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続々々サーカーの予言・4つの哲学と略奪資本主義の終り

2009年01月16日 | サーカーの予言
サーカーの予言」の続きです。
初めて読まれる方はこちらの記事からどうぞ。
 ※資本主義は花火のように爆発する
 ※続サーカーの予言・スピリチュアルについて
 ※続々・サーカーの予言と、「パワーかフォースか」

サーカー師は、ラビ・バトラに世の中には4つの哲学があると説きました。

《自己を中心とする哲学》
《物質を中心とする哲学》
《独断的信条(ドグマ)を中心とする哲学》
そして
《神を中心とする哲学》


最初の《自己を中心とする哲学》は、まさに資本主義に見られる哲学で、そこには、公共の福祉よりも個人の利益を求めることが、あらゆる活動の背後にあります。個人的な快楽を得ることだけを目的としていると、バトラは、ばっさりと書いています。

《物質を中心とする哲学》は、マルクス主義などにみられるもので、食べることだけがすべてであると、これまた、ばっさり。なぜなら、幸福は、物質を得ることから生じると信じられているからです。

それでも上の二つの哲学は部分的には、理性を持っていますが、
《独断的信条(ドグマ)を中心とする哲学》は、理性などまったくないと、さらにばっさり。たとえば「女性は男性より劣っている」とかいう勝手な決め付けだけがその基盤になっているということです。
ドグマ(=独断的な説)に洗脳された人々は、理性を失っている、その通りです。
数々のカルトの教えなどもこれに入るのではないかと思っています。

しかし、これらの哲学に理性があろうとなかろうと、倫理的道徳的な価値観を築くのには何の役にも立たないのだと。
そうですよね、資本主義にしろ、共産主義にしろ、政治家や官僚の腐敗は必ず起こっているのですから。

倫理道徳なき政治家は、
金まみれになり、
富める者に恩恵を与え、
貧しきものに
そのしわ寄せをするような税制や経済政策を強いてくる。(中略)

師サーカーは説く

”《神を中心とする哲学》のみが
  社会が抱える様々な悪病を治癒できる”



ここで気をつけたいのは、「神」というとき、私たちは、ある特定の宗教における神をイメージしてはならないということだと思うのです。
なぜなら、一つの固定された神は、うっかりすれば先ほどの《独断的信条(ドグマ)を中心とする哲学》に陥りやすく、教祖や自分たちだけに都合のよい神であり、神の名のもとに他者を攻撃することを是とすることがままあるからです。
そこには、「理由さえあれば殺人を犯してもよい」というドグマも重なります。
ですから、「サーカーの予言」の本書で述べられる神は、もっと大きな意味での宇宙意識であり、独断的な宗教団体等の神とは、はっきりと区別することが必要でしょう。
その辺は、以前書きました、「続サーカーの予言とスピリチュアルについて」と「続々・サーカーの予言と、「パワーかフォースか」 」の部分を見てくださればご理解いただけると思いますが・・・・。

「神」を中心に据えることにより、
人間は倫理上の行いにとても厳格になれるからである。
その下でこそ、人間は正直で誠実であり、
すべての人を愛し、
「神」と「社会」と「自分自身」のために生きられる。

だからこそ、政治・経済・教育といった制度は、
《神を中心とする哲学》に結びつけなければならない。

偉大な師は、

スピリチュアルな進歩を
現代社会の様々な問題に適用させ、
社会の悪病を治癒しようと努められた。


そして神を中心とする哲学をもとに
「貧困対策」「誠実な政府づくり」「環境保護」「産業の分散化」という
1本1本の糸を
「ムラのない美しい織物」=「プラウト」に織り上げようとしたのである。

もと西ドイツ首相のヘルムート・シュミット氏が
略奪資本主義と呼んだ、腐敗した資本主義は間もなく崩壊する。

これからの時代、
地球上のすべての人間が幸せになるために
略奪資本主義は、
その役割を終えるのである。

「天・地・人」大崩落を体験した後、
人類はプラウトによって、
黄金の時代を迎える。


「サーカーの予言」この記事で真髄のラストの紹介をと思いましたが、残念ながら、またまた紙面と根気が尽きて、最終まで至りませんでした。とほほ。
小出しにせず、いきなり結論を書けばいいのでしょうが、今この時代この瞬間にリンクしていることだと思うので、なるたけ丁寧に書いていきたいと思ったのです。
と言っても私の力量じゃ、穴だらけですが(汗)
繰り返しになりますが、この本は、2002年の6月、今から6年半も前に書かれたものです。当時は、今年の大河ドラマのタイトルが、「天地人」になるとは、誰も思わなかったでしょう…え?そこ?(笑)
納得の結論は次の機会に…と思ったのですが、何だか本一冊、丸ごと紹介しちゃいそうなので、本当の結論が気になる方は、図書館なりでぜひ手に取って読んでみてください。
結局、本の評価・判断はそれぞれ、ご自分でなさることが一番だと思いますので。

ただ、この本を読んで私なりに、感じたのは、スピリチュアルな進歩こそが、資本主義の次にくる世界体系であるということ。
当ブログは、「パワーかフォースか」に影響を受けて書き始めたものなので、その観点から言えば、
「神を中心とする哲学」とは、パワーの源泉である所の高いアトラクターフィールドとつながることと、同義ではないか。
「黄金の時代」とは、人類は政治・経済・教育などあらゆる場面でパワーの選択ができる社会がくることなのではないかと思いました。
なんとなれば、当ブログで再三申し上げている、環境問題や医療問題、政治問題も、この著書の結論と重なっている部分が多くあるからです。
人類の意識レベルが上がり、もしあらゆる場面でパワーの選択が行われるなら、やはり今までとは全く違った心地よい時代になるでしょう。それが黄金の時代というなら、非常に楽しみでもあります。

もし、私の気が向きましたならば、ラストの真髄をいつか書けるときに書こうと思いまする。

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2 コメント

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つながること (大ちゃん)
2009-01-17 13:02:48
こんにちは。

>「神を中心とする哲学」とは、パワーの源泉である所の高いアトラクターフィールドとつながることと、同義ではないか。

“つながること”それも自分を越えた“大いなるもの”“普遍にして不変なるもの”とつながること、つながり続けることがとても大事な気がします。いな、第一であり根本だと思います。
そうすると、自分の、あるいは人類のあらゆるいとなみが、自他ともの幸福を現実化し、また、調和の取れた「黄金の時代」としていけるのだと思います。
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つながっていること (金木犀)
2009-01-19 08:47:19
大ちゃん、こんにちは
いつも、気づきのあるご意見、ありがとうございます。

>つながること”それも自分を越えた“大いなるもの”“普遍にして不変なるもの”とつながること、つながり続けることがとても大事な気がします。いな、第一であり根本だと思います。

そうですね。
大いなるもの・普遍にして不変なるもの…
私たちは、本当は誰でも、生まれたときから(生まれる前から)それとつながっているのに、忘れてしまっているだけなんだと思います。
人間以外の植物や動物たちも、大いなるものと同じようにつながっているんですよね。
だからこそ、大自然の営みは、無駄がなく理にかなっているのだと思うのです。
人間も、大自然の一つのパーツにすぎない、でもそれは知能をもったパーツであると気づいたとき、おのずと、人間が果たす役割もわかってくると思います。
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