「否定」とか「批判」について考えているんですが、
「否定」や「批判」は、大事なのか、大事じゃないのか?!
みたいなコトなのだけどもね。
まずは、なんでしょう。。。
「否定」の反対語は「肯定」で、
「批判」の反対語は「絶賛」かな。しらんけど。んでも、
もし仮にそーだとすれば、
「肯定」できなければ「否定」できる要素があり、
「絶賛」しないのなら「批判」をする要素がある。
‥‥とは申しましても「否定」や「批判」を、
「される」のってやっぱしイヤなものだからさー、
それを「する」ことにほんとうに価値はあるのか??
を考えだすとよくわからない。
ぼくなんかで言えばだよ、たぶんぼくには誰に対しても、
真に価値のある「否定」や「批判」、またさらには
真に価値のある「肯定」や「絶賛」ですら、
できないんじゃないかとおもえてて。
誰かに対しまして、もしくは、誰かの作品に対しまして、
「否定」や「批判」はおろか
「肯定」や「絶賛」を伝えようといたしましても、
どちらとしてもぼくのことばには価値はなくって。
つまり、ぼくには「否定」や「批判」を
(「肯定」や「絶賛」さえも)おこなう能力がねぇし、
もっと言えば「否定」や「批判」ってぜんたいてきに
むつかしいコトだし、いや、じつを言ってしまえば、
それは不可能なコトなんじゃないか?! と。。
ひとは、誰も「批判」できがたいし、
誰かから「批判」を受けることもできにくい。
じぶんから、じぶんへする「批判」しか、できない。
まぁ、じぶんへする「批判」だってもさ、ぼくには
「批判」する能力がねぇってのはうえで申しましたので、
ただ単にウダウダとじぶんへ「批判」するだけで、
「批判」された側のじぶんの口から
【じゃあ、どーしたらよいんだ?】
て問われてもぜんぜん答えられないし。なのでそこから、
「批判」をしたぼくと「批判」を受けたぼくのふたりで、
【さてどうしよう】てウンウン考え合うしか無いんだけど…
ぼくの場合ですと「じぶんを信じる!」って言いながら、
突き進むのはどちらかと言えば怖いほうなので。
たとえ稚拙でも自らからの「批判」を信じて聞けるような
【自信】は持ちたいなぁ~、とぞんじます。
2015年10月7日
「否定」や「批判」は、大事なのか、大事じゃないのか?!
みたいなコトなのだけどもね。
まずは、なんでしょう。。。
「否定」の反対語は「肯定」で、
「批判」の反対語は「絶賛」かな。しらんけど。んでも、
もし仮にそーだとすれば、
「肯定」できなければ「否定」できる要素があり、
「絶賛」しないのなら「批判」をする要素がある。
‥‥とは申しましても「否定」や「批判」を、
「される」のってやっぱしイヤなものだからさー、
それを「する」ことにほんとうに価値はあるのか??
を考えだすとよくわからない。
ぼくなんかで言えばだよ、たぶんぼくには誰に対しても、
真に価値のある「否定」や「批判」、またさらには
真に価値のある「肯定」や「絶賛」ですら、
できないんじゃないかとおもえてて。
誰かに対しまして、もしくは、誰かの作品に対しまして、
「否定」や「批判」はおろか
「肯定」や「絶賛」を伝えようといたしましても、
どちらとしてもぼくのことばには価値はなくって。
つまり、ぼくには「否定」や「批判」を
(「肯定」や「絶賛」さえも)おこなう能力がねぇし、
もっと言えば「否定」や「批判」ってぜんたいてきに
むつかしいコトだし、いや、じつを言ってしまえば、
それは不可能なコトなんじゃないか?! と。。
ひとは、誰も「批判」できがたいし、
誰かから「批判」を受けることもできにくい。
じぶんから、じぶんへする「批判」しか、できない。
まぁ、じぶんへする「批判」だってもさ、ぼくには
「批判」する能力がねぇってのはうえで申しましたので、
ただ単にウダウダとじぶんへ「批判」するだけで、
「批判」された側のじぶんの口から
【じゃあ、どーしたらよいんだ?】
て問われてもぜんぜん答えられないし。なのでそこから、
「批判」をしたぼくと「批判」を受けたぼくのふたりで、
【さてどうしよう】てウンウン考え合うしか無いんだけど…
ぼくの場合ですと「じぶんを信じる!」って言いながら、
突き進むのはどちらかと言えば怖いほうなので。
たとえ稚拙でも自らからの「批判」を信じて聞けるような
【自信】は持ちたいなぁ~、とぞんじます。
2015年10月7日