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夫婦同姓の伝統って何?

2017年12月15日 | 社会のニュースを考える

今の政権にとって歴史とは、明治維新から戦前・戦中までしかないのかと思うことがよくあるんだけど…
毎日新聞に面白い記事がでていた。もともと夫婦別姓だった日本の夫婦が、同姓になったのは1898年(明治31年)からだそうです。
法政大学総長の田中優子先生のコラムです。


田中優子の江戸から見ると
「伝統」という言い訳

(毎日新聞2017年12月13日)

 「日本国の伝統に合わない」と言ったそうだ。宮中晩さん会へ同性パートナーを伴うことに反対した、自民党の竹下亘氏の反対理由である。伝統という言葉をどう定義しているのだろう。恐らく日本文化についてほとんどご存じないにもかかわらず知っているような気分をお持ちで、伝統の定義は「私の意見に合うもの」なのだろう。

<それホンモノ? 「良き伝統」の正体>

 日本ほど同性愛者への偏見が無い国は珍しかった。その傾向は古代からあり、貴族、僧侶、武士の麗しき文化として継承され、江戸時代はそれが庶民に広がったわけなので、日本の伝統的な宮中晩さん会にそぐわない理由がない。

 もう一つ「伝統」を盾にしている事柄がある。選択的夫婦別姓を妨げる動きだ。日本人の夫婦が同姓になったのは1898(明治31)年。それまでは夫婦別姓だったので、この時も日本の伝統に合わない、と反対があった。このように「伝統に合わない」という言葉は「私の意見と違う」という意味に使われる。しかし今日のような日本に関する無知は、政治家だったら恥ずかしくはないか。しかも欧米の多くの国や州は選択的夫婦別姓となっており、主要7カ国(G7)の国々で同性カップルの法的保障がないのは今や日本だけだ。

 事態はもっと深刻だ。竹下氏は発言が批判されると「言わなきゃよかった」と述べたそうだ。「自分の理解が及ばなかった」ではない。政治家が、民主主義国家の根幹にかかわる「人権」や「ダイバーシティー(多様性)」の意味を理解していないのである。

 法政大はダイバーシティーを宣言し推進している。それには人権意識の深化は欠かせない。LGBTなど性的少数者が古今東西人間の普通のありかたとして定着していることを前提に、差別を恐れず学べる環境作りが大学の役目だ。近く英国からシンポジウムに出席する女性教授を迎える。同性パートナーと共に来日する。ちょっと日本が恥ずかしい。(法政大総長)


夫婦別姓とか、正直私はどっちでもいい、って言ったら無責任かもしれませんが。
でも、いろいろな理由で、どうしても子供の頃から使っている自分の名前をずっと残したい、という人もいることは理解できる。
また、結婚相手と同じ苗字がいいという人もいる。だからこそ、選択できるっていうほうが、自然ではないかなあと思います。
個人的には、どっちかにこだわるより、自分が自分らしくいられるなら、名字なんかはどうでもいいですけどね。

そう言えば、LGBTについても、戦国武将はそういう人も多かったという話を聞いた事がある。
それに対して世間から目くじらを立てられることもなかった。
とはいえ、今でこそLGBTという言葉が一般化してきているけれど、誰に迷惑をかける訳でもないのに、体と心が違っているというだけで、長く偏見の目で見られていた時代もあったわけで、本人にしてみたら、途方もなく苦しい事だったんじゃないかと想像します。(今も偏見や差別がなくなったわけじゃないでしょうけど)

自分が自分らしくあることをそのまま認めてもらえること「人権」。
自民党の先生方を見ていると、つくづく感じるのだけれど、21世紀に生きる政治家なら、まず政治家からそういう偏見と差別から卒業しなくてはだめと思う。


