もんじろうのページ

釣りと旅行が好きな個人投資家「もんじろう」が不定期に更新するBLOG。

魚釣り

2004-09-19 01:39:13 | Angling
9月17日久々に釣りに行った。場所は日立港の沖堤防。金曜日にしては釣り人が多い。釣り荒れている。本格的に青物を狙ってみた。見事青物を釣上げた。けっこう走るので面白い。浮きが消し込んだり、走ったり。忙しい。しかし、この魚は沖堤防に行かなくても釣れるのであった。はぁ。釣れないよりはマシだろう。塩焼きにしていただいたが、鮮度が良いので旨かった。当分はおかずに困らない。魚が大好きなので幸せだ。

Touring Record Ⅳ

2004-09-02 23:05:23 | Touring
8月6日(金曜日)
黙祷を捧げた後8時30分にはチェックアウトした。最初は昨日の目的地であった納沙布岬に向かった。途中根室の魚市場があって私を力一杯誘惑した。(^ε^)かなり負けそうになったが、帰りに寄ろうと言い聞かせて誘惑を断ち切った。外気温は22度、スピードを上げると寒いくらいだ。岬の入口に近づくと霧が出てきた。ここも霧の名所らしい。折角乾いたウェアは徐々に湿ってきた。視界も悪く北方領土を見ることは適いそうに無い。途中何度か挫折しそうになった。岬の先端に行っても何も見えないからである。しかし、一度も行ったことが無いので行くだけ行ってみるんだ!と自分を納得させて、ここは岬に行ったという足跡を残すことに専念した。対向車線を数台のバイクが走り去っていく。別れ際にツーリングサインを出してお互いの無事を祈る。いい習慣だ。会った事も話をしたことも無い相手に、旅の無事を祈る。素晴らしい!と自画自賛は限りなく続くのでこの辺で止める。岬に辿り着く直前に、対向車線から4トン車が車線をはみ出してきた!何とか避けたがあの運転手は居眠りしていたようだ。さっきのサインのお陰かも知れない。助かって良かった。
 納沙布岬には9時を少々回った頃に着いた。濃い霧に周囲は包まれて、北方領土は拝めなかった。展望タワーもあったが、この霧では何も見ることができないので登るのを止めた。納沙布岬の標には二種類あって、片方には「返せ北方領土」としっかり刻まれていた。確かにそのとおりだ。千島を返さないなら樺太をよこせ。昔交換 した筈だ。だんだん怒りが込み上げてきた。戦争はしない方が良いに決っているが、領土を返還しないロシア、同朋を拉致する北朝鮮、国際法を無視して資源開発する中国への援助など打ち切ってしまえ。というのが私の正直な意見だ。怒りにエネルギーを費やした私はお腹がすいた。都合の良いことに、すぐそばで食堂が数件あったので、土産物屋兼食堂で朝食をいただくことにした。リッチに花咲蟹を一匹食べようかと思ったが、時間もかかりそうなので花咲蟹の丼にした。私が入った店は、買い物をしなくても、花咲蟹の切り身が入った味噌汁、「鉄砲汁」をサービスしてくれる素敵なお店。食事を注文すると、芽昆布、若布、昆布茶とサービスの品が出る出る。美味しいので素直に「美味しい」と言って食べると、さらに追加で出てくる。丼は蟹と卵がとじてあって、なかなかのお味。あっという間にたいらげてしまった。北方領土を眺めるという目的は達成できなかったので、絵葉書などのお土産を追加購入し、半島を一周するルートで根室に引き返した。行きに計画した市場への寄り道も、パラパラと降る雨に負けてそのまま羅臼へと走った。雨の中、国道44号をひたすら走る。晴れの日よりも虫が少ないのでシールドの汚れは少なくて済むが、雨粒により視認性が悪くなるので、Rain Breakerは必需品。時速60㌔以上で走れば雨粒は飛んでゆく…筈だったが、いかんせん霧雨状態で雨粒が小さいので、たまに左手で拭わないと、視認性の低下は著しい。暫く走っていると、制限時速ちょうどで走る車の集団を発見した。一番後ろから一台ずつパスして行くと、最後に残った車が道警の車両だった。外装と車内の人物の服装から、取締り用ではないと判断してパス。後続の車両も私に続いてどんどんパスしていた。駄目だよ、人に頼ってばかりじゃ!リスクを取らないと成功は有り得ないよ。(^_^;)
