虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

天皇陛下・皇后陛下へのスイッチ 追記あり

2019年05月05日 | パワーな人々・パワーな本




新天皇の機が熟し、スイッチが入りました。

皇太子時代も300代でフレンドリーなパワーの方であったけれども、やはり全体を良くする、平和を願い続けるという上皇様の意思を引き継いだ使命感というものが意識エネルギーを上げたのだと、はっきりわかりました。

4月30日には突然に623Pにジャンプアップされ、5月1日にはさらに723Pに。皇太子殿下から天皇陛下へ。高いパワーの意識エネルギーにジャンプされました。





5月1日新天皇陛下初のお言葉の時 723P
 


雅子さまは、一時期50Fのフォースまで下がっていらっしゃいました。
本人の個性を認めず、皇太子妃は子どもを産む機械くらいにしか思っていない人々の心無い言葉を受けて、本来の自分らしさを出せず「適応障害」という病名が付けられました。

その雅子様も昨年来より、パワーにジャンプアップされて、300代になり、400代になり、ついに即位の1日には、623Pという高いエネルギーになられました。
雅子さまは、長くつらい時期がありました。その厳しい時代(苦行)を経て、磨かれて、強い自覚を持ってこのエネルギーになられたこと、乗り越えられたのだなと、本当に良かったと私もとても嬉しくありがたく、思います。
また、人間の意識エネルギーの不思議さ、深遠さを、雅子様を通して学んだような気持ちです。

戦前の天皇制はフォースでしたが、戦後の象徴天皇制は高いパワーです。

相変わらず、あれやこれやと本当に見せかけたごまかしや嘘が蔓延していて、うんざりするような今日このごろですが、日本はきっと大丈夫と信じます。
国民の象徴としての新・天皇皇后両陛下の誕生を、謹んでお慶び申し上げます。


★追記
 5日のサンデーモーニングで、司会の関口宏さんが「若い人の中には、元首と象徴の区別がつかない人が増えてきた」というのを聞いて驚きました。意識エネルギーの点では、天地ほどの違いがありますのに、あらまあ、ですね。
 戦前の元首天皇制  20F
 戦後の象徴天皇制  723P

 これに関しては、やはり若い方のインタビューで、
「象徴は国民の中にいて包まれているようなイメージ。元首は政治と結びつくイメージ」
というようなことを言われていて、それはわかりやすくて言い得て妙だと感心しました。




グラフは、憲法記念日の3日のTBSNEWS23より。
日本会議を含む安倍政権は、天皇を元首としていただき政治利用したい気持ちアリアリですが、それを望む勢力は、たった4%しかいませんでした。
天皇制を廃止すべきと言っている人たちよりも少なかったですね。ほっとしました。

関連サイト 「天皇は象徴?元首?」憲法記念日にTBSが問いかけたこと


コメント (12)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 池袋暴走車事故・加害者男性... | トップ | ジュゴン、食べ跡ゼロに 辺... »
最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すばらしい! (ひろみ)
2019-05-02 20:17:35
すばらしいの一言です。

昨日は朝からどたばたしていて、実は、まだ、映像類何も見ていません。
記事は寝る前にちらりとチェックしたのですが・・・。

よかった、よかった!って感じです。
お二人が高いパワーで日本人全体、世界全体を見守ってくださっているのなら、大丈夫ですね。
粛々と、自らの使命を全うされながら、周りに光を広げていかれることでしょう♪

「天皇」という地位を受け継いできたDNAのなせる技なのかもしれません。

先ほど、こんな記事を見つけました。
記憶がDNAに貯蔵されている! ~DNAさえあれば全身を復元できるし、DNAは、人生を通じての意識などもすべて記憶している http://bit.ly/2GOVZtO

