。

2015年5月8日 @ Pick Me Up