 国道44号に別れを告げ国道244号にはいる。別海町付近から、天気は霧雨から曇に変わった。天気が変わると気温も変化する。外気温28度。根室の気温が嘘のようだ。別海町の野付半島付近には湿原が点在している。考えてみれば道東には湿原があちこちにある。釧路、厚岸、根室。自然がそのまま残されているのだ。自然が残されているということは、昆虫もいっぱい居るわけで、ヘルメットシールドに衝突する虫との戦いが再び始まるのであった。こちらの湿原は、潅木が多くて視界も悪いため、写真撮影ポイントは限られているようだ。地図にも何箇所か絶景ポイントが記されていた。しかし、そういう場所に限って、「熊が出ました」という看板がある。日付を見ると3日前。これは目撃されたのが3日前というだけであって、昨日は目撃されていないだけかも知れない。周りには私1人。撮影ポイントまで潅木の林道を徒歩3分。熊避けの鈴やラジオを持参していない。根拠は無いが、多分出没しないとは思った。しかし、今回はリスクを取らなかった。写真は諦めて標津の開陽台に向かった。
 開陽台に向かう途中、標津サーモンパークを発見した。去年走った石狩にもサーモンパークはあった。私は石狩で食べた巨大なおにぎりを思い出したのだ。期待して公園内の売店を覗いた。売店の規模は石狩の8分の1。やはりここは「標津」であって「石狩」ではない。おにぎりの製造者である「佐藤水産」の看板も無い。つまり巨大なおにぎりの姿も無いわけである。今日泊まる民宿の女将さんから、「今日はお腹を空かして来てくださいね」m(_ _)mと言われたのを思い出した。今夜は毛蟹が待っている。考えるまでも無く、おにぎりは諦めて走ることにした。開陽台は最近脚光を浴び始めた観光ポイントで、真っ直ぐな道と、周辺を見渡せる場所があるのだ。ツーリング仲間のS氏から、「晴れたら是非行って見て下さい!」と勧められた場所だった。残念ながら今日は曇である。私は諦めて羅臼へとバイクを走らせた。しばらく標津町内を走っていると、突然首の付け根付近に痛みを覚えた。どうやら昆虫が直撃したらしい。何が当たったのだろう?もの凄く気になり始めた。首は脳へ酸素と栄養を送る大事な血管が通っている。毒液を血管注射なんかされたらひとたまりもない。(*_*)幸い激痛を伴っていないので、蜂の類に刺されてはいないと思った。10分くらい経過してもチクチクと痛んでいたので、ひょっとして虻の類に刺されたかなと思い一旦停車してミラーを使って確認したところ、幸い刺された痕跡も無かった。しかしながら依然として痛みは残るので、治療→温泉?が必要だろうと判断し、知床の温泉に向かうことにした。よーく考えてみると、水曜日からずーっと2日間温泉に入っていなかった。温泉ライダーとしては失格である。羅臼には、S氏の教えてくれた「熊の湯」という温泉があるらしい。楽しみだ。平日の昼間ということもあり、非常に良好な走行環境のおかげで、快調に走りつづけることができた。後になって気が付いたのだが、標津町から羅臼町までの海岸線を走った時に見えた島は、実は国後島だったのだ。写真を撮り損ねた(p_q)高校で世界史と日本史を選択した結果が、こんな所で影響してしまった。