日本の皇室がなぜ、男系にこだわり、Y遺伝子を大切にしてきたか、ということも、今後、科学的にしょうめいされてくるのかもしれませんね。

9349
返信する
ひろみさんへ (金木犀)
2019-05-03 12:12:29
いつもありがとうございます。

>日本の皇室がなぜ、男系にこだわり、Y遺伝子を大切にしてきたか

男系論者は、「父方遡れば神武天皇までたどりつく」という神話につながっています。
この2000年間に関しても、本当にそうだったかと言えば、限りなく怪しいです。
平安時代の天皇を見ても、平和を愛していた方ばかりとも思えないので、その件に関しては、一旦、棚の上に上げておきますね。m(_ _)m
返信する
たとえ象徴天皇制であっても、皇室の方々の人権がないことに変わりはない (私は少数派)
2019-05-06 15:35:17
天皇制については予てから思うところがあります。
皇室という形で「特別な身分を置く」こと自体が人間の平等に照らし合わせてどうなのか?という声はずっとありました。
(身近なところでは、私の父は左翼ではないけれど、天皇制は好ましくないという考えです。けしてとんでもない意見ではないと思います。)
けれどこの見解は多くの議論の種になりかねない問題です。しばしば左翼叩きに利用されるテーマでもあります。
でもこの見解は置いておいても、天皇制は廃止した方がよいと考えています。そう思う理由は大きく2つあります。
一つは「皇室の方々の人権がないこと」です。
もう一つは「権力を思うがままにしようとする人間に天皇制が利用される危険性があること」です。
天皇制を維持したいというのは国民のエゴです。天皇制を必要だとするのはとどのつまり、「国民のために皇室の方々は人権を認められないくても、籠の鳥状態であっても、ひたすら我慢すべきだ」と言っていることになります。
皇室に生まれたというだけで自ら望んでいなくても強制的に籠の鳥状態に置かれます。プライバシーはなく、結婚の自由もない。
選挙権もありません。
逃げ出したくても逃げ出せない、そんな非人間的扱いを甘んじて受けるしかないのです。
平成天皇ご夫妻も80歳を過ぎてなおご公務のために働かれ、引退したいと願っても死ぬまで逃れられない法律の壁がありました。その後、やっとご希望が通りましたが、安倍政権は相当難色を示していました。
皇室の政治利用はもうすでに、安倍政権に依って着々となされつつあります。令和という年号に決まったことも政治利用の一環だったようですね。

多くの国民は皇室の方々の人権について考えたこともないのでしょうか?
まさに想像力の欠如としか思えません。
天皇制を何が何でも存続し続けたい人たちは、自分たちの気持ちや都合のために皇室を利用することしか考えていません。
口でどれほど美辞麗句を並べても
結局はそういうことなのです。
私は多数派の人たちに対して
「こんな人権侵害をいつまで続けるつもりなのか?!」と、
声を大にして言いたいです。
返信する
他者のために心を寄せること=人類の進化のお手本となる生き方 (金木犀+α)
2019-05-06 16:56:47
少数派さんへ

少数派さんのことですから、きっとそのように思っていらっしゃるだろうと、思いました。
(少数派という意味ではなくて、人権問題から考えたときです)
お気持ちは、とてもとても良くわかります。
私も、ここに来て、誰にも変わってもらえない、結婚相手も自由にならない、なりたい自分にもなれない、そんなお立場をお気の毒だなあとつくづく思います。
かと言って、すぐに天皇制を廃止しようとはとても言えません。
この30年、皇室が国民とともにあったことで、政治という部分から離れて、苦しい時辛い時に、慰められ励まされてきた人たちは、日本国中でたくさんいらっしゃったからです。

これはこの30年間に先代の天皇皇后陛下が作ってきたもので、それはご自分たちの使命と覚悟があったから、高い意識エネルギーがあったのだろうと思っています。
新天皇皇后にもそれが引き継がれたのだと、5月1日のパワーアップに驚いて、また嬉しく思いました。
私は一時期、雅子さまはもう離婚されて、自由の身になったらいいと本気で思っていましたから。

こんな事を言ったら信じられないと思いますが
スピリチュアルの視点、生まれる前の魂の視点では、自分の役割を自覚して、そこに生まれてくるのです。
遺伝子とかそういうものではなく、魂のレベルで人生の挑戦としてここに生まれてくるのです。
魂のレベルで古いシステムを変えようとか、天皇となって国民とともに生きようと自覚するとか、そういう覚悟を持って生まれてこられたのです。