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6 コメント

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少数派人間の戯言 (私は少数派)
2017-12-15 22:13:12
>夫婦別姓とか、正直私はどっちでもいい、って言ったら無責任かもしれませんが。
でも、いろいろな理由で、どうしても子供の頃から使っている自分の名前をずっと残したい、という人もいることは理解できる。
また、結婚相手と同じ苗字がいいという人もいる。だからこそ、選択できるっていうほうが、自然ではないかなあと思います。
個人的には、どっちかにこだわるより、自分が自分らしくいられるなら、名字なんかはどうでもいいですけどね。」
の意見に同感です。
そもそも、姓は家を表しているので「○○家」という戦前からの家制度を引きずっているというイメージが感じられるのです。
いっそのこと、各個人が好き勝手な名字を付けられるようにしたらいい、とさえ思います。「名字とか姓とかを「あくまでその個人を特定するためだけの記号のようなもの」にしてしまえばいいのに・・、と思います。
夫婦も同じ姓でも別の姓でも構わないし、どちらかの姓にこだわらず全く新しい姓にする選択もあっていいはず。そうすれば女性だけが姓を変えることの多い現実も変わってくるでしょう。
夫婦同姓にこだわる人たちには
「長い間女性が男性の姓に変えさせられていたので今度は男性が合わせる事を考えましょう。結婚においては男性が女性の姓に変わることを奨励して、逆の場合は複雑な手続きが必要になるようにしたらどうでしょうか? 男性の姓を選択する場合は少額の税金をかければ税収も得られますね」と言ってやりたいですね。
自民党や日本会議の人たちは夫婦は同じ姓であるべきと言いながら、原則女性の姓に統一することには絶対抵抗すると思いますね。
彼らは男尊女卑がモットーですから。

結婚したら姓が変わる女性が多いのですから、ついでに男性も変わればフェアというもんです。
家制度にも縛られなくなるので皆
「結婚を機に全く新しい姓に
する」というのはいいアイデア
だと私は思うのですが、
きっと誰も支持してくれないだろうなあ・・
(もちろん家や姓にこだわる人はそのこだわりを大切にすればよいと思います。)
返信する
日本の保守 (平成エンタメ研究所)
2017-12-16 09:33:17
おっしゃるとおり、現在の保守派が言っている〝伝統〟って明治以降の価値観なんですよね。
性で言えば、一番わかりやすいのは、〝源頼朝〟と〝北条政子〟。
同性愛に関しては、稚児文化は平安時代からありましたし、江戸時代には陰間茶屋なんてものが公然とあった。

日本の保守とは何なのか、と考えてしまいます。
返信する
私は少数派さんへ (金木犀)
2017-12-16 18:03:18
結婚したら新しい二人で新しい名字になるって、面白い発想ですね。
新しい二人の門出、かつての「家」からの独立、という意味で、目からウロコでした。
いろいろ前向きな名字を考えるのも楽しそう。
でも多分、各方面から大反対が起こりそうですけど(笑)

「日本人のおなまえっ!」っていう番組を、何回か見たのですが、どんな名字でも最初に決めた時があるわけで、
住んでいる場所とか、先祖の仕事とか、尊敬する人の名字とかを名乗りだしたってことがわかりました。
途中で変えたりもしています。読みが同じで、漢字が変わったり。
その辺のおおらかさって、かつての日本ではあったのですよね。
名前って、「あくまでその個人を特定するためだけの記号のようなもの」に同感です。
頭でっかちに考えず、もう少し緩やかな発想でもいいんじゃなかろうかって思います。
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平成エンタメ研究所様 (金木犀)
2017-12-16 18:10:58
そうですよね、北条政子。
源政子とは言わないですものね。
大河で杏ちゃんがやっていましたが、かっこよい政子でしたね。
来年は西郷どん?
長州とか薩摩とか、今の政府は、大河でも幕末推しなんだろーなーと思います。
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西洋かぶれ (その他大勢)
2017-12-17 13:08:42
妻が夫の姓を名乗るのも、LGBTを排除するのも、西洋の伝統なんですね。
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その他大勢さん (金木犀)
2017-12-18 10:55:07
たしかに・・
でも、今はあちらも変化してきていますよね。
より人権意識が進化してきたのでしょうね。
一部の原理主義の方たちには理解できないと思いますが。
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