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ニッキのジュース ニッキ水

2018-01-16 20:16:19 | 想い出
日記のジュース
じゃない
ブログのジュースじゃない

ニッキのジュース

シナモンが血行を良くするというのをテレビ番組で見て思い出したお話。

私はニッキのジュースというのが嫌いだった。

母はニッキが好きだった。

前にも書いた事があるけれど、私の生まれた村は無医村で、「こうちゃん」という萬屋さんが一件あっただけ。
床屋さんと「こうちゃん」お宮さんとお寺。あとはゲコゲコカエルの鳴く田圃、 そして畑と畦道、小さな川。

母は時々私を自転車に乗せて町までお買い物に出掛けた。
往き帰り、自転車の荷台に乗せられて母の背中にしがみついている。
ある日、わたしがぐずったのだろうか?眠そうなのを醒まそうとしたのだろうか?
母が私にジュースを買い与えた。
ひょうたん型にくびれた容器に入った赤いジュースだった。

(Wikipediaで写真を発見!借用します。)




私に与えて母はまた自転車を漕ぎだした。
先端を噛み切ってひとくち飲んだ私は困ってしまった。
母がせっかく買ってくれたジュースなのに、私は飲めなない。嫌いなのだ。
ニッキの匂いがツンとして、私はいつまでも瓢箪を握りしめているだけ、しょんぼりして母の背中にしがみつくこともできず、

これいらん‼️

とか、

これ嫌い‼️

とか、正直に言うこともできないで悲しく困り果てていた。

しばらくして母が私の様子に気付いて自転車を止めた。

どうしたん?

と、訊かれても、申し訳ないという気持ちばかりで何も言えない。

嫌いなんか❓

と、ようやく母も気がついた。

あんたニッキ嫌いやったんか❓

母が知らなかったことにびっくりした。

地蔵盆など、子供が集まる時によく配られたけれど、私はいつも飲まなかったのに、母は知らなかったのだ。

自転車を降りてスタンドを立てた母は、電信柱の下の草むらにジュースを流し棄てた。
地面が私の代わりに吸い取ってくれた。

そして、母は、何事も無かったかのように自転車を走らせた。

ジュースを棄てている母の後ろ姿が今でも眼に浮かぶ。

本当に生きんがために今この食をいただきます。与えられたる天地の恵みに感謝いたします!

と唱えて物を口にする習慣があったからというわけでもない。
とにかく忙しいキャリアウーマンの母と、とにかく甘ったれの私。
母が買い与えてくれただけで嬉しいのに、嫌いなんて言えない。要らないなんて言えない。
ましてや捨てるなんて‼️
あの時の私の気持ちを多分母は知らないと思う。
忙しい母にしたらなんて事ない話だ。
あ〜めんどくさい子やなぁ〜もじもじしてないで要らんなら要らん‼️とはっきり言いなさい!
程度だったと思う。

ごめんなさいと心の中で謝りながら振り返って見た電信柱。日がどんどん暮れる。

⏳ ⌛️ ⏳ ⌛️

昨日、仕事がお休みだった娘がなんやかやと片付けものをしていて、アクセサリーの整理を始めた。
そして、

ばあちゃんからもらったものがいっぱいあるけど、高いものか安いものか分からないから見て〜

と、食卓に店開きした。

どれどれ……

あ!それ!初めて買ってもらったブローチ!
あ!それ!初めての発表会に買ってもらったペンダント!
あ!それは!

なんて、身に覚えのあるものが出てくる。

お母さんの記憶にある物はお母さんが自分で処分してね😜

と、娘に返されてしまった。

甘ったれの私が結婚する時に全部棄ててきたはずなのに、
しっかり残しておいて、知らぬ間に孫娘に渡していた我が母。

なんやね〜ん💦💦

やっぱり捨てられへん〜😱

娘に

棺桶に入れてあげるから悩むな‼️

と、言われた。

忘れるのが先か棺桶が先か……😅

シナモン

と聞いて、パブロフの犬のように、いまだにあの赤いジュースと母の後ろ姿と自転車を思い出すのだもの😓

いい加減に古いものを追い出さないから、新しい情報を記憶できないのですかね。

追記

正しくは、ニッキのジュースではなくて、

ニッキ水

だったことを思い出した。
修正するのが面倒なので、追記としておく。
ハッカ水というのもあった。

あの頃本物のジュースを飲むことはほとんど無かった。
果物は腐るほどあったけれど。

ジュースというと、大阪万博のドイツ館で飲んだ100パーセントのオレンジジュースを思い出す。









コメント (2)
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