きゃらめるぽっぷこーん

きっかけは韓国映画、今は興味の赴くままに観ます。mottoは簡潔に。radiotalkでラジオ配信始めました。

父親たちの星条旗

2014年08月21日 | アメリカ・イギリス
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最近、テレビ放映で再び「硫黄島からの手紙」を観たのですが、アメリカ側からの視点で描いた「父親たちの星条旗」も観てみたいと思いました。

切り口が全然違うんですね。
硫黄島の戦いで英雄に祭り上げられた3人が、戦費集めの広告塔にされて苦悩し戸惑う。
日本が硫黄島で本土決戦の時間稼ぎだけのために玉砕覚悟で戦っているときに、アメリカではこんなことが起きてたんだなと思う。
硫黄島を取り囲む無数の軍艦を見ると、地下で玉砕を覚悟した日本兵を思う。

機関銃や飛んでくる弾の中で戦っていたのに、今は歓声の中、この対比が面白かった。
花火の音がまるで戦場のようです。
戦争ってなんだろうって思う。
人を不幸にしかしないのになぜ起きるんだろう。

「硫黄島からの手紙」で手りゅう弾で自決した日本人の姿をアメリカ兵の視点で見ると心に突き刺さります。
辛すぎる。

味方を間違って打ち殺したり、人種差別的な言葉を言われたり、アメリカを勝者として描かない。
戦争には英雄はいない。
無意味に感情を揺さぶろうともしない淡々とした描かれてかたに安心感がある。
戦争がいかに不毛なものかということがしっかりと伝わってきます。
これは2作品をあわせて観るべきだと思いました。

ラストシーンがね、、やっぱり最前線に駆り出されれるのは若者なんだなと思いました。
未来のある若者たち。
それだけで切ないです。

私が観て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。私の2本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きられたであろう人々に与えた影響を描いています。どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。 だから、この2本の映画は彼らに対する私のトリビュートなのです。日米双方の側の物語を伝えるこれらの映画を通して、両国が共有する、あの深く心に刻まれた時代を新たな視点で見ることができれば幸いです。
   ⇒⇒ クリント・イーストウッド監督 来日会見

クリント・イーストウッド監督の言葉が胸に落ちます。



父親たちの星条旗(原題:FLAGS OF OUR FATHERS)  2006年  ☆☆☆☆☆
監督:クリント・イーストウッド
出演:ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ

第2次世界大戦の重大な転機となった硫黄島の戦いで、米軍兵士たちはその勝利のシンボルとして摺鉢山に星条旗を掲げる。しかし、この光景は長引く戦争に疲れたアメリカ国民の士気を高めるために利用され、旗を掲げる6人の兵士、ジョン・ブラッドリー(ライアン・フィリップ)らはたちまち英雄に祭り上げられる。


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2 コメント

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Unknown (トベニ)
2014-08-26 22:05:13
ひとつの、命の重さ。大切さ。


この場面に自分の息子を送りだしたいと心から願う母親は
世界中探してもいないはず。
この兵士たちの一人一人全てが
かけがえのない息子であり、夫であり、父であり、
兄であり弟であること。

石器時代から人間は全く進歩していないのか。
欲しい物を奪うため戦うことしか考えないのか。
化学の粋を集め、これだけの時間と量力と
お金を使って、こんな愚かなことをする。それが戦争。

「戦争」などと言う、都合のよい言葉は
誰が考えたのか。「虐殺」であるその事実を
便利な言葉で置き換えてはならない。


あっという間に数百人が犠牲になるその現場で
怪我した体に懸命に包帯を巻く衛生兵
その人間の 健気なかなしすぎるその姿・・

私は人類が、いつまでたっても、
21世紀のいまになってもまだ
人殺しにお金を使っていることが不思議でなりません。

硫黄島への手紙
父親たちの星条旗
クリント・イーストウッドと
スティーブン・スピルバーグが手をとり
日米両方の姿を描き出していますね
そこには、このイーストウッド監督が会見で述べた
大切な思いがある。
監督自身、従軍の経験があるからこそでしょう。
監督は、音楽まで担当されていますね。

