ベトナム戦争やイラク戦争へ行ったアメリカ帰還兵が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症するというのは近年よく聞く話。
しかし、何もベトナム・イラクでなくても、戦争は人の精神に深く食い込み傷つけてしまう。戦後70年たっても癒やされない心の傷に苦しめられる、元日本兵も同じだ。
先日、私は義父の晩年について書いたけれど、東京新聞の取材で、元兵士だった人たちが未だに精神障害で入院、通院が続いていることがわかった。
この事実に驚くとともに、時間では解決できない戦争の罪の深さを改めて思う。
晩年狂った様に悪夢にうなされていた義父・・・それは義父一人のことではなかったのだ。
過去に学ぶことがあるなら、安保法案は、なんとしても廃案にしてほしい。
前に書いたこの記事(「そもそも総研」むのたけじさんのインタビューと、義父が大陸から持ちかえった写真のこと)にも続きがあった。
義父の話では、人々の首をはねる役割を担った兵士は、義父の日本刀がよく斬れるので、しょっちゅう「貸してくれ」と借りに来ていたという。
そして、最後には彼は気が狂ってしまったのだと。
・・・その刀は、鎌倉時代の古刀で、骨董好きの祖父が、義父に持たせてくれたものだったそうだ。戦後、朝鮮半島から復員してくる前に、その刀は米軍に没収された。義父は、「あんな刀を日本に持ち帰っても仕方がない、没収されてよかったのだ」と子どもたちにも言っていたという。
余談だが、最近、歴女の派生系で「刀女子」、日本刀を愛でる女性達が増加中という。
女性だからというわけではないけれど、歴史に思いを馳せるのはよしとしても、日本刀には、人を殺め続けた歴史があるわけで、そういうこともきちんと理解した上なのだろうかと、私なんかは、複雑な気持ちになってしまうよ。
追記 8月30日リアルタイムシールズ&国会前
SEALDs/0830
しかし、何もベトナム・イラクでなくても、戦争は人の精神に深く食い込み傷つけてしまう。戦後70年たっても癒やされない心の傷に苦しめられる、元日本兵も同じだ。
先日、私は義父の晩年について書いたけれど、東京新聞の取材で、元兵士だった人たちが未だに精神障害で入院、通院が続いていることがわかった。
この事実に驚くとともに、時間では解決できない戦争の罪の深さを改めて思う。
晩年狂った様に悪夢にうなされていた義父・・・それは義父一人のことではなかったのだ。
元兵員 残虐行為の悪夢 戦後70年 消えぬ心の傷
2015年8月28日 東京新聞
アジア太平洋戦争の軍隊生活や軍務時に精神障害を負った元兵員のうち、今年七月末時点で少なくとも十人が入通院を続けていることが分かった。戦争、軍隊と障害者の問題を研究する埼玉大の清水寛(ひろし)名誉教授(障害児教育学)は「彼らは戦争がいかに人間の心身を深く長く傷つけるかの生き証人」と指摘している。(辻渕智之)
「自殺したい」「殺してくれ」「人の顔を見るのが嫌だ」など
元兵員の訴えが記録された国府台陸軍病院の病床日誌(コピー)
=「資料集成戦争と障害者」(清水寛編)から
本紙は、戦傷病者特別援護法に基づき、精神障害で療養費給付を受けている元軍人軍属の有無を四十七都道府県に問い合わせた。確認分だけで、入院中の元兵員は福岡など四道県の四人。いずれも八十歳代後半以上で、多くは約七十年間にわたり入院を続けてきたとみられる。通院は東京と島根など六都県の六人。
療養費給付を受ける元兵員は一九八〇年代には入通院各五百人以上いたが、年々減少。入院者は今春段階で長野、鹿児島両県にも一人ずついたが五、六月に死亡している。
清水氏によると、戦時中に精神障害と診断された兵員は、精神障害に対応する基幹病院だった国府台(こうのだい)陸軍病院(千葉県市川市)に収容され、三八~四五年で一万四百人余に上った。この数は陸軍の一部にすぎず、症状が出ても臆病者や詐病扱いで制裁を浴びて収容されなかった場合も多いとみられる。
清水氏は同病院の「病床日誌(カルテ)」約八千人分を分析。発症や変調の要因として戦闘行動での恐怖や不安、疲労のほか、絶対服従が求められる軍隊生活への不適応、加害の罪責感などを挙げる。
診療記録で、兵士の一人は、中国で子どもも含めて住民を虐殺した罪責感や症状をこう語っている。「住民ヲ七人殺シタ」「ソノ後恐ロシイ夢ヲ見」「又殺シタ良民ガウラメシソウニ見タリスル」「風呂ニ入ッテ居テモ廊下ヲ歩イテイテモ皆ガ叩(たた)キカカッテキハシナイカトイフヨウナ気ガスル」
