よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
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日本の教育を憂う-三重県上野市:旧小田小学校・旧崇廣堂

2015年04月30日 | 三重
Old Oda Elementary School& Old Suuokudou School, Iga City, Mie Pref.

さてさて、三重県上野市にやって来たワタクシは伊賀上野城を散策した後、お城から北東の方向へ歩いて行きました


小田という集落の中に擬洋風の建造物が目を惹くのですが、これは旧小田小学校の校舎なんですよね。
旧小田小学校は、明治14年(1881年)に建てられたもので、現存する小学校校舎としては三重県で最も古い建物です


当時は「啓迪学校」と呼ばれていたそうですが、決して裕福とは言えない小田村の人たちが資金を出し合い、立派な小学校を建てました。
この時代の校舎をワタクシはよく訪ねるのですが、いずれも地元住民の、あるいはその土地出身で成功をおさめた人などが
莫大な資金を工面して建造したものが多いんですよね。「将来を担う人材を育てよう」という気概に溢れていた時代だったのでしょう


こういう昔の学校を訪ねて、いつも感心するのは展示されている昔の子供たちの、作文の字の上手さと文章力なんですよ。
恥ずかしい話ですが小学校3年生くらいの作文の文字が、ワタクシよりずっと上手なんですよね。
訓練、修練の賜物でしょう。指導する先生は厳しく、時には今で言う体罰もあったでしょうが、ワタクシはただただ感心するばかりです


今の時代の学校に比べ自由も無く、規律も厳しかったことでしょう。でも、向学心は今の子供たちよ何倍も強かったことでしょう


そして、旧小和田小学校から南に進んでいくと旧崇廣堂の建物が見えてまいります。
旧崇廣堂は文政4(1821)年、伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するために建てられました


長らく続いた幕府の支配体制が崩れ始め、いよいよ幕末へと向かって行くこの時代に、藩士たちは何を思っていたのでしょう。
彼らが描いていた理想の日本とはどのような国だったのでしょう。ふと、そんなことを思いました


明治時代、「富国強兵」「殖産興業」などのスローガンの下、国家に有用な人材育成のために各地に学校が建設された時代に建てられた旧小田小学校。
江戸時代の幕末期、幕府に頼らず各藩の改革を担うような優秀な人材を育てようと、各藩に藩校が建設された時代に建てられた旧崇廣堂


時代や目的は違えども、学び舎で学んでいた若者や子供たちの志は高く、崇高な理想を描いていたことでしょう


それに比べて今の教育はどうなのでしょう。先日、小中学校で実施された全国学力学習状況調査のことがニュースで取り上げられていました。
大阪などは某市長が知事時代から「どうして大阪府は全国で45位なんだ。教師は何をしている。全国平均を超えろ」などと
毎年言っておりますが、教育というのはそんなテストで一喜一憂するものなんですかねぇ。
ワタクシなどは、教育は「人材育成」のためにあると思うのですが、今の教育はそうとは思えないんですよね

使用したカメラ:FUJIFILM X-T1


教育は「人材育成」であることと、もう一つは「夢や志を抱かせる」ことだと思っています。
数年前、とある開発途上国に行った時、子供たちと話をすると目を輝かせて自分の夢を語ってくれました。
一方、日本では「キミの夢は?」と聞いても「別に」「さあ」「わからん」「特に無い」と答える子供が多いと聞きました。
この国の教育はどこに向かうのでしょうか。私はどうしても憂いてしまうのです


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