 羅臼町に入ると、昆布の看板が目立ち始めた。「羅臼昆布」の本場だけはある。大きい販売所があれば入ってお土産購入しようと思って走っていたら、いつの間にやら国道334号線に入り、本格的な山道になってしまった。引き返すのも面倒だし知床も昆布は有名なので、昆布は知床にて購入することにした。お目当ての「熊の湯」の看板を探しながら、快適に山道を走り続けた。正確に表現するなら、快適に山道を走行しながら、「熊の湯」の看板を探した。という方が正解である。しかし、暫く走っても「熊の湯」の案内は見当たらない。何処に「熊の湯」はあるのだろうか。熊に聞かないと判らないのか?結局「熊の湯」を見つけられないまま、知床峠の入口まで来てしまった。仕方ない、知床温泉に予定変更だ。地図にも書いてあったが、この峠は羅臼側の方がカーブ急で、オホーツク側はカーブが緩やからしい。結構急なカーブが連続し、途中硫黄の香りも漂ってきた。ええ感じや。そして遂に「カムイワッカ方面行きバス」と書かれてあるバス停を発見したのだが、そこにはバスは停車していなかった。(*_*)次のバスまで約1時間待ち!目当ての温泉まではバスと徒歩で往復3時間・・・。網走の宿には6時までに入らねばならない・・・。諦めるしかない。次に温泉を発見したら必ず入ると心に誓い、バス停を後にした。今日は温泉を2つも逃してしまった。自分への怒りが込み上げ、右手に伝わってしまった・・・。気合を入れて走っていると、知床峠PAにたどり着いた。走っている時には良く見られなかった羅臼岳を眺める。何とまだ雪が残っているではないか!雲が邪魔して山肌が見えなかったので、雲が切れるまで待って撮影。我ながらエエ写真や。(^ε^)
 知床峠を下ると、オホーツク海が目に飛び込んできた。標津では曇っていた天気も、知床峠を越えて斜里町に入ると完全に晴れた。道路脇に大きなお土産屋があったので、そこで相当数の昆布の味見をして羅臼、知床、日高昆布を購入し、自宅へ送った。お腹が空いている時に、昆布を噛んで味見したら、案外空腹感を紛らわせることができた。昆布にはカリウム、カルシウム、ヨウ素、グルタミン酸が含まれていて体に良いのだ。ここからは昆布パワー全開で疾走した。右は青いオホーツク海、左は雄大な裾野に広大な農地が広がる斜里岳とても良い眺めだ。何故こんなに景色を眺める余裕があるかというと、6台前の車が、制限時速ちょうどで走り、その後ろにトラック3台が続いていて、パスできないからだ。制限時速で走るのは良いのですが、周囲の流れに乗った運転も必要なんですよ。また、譲り車線があったら、後ろの車を先に行かせる防衛運転も必要ですね。そういえば、北海道の車は道を譲らないね。頑固な人が多いのかな。(^_^;)
 斜里町に斜里温泉を見付けた。北海道上陸からこれまで一度も温泉に入っていない欲求不満状態を解決すべく、斜里温泉に直行した。そこはなんとお客がゼロ。あまり綺麗な建物ではなかったが、良く言えば趣のある温泉だ。「タイル張りと岩風呂どちらでも入れます。」と言われたので、迷わず岩風呂に入った。色は茶褐色で、源泉は60度と高温だが、40度強くらいに温度調節してくれている。暑さにヤラレそうだった私だが、温泉の熱さには嬉しい悲鳴だ。あぁ、気持ちええ。たまらん。造作はイケてないが、温泉は本物じゃ。生き返る。やっぱり温泉は最高じゃ。黄色い「ケロリン」の洗面器が旅情をくすぐる。いつもどおり40分程入浴して生き返った私は、意気揚々と再出発した。
