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自己中心性と排他制御

2017-02-04 00:52:24 | 日記
 自己中心性という自分の視点でしか物事を判断しない性質を示す言葉がある。一般的に良くない性質とされていて、排除しようとする人は多い。「自己チュー」とかなりの人が人から言われたことがあるのではないだろうか。
 どんなに頑張ってもほかの人になれるわけではなく、意思の疎通をいくらやっても、無理解な部分が広大に広がっていて、理解したからと言って全てが受け入れられる要求ではないわけで、自己中心性をあまり感じられないと人から実際に評価されたときには、その評価をした人は重大な人であるとみるべきだと思う。
 自己中心性がなぜ嫌がられるのかといえば、他人と共有した方が都合の良い知識や価値観を受け入れ無いために交流が難しかったり、場所が占拠されて使えなくなったり、資源が浪費されるからである。そのような問題はデータベースでも生じ、その解決のために排他制御というものが行われる。
 排他制御とは、ある表にデータの行を挿入したり、行のデータを更新したりしている際に、他のユーザーからの処理によって不具合を生じないようにするための制御である。悲観ロックと楽観ロックと呼ばれる制御が主に行われる。処理を行っている間、他のユーザーからの更新・削除を行わせないのが悲観ロックと呼ばれる制御であり、SELECT FOR UPDATEの実行などによって行われる。一方、あるユーザーが処理を行っている間もほかのユーザーからの更新・削除を受け入れ、更新・削除されたデータに対してあるユーザーが更新・削除を行なった際にエラーとなるのが時刻印ロックなどの楽観ロックである。他にリソースを共有する方法としては時間を決めて処理を行う時分割方式や同期制御などもある。
 自己中心的とみなされる人物はどちらかといえば悲観ロックのようなことを多用する人なのではないかと思われる。そのようなことが必要となる環境というのは、多数の人や環境の妨害に会う条件であり、環境が厳しい可能性を私は勝手に想像している。もしかしたら、そのせいで悲観ロックの言葉通りに悲観的なのかもしれない。悲観ロックも楽観ロックもリソースの利用に必要なために存在するのであり、悲観ロックが時折邪魔であったり、楽観ロックを用いていて、やったことがエラーになってくるのが癪だからといって無くしてよいものではない。生きるにはそのバランスが大切なのだと私は考える。
 


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