また、太古から住む場所にただ住んでいただけだったのに
否応なく「アメリカ人」とされ、
戦争にも送りだされた先住民族たちの苦悩。
言葉を奪われ習慣を奪われ、あげく自分たちの国とは
思えていない「アメリカ」の兵士として戦争に行かなければならなかったアメリカン・インディアンたち、そして
イヌイット(彼らの言葉では、エスキモー)の人たち。
戦後彼らがくぐらなければならなかった、
戦争よりももっとつらい日々のこと。

戦争がどんなに、凄惨きわまりないか。
帰還兵の多くが、一言もしゃべらないことで
その記憶に鍵をかけたい。
ベトナム戦争では、戦死者五万人に対し
アメリカに帰国してから自ら命を絶った帰還兵は
その3倍の十五万人以上といわれています。

最後のモノローグが胸をうちます。
「兵士は国家の為に戦うかもしれないが
死ぬのは仲間の為なんだ。
自分のすぐ前にいる、すぐ横にいる
仲間の為に死ぬ。
ヒーローなどと言うものは、必要に迫られて
人が作り上げるもので、本当に存在などしない。
彼らの真実の姿を見て欲しい。」と。
エンドロールの、実際の写真が胸につきささります。

この映画の製作者・スティーブンスピルバーグは
「プライベート・ライアン」(原題:「ライアン2等兵を探して」)を監督しています。
ノルマンディー上陸作戦において、
ライアン家の4人の息子たちのうち3人までが戦死
残る一人の息子を無事帰国させよと言うミッションに
8名の兵士が命がけで向かいます。
その、ひとつの命を救うと言うミッションは
困難極まりない。たった一つのいのち。

映画の冒頭、息子の戦死を告げる車がやってくるのを
キッチンの窓から発見し立ちすくむ母親の姿がありました。

「父親たちの星条旗」の冒頭にも
「あのお尻はうちの息子よ、まちがいない」と
後ろ姿の写真だけで自分の息子だと分かったお母さんがいましたね。
母親とはそういうもの。

全ての兵士は、親にとってかけがえのない息子
妻にとってかけがえのない夫
子どもにとってかけがえのない父
兄弟にとってかけがえのない兄・おとうと。

ひとつの命の、その限りない尊さを思える人間でありたいと願います。
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Unknown (るぴ)
2014-09-20 13:57:51
トベニさん☆

毎年靖国参拝の話題が出るたびにいつも思うんですよ、
私は政治的なことはわからないから無知なことを言うかもしれないけど、
あの時代、戦争に行って亡くなった方たちは
国のために戦ったのだとしても、それは自分の家族、友達、仲間がいる自分の国のため、
戦争が過ちであることは認めなければならないけど、
そのために落とした命に対して素直に手を合わせられない、
政争の対象にいつまでもされてるってことはどういうことなんだろうって、
不思議でなりません。

なんか、いきなり話がまとまってない、、(あれ)

ベトナムの帰還兵はそんなにたくさんの人が自ら命を絶ったんですね。
戦争がどれだけ悲惨なものか、、もう誰にもそんな経験をして欲しくありません。

「そこに落ちている宝物を拾ってパズルのようにしたらひとつの映画になる」
こんな素敵な言葉をニノにおっしゃったクリント・イーストウッドという方は凄い方ですね。

英雄に祭り上げられた3人とアメリカ本土の熱狂と、同時期に起きている戦場の悲惨と
まさに宝物のような辛い現実をパズルにして見せてもらったような気がして、これが映画なんですね。
そこからたくさんの事を知り、そして考えます。

どんな理由があったとしても、
人と人が殺しあうことは絶対に許されない。
戦争がいかに不毛なものか、誰もが知ってるはずなのに
相手を殺すことで解決するものなど何ひとつないのに
と思います。

「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」は両方を観て良かったと思いました。
硫黄島で戦ったアメリカと日本と
人間の愚かさと、必死に生きて死んでいった人たちの無念を受け止めるべきだと思いました。

そう、そしてそこに駆り出されるのはまだ若い息子たち。
夫であり、父であり、兄でありおとうと。
全力で守らなければいけないと思いました。



「硫黄島からの手紙」を2回真剣に観て
今回こそレビューを書こうと思ったのにまた逃してしまいました。
なんか書けなくなったので、
そのうちまた真剣に観るチャンスがある思うので、その時に書こう。
ニノちゃんゴメンね(笑)
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