残虐行為が不意に思い出され、悪夢で現れる状態について、埼玉大の細渕富夫教授(障害児教育学)は「ベトナム、イラク戦争の帰還米兵で注目された心的外傷後ストレス障害(PTSD)に類似する症状」とみる。
清水氏は「症状が落ち着いて入院治療までは必要のない元兵員が、偏見や家族の協力不足などで入院を強いられてきた面もある」と説明。また今後、安全保障関連法案が成立して米国の軍事行動に協力すると、「自衛隊でもおびただしい精神障害者が生じる」と懸念する。
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2015年8月28日 東京新聞
アジア太平洋戦争の軍隊生活や軍務時に精神障害を負った元兵員のうち、今年七月末時点で少なくとも十人が入通院を続けていることが分かった。戦争、軍隊と障害者の問題を研究する埼玉大の清水寛(ひろし)名誉教授(障害児教育学)は「彼らは戦争がいかに人間の心身を深く長く傷つけるかの生き証人」と指摘している。(辻渕智之)
「自殺したい」「殺してくれ」「人の顔を見るのが嫌だ」など
元兵員の訴えが記録された国府台陸軍病院の病床日誌(コピー)
=「資料集成戦争と障害者」(清水寛編)から
本紙は、戦傷病者特別援護法に基づき、精神障害で療養費給付を受けている元軍人軍属の有無を四十七都道府県に問い合わせた。確認分だけで、入院中の元兵員は福岡など四道県の四人。いずれも八十歳代後半以上で、多くは約七十年間にわたり入院を続けてきたとみられる。通院は東京と島根など六都県の六人。
療養費給付を受ける元兵員は一九八〇年代には入通院各五百人以上いたが、年々減少。入院者は今春段階で長野、鹿児島両県にも一人ずついたが五、六月に死亡している。
清水氏によると、戦時中に精神障害と診断された兵員は、精神障害に対応する基幹病院だった国府台(こうのだい)陸軍病院(千葉県市川市)に収容され、三八~四五年で一万四百人余に上った。この数は陸軍の一部にすぎず、症状が出ても臆病者や詐病扱いで制裁を浴びて収容されなかった場合も多いとみられる。
清水氏は同病院の「病床日誌(カルテ)」約八千人分を分析。発症や変調の要因として戦闘行動での恐怖や不安、疲労のほか、絶対服従が求められる軍隊生活への不適応、加害の罪責感などを挙げる。
診療記録で、兵士の一人は、中国で子どもも含めて住民を虐殺した罪責感や症状をこう語っている。「住民ヲ七人殺シタ」「ソノ後恐ロシイ夢ヲ見」「又殺シタ良民ガウラメシソウニ見タリスル」「風呂ニ入ッテ居テモ廊下ヲ歩イテイテモ皆ガ叩(たた)キカカッテキハシナイカトイフヨウナ気ガスル」
残虐行為が不意に思い出され、悪夢で現れる状態について、埼玉大の細渕富夫教授(障害児教育学)は「ベトナム、イラク戦争の帰還米兵で注目された心的外傷後ストレス障害(PTSD)に類似する症状」とみる。
清水氏は「症状が落ち着いて入院治療までは必要のない元兵員が、偏見や家族の協力不足などで入院を強いられてきた面もある」と説明。また今後、安全保障関連法案が成立して米国の軍事行動に協力すると、「自衛隊でもおびただしい精神障害者が生じる」と懸念する。
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過去に学ぶことがあるなら、安保法案は、なんとしても廃案にしてほしい。
前に書いたこの記事(「そもそも総研」むのたけじさんのインタビューと、義父が大陸から持ちかえった写真のこと)にも続きがあった。
義父の話では、人々の首をはねる役割を担った兵士は、義父の日本刀がよく斬れるので、しょっちゅう「貸してくれ」と借りに来ていたという。
そして、最後には彼は気が狂ってしまったのだと。
・・・その刀は、鎌倉時代の古刀で、骨董好きの祖父が、義父に持たせてくれたものだったそうだ。戦後、朝鮮半島から復員してくる前に、その刀は米軍に没収された。義父は、「あんな刀を日本に持ち帰っても仕方がない、没収されてよかったのだ」と子どもたちにも言っていたという。
余談だが、最近、歴女の派生系で「刀女子」、日本刀を愛でる女性達が増加中という。
女性だからというわけではないけれど、歴史に思いを馳せるのはよしとしても、日本刀には、人を殺め続けた歴史があるわけで、そういうこともきちんと理解した上なのだろうかと、私なんかは、複雑な気持ちになってしまうよ。
追記 8月30日リアルタイムシールズ&国会前
SEALDs/0830