以下は、+αより。

天皇制を維持する 20F
天皇制を維持しない 20F

今の象徴天皇制を維持する 1000P
今の象徴天皇の意識レベルからして人類の進化のお手本になる生き方であるから。1000P
他者のために心を寄せる、他人のために祈る姿勢が生き方のお手本になっているから。1000P
選挙でこのような生き方の人を選ぶことが困難である。1000P
返信する
それでも「誰かの犠牲を求める制度」は間違っている、と思う (私は少数派)
2019-05-06 18:44:24
テストの結果に正直驚きました。
正直言ってショックを受けています。
確かに「今の象徴天皇の意識レベルからして人類の進化のお手本になる生き方」だと言われれば否定しません。多くの国民が「慰められ励まされてきた」のもおっしゃるとおりです。私も平成天皇ご夫妻は素晴らしい方々だと心から思っています。
でもそれと制度としての天皇制は別だと思って居ます。たとえそれが象徴天皇制であったとしても、です。なぜならこのシステムは
「誰かの犠牲の上に成り立つ平和」でしかないと、私には思えるからです。もちろん生まれる前にそういう覚悟を持って生まれて来られているのかもしれませんが、それと「誰かの犠牲を求めるシステムを善しとすること」は違うんじゃないか?と思えてなりません。
(ここまで書いて、私の言っていることの真意が伝わりにくい、と感じます。伝わっているでしょうか?)
皇室に生まれる方々が皆素晴らしい魂で、生まれる前からご自分の使命を理解しており、象徴天皇制によって多くの人々が慰められ励まされる、という現実があるにせよ、「誰かの犠牲を求める制度」であるのに変わりません。
「誰かの犠牲を求める制度は絶対に間違っている」と私は考えてしまうのです。
返信する
多数の幸福のために少数を犠牲にする制度 (私は少数派)
2019-05-06 19:21:23
追伸です。
私は「多数のために少数が犠牲になることを善しとする」社会に対しそれはNOだと言いたいのです。日本ではそういう視点があまりにも欠けていると思うのです。
象徴天皇制は「多数の幸福(国民の多くを指す)のためには
少数(皇室の方々)が犠牲になっても仕方がない、むしろ多数の幸せのためには必要であり、善い制度である。」という考え方だと言えます。皇室の方々は魂レベルではそのような献身を望んでいたとしても、それを素晴らしいこととはどうしても言えないです。

返信する
天皇家の方々には犠牲という意識はないはず・・・ (ひろみ)
2019-05-06 22:22:41
高いパワーの意識レベルの領域に達している天皇家の方々は、全体への無条件の愛に溢れているので、おそらく、自分たちが犠牲になっている、という感覚はないのではないかと思います。

だからこそ、雅子さまが一時期50Fに落ち込んで、去年からパワーの領域に突入し、即位の当日には623Pにまでジャンプアップされたのだと思います。

皇室の皆さま、全てが、500P以上の高いパワーに突入しているわけではなく、天皇、皇后だけで、その他の方々は、自己犠牲を感じながら、日々葛藤されているかもしれませんけれど。。。

500P以上それも、600P以上の意識レベルというのは、自己犠牲という感覚さえも持ち合わせない、生きていることそのものが、他者への奉仕という人間離れしたまさに「天皇・皇后」の領域なのではないかなーと感じます。

スポーツ選手だと、イチローさん、真央ちゃん・・・。
どちらもストイックでただただ自分の研鑽、過去の自分を越えることに集中していたお二人ですよね。

3386
5250
返信する
私は少数派さんへ (金木犀)
2019-05-06 22:29:04
>私は「多数のために少数が犠牲になることを善しとする」社会に対しそれはNOだと言いたいのです。日本ではそういう視点があまりにも欠けていると思うのです。

それはそのとおりです。
言われていることも意味も理解できます。

この件に関しては、少数派さんがテストの答えに納得できなくても、仕方ないと思います。
非正規雇用とか外国人労働者問題とか、他のことに関してなら、私も多分少数派さんとおなじような考えになると思いますから。

むしろ、わたしが書いている魂のことのほうが、議論としては成り立たないですし、一般的には理解されないと思います。

これは生まれる前の約束で、どうしようもないこととしか、言えないですから。
https://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/e/0519b3615242db075aaa39996ceb4692

いつか日本で皇室が必要とされなくなる時が来れば、なくなるでしょう。
それは国民主権であるから、主権者である国民がいらないという声が多数をしめるなら国民投票でなくすこともできるのです。
日本国憲法に書いてあります。
また、今のままの天皇制なら、物理的に継続が難しくなり、結果的になくなるだろうということも言われています。

しかし、この時期に、この役割の体に入られた魂は、すでに日本会議や安倍さんの悪巧みを見切ってますから、暴走を阻止する役割もあるのだと思います。

政治利用されるのかという問題も、今現在のお二人の意識レベルなら、完全に利用されません。
元号も安倍さんの影響下にあったということですが、時間を支配するという安倍さんの思いとは違って、庶民の間ではただの元号として、これから受け入れられていくでしょう。(私は使わないけど)

>「誰かの犠牲を求める制度」

犠牲と感じるのか、使命と感じるのか、幸運と感じるのかは御本人に聞いてみないとわからないですよね。
(中には、自分の意識レベルの反映で、皇室が国民の犠牲者だなんて一ミリも考えず、むしろ国費で高い服を着て、おつきの人になんでもやってもらって勝手なことをしている贅沢な人たちだと思っている人もいるでしょう。)