 斜里温泉を出てから、なぜか冒険してみたくなった。なぜだか理由は分からない。いままで毛嫌いしていたダートが目の前に広がった。行って見よう。これが失敗だった。締まった砂利道は良かったが、えらい深い砂利道も結構長かった。悪路の基本姿勢は中腰でバランスを取るのだが、そんな事はすっかり忘れて着座のまま前進した。何度となく十字路で柔らかい砂利にバランスを崩しそうになったが、なんとか姿勢を保って3キロほど走った。地図上ではあと1キロ走れば舗装路だったが、愛車も私も埃だらけだし、走りづらい砂利道はやはり嫌いだということがよく体感できたので、国道244号に戻った。やはりUltra HawkⅢと私には舗装路が似合う。小清水付近まで快調に走り、濤沸湖が見えてきた。ちょうど日が傾き始め、とてもよい景色だったので写真を撮るために停車した。ところが、バッテリーが切れているではないか!湖の周りに売店なんか無い。見渡す限りきらきら輝く湖面だ。水鳥が戯れている・・・。なんでこう間が悪いのか。写真の代わりに脳に映像を焼付け、宿を目指した。網走に入ってまもなく、本日の宿「赤れんが」に到着した。この宿は、網走刑務所正門の向かいにあり、蟹を売っている店でもある。部屋や温泉やトイレはあまり普通のお家と変わらないが、隣の蟹屋が営む宿だけあって、料理は期待できる。愛想の良い女将さんとご主人が笑顔で出迎えてくれた。宿はこうでなくっちゃね。暑くて汗だくだったので、風呂で一汗流して夕食をまつことにした。
 さあお待ちかねの夕食タイム!昼間は汗をかき、昼食を抜き、夕食をいただくにはもってこいである。お風呂場であったチャリダーS君が隣の席だった。彼も私と同じ毛蟹コースだった。彼以外にもう一人、毛蟹コースの人がいるが、その人はまだ宿に着いていないようだった。S君は片手が不自由だったので、隣で彼の様子を見ながら、甲羅をむくのをお手伝いしようと思ったが、彼はそのほとんどを片手で器用にこなした。彼は、「まず自分でやってみて、駄目なときはお願いします。」なんと立派な青年か。私はこの一言でかれのファンになった。私は迷わず生ビールを注文したが、彼は切り詰めた旅をしているらしく、ビールを注文するのを暫しためらっていた。しかし、私のテーブルにビールが置かれた瞬間(写真参照)、彼は転んだ。ビールを注文したのであった。実は写真に写っていないが、この他にもホタテのバター焼き2つ、味噌汁、ご飯、お漬物がついてくるのだが、最初に全部配膳すると、テーブルを埋め尽くすので、客の食事具合を見ながら徐々に並べているようである。二人はビールで乾杯し、蟹に貪りついた。身がぎっしり詰まった毛蟹は絶品で、ビールの消費量は重力加速度並みに増加していった。この食卓で酒が進まないなんて有得ない!これで酒無しなんて地獄。本当に罪な食事である。タラバの足も二本付き、生ボタン海老が二匹、ホッケ、ホタテと海鮮てんこ盛り。毛蟹を半分食べ終えた所に、もう一人のお客、Gさんが登場した。彼は会社を退職して悠々自適の生活を送るライダーだった。チャリダーと盛り上がっていた所に、ライダーが追加でさらにその場は盛り上がり、日本酒が入って甲羅酒を飲んだり、冷酒でボタン海老の肝をいただいたり非常に贅沢な宴となった。あまりにも3人が盛り上がっていたので、ご飯が出てきたのは食堂が閉まる9時直前だった。
 酒好きが盛り上がってしまったら仕方ない。三人は寝るには早いということで全会一致、網走の夜の街へと繰り出した。といっても、飲み屋が入っているビルが2つあって、そこから選ぶだけのシンプルな街だった。まあ、私の田舎も良く似ている。そこで3人はいろいろ店を物色しながら、Heavenというお店に入った。綺麗な女の人Nチャンがずっと最後までお相手してくれた。綺麗な女の人が居たら、酒が進まない訳が無い。飲みすぎたS君は沈没寸前になった。こうして飲み続けた我々が宿に帰ったのは、門限をとっくに過ぎた11時30分だった。

つづく