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内山節氏のコラムは未来からの手紙かもしれない

2017年07月18日 | 自然からのメッセージ
いろいろな意味で、新聞(または新聞紙)は重宝するので、最低でも過去1ヶ月分くらいは、手元に常においています。

そして、たった1ヶ月前の新聞でも、あらためて読むと「都議選の行方は?」なんてことが書いてあり、結果がわかっているから、あたかも、自分が1ヶ月先の未来人になったかのような気分になるから不思議。

そして気づいたこと。
東京新聞のコラム「時代を読む」の筆者の一人、哲学者の内山節氏の文に、私は何故かいつも、癒やされるような気持ちになるのだけれど、「ああ、そうか」と腑に落ちたのは、この感覚に近いからだ。
つまり、内山氏のコラムを読むと、目指すべき未来からのメッセージを受け取ったような気持ちになるからだと思う。

人と自然の共存、とよく言うけれど、現実は、人と自然がお互いに破壊しあっているのではないか、と思ったりする。
自然破壊とそれに呼応するような昨今の過激な気象現象。先日の九州北部の豪雨も、植林したものの手入れ不足だった杉の木が大量に流されて、家屋に大きな被害をもたらしている。
最初にみつかってから、瞬く間に危険なヒアリが、日本各地で発見されている。外来種の襲来は、ヒアリだけに限らない。
それらはすべて、自らが海を泳いできたのでなく人為的な移動によって、国内に入ってきたもので、国内の自然の生態系も多くの外来種によって破壊されつつある。

だのに、政治と言えば、権力にあぐらをかき、見え見えの嘘をつきながら、他国との危機をやたら煽って、憲法すら自分達のいいように変えたいらしい。
足元はいい加減でありながら、遠くの煙を憶測だけで大騒ぎする。(敵を作れば人心はコントロールしやすい)
努力の方向がトンチンカンで、本当に肝心なことが、すっぽり抜けてしまっているのではないか、と思うのだ。

以下、2017年7月2日の「時代を読む」より。多分これは、未来からの手紙。




主張する国は災い招く
内山 節      


 私の家がある群馬県の山村、上野村の暮らしが、いつのころからか私に、自然は主張をしないと感じさせるようになった。たとえば、こういう森をつくりたいとは言わないし、川をこんなふうに変えたいなどとも言わない。

 自然の生き物たちはそれぞれの個性はもっている。タヌキはタヌキの生き方をしているし、そのタヌキたちの性格も、一匹一匹がけっこう多様である。木や草もそれぞれが個性的であるように、みんなが個性的な生き方をしているけれど、その全体としてつくられている自然が主張することはないのである。

 このあり方が自然を持続させ、自然の無事を守る柱なのであろう。主張なく展開しつづけたからこそ、自然は自然でありつづける強さをもつことができた。

 このかたちは人間の社会にも当てはまるのではないかという気がする。一人一人は個性的に生きている。だが、全体の社会としては主張することなく、無事に展開することだけを願いつづける。それができれば、自然が持続するように、社会も持続していくはずだ。

 歴史を振り返ってみても、社会や国がある方向性を主張したときは、さまざまな問題を発生させている。大東亜共栄圏をめざし、世界の強国になろうという主張は、その後の敗戦を招いただけではなく、アジアの人々にも大きな禍根を残すことになった。その前史には、富国強兵をめざすという明治以降の国の主張があった。

 国やそれを司(つかさど)る政府は、主張をもってはいけないのである。だから政府は憲法によって縛られ、憲法や法律を守ることが義務づけられている。それ以上の主張をしてはいけないということである。主張をしてよいのは一人一人の人間の方で、国民は自分の考え方を断固として主張してかまわない。

 とすると政府は憲法にもとづく社会の調停者でなければならないということになる。たとえばインターネットが普及すれば、それを利用した新しい犯罪もでてくる。社会の無事を守る調停者としては、それに対応した法律をつくる必要性もでてくるだろう。外国との関係でも、社会の無事を守るために、調停者は何をしなければならないのかを迫られるときはある。