しかし少なくても、先代の天皇皇后陛下と5月1日以降の新天皇皇后陛下は、国民の犠牲者とは思っていないと感じます。
誰にもできない仕事を、一心に背負って歩いてこられた先代の天皇皇后は、最後は本当に晴れやかなお顔でした。
また、例えば皇室でなくても、目立たなくても縁の下の力持ちで成り立っている仕事はたくさんあります。
私は他の兄弟が一切手伝ってくれなかった両親の介護を10年以上続けましたが、家族の犠牲になった、とは思っていなかったです。それが生まれる前から決めてきた自分の役割だって知ったからです。


皇族の方たちが皆、パワーとは限らないでしょうし、自分は犠牲者だと感じられるなら、皇室から離れることもあっていいと私も思います。
眞子さまのお相手は、すでにマイナスに入っているので、私はうまくいかないと思いますが、これもご本人の意志なら止めることはできません。ただし、小室さんの意識エネルギーが今は下りすぎてしまったので、以前に比べて二人の波長が合わなくなっているかもしれませんが・・・

知らなかったけど、直系の方以外でしたら、皇室典範には本人の意志で皇族を離れることもできることが書かれていました。
ただし皇室会議にかけられた後。

http://teikoku-denmo.jp/history/kaisetsu/other/koushitsu-tenpan1947.html

皇室典範11条1項
①年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
②親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外(ほか)、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。


いずれ天皇制がなくなる時があるかもしれませんが、でも現時点の日本においては、新天皇皇后には、お役目があり、必要であると思っています。
返信する
ひろみさんへ (金木犀)
2019-05-06 22:37:22
同じタイミングで投稿してましたね(笑)
返信する
天皇制に限らず、誰かの奉仕無くして成り立たない制度には疑問を感じます。 (私は少数派)
2019-05-06 23:55:22
私も今の皇室の方々は「自分たちが犠牲になっている、という感覚はない」だろうと思っています。
皇室の方々が犠牲と感じるかどうかを問題にしているのではないのです。
高い意識レベルの魂は「生きていることが奉仕」というのも頷けます。
私が引っかかっているのはそういうことではないのです。
皇室の方々のお気持ちがどうであれ、「天皇制度それ自体が少数の人間の(犠牲という言葉がいけないならば)奉仕無くしては成り立たない」そういう制度はどうなのか? ということなのです。
皇室の方々がたとえ使命と感じていたとしてもです。
制度として客観的な意味で、
誰かの奉仕または犠牲(当人がどう思っているかではなく)無くしては成り立たないものを好ましいとは思えないのです。
今の天皇も平成天皇も国民に奉仕する気持ちでいらっしゃると思います。それは素晴らしいです。でも奉仕する使命があるのだから、犠牲などとは思っていらっしゃらないのだから、国民のために奉仕していただくのは当然なのでしょうか?

天皇制に限らず、当人が犠牲だと感じなくても客観的に見たとき犠牲になっていることはこの世の中、多いです。
家事労働や介護もそうです。それは使命と思い、奉仕に生きる決意でおられる方は素晴らしいけれど、そういう人たちの奉仕無くしては成り立たない現実を好ましいとはやはり言えないと思うのです。
うまく言えませんが、当人がどう思っているかということではなく、誰かが奉仕しなくてはならない制度、誰かの犠牲の上に成り立つ制度、というものに対する疑問なのです。
「私は奉仕できることを喜んでいます。」「私は犠牲だとは思いません。自分から望んだことなのです。」と言いながら奉仕に生きる人は素晴らしい魂かもしれませんが、そのようなあり方を私たちは素晴らしいと言っていてはいけないような気がします。

私の真意はどうしても伝わらないようで残念です。
もちろんテスト結果を疑っているわけではありません。
私が疑っているとしたら、
象徴天皇制度に甘えている大勢の日本国民に対してかもしれません。
くどいようですが、
自分から望んで奉仕に生きる人の魂は素晴らしいと思います。
でも誰かの奉仕を必要とするようなシステムを「善し」とするのではなく、「誰もが生まれた境遇や性別、社会的立場に関係なく、自ら望むように生きられる社会を目指すのが望ましい」
ということを述べたかったのです。
私には無償で介護や家事に勤しむ方々が「私は自分から望んでこうしているのです。」という気持ち
でいるならば、介護も家事もそういう人たちにお任せしておけばいい、とは思いません。それは尊い心がけですが、そういう人たちの奉仕、あるいは犠牲無くしては成り立たない社会を素晴らしいとは言えないです。

感情的になってすみませんでした。私の言いたいことが伝わらないのが本当にもどかしいです。

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

パワーな人々・パワーな本」カテゴリの最新記事