 ところがいまの日本の政権は逆の方向に向かっている。自分の主張を押し通すことが正しいと思っているようだ。さらには共謀罪(テロ等準備罪)のような、一人一人の主張や行動を監視するような法案を強行採決してくる。これでは国は主張するが、国民は主張するなと言っているようなものだ。

 逆なのである。国民一人一人は個性豊かに生き、自分の主張やそれに伴う行動をする自由がある。それに対して国や政府は主張することなく、全休の無事を守る調停者でありつづける。このかたちこそが大事なのだと私は思っている。

 かつて日本の人々は、いろいろなことを自然から学ぼうとした。日本の伝統的な考え方では、社会とは人間の社会ではなく、自然と人間の社会のことだった。そして人間よりも優れた生き方があることを自然の営みから学び、それが自然に対する敬意へと結ばれていった。

 自然の生き物は個性的なのに、全体としての自然は無事を守る調停者のように存在している。この自然のあり方には、私たちが学ばなければいけないものがある。
(哲学者)



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美しき緑の星 (ひろみ)
2017-07-19 18:24:54
昨日の夜、調べ物をしていたときに検索で引っかかったブログへ行ってみたら、以前から知っている人のブログでびっくりした上に、最近、「美しき緑の星」について記事を書いていて、2度びっくり。
そのノリで、ついつい、久しぶりに見てしまいました。

主人公のミラさんは、地球とは別の、地球よりも進化している星の人ですが、自然と調和していて、心地よい生き方をしているのです。
パリへやってきて、空気が汚染されていて咳き込んでいるし、食べ物がないといって、新生児を抱くことでエネルギーチャージするし、パリの人たちとのコミュニケーションに苦労してました。

息子たちが到着したアボリジニの人たちとは、違和感なくコミュニケーションが取れたということは、アボリジニの人たちに対し、原住民と呼び現代人でないようにみなしていますが、彼らは、過去から未来の時空を越えた自然と調和した生き方をしているってことなんでしょうね。

自然の流れに逆らうものは、長続きしない・・・「復興の前の混乱期」にもうすでに突入しているような気がしています。
今まで隠されていたことがどんどん顕かになって、隠すことができなくなっているのですから。
自然環境に害を及ぼすと分かっている製品の不買運動を、始めている人もいますし。。。
人類一人一人の意識と行動が、この流れを加速させるか、減速させるか、未来がどこへ進んでいくかを決めているのだろうと感じます。

大学卒業のときに見えたビジョンは、まさに「美しき緑の星」のような雰囲気でした。
あのときから紆余曲折、少しずつ実現に向けて歩んできているつもりですが、なかなか全体への波及には時間がかかりますね。。。
でも、10年前、20年前に比べたら、変わってきているのは分かります。

こうやって、ネットを通じて、金木犀さんを始め、世界中の仲間とやりとりできるのですから。。。
返信する
ひろみさんへ (金木犀)
2017-07-20 11:39:26
>美しき緑の星

私も前に見ましたが、忘れていた部分もありました。
右脳が活性化しているアボリジニの方たちとは、息子さんたちが普通にコミュニケーションが取れたのが面白かったですね。
物質である肉体を持った人間が生きていけるのは、宇宙のどこを探しても、地球しかありません。
この地球を大事にしなければ、人間は生きていけません。

もしかしたら、検索マニアのひろみさんはもう上野村を検索されているかもしれませんがHPによりますと、トップページに「上野村を旅する方へ」という入り口があります。
行政と自然が一体になったエコツーリズムの雛形みたいなのがあります。
現代人はテレパシーが使えないので、外国の方がこられた場合は、やはり何か国語か話せる案内の方がいると、ありがたいと思います。

>でも、10年前、20年前に比べたら、変わってきているのは分かります。

ですよね。私も手探りでこのブログを始めたときは、わからなかったことが、今は馬鹿みたいに簡単にわかるようになってきてます(笑)
とか、書くとおごっていると言われそうです(汗)
自分でわかるというより、「あちら」から受け取っている感じなのだろうと思います。
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